佐藤麻里亜の悪徳コンサル日記 ~悪徳コンサルが霞が関の依頼を受託するようでは、焼きが回ったというものである~
まだ6月であるというのに猛暑日を記録したその日の午後、オレは霞が関のとある会議室の末席を占めていた。朝から異常気象だなどとリアタイショーのコメンテーター達は宣わっていたが、異常気象なんて言葉は無能な学者連中が自身の怠慢と不見識を隠すために発明した単語である、とオレは思っている。だって、そうだろう?奴らが正しく奴らの仕事をしているのであれば、正しい理論に基づく正しい分析が正しく現下の状況を説明してくれていたことであろうゆえ、それはもはや異常の埒外であるのだから。
まぁ、気象予報などと言うものは当たるも八卦程度にしか思っていないので大した実害もないのではあるが、気象庁の無能どもに負けず劣らずの奴らがオレの目の前に座っていることには閉口せざるを得まい。そもそも法務省なんて役所は司法が行政から独立している-という建付けになっている-この国にあっては、最も不要な組織なのではないだろうか。法案なんてものは所詮その所管省庁において作成されるのであるし、その法案が憲法以下現行法と矛盾していないことの確認、調整は内閣法制局の仕事であろう。であれば、司法行政が法務省の所管する業務である、などといくら述べ立てたところでそれは所詮マッチポンプに過ぎず、仮にその所管を内閣府に移しても何ら問題はないのであれば、要するにオレの目の前に座っている無能どもは、自分達の雇用を守るためだけに仕事をしているとしかオレには思えないのである。尤も、霞が関なんてものはどこへ行っても同じなのであろうが……
その無能どもより更に一段も二段も劣る低能が口を開く。
「つまり法務省さんは、オウルレポートの性能を信用できない、と仰るのか?」
三人の中央に座する無能が答える。
「いえ、そのようなことを申し上げるつもりは毛頭ありません。ただ……」
先ほど交換した名刺によればこの無能は課長職にあるようで、まぁ一民間企業の提案活動に課長が顔を出しているだけでも冷遇されている訳ではないことは自明なのではあるが、その辺りの事情については低能には理解が及ばないらしい。尤もこの低能-まぁお気づきの通りオレの今回のクライアントであるからあまり低能という単語を連打するのもアレではあるが、低能なものは低能なのだから仕方がないーは、Legal Democratics社のCEOである訳だから、課長職程度では自分に釣り合わない、とでも思っているのであろう。
「ただ……?オウルレポートは、今や約6割の法律事務所で利用されているという事実を、失礼ながら法務省さんはご存知ないらしい。要するにそれは、弁護士先生方の半数以上がオウルレポートの性能を信じているということに他ならない、ということを……」
無能どもは無能どもで、たかが一民間企業の陳情に自分達エリートが接遇することを光栄に思え、とでも考えているのであろうが、そのような内面はおくびにも出さず、表面的には公僕の仮面を被って返答する。おそらくこういうのを世の人々は、慇懃無礼、とでも呼ぶのであろう。
「社長。我々としても、そこはよく承知しております。ただ……」
無能どもがその理由を告白しない前に、低能なクライアントが口を出す。
「君達のような若造では話にならん。もっと上のものを呼んできてくれ給え」
こういう時には黙っていられない性なのであろうし、我が低能なるクライアント殿は、攻撃は最大の防御なり、などという思想の持ち主なのかもしれない。そういう気質がLegal Democratics社をここまで大きくしてきた原動力なのでもあろうが、自分のプライドを優先して得るべき情報を得る機会を逸しているのだから、オレに低能と言われても仕方あるまい。
「帰るぞ、宮下君、佐藤君」
そう言って席を立つクライアント。恐らく彼は、彼の人生における様々な商談において、度々はその交渉の途中にあって席を蹴って立つという行為が後の交渉を彼の有利に導いた、という成功体験を有しているのであろう。低能の理解が及ばない点があるとするならば、それは、その手管は相手がこちらとの取引を強く望んでいる場合にのみ有効である、という一点であろう。またさらに言えばそれは、眼前の無能どもが今最も強く望んでいることはオウルレポートの採用などではなく、たかが民間企業の社長に過ぎぬ立場で分を弁えずに高圧的な態度を取ってくるこの常識知らずの無礼者にさっさとお引き取り願うことである、という点でもあろう……
