魔界地獄で初めての
リテイラ・マックイール、遠い祖先にエルフの血が混じる、他の人族より少し寿命の長い人族。現職バスガイド、前職変態ロリコン勇者の前衛担当(斬り込み役)の槍使い。
意外に夢見る乙女で、バスガイドととして雇われている観光会社の寮にある自室は、可愛らしい動物のぬいぐるみや小物、繊細なレースやひらひらの布、花柄等で溢れる乙女チックな空間と化し、仕事を終えたリテイラに癒しと気力を与えている。
リテイラは騎士の一族に生まれた。一族は力を至上主義とする傾向があり、一族の者は男女関係なく、成人すればより強いものを求めてさすらう。“成人したあとは一人立ちし、己より強き者を求め、主と仰ぎ仕えよ”――そんな掟があるからだ。
このような一族に育ったリテイラの周囲は、皆が皆戦闘バカばかりであった。一に喧嘩、二に喧嘩、三に喧嘩。喧嘩のあとはいかに強くなるかの論議が始まる。
同年代の同性がレース編みや刺繍に興じていたとき、リテイラは得物の槍を用いていかに短時間で勝利を得るかに興じていた。はっきりいって、年頃の恥じらう乙女が興じる対象ではない。乙女ではなくても、女性は滅多に興じはしないが――まぁ、そんな一族なのである。
そんな環境ゆえに、リテイラは反動のように乙女チックな小物、雑貨などで埋め尽くした。
しかしそんなリテイラ、好みは乙女チックであるけれども、趣味は乙女チックではない。見ているだけなのだ。憧れなのだ。
だからこそ、私服は乙女チックではない。動きやすさに重点を置いたものばかり。リテイラの癒しであるレースやひらひらは、戦闘に向いていないのだ。
……あえてレースやひらひらに身を包んで戦う同業者もいたが、リテイラは癒しであるレースやひらひらを傷つけたくはなかった。リテイラの中では、乙女チックな存在は傷つけてはいけない崇高な存在(笑)なのである。
「……週刊・槍暮らし、槍暮らし……」
そんな乙女チック崇拝者(笑)であるリテイラは槍が趣味であった。
仕事帰りのいまも、愛読書を購入するために、こうして大型書店に立ち寄っていた。
リテイラの愛読書は、“週刊・槍暮らし”と槍に関する本ばかりである。乙女チックな空間の寮の自室では、果てしなく違和感を発している本たちだ。
槍本体を製作しているブランドのはもちろん、槍の手入れの特集を組んだ雑誌や、伝説の槍や槍使いの研究専門本や、槍術各流派の技などを解説した解説本など――それらを読み明かし、休日は実践のために魔物を狩る実戦に明け暮れているのだ。
槍に始まり、槍に終わり、乙女チックな世界に癒される。愛読書は槍ばかり、たまにレースやひらひらの小物等のお店の場所が掲載されている雑誌。
そんなリテイラの目が、今まで寄り付いたことのない売り場へと、ふらふらと漂う。
――“初心者のお子さまへ! 初心者のパパ、男性へ!”
そんな手書きのポップに、料理の絵が描かれた表紙の本が並べられた……料理本の売り場であった。
リテイラはかっ! と目を見開いた。ぎん、と眼光が鋭く光る。かつて血飛沫あがる戦場にて槍を振り回した頃の……泣く子もさらに泣く血塗れリテイラの目だった。
リテイラは目を見開いたまま、視線を宙にさ迷わせた。しばしの間、視線が手元と料理本の売り場を行ったり来たりした。かなり挙動不審である。その姿は、こちらをうかがう獲物を前にして、じりじりと槍先を向け間合いを詰め、飛びかかる瞬間をはかる戦士のようであった。
じりじりと、売り場に近寄る殺気を放つリテイラは、ある時視線を感じた。戦場のように研ぎ澄まされたリテイラの五感は、すぐさまその視線をキャッチ。視線は後方から、そして殺気はない。こちらを――リテイラの様子をうかがう視線であった。リテイラは、視線の主をじりっと振り返った。
「いらっしゃいませ」
はたしてリテイラは書店員と視線がかち合った。リテイラを見ていたのは書店員であった。動きやすい、シャツにズボンといった服装に、書店員ということを示す書店のロゴが入ったエプロン。つけられた名札には、新人だとわかる徽章がつけられていた。
営業スマイルの仮面を張り付けた新人書店員は、リテイラの殺気に冷や汗を流しながらも、リテイラに「いらっしゃいませ」と告げてから、ゆっくりと蟹さん歩きで退場していった。
新人書店員の視線は、訝しみがこめられていた。リテイラは少しまばたきを繰り返してから、一気に顔を赤くした。見られていた、見られていたのだ。料理本の売り場に行こうか行くまいかと立ち往生するのを!
