悩んでも仕方ない
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ふっと考えてみた。今悩んでることって、いくら考えても意味ないなと。そして吹っ切れた。精神病患者で通院してる僕を助けてくれるのは、福祉事務所とか病院だなと。もちろん悩み事がないわけじゃない。ただ、現時点で家のこれからのことにあれこれと思いを巡らせても仕方ない。
確かにずっと深く悩み続けてきた。どれだけの労力を使ってきたか、分からない。だけど、今特養にいるオヤジがどんなことを遺言状や遺言書で書いたとしても、それは僕の今後に何ら影響しない。仲の悪い姉とはすでに別居していて、今自宅に残っているのは僕だけだ。いずれ長男である僕の方に遺産なり、家の権利なりが渡されると思う。
最悪でも法定遺留分だけは相続できるので安心である。ずっとオヤジとは犬猿の仲だったが、それもいずれ終わってしまうのだ。返ってオヤジの特養での人生の末路が可哀想に思えてくる。この人間のやったことに何一つとして得はなかったなと。
その日も朝方起き出し、自宅のキッチンでコーヒーを一杯アイスで淹れ、飲んでから目を覚ます。幾分眠気が差しているのだが、起きてから洗面し、パソコンを立ち上げて、仕事を始める。在宅でソーホーの仕事をやっていてずっと家にいるのだ。変わったことはないのだが、心配事は蟠っている。
オヤジを見ていると、極悪人だと思う。あの人間は子供を平等に可愛がらないのだ。全くひどい人間だなと、誰もが感じている。実際、僕も月に一度街の精神科に通院しているのだが、そこの担当ドクターも言っていた。「君のお父さんひどいな」と。
診察を受けるたびに、そう思う。オヤジは小さな町工場を経営していて、三年前の二〇一〇年に廃業した過去がある。あんな会社、儲かりはしないと思っていたのだが、実際その通りになった。
オヤジは七十代後半で糖尿病と白内障、それに重度の認知症がある。もう先は長くないのだ。散々喧嘩してきたのだが、ここ数年間は冷戦となっている。何も言わないのだ。下手するとオヤジは遺言することすらできないまま死んでしまう可能性が高い。そうなれば、願ったり叶ったりだ。長男が堂々と家督相続することに異議を唱える人間は誰一人としていない。そう思っていた。
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僕だって、三十五年間歯を食いしばって生きてきた。一貫してそうしていたのである。曲がったことは一度もしたことがない。ただ、オヤジとはずっと仲が悪かったのが事実である。
そう能力もない姉が、街の歓楽街にあるキャバクラで働いていた過去をオヤジは知ってるのか……?多分知らないだろう。何かあればすぐに酒である。アルコールが入り、母に対し、散々殴る蹴るの暴行を加えて、トイレで首吊り自殺に追い込んだことを反省しているのか……?そういった色が全く見えてこない。
こんなことを思っていると、姉のように世の男に対して欲望を売り付け、不真面目に生きてきた人間が評価され、僕のように真っ正直にやってきた人間がバカを見ることになるじゃないか……?
だけど、オヤジはもうすぐ死ぬ。その時は誰も泣かない。現に出ていった姉もオヤジの葬儀に関しては家族葬でいいんじゃないかと言っていた。僕も賛成である。家の恥さらしだ。誰も弔問には訪れないだろう。身内だけで葬儀をやってもいいと思う。まあ、隠れるようで心持ちが悪いのだけれど……。
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七月下旬、オヤジは入所先の特養で急性の心筋梗塞で死亡した。それを聞いて、ああ、あの人間も命脈尽きたなと思ったのである。幸いにして遺言状や遺言書等は一切見つからず、協議による遺産分割の手続きを進めることが決定した。相続人である姉と共に、である。
そして通夜と葬儀が終わり、喪が明けてしまった後、依頼していた弁護士が来た。僕と姉双方の意見を聞き、遺産を分割する手続きへと入る。僕もその席上に出席し、担当弁護士にきちんと言い分を訴えた。
「孝さん、あなたに不利にはなりませんから」
弁護士の簑島がそう言って僕を安心させる。頭を下げ続けるしかなかった。帰ってきた姉は相変わらずふんぞり返ったような感じだったが、何せキャバクラで男相手に商売していた輩だ、柄は相当悪い。およそ人の話をまともに理解できるような頭はないようだった。
簑島が僕と姉の意見を聞き、それをICレコーダーに記録する。小一時間、協議が続いた。八月半ばで蒸し暑い。実は家族葬だったので、初七日も四十九日もしなかったのである。だけどそれでよかった。どうせ普段からバラバラの親族など集まりもしないだろう。
ましてや、オヤジの死などで泣く人間など一人としていないのである。バカな会社経営をやって失敗した挙句、アル中になり、特養送り――、そんな人間は軽蔑こそされ、尊敬は一つとしてされない。それは子供である僕も十分分かっていた。
そして八月下旬に、僕に家の権利と、オヤジの残した預貯金の半分が与えられたのである。姉からは何の連絡もなかった。別の街で男と住んでいるのである。キャバクラで働く女など、所詮人間を見る目など何らなく、単に変な男を誘われて、どこかで暮らしているのだ。
僕の心配事は、ほぼなくなってしまった。これから先、この家を使いながら、人生を歩んでいくのである。まだ若い。三十代だから、十分時間はある。
それにしても仏壇に飾ってある禿げ頭のオヤジの遺影を見ていると、何とも間抜けで愚かな人生を送ったなと思えてくる。この男が残した預貯金もたかが百万円程度で、姉と分割して、五十万円ずつ受け取った。この金は生活費の足しにしかならない。
でも、これでいいじゃないか。悩んでも仕方ないことが解決したからだ。僕もソーホーの仕事でしっかり稼いでいく。この手の心配はもう無用だった。一時期激しく悩んでノイローゼになっていた時も確かにあったのだけれど……。
そして今日も朝から仕事に精を出す。窓を開け放ち、室内を掃除機で綺麗にして、パソコンを立ち上げた。午前九時が業務開始時刻である。パソコンのキーを叩き、フォームに必要な情報などを入力していった。
家の中は僕一人だ。だけど別に気にしてない。オヤジや姉と別れて、清々しいとすら感じていた。もうあの人間たちとは一切関わりがない。仏壇も定期的に掃除していたのだが、オヤジの遺影はみっともないのでタンスの奥へと仕舞い込み、代わりに母の遺影を飾った。自殺に追い込まれたことを気の毒に思いながら……。
暑さが少し和らぐには雨が必要だ。八月半ば過ぎに一度大雨が降った。慈雨だと思い、部屋から外を見続ける。一日中降り続いたのだが、ネットの天気概況で、水が不足していた近隣のダムに一定の貯水が出来、水不足は当面ないと書いてあった。それを見ながら、またソーシングされてきた仕事に精を出す。しっかりと、だ。
(了)