オレの名前は佐藤麻里亜。顧客企業の経営者を相手に企業戦略の立案やら商品開発、マーケティング等の支援をする、ってそれはもう何度か紹介したからいいか……今回のオレのクライアントはこの Legal Democratics社であり、そのミッションは、法務省に対する同社の判決予測レポートシステム(Judgement Predict Reporting System の頭文字を取って JPRS と呼称される)であるオウルレポートの提案活動-要するに、AIによる判決作成システムの法廷への導入だな-を支援することである。あぁ、スペックインなどという言葉を使うことは大変危険なことであるから、先のルビは編集担当に後で削っておいてもらおう。オレは悪徳コンサルを自認してはいるが、法令順守には常に適合していることを自負してもいるのだから。
「佐藤君、この後ちと作戦会議に付き合ってくれ」
そう言って榊原CEOは、オレに有無を言わせぬ間に、待たせておいた車に先に乗り込む。まぁ、オレもこれあるべしと事前に予想はしており予定は空けてあったのだから否はない。先の打ち合わせに同席していた宮下部長に続いてオレがこの、クライアント曰く移動会議室、に乗り込むと、自動的にスライドドアが閉まった。
「さて、これからどうするか、宮下君はどう考えるかね?」
打合せの席を立った時からずっと気鬱そうな顔をしていた宮下部長が恐る恐る口を開く。そりゃそうだろう。中央官庁の課長を相手に商談の席を蹴ってくるなど、今後の商売のことを考えたらあり得ない暴挙であろうし、この提案活動が失敗すれば、その責は彼に跳ね返ってくることは明白なのだ。それも、自分の落ち度とは全く関係のないことにより……
「社長はその……次は上席の方を、と仰いましたので……その……」
リムジンタイプのフルサイズバン、と言ったら外観のイメージはつきやすいであろうか。全長およそ6mにもおよぼうか、という堂々たる体躯を持つこの車輛は、流石に榊原CEOが「移動会議室」と呼ぶだけあって、なかなか立派な設えを奢られている。まず、会議室たる後席と運転席は完全に遮蔽されており、会議の内容は例え運転手にであっても漏洩することはないであろう防音性を有している。また、後席空間には中央に配したテーブルを挟んで向かいに2席づつ配置されており、まるで普通のオフィスにある(少し狭めの)4人用会議室の如くである。
また、車外の暗騒音は全く遮断されているだけではなく振動も一切体感させないところによれば、これだけ大きな箱型という不利な条件にあっても確りと剛性が確保されていることは証明完了であろう。更には、進行方向右側には大画面ディスプレイが設置され様々な資料を投影できる用意までされている。要するに、そんじょそこらの会議室にも優るとも劣らない立派な会議室なのである、このリムジンバンは。そして最も関心すべきところは、この移動会議室には相応の費用をかけたことであろうに、その費用は全て会議室としての実用性のために使われており-無論、フラットライドな乗り心地もそのひとつである-、過度な加飾や調度品の類には一切気を配られていない、というところであろう。こういう質実剛健なところは我が低能なる顧客の嘉賞すべき美徳のひとつである。
「課長程度の者どもでは、決めるべきことすら決められん。この際、決定権限を持つ者に直接会わねば拉致があかんのではないか?」
確かに榊原社長の言う通りではあるのだが、はてさて決定権者とは一体誰のことであろう。究極的には国民?などと下らぬことを考えている間に、宮下部長がお追従を述べる。
「課長でダメなら、次は部長……でしょうか?」
「いや、部長程度では結果は同じに決まっておる。宮下君、どんな手段を使っても構わないから次は大臣のアポイントを取ってくれ給え」
いやいや、大臣なんてそう簡単に会えるものでもないであろうし、仮に会えたとしても、課長クラスで否決されたものを大臣が取り上げるのであれば余程の事がなければ……そのようなことを考えていると、低能がオレに声をかけてきた。
