番外編〜魔界地獄の憂鬱
番外編です。
魔王と勇者の魔王側のお話と、この世界の勇者と魔王の成り立ちと仕組みのお話でもあります
魔王フェリオーネ・フェリオーサは、見た目は十を少し越えたくらいの齢の乙女であった。
腰まであるふわふわの長髪は空に浮かぶ雲のように真っ白で、チャーミングポイントは左右のこめかみから一本ずつ生えている小さな桃色の角。
ただ、角よりも濃い淡紅色のくりくりと真ん丸の瞳が、いつも年相応ではない悲哀を含んでおり、目の下には分厚いクマが鎮座していた。ふくふくした頬だって、いつもならばデフォルトの青白さなのだが、今は瀕死の魔族のような土気色をしていた。
そんな魔王フェリオーネ・フェリオーサ、いまはひたすら執務室のデスクの上に顔を突っ伏していた。完全に覇気が見られない、疲れきった雰囲気が駄々漏れである。
「……もう、いやです……」
溜め息を吐きながら、魔王フェリオーネ・フェリオーサは顔をあげた。デスクの木の模様がくっきりと土気色の顔についてしまっている。
「もう、疲れました!」
見た目の年齢より遥かにしっかりとした大人びた口調で、魔王フェリオーネ・ェリオーサは真っ白な髪をかきあげた。その所作は、見た目の年齢から想像できない大人の色香が滲み出ていた。
「何なのですか、あの変態は。何なのですか、あの幼女愛好家は!」
魔王フェリオーネ・フェリオーサは「むきーっ!」と唸りながら髪をかしゃかしゃとかき乱した。天井から吊るされた明かりに照らされ、艶々と白銀の光沢を放っていた髪は見るも無惨にぐしゃぐしゃになっていく。
「――、――っ、――――っっ!!!」
壁に控えていた魔王の側仕えの骸骨婦人(ドレスを身に纏ったスケルトンの貴婦人)が、かたかたと骨をきしませて悲鳴をあげ、すぐさま竜骨の櫛を手に魔王のフェリオーネ・フェリオーサのもとへ駿足で駆けつけた。
「――! ――!」
鬼気迫る迫力で髪を素早くとかしていく骸骨婦人は、いまもなお声なき悲鳴をあげていた。その声なき悲鳴と、全身から立ち上る気迫から、魔王フェリオーネ・フェリオーサは「御髪をぐしゃぐしゃにしないでくださいましー!」だと読み取った。
魔王フェリオーネ・フェリオーサは、骸骨婦人クリスティーナとは、魔王位についた当時からの付き合いである。ゆえに、骸骨婦人クリスティーナの行動はだいたい読めるし、お互いに考えていることが筒抜けのツーカー(死語?)の仲なのだ。
――……なにしろ、もう百年余りの付き合いになるのだから。
「ああ……、クリスティーナ、すみません。また、髪をぐしゃぐしゃにしてしまいました」
魔王フェリオーネ・フェリオーサは、いつもストレスが急激に高まったり、感情が急激に高ぶったりしたときに髪をぐしゃぐしゃにする悪癖がある。そのたびに骸骨婦人クリスティーナが、骨をかたかた鳴らしながら櫛を持って駆けつけるのだ。
魔王フェリオーネ・フェリオーサは、いま現在ストレスが一気に高まって許容量を遥かにオーバーし、むしゃくしゃしていたのである。
いつもであれば、冷静で穏やかでのほほんとしている魔王フェリオーネ・フェリオーサだけれども、ここ最近はストレスなどから挙動不審になり、胃薬が手離せなくなってしまったのだ。
最近は妙に寝付きも悪い上に、変態に追いかけられ追い詰められついに捕獲される悪夢まで見て魘される始末で、はっきりいって不眠症である。
過度なストレスの原因は、判明している。諸悪の根元はなにか、はっきりきっぱりわかっている。
「何であのように変態で特殊すぎる趣味を持っているのですかー!!」
精霊族やエルフが混ざった人族の貴族出身の勇者、ダリアン・マンディ。
変態で、ロリコンで、セクハラで、ストーカーで、そして勇者。
