番外編〜魔界地獄で鬼ごっこ
その場所は、一面の真っ赤な氷であった。真っ赤な氷は、スケート場の氷である。鬼族にとっては「リア充になったら必ず行きたいデートスポット」のひとつであった。
そんな鬼族羨望のデートスポット、本日も灰色の空から差し込む微かな陽光に、きらきらと輝いて煌めいていた。
まるで宝石の紅玉のように美しいのだが、鬼族がこん棒を振り回しながら「まーてーこのやろー★」「またなーい★」というきゃっきゃうふふを見ていると、一面血塗れの戦場にしか見えなかった。
……例え、筋肉もりもりの鬼族がどれだけ可愛く走り、その鬼族に向かって怒声にしか聞こえない声で「まぁーてー★」と叫んで追いかけていき、彼らが通った後に氷がひび割れても、あれは正当な逢い引き(※鬼族流)なのである。死闘にしか見えなくても、立派な逢い引き(※鬼族だけ)である。
繰り返す。鬼族だけに通じる逢い引きの手段である。つまり、他族には逢い引きにはならないことを、はっきり明記しておこう。
だから、決してあれは逢い引きではない。
「いぃやああ、いやぁあああああああ」
十代少しこえたくらいの年齢の、黒レースをふんだんにあしらったドレスを身に包んだ少女が、真っ白な髪を振り乱して泣き叫びながら深紅の氷上を滑っていた。
不健康そうな青白い肌がデフォルトの、左右のこめかみ辺りから生えた小さな桃色の角がなんとも可愛らしい少女は、大きな桃色の瞳を限界にまで見開いて、何度も何度も振り向いては「ぎゃあ」とびくついていた。
「逃げなくてもいいんだよ?」
少女が振り向いてはびくついている相手は、絹糸のような金の髪をなびかせて、爽やかに走る貴公子であった。
戦闘にはいっこうに向いていない、一目でいいとこの坊っちゃんとわかる衣服に、帯剣した武器は勇者だけが持つことを許された聖なる剣。
彼こそ、セクハラロリコン変態と名高い勇者ダリアンである。人の世界にて伯爵位を持つ、れっきとしたお貴族様である。残念な変態野郎でも、(笑)のつくお貴族様でなく、きちんとした由緒正しいお貴族様である――セクハラロリコン変態で粘着質で計算高い狸の残念イケメン貴公子でも。
つまり、この光景は「追われ逃げる魔王、追い詰める勇者」の図である。いろいろと間違っているけれど、一応魔王を追い詰める勇者という点は間違いは……ない、はずである。
「いやあああ」
魔王がひたすら泣き叫び嫌がって猛ダッシュで逃げる被害者であって、見ていて同情したくなる雰囲気でも。
「あはは、まってよ〜」
勇者が凄まじく鬼気迫る笑顔で、魔王を猛ダッシュで追い迫ろうとも。
――真っ赤な氷原で、勇者と魔王の(魔王にとって)命懸けの「きゃっきゃうふふ」な(※勇者だけ)追いかけっこ。
「――邪魔はさせない」
氷原の別の場所では、魔王を助けようと参じた魔王の側近に向かい、槍を向ける勇者の懐刀がいた。
「あなたはあれを容認するんですか!」
主のように泣き叫びすがる側近に、勇者の懐刀は容赦なかった。
「どうしようもない変態でも、彼はわたしより強い。よって、わたしは彼に従うまで」
勇者の懐刀である彼女の一族には、ある風変わりな掟がある。
それは、成人したあとは一人立ちし、己より強き者を求め、主と仰ぎ仕えよ、というもの。彼女は、勇者に挑んで負けた。つまり、勇者は彼女より強い。だから、彼女は勇者に仕え、勇者に従うまで。
「まさか、戦闘狂のマックイール一族……?!」
「そう、よく知っている。わたしはリテイラ・マックイール」
そういって、リテイラは槍の切っ先を相手に向けた。
「ち、血塗れのリテイラ……! ひ、ひぃ!」
そういって、槍の切っ先を向けられた側近は槍を前に投降したのである――仕える魔王にごめんなさいごめんなさいと謝りながら。
戦闘狂一族、マックイール。一度戦場にて遭遇したならば、八割無事ではいられないという強さを誇る。
そして、マックイール一族でも血塗れリテイラの悪名は、知らぬ者はいないほどに知れ渡っていた。
どんなに最強な魔物でも、単体だろうが群れだろうが、必ずひとりで倒す――自身が血塗れになっても、勝つまで戦い続けるのだという。そして、魔物以外は命を奪わない、負けなしの強者だと。
この日を境に、血塗れリテイラが勇者側にいると魔王側に知れ渡った。
血塗れリテイラに勝った勇者。血塗れリテイラを配下に持つ勇者への恐怖は、このとき畏怖に変わったという。決して、勇者とその一行は敵に回さないと誓ったそうだ。
魔王の敗戦は濃厚だった。
――後に、先代魔王陛下と、セクハラ伯爵と悪名名高い先代勇者が“プロポーズの追いかけっこ”をした“血の氷原”として、この場所は有名となる。鬼族リア充の聖地という別名を知るのは、地元住民の鬼族と……血塗れリテイラたち「プロポーズの追いかけっこ」に居合わせたものたちくらいであった。