「佐藤君はどう思うかね?」
クライアントの要望にNOを言わないことは、営業力の基本であろう。NOと言ってしまえばその商談はその場で終了。例えそれが無理難題であろうとも、まずはYESと言うのが商売の鉄則である、とオレは考えている。が、そこから先の話は別だ。オレが口を開く前に、宮下部長が口を差し挟む。
「さすがは社長、私などには思いもつかぬ気宇壮大なお考え。しかし、流石に大臣のアポイントとなりますと、すぐには難しいのではないか、と……」
宮下部長は所謂 YES BUT派らしい。NOと言えない相手に対して表面上はYESと返答しておきながら、後にBUTと言ってNOの理由を説明する、という例のアレだ。それは昭和の時代の営業マンがよく使っていた交渉戦術だ、とは昔、学の無い親父からよく聞かされたものではあるが、無論オレはそのような怪しげな宗派に与してはいない。
「宮下君、私は佐藤君に聞いているのだ。君の意見は聞いていない」
オレはYES BUTを使う者も、またこれを勧める者も認めていない。よく考えてもみろ。仮にこの戦術を使った相手が切れ者の場合、この戦術はすぐに看破されるであろう。そして、結論はNOのくせに上辺だけ取り繕い長々と言い訳をこねて無駄な時間を強いた、と喝破されることであろう。YES BUTは自分の無能さはおろか、自分は上位者に対して面従腹背をする人物である、ということを証明するには最良の戦術である、と言えよう。最悪だ。
だがそれは相手が阿呆であった場合よりはまだましだ。大変不幸なことに相手が阿呆である場合、その相手はYESだけ認識するのだから……人は聞きたいことしか聞かない、とはカエサルの言葉であったか。後になっていくらBUTの説明を繰り返したところで、相手からはこう一言返されるだけであろう。君は先般YESと言ったのではなかったのか。それは嘘であったのか。YESかNOか、一体どちらなのか、と。だからオレは……
「無論、最終的には大臣に。ですが社長の目的はただ大臣にお会いすることではありませんよね?」
「無論だ。ただ会ったところでそんなことに意味はない。会って大臣にYESと言わせることが目的に決まっておろう」
「であれば……」
オレはこの戦術を YES AND と呼ぶことにしている。
「大臣にYESと言わせるためには、いずれにせよ、局長辺りから大臣に事前にレクを入れておいてもらう必要はありましょう」
「なるほど……それも一理ある」
榊原社長もオレの言わんとすることを諒解したようであるから、ここは畳み込んでおこう。
「ですから、まずは社長のお考えを所管部によく理解してもらう必要があります。そこの地固めは我々の方で対応しますので、社長には大臣とのトップ会談に備えて頂くのがよろしいか、と……」
相手の要求にはYESを述べつつその条件を同時に提示する。オレの見るところ、NOもYES BUTもこちらが決定権を握ろうとしていることに対し、YES ANDはトレードオフを説明した上で決定権限は相手に委ねる、というところが最大の違いなのだ。今回の場合、社長の次の交渉相手は大臣であるが、宮下部長には今日の無能課長とのリターンマッチを挑んでもらう、という貌になろう。ネクストステップとして大臣のアポを取るというクライアントの要求にはNOでありながら、榊原CEOの次の面談相手は大臣とするという作戦、それは双方の思惑通りの結論であり、互いに飲める条件なのだから。
「佐藤君の言う通りだな。宮下君、佐藤君、では後はよろしく頼む。二人で強力して、大臣とのアポイントを取り付けてくれたまえ」
「承知しました」
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「お帰り、マリオ。商談はどうだった?」
事務所に戻ったオレに綾姉ぇが労いの声をかけてくれる。
「まぁ、とりあえずはこんなところ……だろうな……」