魔王フェリオーネ・フェリオーサに一目惚れしたと公言して憚らず、顔を会わせるたびに口説いてくる変質者。
魔王フェリオーネ・フェリオーサは勇者に初めて会った日を思い出した。
魔王、勇者。
まだ世界がひとつで、混沌としていた頃の話。
負の感情から生まれ、そして糧として生きる魔王が、世界を手に入れんと――魔王以外の命あるものの総意として選ばれた勇者と百の朝と百の晩ずっと戦い、勇者に敗北した。
そのとき、勇者は負の感情を魔王とともに滅し、平和になった世界はやがて雲の遥か上の月にある天の世界、雲を大陸として存在する浮遊の島々の精霊界、地と海に生きる命の地上界、地の下に生きる魔と地獄の魔界地獄とにわかたれた。
しかし、負の感情は生きる命がある限り発生し、固まっていく。
そこで各界の重鎮たちが集まり、ひとつの答えを出した。
かつて魔王と戦った勇者の話にならい、負の感情をまとめあげる魔王を選び出し、魔王がまとめあげたその負の感情の塊を選び出された勇者が滅する――そんな、選出の魔王と勇者の仕組みを。
以来、選出の魔王は全界の負の感情を集め、勇者はそれを滅するという図式が生まれた。
そして、いつしかその図式は娯楽性が生まれ、「魔王vs勇者」という図式のもと、かつての戦いを演じるようになっていった。
つまり、どうせなら魔王と勇者を選出したのだから、魔王と勇者の戦いを祭りとしてエンターテイメントにしてしまったのだ。
そして魔王として選ばれたのが、魔界地獄の長であった魔界地獄界王(略すとこちらも魔王)のフェリオーネ・フェリオーサ。違う意味での現職の魔王なのに、選出の魔王に選ばれた異色の魔王であった。
勇者に選ばれたのは、精霊族やエルフが混ざった人族の貴族出身のダリアン・マンディ。
選出の魔王と勇者は、選出された後、最初に顔合わせをする。そのときに勇者は魔王フェリオーネ・フェリオーサに一目惚れした、というわけである。
――以来、かつての戦いを模した祭りの節目節目(どこぞで激突した○○の戦いや決戦を再現する催し)で、勇者は魔王への外堀を埋めていった。
――恋に落ちたと、周囲を憚らずに叫ぶのを皮切りに、魔王が顔を青くしても、赤くしても、可愛い可愛いと口説きまくった。魔王フェリオーネ・フェリオーサが逃げたら追ってきた。
魔王の家臣や腹心に出会えば、戦いの意思がないこと(もとより戦いはエンターテイメント扱いなので、つまり嫁に出したくない派に敵意がないと訴えた)と、魔王を嫁にしたいと訴えてきた――お願いだからそれ以上はやめてと懇願されるまでに。
そうして、敵対(嫁に出さない派の家臣団vs勇者)していた彼らは、勇者と魔王の結婚を応援するという、ひとつの目的、いやゴールをめざし始めさせられた。
――そして、現在にいたる。
「くっ、どうしてこのようなことになったんでしょうか……!」
悔しさから、血の涙がこみ上げてきた。
血の涙を流しながらも、魔王フェリオーネ・フェリオーサの脳裏から勇者が離れなかった。
人形のように整っているけれども男らしい精悍な顔立ち、鍛えあげられているとひとめでわかる細身で長身の肉体、そして極上の黄金を垂らしたような絹糸のごとき髪、見つめられたら逸らせない熱情を秘めたサファイアのような真っ青の瞳――
『逃げなくてもいいんだよ?』
先日の血の氷原にて囁かれた、やけに腰に来る声を思いだし、魔王フェリオーネ・フェリオーサは赤面した。
――どうやら、フェリオーネ・フェリオーサは既に勇者に毒されていたらしかった。
魔王フェリオーネ・フェリオーサが、己のストレスたる原因の勇者に根負けして、いつの間にやら彼女の中で、勇者がストレスから顔面赤面化の原因となるまで――あと、少し。