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その村

その声を、必ず必ず聞くまいぞ。

その山は、必ず必ず入るまいぞ。


この掟 従はましかば たちまちに

日和坊主となりぬべし

むべ日照山と人は言ひけり







 また名前も知らないような植物で頬を切った。舌打ちをしながら鬱蒼とした茂みをかき分ける。碌に光も入らないこの場所は、木々のトンネルなんて可愛らしい物では無い。


 もうこうして何分、いや何時間こうやって道なき道を進んでいるだろうか。足が重い。まるでこれ以上歩きたくは無いと駄々をこねているようだ。

喉の渇きが限界に近づき、もう血でも何でも良いから啜りたいと思い始めた頃、ふいに視界が開けた。

 小高い山から見下ろす形で、目に飛び込んできたのは小さな集落。段々になっており、一番高い所に大きな庭園のある、これまた大きなお屋敷。いかにもこの集落の権力者、ということが見て取れる。そしてそのお屋敷よりも少し低い所には、四軒の大きな家と畜舎だろうか。一番低い平地には十数軒程の萱葺きの民家と水田が広がっている。

 ……村だ。こんな所に、と記憶を巡るが、どうも覚えが無い。最近できたものだろうか。


 まあ良い、どちらにしろ迷っている暇は無い。何も無さそうな所だが、一宿一飯くらいにはありつけるだろう。最後の力を振り絞り、山を駆け下りた。ちょうど夕日が遠くの山に隠れようとしていた。

 私は集落へと続く道を辿る。日が沈んだ後の山間は暗く、僅かに漏れる民家の明かり以外は何も無い。左右に広がるはずの水田では、蛙の鳴き声とぽちゃん、ぽちゃんと言う音がそこかしこで聞こえる程度で、殆ど何も見えない。日が沈みきる前に森を抜けられた事を心から感謝した。

 ふいに蛙の声に混じり、道の向こうから、ざっざっという音が聞こえた。耳を凝らすとその音は規則的に、段々と大きくなってきていることがわかった。暗闇の中で、今度は眼を凝らす。民家のある方角に、ぼうっとした光が闇の中に浮いている。それが少しずつ、音とともに大きくなる。……誰かがこちらに近づいてきているようだ。私はその人玉にふっと身構える。


 三人。江戸時代で止まったかのような、町人のような格好の男が三人、これまた時代錯誤に、提灯を下げて立っていた。ガタイの良い丸顔の男を先頭に、両脇に痩せた面長の男と、頬に葡萄大の黒子がある眼鏡の男が控える。……良かった、眼鏡は伝来しているようだ。

 顔が合った瞬間、

「あんた見ん顔だね。……迷い人か。こんなところまでよう来おったな」

と丸顔は口を開いた。呆れとも驚きとも取れるその表情に、私は二度目の安堵をした。周囲を森に囲まれたこの地だが、どうやら想ったほど排他的、閉鎖的な村ではなく、一応、外とのやり取りはあるようだ。

 安堵の表情を押し隠し、神妙な顔で、はい、と答える。しかし、どうしてわかったのだろうか。

「ぽちゃん、ぽちゃんと音がしとったろ」

 察したように丸顔が言う。私はああ、と思い出す。

「あの音は道に控える蛙が、驚いて田に飛び込む音だ。その音が近づくのが分かった。つまり、誰かが村に近づいていると。」

 それで様子を見に来たのか。


 男三人に囲まれ、民家に続く道を歩く。道すがら彼らが話すには、この村には迷い込んで来る人も多く、外の住人がやってくる事自体は、それ程珍しい事では無いらしい。つい数週間前にも1人の男が、この村で数日お世話になったという事だ。

 てっきりそのまま民家に案内されるものかと思っていたが、三人は当然のように、それらの明かりを通り過ぎ、坂道を登っていく。私はどこに連れて行かれるのだ、と丸顔に問う。代わりに面長が、西宮様の所だ、と言う。ピンと一番高い場所にあった屋敷だなと思った。入村に当たっての挨拶と、そもそも客人のもてなしができるのがそこぐらいだ、と面長は続けた。なるほど、あの屋敷にいるのは見立て通り実質的な村の長、所謂村長ということか。

 辿り着いた屋敷の門には松明が掲げられ、その前に屈強そうな男が二人立っている。松明に照らされたその影は、まるで仁王像のように揺らめいていた。丸顔は「迷い人だ」とだけ告げ、門番は私を一瞥した。面長が「後はお任せします」と続き、慣れた様子で番は頷く。それを合図に、私をここまで案内した三人は、もと来た道へと引き返し、闇の中へと消えていった。

 視線を門へと戻した時、通りの脇の打ち捨てられた祠が目に入る。梁や扉は殆ど外れ、風雨により腐食は進み、原形は殆ど保っていない。その痛々しい様子は、この祠に誰も手を掛けなくなってから十年や二十年どころでは無い事を物語っていた。その惨たらしさに、酷い事を、と呟いた。聞いていたのだろう。

「このあたりに伝わる山神の類を祀っていたのだろうが、今となっては何を祀っていたのかすら解からない」

 と近くにいた方の門番が事も無げに答えた。

「それより、さぞ大変だったであろう。さあ中へどうぞ」

 二人が中へと招き入れる。この村の者は皆せっかちかと呆れたが、飢えと渇きに苦しむ私には、従わない理由はなかった。


 門番に連れられ、庭内へと入る。それは立派な屋敷だった。山の上から見ても充分に大きいとは思っていたが、こうして目の前にして見るとますます立派な佇まいだ。庭園には苔むす岩や、樹齢数百年は下らないであろうこれまた立派な松の木が聳え、まさに圧巻の一言である。

 一種の感動こそ憶えたものの、冷静に考えれば、山奥の閉ざされた村には場違いなほど立派な屋敷である。特に深く詮索する気は無いが、西宮とかいう奴は相当な古狸だな、と察した。


 いくつ部屋を越えただろうか。十? 二十? とにかくそれくらいの数の畳敷きの部屋を通り、案内されるがまま進む。いつの間にか案内人も屈強な門番から、この屋敷の主の孫娘だという、若い女性に変わっている。

 手入れの届いた艶のある長い黒髪が、一歩歩くごとに左右に揺れる。私の目はそれに釘づけだった。

 ふと、髪がピタリと止まる。少し遅れて足が止まったのかと気が付いた。

「こちらのお部屋です」

 と女性が告げる。やっと到着したようだが、もう少し見ていたかったなと少々残念に思った。女性が襖に膝まづき、上品な動作でそれを開ける。

 襖の向こうには、いかにもという威厳を纏わせた老人が座っていた。やや恰幅は良く、白髪と白髭を蓄えたその顔は、自信と自負に満ちており、これぞ当主といった風貌である。

「話は聞いている、ゆっくり体を休めていくが良い」

 静かに、だが腹の底に響く声だった。

 感謝の想いを伝えるため、西宮様……と切り出した。だが、老人は私の話を遮るように

「今、食事を用意させるでな」

 と言った。人の話を聞かない奴なのか、と思ったが、目の前の老人は

「気を悪くせんでくれ」

 と、豪快に笑った。そして、彼は

「どれ、食事の前に一つ面白い話をしてやろう」

 老人は静かに語り始めた。


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