藤崎綾乃。オレの1つ年上の幼馴染のお姉さん、というのが最もシンプルな紹介になるだろうか。綾姉ぇはオレの生まれた頃からのお隣さんで、というのには理由があって、オレの母親と綾姉ぇのお母さんは学生時代からの親友だったそうで、結婚してからもお互いに行き来があったのが、オレの母親が身ごもった頃-つまり綾姉ぇが生まれた頃に-ついにはお隣同士になった、という訳なのだそうだが、美人で優しくて勉強もできる綾姉ぇに、まぁ平たく言えばオレは子供の頃から憧れていたものなのだ。だからオレは、綾姉ぇが入学した進学校に何とか滑り込み、綾姉ぇが最高学府に進学すると、オレも必死に受験勉強をしたという訳だ。そう言えばあの時は綾姉ぇが家庭教師をしてくれたものだったが、実のところ勉強なんて上の空だったことは、綾姉ぇには内緒にしておくのが吉であろう。
それはともかく綾姉ぇも由依さんー綾姉ぇのお母さんでありオレの母親の親友の名だ-も、いつもオレの本当の家族のように接してくれたものだ。特に、オレの母親が亡くなってからは、それこそ由依さん-と綾姉ぇ、と言っておかないと後で綾姉ぇに怒られるからな-が母親代わりとなってオレを育ててくれたのだ。2人にはどれだけ感謝をしてもし足りないし、それは親父も同じ想いであろう。あぁ誰だ?オレの母親は学の無い親父に愛想を尽かして出て行ったに違いない、などと思っていた奴は……?親父は今でも母親のことを大切に想っているし、母親は最期まで親父のことを愛していた、とは由依さんの弁であるが。まぁ要するにそういうことだ。いずれにしても、オレと親父が今も何とかやっているのは、2人のお陰という訳だ。
だから、綾姉ぇが官庁の中の官庁でハラスメントまがいの扱いを受けて退職した時には、オレはその役人どもに殺意にも似た怒りを覚えたし、オレが独立して事務所を立ち上げた際に、綾姉ぇが手伝ってくれることになった時には心底嬉しかったのだ。2人に対する恩返し、なんてものができるほど儲かってはいない事務所だから綾姉ぇには却って苦労をかけているのかもしれないが、しかし、居場所を提供することはできている、という台詞を吐くくらいの恰好つけは許してくれるだろ?
「今度のクライアントは、官僚相手のご商売はあまり上手そうではないものねぇ~」
相変わらず綾姉ぇの観察力はするどい。きっと綾姉ぇ自身がコンサルをやった方が余程うまくいくのではないか、と思わないでもないが、まぁ綾姉ぇにはコンサルタントなんて汚い商売にはその綺麗な手を染めて欲しくはないものだ……まぁ、片足は既に突っ込んではいるけれども……
「あぁいう低能は、交渉の席を蹴ることが成約の近道だ、なんてことを本気で信じてるらしいからな」
今日の打ち合わせの顛末と今後の商談の進め方に関する報告など、聡明な綾姉ぇにはこの一言で充分だろう。
「マリオ、大切なクライアントに対して、低能なんて言ったら失礼よ」
だから、綾姉ぇのこの一言は、報告了承の合図だとオレは理解している。
「あぁ、少なくともあのクライアント、金払いはいいからな」
顧客の中には、契約事前には調子の好さそうなことを言っておきながら、いざ支払となるとあぁだのこぅだの難癖をつけてくる輩がいないでもない。そして、こういう奴らを見るとオレはいつも、高校時代の同級生である高坂君のことを想い出すのだ。そう、ある時夏吉君から金を借りた高坂君は、夏吉君から金を返すように求められた時にこう宣ったのである。
「夏吉、金を返して欲しければオレの靴を舐めろ」
もちろんこれは冗談で高坂君は夏吉君にきちんと金を返したのではあるが、この発言は当時高校生だったオレには-まぁ、同級生であるのだから高坂君も夏吉君も高校生だったのではあるが-衝撃的な事件であったのだ。要するにこの事件はオレにひとつの教訓をくれたのである。曰く、いついかなる状況であっても、金を受け取る者より金を支払う者の方が立場が強い、と。例え、高坂君は夏吉君に金を支払うべきであったとしても、なお……
榊原CEOは、彼の自慢の移動会議室ガそれを証する通り、必要なものにかける金は惜しまない。今回の契約も、彼は相場の2割増しの金額を自ら提示してきたほどである。それだけ彼はオレを買ってくれているということであり、毎回の支払期日にはきっちりと全額支払ってくれているのである。
「マリオ、コーヒー淹れる?」
「プレスで」
やはり、コーヒーはフレンチプレスに限る。
「ちょっと待っててね、今淹れるから」
綾姉ぇが淹れてくれるコーヒーはどんなカフェのそれより上手い、とオレは思っている。本当は、こんなしがない事務所を手伝うよりも自分のコーヒーハウスを持つ方が儲かるのではないか?
