出立
いくつもの帯を伸ばし、全てを呑みこむような日が山の向こうから現れる。青々とした木々に挟まれ、木漏れ日となって降り注ぐ。方々に村があるのかそれとも木霊だろうか、山のあちらこちらで鶏の鳴き声がする。気持ちの良い朝だ。この清々しい気分を壊すのは一人だけだろう。
「オハヨウ……ゴザイマス……。イイ……テンキ……デスネ」
ほらきた。近くに生えていた香りのきつい草を咬ませ、湧水で口を漱がせたため大分臭いは和らいではいるが、それでも口臭の酷い人間の寝起きほどには匂って来る。
おはよう、とだけ答え大きく伸びをする。
「アノコ……ハ……ダイジョウブ……デスカネ……」
「さあな、無事だといいが」
振り返りもせず答える。あの直後気絶した男の子は、夜のうちに藤江村に運んだ。さすがに村の中まで入るわけにはいかず、村の入り口までだが。
「出会ったのが他の怪異だったら間違いなく殺されていた。一日で三人の怪異にあって生き延びた時点で幸運だ。後の事は知らん」
冷たいようだが本当にその通りである。実際に好奇心旺盛で力も無い幼い子供は我々にとって絶好の獲物である。幼い子供を残酷な手法で見せしめにすれば、人間は怒り、悲しみ、畏れる。そのまま怒りに任せてこちらの領域に乗り込んでくれば、もはや我々の思う壷だ。冷静で煮え切らない人間に簡単に火をつけられるという意味で、中には子供を着火剤と呼ぶ物もいる程だ。
「ソウ……イイツツモ……センパイ……アノコ……ガムラビトニ……ミツカル……マデ、ズット……ミマモッテ……イタジャ……ナイデスカ……」
何故それを知っている。うるさいと言い放ったが、若干頬が熱くなったのを感じた。
「それで、お前はこれからどうするんだ」
日課の鍛錬とやらをしているやつにそう問う。やつは仰向けに寝転がり、手足をばたばたとさせている。相変わらずその脚はそれだけで折れてしまうのではと心配になるほど貧相だった。
私の視線を感じ取ったのか、やつは静かに起き上がる。腹筋がしたかったのだろうか。わからないが骨ばった背中に残る、砂利や枝の跡が痛々しい。
「センパイ……ハ……ドウスルンデスカ?」
その言葉に左の手を握りしめる。じめっとした感触が拳の中にあった。
「私はいずれ日照山の復讐をする。そのために今は力と仲間を蓄える」
自然に仲間と言う言葉が口をついた。今までなら間違いなく家来、下僕などと言っていただろう。
「ソウイウ……コト……ナラ……」
やつの顔には邪悪な笑みが張り付いている。良からぬことでも考えているのだろうか。
「ツイテ……イキ……マス……」
理解できなかった。
「えっ、今なんて」
「オジャマ……ニハ……ナリ……マ……セン。……ダカラ……ツレテイッテクダサイ」
真一文字に結ばれた口。いつになく真面目な表情に圧倒された。正直に言えば、願ってもいない話であるが、素直に喜ぶことはできない。一言で言うならこいつの目的が分からない。力を手に入れ山を自由に移動できるようになった。山童が残っているとはいえ、邪魔をしてくるわけでは無い為、大きな障害とはなり得ないだろう。王手のかかった山の支配をみすみす手放す法は無い。
「イロイロ……カンガエ……タノデスガ……」
いぶかしむ私の表情を見て、こう切り出し、静かに語り始めた。やつの言い分はこうだ。
この山を支配した所で私のようにいつ人間が大挙として押し寄せてくるかわからない。それならば、この何も無い山でのうのうと過ごすより、外に出て勢力を広げ、来るべき時に備えたい。そしてより強大な怪異となって私をサポートしたい、ということだ。後半はよくわからないが、前半の言い分は確かに尤もである。
悩んだ末、私の出した結論は
「よろしく頼む」
そう言った時のやつの顔たるや。夢に出そうだ。もちろん悪夢の方だ。
そうと決まれば、見てくれと臭いはあれだが心強い仲間だ。無論心の底から信用できるわけはないが。こうして山の怪異は連れだってこの山を降りることになった。
ちらちらと後ろを気にしながら、道なき道を進む人間のような女性の後ろには、明らかに人ならざる鎌を持った生物。傍から見れば、どう見ても関わってはいけない化け物に追われている女性だろう。
しかしかなり山奥深くに入ったころ、それは現れた。私たちに関わりを持とうとする者が。
がさがさと木陰から現れたのは、昨日の男の子。黄色の学帽そのままに、短パンとTシャツ一枚。とてもここまで自分の足で歩いてきたとは思えない。ハクジンは辺りを見回している。
「お姉ちゃんたち、どこへ行くの?」
おなじみの濁りのない無邪気な笑顔だ。
なぜまた来た、と問うが別に良いでしょ、と笑って答える。矢継ぎ早に
「お姉ちゃん、街に行くんでしょ。楽しそうだから僕も連れて行ってよ」
ああ、そう言えばあの子は街に憧れていたようだったなと思い出し、どうだかなと濁す。というより私自身当てがあるわけではない。
ただ、これだけは言える。
「もう影踏みはしてやらんぞ」
一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに悪戯っぽい子供の顔に戻る。
「……ばれてたんだ」
その日、その山から三人の怪異が姿を消した。その空席にどのような怪異が座ったかは知る由もないが、松江村が凋落したと風の噂で聞いたのは、それから数日も経たないうちだった。
放置していましたが、第Ⅰ部完!ということで……