リテイラの赤くなっていた顔が、一瞬にして真っ青になり、再び真っ赤になった。茹であがったタコのようである。
リテイラはその恥ずかしさを隠すように、かっかっかっと支給されているハイヒールを音高く踏み鳴らし、素早い流れで薄い料理本――初心者向け、子供向け――を何冊か抜き取り、精算カウンターへ足早に向かったのであった。
湯気をぷしゅぷしゅと頭から吹き出しながら歩くその姿は、かつて“血塗れリテイラ”と呼ばれた勇姿からは想像できない姿であった。
息も絶え絶えに、リテイラはカウンターにどんと書物を置く。カウンターにいるのは、いつもリテイラが「週刊・槍暮らし」を買うときにカウンターにいるよく顔を知る書店員であった。
つまり、リテイラのことをよく知っている。リテイラがいつもどのようなラインナップの商品を購入するかをよーく知っている。つまり、恥ずかしい。
「かか、かっ、会計、お願いします……」
リテイラは勢いよく口を開くも、段々と声が威勢を無くし尻窄まりになっていく。今すぐ、折り畳んで鞄に仕舞ってある槍で、足元を掘り、穴をつくって籠ってしまいたかった。
カウンターの書店員はといえば、営業スマイルを崩さずに、「週刊・槍暮らし」と「この槍術があつい!」の間に挟まれていた本を慣れた手つきで会計処理していく。その手が思わず止まることはない。
書店員たちは、顧客がどのような書物をお買い求めしようが、鉄壁のスマイルを崩してはならないのである。お買い求めされた書物を見て、「ええぇ!?」と叫んだり仰け反ったりしてはいけないのである。彼らは、プロだから。
プロだから、彼らは「綺麗なお姉さんの常連客」が、その見た目に反しいつも槍の書物ばかり買うことにも表面上は驚かないし、逆にその見た目通りのイメージの「料理本」を羞恥に耐えながら、真っ赤なお顔でお買い求めにくるのにも、もちろん驚いたりしないのである。
たとえ、その見た目通りのイメージ――綺麗なお姉さんが買うような「料理本」が、初心者向け、子供向け、と銘打たれていても、だ。
リテイラが寮の自室に戻ったとき、リテイラは精魂尽き果てていた。まるで斬っては分裂→増殖を繰り返すスライム大王を倒したときの疲労に近かった。
スライム大王は、リテイラ内の手強い敵ランキング上位にランクインし、その位置をずっと死守している強者である。
リテイラが単身戦ったその相手は、三階建ての建物並みの大きさの体に、ゼリーのように弾力のある体は、斬っても斬っても分裂していく厄介なヤツだった。最終的に斬り刻んで、本体の核を斬り潰したのは明け方であった――ちなみに戦い始めたのは正午である。さすがにリテイラといえど、しばらく(モンスターを相手にするという意味で)使い物にならなかったのだ。
そんなスライム大王を倒したときに近い疲労が、いまリテイラを襲っていた。まさか、誰も書物を数冊お買い求めするだけで、ここまで疲労するとは思わないだろう。
へとへとの状態で帰宅したリテイラを見て、寮の管理人のおばちゃんも、まさかそうとは思わずに、リテイラをそっと見送った。
おばちゃんは、リテイラが今日もモンスターを狩ったのだと思ったとか――リテイラは、むしゃくしゃしたときは仕事のあとといえど、一狩りにいくのである。
自室に戻ったリテイラを出迎えたのは、愛らしい動物の大小さまざまなぬいぐるみに小物、そしてレースやひらひらと花柄の世界であった。……窓際のレースで飾られた本棚に立てられた「週刊・槍暮らし」を始めとした槍本はかなり異彩を放ち、違和感半端ない異空間を作り上げて入るけれども、ここは確かにリテイラのリテイラによるリテイラのための癒しの空間であった。
リテイラは、身に付けていたコートを脱ぎ、制服を脱ぎ、会社から支給されているハイヒールを派手に脱ぎ捨て、槍を抱えて寝台にダイブした。仰向けになったリテイラの視界に、乙女チック世界が広がった。
リテイラの消費された精神やら精魂やら根性やらが、じわじわりと回復していき、ゆっくりと蓄積された疲労が体外へと追い出されていく。
「……かーっ、癒される……」
なんとも爺くさい呟きを残して、動き回って就寝の準備を開始するまで、リテイラはそのまましばらく微睡んでいた。
乙女チック世界に癒されつつも、やはりくたくた感が抜けきらないままリテイラが迎えた次の日は、久々の休日であった。
「………」
ふらふらする頭と体に辟易しながらも、リテイラはてきぱきと身だしなみを整えていった。
戦場にいた頃は、リテイラは常に危険にさらされていた。その環境は、どんな場所・どんな場面でもすぐに就寝できる習慣と、何時なんどきでも――寝ぼけたままであっても――短時間で最低限の身だしなみを整えるという習慣を、リテイラに身に付けさせたのだ。
ゆえに、リテイラははっきりしない頭の状態のまま、槍をもってふらふらと寮の中庭に出ていた。慣れと習慣は恐ろしいものである。