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低能が不在であれば商談が捗る、等と言ったら恐らく契約解除は免れないであろうが、アレ以降オレと宮下部長は霞が関への日参を繰り返し、ようやく局長レクまでたどり着くことに成功していた。これで局長からYESを得ることができれば、次はいよいよ、榊原CEO同席の下で大臣レクに入るところまで進んだ、という訳だ。あの気鬱そうな宮下部長ですら、その日の商談の後は珍しく破顔しながらオレに謝意を示す。
「いやぁ~、ようやくここまで来ることができて、全く感無量とはこのことでしょう。それもこれも全て佐藤先生のお陰ですなぁ~」
顧客がオレのことを「先生」なぞと呼ぶ時は引き際である、と心得ているオレではあるが、宮下部長はオレのクライアントではないし、そもそもこの宮下部長なる人物は上司に向かってオレに敬称を付けている訳であるから、オレは素直にその敬称を受け取ることにしている。
「全ては宮下部長のご尽力の賜物でしょう。部長の誠意と粘り強さが、お客様の胸襟を開かせたと言っても過言では……」
「それに、我がオウルレポートの性能も……ですな……」
満更でもない表情で宮下部長が言う通りであろう。オウルレポートはそれなりに優秀な商品であり、であるからこそ市場シェア6割を占めるまでに成長した商品なのである。その裏には、我が尊敬すべき低能の卓越したマーケティング能力が秘められていることは、日ごろ榊原CEOを低能などと表現しているオレですら、彼の手腕には脱帽せざるを得ない。
|判決予測レポートシステム《JPRS》は文字通り、AIを利用して判決を予測するシステムである。この国の司法制度は成文法主義を採っているとは言え、裁判官による判決では、判例主義的ともいえるほどに判例・先例が重視されている。従って、過去の判例を全てAIに学習(それはさほど大変なことではない)させれば、AIは相応の高確率を以って事件の判決を予想することが可能なのだ。事実、オレなどの生まれる余程前から、技術的にはAIによる判決予測が可能であり、多くのソフトウェアベンダがその開発と商品化に取り組んできた。その意味では、オウルレポートなど、技術的には特出する点など何ひとつない。
実際、これもオレなどの生まれるずっと前から、所謂リーガルプロフェッション等と呼ばれる輩は須らくその法曹界における住民票を失うことになる、と予測されていたらしいが、爾来数十年、未だに弱者を食い物に暴利を貪る悪徳弁護士が蔓延っているところからすれば、やはり評論家どもの未来予測などには1mmも信を置けないことの証左の、これはひとつの類例であろうが、さて何故か?
考えてみれば当たり前の話ではある。JPRSのユーザ-要するにJPRS開発ベンダの顧客と同義である-には、自分自身の食い扶持を奪う商品の市場拡大を望む理由など何ひとつなかった、というだけのことである。顧客たる弁護士どもが使わないのであれば、JPRSなど概念実証の後に放置プレイの憂き目に遭った、数多あるプロジェクトのひとつに過ぎない。だから宮下部長の言に、オレは半分の賛意に半分の否定を混ぜて返答する。
「仰る通りですね、宮下部長。しかしそれは、オウルレポートの性能というよりは機能によるところが大きいのでは?」
正直なところAIを使った判決予測など、誰が開発してもその性能などはほぼ同等。性能面で商品に差がつくことはほとんどないことは既に市場で実証済である。
「流石は、佐藤先生のご慧眼。まさしく、社長のお考えもそこにあるのです」
我が低能なる榊原CEOが非凡であったのは、AI開発における性能向上面における技術力-多くの開発ベンダはその性能向上に血道を挙げていると聞くが-ではない。まさしく彼は、顧客に商品を購入するべき理由を彼の商品に組み込んだのである。
弁護士の顧客は刑事であれ民事であれ何らかの紛争を抱えている。そしてその紛争解決のために弁護士を雇用する。そこまではいいだろ?問題はその先だ。「客はドリルが欲しいのではない。客が欲しいのは穴だ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。そう、別に顧客は弁護士が欲しい訳ではない。自分の望む判決が欲しいだけなのだ。顧客からみて最悪なのは高い金を払ったのに望む結果を得られないこと。ここまではどんな商売でも原理原則は一緒だ。顧客の望む結果を財なり役務なりの貌で提供し、その対価を受け取るのが商売の基本なのだから。
さて、消費者の立場からこれを考えてみよう。これが工業製品の場合であれば、メーカーが提供するカタログその他により消費者は財を入手する事前から対象商品が自分の要求にどの程度応えてくれるものであるか、予め予想をつけることができる。また仮に設計・製造上の不具合により期待される性能が発揮できない事態が発生した場合においても、多くのメーカーは瑕疵担保保証期間なるものを設定してこれを保証してくれる。要するに消費者からすれば期待外れの結果に嵌るリスクは小さいということだ。一方で司法案件の場合はどうか?
