魔界地獄のとある夜
テラウィー観光会社は、人間界にありながらも、その顧客層は人間界はもちろんのこと、精霊界や魔界地獄、はては天界にまで及んでいた。
この観光会社は、各界の住人に対し、各界内の――いわゆる国内ならぬ界内旅行と、海外旅行ならぬ界外旅行を商品として販売しているのである。まさに各界をまたにかけている、ワールドワイドな企業なのである。
取り扱う商品である観光旅行の目的地は、もちろん各界内外の名所各所である。
国が変われば、文化も異なる。世界が変われば、住人すら異なる。そんな場所場所へ旅に出るお客様たちを、案内する。
つまり、社員は各界の異なる文化や生活習慣、言語や価値観の違いについて学び、広く深く網羅しなくてはならない。
案内した先の国や地域で、お客様にとって禁止ワードなりがあれば、いらぬトラブルを発生させる原因になり、下手すればお客様にとって命とりになるケースもあるのだから(例えば、精霊族にとっての魔界地獄の特定地域の空気など)。
また、その逆もしかり。現地住民との軋轢等も避けなければならない。
よって、全社員は、他種族と万が一喧嘩や闘争などの争い事といった有事に巻き巻き込まれたならば、顧客と自身の命の安全を守ることができなければならない。
もし万が一、訪れた世界にて予期せぬトラブルに見舞われた場合に、観光を提供する側である観光人として、観光客を守るのは絶対的なルールなのである。
とくに、現地にて旅先案内の業務につくガイドや運転手たちは、かなりの戦力を有していなければならない。運転手やガイドだからといって、何も文系花形職とは限らないのである。
そう、例えば今夜のように。
「あなたたち、何が目的ですか」
魔界地獄の首都、観光客向けの宿が立ち並ぶ区画。
そのなかでも一等地にある老舗ホテルは、精霊界の王都のお嬢様・お坊っちゃま方が通う“ハイソ”な学校の修学旅行の今宵のホテルに利用されていた。
そんなホテルの裏手に、利用客の馬車を止める場所、または馬などの厩舎があった。もちろんバスもここにある。その場所は裏手のため、当たり前だが正面玄関ではない。
そして正面玄関ではないからこそ、馬車や馬を狙う不届きの輩がやってくる。……昨日の別のホテルでは、駐車場に止めてあるバスを、バスガイドへの嫌がらせに破壊しようと、修学旅行の生徒が不届きの輩になってしまったわけだが。
今夜の不届きの輩は、きちんとした不届きの輩だったらしい。つまり、内部ではなく外部のパターンだ。外部の輩がいちゃもんをつけてくる、それはそれは不届きの輩としては王道中の王道パターンである。
外部からの、不届きの輩。それがツアーに悪影響を及ぼす場合、そして観光客に害を及ぼす場合、観光人は素早く観光客を守る砦となる。
リテイラ・マックイールは、攻撃をいつでも放てるように意識しながら、前方に立つ数名の不届きの輩を見据えた。
ミニスカートにハイヒールのバスガイドの姿になめていた不届きの輩たちは、バスガイドが放つ殺気に自然と全身を震わせた。
けれども、彼らの前に立つのは、案内の旗を手にした人間の若い女のバスガイド。旗がやけに長すぎて、バスガイドの身長より長いけれど、ただの平々凡々な、ありふれた栗色の髪に同色の瞳の若い女、魔族のなかでも強い魔人族である彼らにとって、バスガイドを凄惨な目に遭わすなど赤子の首を捻るようなもののはず。
一瞬殺気にあてられたけれど、それはただの強がりだと彼らは決め付け、そう思い込んだ。
――それが徒となるとは知らずに。
「な、何だって? 姉ちゃん、強がってんじゃないぜ」
彼らの空威張りに、リテイラは挑発するように笑った。実際、彼らの愚かさに笑えてきたのだ。
「無意識に虚勢を張ることで、未知への恐怖から逃れているとなぜ気づかないんでしょうかね」
彼らは本能で無意識にリテイラへの恐怖を感じている。震えたことがその証。しかし、彼らは己の驕りから「人間に負けるわけがない」と、その恐怖を否定し空威張りをしている。
そんな傲慢な彼らへ、リテイラは淡々と宣言する。
「さあ、お仕置きの時間です」
曇天が隠していた満月が顔をだし、リテイラの好戦的な雰囲気を照らし出した。
はらり、と案内の旗の三角布が地へ落ちた。
それを合図に、リテイラは動き出す。
――敵は、五名。
魔人族は、尋常ではない魔力と怪力をその身に宿し、非常に好戦的な魔族だ。その強さゆえに傲慢で、危険度も実力も魔族のなかではトップクラスであった。
彼らは、一瞬だけ人間のリテイラの態度に気圧されたが、すぐさまにリテイラに肉薄していった。
魔力を帯びた拳や蹴りがリテイラを真正面から襲う。魔力を帯びた拳は炎をまとい、蹴りは雷をまとう。リテイラはそれを槍を前方へ傾けるだけで流し、続けて自身も蹴りを左足で放った。
鋭いヒールに仕込まれた棘に刺されながら、魔人二名が夜空を舞い、後方にいた一命の上へ墜落――これで三名が脱落。
がら空きになっていたリテイラの背後へ、氷の刃が放たれた。放ったものはにたりと笑い成功を信じて疑わなかった。しかし、リテイラは槍を逆手にもち、石突きを上方へ振り抜くことで、氷の刃を払い落とした。
リテイラはその勢いを殺さず、石突きをがん! と地へついてバネにし、ぎゅんと素早く空へ飛び上がっり、その途中で、再び氷の魔法を放とうとした魔人の顔面を足場にしてさらに跳躍。足場にされた魔人は、右足のヒールの棘の仕込まれたしびれ毒(効き目は迅速)に悶絶、地に伏せた――これで一名脱落。
「人間風情があああ!!」
残る一名は、叫びながら暴風を上空のリテイラへ放った。しかしリテイラは槍をぶんぶんと回転させて、暴風を散らしていく。
「人間なめんな!」
リテイラは落下しながらも、残り一名の襟首を槍の穂先でつり上げ、落下の速度を利用しながらおもいっきり後方へ放り上げた。どしゃ、という落下音が響き、あたりは静かになった――残り一名も脱落した。
「弱い」
月光の下で、リテイラは肩をまわしながら溜め息を吐いた。魔人族だから、ある程度の強さを想定していたのに、あまりにも想定外に弱すぎた。
まだまだ動き足らなさを実感してもやもやするリテイラの足元で、まだ意識があった魔人は呻いた。
「く、人間風情が……我らを、な、なめ――」
魔人の目の前で、どん! と槍の石突きが地に穴を開けた。
ただの人間の若い小娘が、槍の石突きとはいえ、槍の石突きを地にめり込ませ、地にヒビを走らせたのだ――その光景に、思わず魔人は目を見開き、呆気にとられた。
「人間風情が? 何ですって?」
ぎん、と殺気の籠った目でリテイラは魔人を見下ろした。
「わたしは血塗れリテイラ――不本意ですがね」
血塗れリテイラ。
その一言は、魔人を気絶させる威力を持っていた。
リテイラは不本意だが、いくつかの通り名がある。血塗れリテイラもそのひとつであった。かつて、先代魔王の側近たちに畏怖を感じさせた名である。
……乙女チック崇拝者(笑)である本人はたいへん不服であるけれども。
こうして、本日もテラウィー観光会社の社員は観光客を守るのであった、まる。