ぶん、と一振り。ぶん、ぶんとリテイラは槍を振るう。槍を振るう回数が増えるにつれ、リテイラの意識はクリアになり、体もぴんとなっていった。
「あー……、起きた後の一振りってやっぱいい……」
リテイラは、流れる汗を首に巻いた手拭いで拭いながら呟いた。実にさっぱりしているようである。風呂上がりの牛乳は最高だ、というような呟きであった。
一汗流したリテイラの足は、食堂ではなく厨房へと向けられた。いつもなら厨房ではなく食堂へ行くのに、リテイラは迷うことなく厨房へ向かったのである。
一汗流してさっぱり爽快な雰囲気であったリテイラは、厨房に近づくにつれて引き締まった表情を浮かべ、緊張感を纏っていった。まるで今から戦場に向かいます、何故かそんな雰囲気に近かった。
「おはようございます」
――そして、厨房のおばちゃんは、リテイラのお願いに目を真ん丸に見開いて驚愕するのであった。
厨房を後にしたリテイラは、食堂ではなく、一度自室に戻った後に再び中庭へと赴いていた。
リテイラの手には変わらず槍が、そして食材の入ったボールとまな板に料理本が抱えられていた。昨日にリテイラが赤面しながらお買い上げした料理本を、である。
リテイラは、おそるおそるまな板をベンチにそっと置いた。続いて不馴れな手つきで卵、胡瓜、パン、ツナ缶の順番でまな板の上に並べていく。そしてそれら食材の横に、開いた状態の料理本を並べて、リテイラは頷いてベンチから離れた。
厨房から拝借した新鮮な食材と開かれた料理本のページは、朝日に照らされきらきらと輝いていた。ちなみに開かれたページは、「さあ、君もれっつとらい! 〜簡単なたまごサンド、ツナきゅうりサンド」のページである。
戸惑いながらおどおどした手つきで並べられた食材を前に、リテイラは槍を構えた。
「割る」
槍を構えたリテイラは、まさに勇者のパーティーで前衛を担当した頃の斬り込み役の覇気や殺気を放っていた。いまやリテイラの目は、捕食者、狩人、戦士の目であった。
――泣く子もさらに泣いてしまう血塗れリテイラの再来である。
ただし、対象が魔物や敵ではなく……新鮮な食材ではあったが。
そんなリテイラの構える槍の穂先がとらえるのは、卵。寮にて飼われている雌鳥が、今朝産み落としたばかりの新鮮な卵。つまり、生卵。
「たあああああ!!」
――気迫に満ちた裂帛の声が、朝の中庭に響き渡った。
そこから先は、目も覆いたくなる、腹を抱えたくなる喜劇が起きた。
リテイラは新鮮な生卵を、一撃でぐしゃりと呆気なく潰した。続いて胡瓜を穂先で蜂の巣に。ツナ缶は何故か一刀両断で真っ二つ、パンは穴を開けて斬り刻まれて紙吹雪のように宙を待った。
……リテイラはサンドイッチをつくりたかった。しかし、出来上がったのは惨状であった。卵は飛び散り、胡瓜は転がり、ツナ缶は中身を撒き散らし、パンは綿毛のようにふわふわ飛んでいる。
「何でこうなった」
リテイラ・マックイール、育った環境により料理の経験は皆無。お料理をするにあたり、まず食材を切るときは槍ではなく包丁を使うことから学ばなければならないようだった。
「というわけで、ない」
この日、リテイラは婚約までこぎ着けれた引率教諭ことフランツ・セザンと初デートであった。だから、初・お料理をする気になったのである。初デートには、手料理を用意したかったのである。しかし結果は惨敗を喫した。ゆえに、手ぶらであった――何時なんどきでも肌身離さず携帯する槍を除いて。
「リテイラさん」
にっこりと幸せそうに笑うセザン氏の手には、ひとつのバスケット。
「作ってきました」
何を、とリテイラが目線で問えば、セザン氏はでれでれと微笑んだ。
「サンドイッチです」
――セザン氏は、どうやら器用らしい。
「なっ、なな、サンドイッチ……」
どもるリテイラに、セザン氏は爆弾を投下した。
「お好きですよね?」
「………、た、食べてあげないでもないわ!」
リテイラはしばらく顔を真っ赤にさせて、つんと横を向いたのであった。
――観光ツアーの下見、というお誘いを「し、仕事の一環だけど、こ、恋人スポットだから! ひ、ひとりで回れないから!」とつんつんしながら、リテイラが誘った本日の二人の初デート。
リテイラはしっかりとセザン氏に胃袋を掴まれた。
「お、美味しい……こ、好物だっただけなんだから!」
素直に美味しいとリテイラはいえなかった。自分がしたくてできなかったのを恋人ができたというのもあるが、何だか照れくさくて素直になれないのである。
「可愛いなぁ、リテイラさんは」
そんなリテイラを見て、でれでれとのろけるセザン氏に、
「お黙りなさい〜!」
リテイラは顔を真っ赤にして槍を振りかぶるのだった。
「ちょ、それは冗談にならないよ!?」
――セザン氏は、そのあとリテイラの鋭い一撃から一生懸命逃げたそうだ。