そもそも消費者からすれば、どの弁護士を選べば期待通りの結果をもたらしてくれるのか皆目見当がつかぬであろう。無論情報サイトの類はそれなりにあるとは言え、そんなもの今時信じる者など皆無。元より弁護士にだって得意・不得意分野はあるのだ。結果が出て初めてその弁護士が有用であるか初めて判る、という意味では弁護士ガチャと言っても過言ではなかろう。そこでオウルレポートの出番なのだ。
オウルレポートは無論JPRSであるからその基本機能が判決予測にあることは他のJPRSと変わらない。例えばここにとある刑事事件の被告がいたとして、少し気の利いたJPRSであれば被告の量刑を確率分布として示すくらいのことはしてくれるだろうが、せいぜいそこまで。オウルレポートが他のJPRSより一頭地を抜くのはその予測性能ではなく、予測結果と報酬を連動させた見積機能にある。つまりオウルレポートは量刑の予測に合わせて、量刑に応じた報酬額まで算出するのである。顧客の期待値以上の判決を得た場合には割増の報酬額を、顧客の期待値を下回る判決の場合には割安の報酬額を予め提示してくれるのだから、顧客から見ても満足度の高い契約を結ぶことが可能になるのだ。
「お陰様で社長がお考えになった報酬額に連動した予測機能は、弁護士の先生方にも広く受け入れられる結果となりました」
宮下部長の言う通り、それがこの市場占有率に如実に表れているのだが、オレの見るところ、オウルレポートが業界に浸透していることにはもうひとつの理由がある。
「それに、控訴・上告の比率が下がっていることも、業界で人気の理由でしょうね」
要するに、判決に不満があるから被告-なり原告なり-は控訴だの上告だのをするのである。そして判決への不満の一部にはこういう感情も含まれるであろう。こんなに高い報酬を払っているのに、と。だから予め判決の範囲を確率分布として示し、さらにはそれに応じた報酬額を提示した上で、契約相手の選択という意思決定プロセスを顧客に踏ませるオウルレポートは、要するに勝ち目の薄い控訴審-一審の判決が二審で覆される可能性は十パーセントもないそうだ-に無駄な時間と労力を費やすリスクを低減してくれるのだ。
そんな会話を宮下部長と交わしていると、宮下部長の個人端末が着信をつげた。
「では、私はこれで失礼」
軽く礼を言ってオレはその場を立ち去った。
「えぇ、はい、社長。そこは上手く……はい、次は大臣と」
どうやら相手は榊原CEOであろう。宮下部長の珍しく上気した声が聞こえる。宮仕えというものは、オレにも多少の経験はあるが、それはもう大変なのだ。まして榊原CEOのような上司が相手では、宮下部長の気苦労もしれるというものだ。
「えぇ、それはもう……はい、どんな手を使っても……はい、必ず……」
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「そうなんだぁ~次は大臣かぁ。よかったね、マリオ」
オレの簡単な報告に対する綾姉ぇの了解の意は、オレにはとても嬉しいものであると同時に、多少気恥ずかしいものでもある。
「あぁ……美味いな、このコーヒー」
そんなオレの気分を綾姉ぇはきっと百も承知であろうに、そこには一切触れずに本題に切り込んできた。
「今の法務大臣って……白河さん……だっけ?確か、前の……」
「あぁ……カザフの時の……経産大臣だな」
綾姉ぇが次に謂わんとすることが手に取るように分かるゆえに、オレの口調も少し曇りがちであることに自覚はあった。
「だよねぇ、やっぱり……そしたらやっぱり、ナオキ君に声かけておけば、悪いようにはしないでくれるんじゃない?」
ほら、やっぱりそうなるよな。
飯嶋直樹。オレの高校時代からの同級生で、まぁ、所謂腐れ縁って奴だな。首席で大学を卒業したナオキは経済産業省に入省して周囲を驚かせたものだが、奴はケラケラ笑って官庁の中の官庁を蹴ったのだ。
「財務省が国を回してる?はん、そんなはったり誰が信じる?真に国を動かしているのは経産だぜ!」
まぁ、真に国を動かす存在がどちらなのかオレには判り兼ねるが、ナオキであれば本当に国を動かすほどの者になるのであろう、将来は。ナオキがオレの親友であることに間違いはないが、綾姉ぇの口からナオキの名前が出るのはオレとしてはあまり面白くないのも事実ではあるのだ……
「あぁ、そうだな……ナオキにはあの時の貸しもあるし……オレは直接白河大臣に逢ったことはないからな」
白河大臣が経産大臣だった時にナオキは大臣官房として大臣に仕えていたことがある。丁度その頃中央アジア方面でちょっと複雑な案件-要は国策投融資の大幅なポートフォリオ変更だな-があって、経産省だけでなく、財務・外務・防衛各省が連携してこれに当たることになったのだが、その際の色々な面倒ごとの発注担当がナオキだった、という訳だ。綾姉ぇの言う通り、ナオキに一声かけておけば、それとなく根回しくらいはしてくれるのだろう。
「そうでなくても、あいつは親友だからな」
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師走朔日。ついに白河大臣との面談当日がやってきた。オレも朝から Legal Democratics社を訪問して榊原CEOおよび宮下部長とは本社会議室と例の移動会議室において何度もブリーフィングを行い、要するに完璧に仕上げた上で、今、宮下部長が大臣室のドアをノックしたのである。
「どうぞ、お入りください」
毛足の長い絨毯の敷き詰められた部屋の正面で白河大臣が立上り、応接セットに向けて手を差し伸べながら我々の着座を促す。
「どうぞ、こちらにおかけください」
応接セットの正面中央に大臣、両脇を局長、部長が固め、課長は応接セットから離れた席に着座する。軽い時候の挨拶と面談のお礼を交わして簡単に自己紹介をした後、宮下部長から資料が配られ-無論、既に省内で大臣レクは終了しているし、今時アナログな方法ではあるのだが-、榊原CEOが要点を説明していく。ところどころ局長からも補足説明などが入り、大臣もそれに納得するかのように首肯し、要するにそこまでは大変上手く商談は進んでいたのである。
とオレのグラス・デバイスに緊急連絡の通知が表示された。通常オレは、商談時間中には通知を非表示とする設定をしているのだが、例外がひとつだけある。綾姉ぇの緊急連絡用端末からのコールがそれなのだが、無論綾姉ぇはオレの今の状況を知っているのだから、無闇やたらと連絡してくるはずがない。嫌な予感に背筋が濡れる思いのオレに気が付いたのであろうか。榊原CEOの一通りの説明を聞き終えた後、白河大臣はオレに向かって下問した。
「佐藤さんはどのようにお考えなのですか?」
榊原CEOが説明した内容とほぼ同じ通り一遍のことを説明して相手の反応を見ようとしたオレが間違いだった。相手はそんなに暇ではないのだ。
「今日は佐藤さんが一枚噛んでいると飯嶋君から聞いていたから楽しみにしていたのだが……」
目が笑っていない笑顔、というのはオレも何度も経験しているが、ここは賭けるしかあるまい。さっきの緊急連絡も気になるところではあるのだから。オレは改めて大臣に向き直るように姿勢を正し、回答を続ける。
「恐れながら白河大臣におかれては、そのお名前の通り清廉潔白なお方とお聞き及びしており、また、例のカザフの時には、真に国益の最大化を図るために敢えて火中の栗を拾われるなど、若輩者が申し上げるなど却って失礼とは存じますが、正しく法治国家における法務所管大臣に相応しいご見識とお覚悟をお持ちの方と心よりご尊敬申し……」
「世辞はよい」
軽く会釈をした後にオレは本題に入ることにした。
「法務省さんのご懸念は大きく2点と認識しております。第一に、AIが人を捌いてよいのか、という観点。第二に、法廷と弁護人が同じシステムを利用することによる、AI同志の干渉……」
「で、佐藤君はどのように考える?」
「ですが、第一の点については既に省内でもある程度の結論が出ているものと理解しております。すなわち、判例重視であればAIが恣意的な、あぁ、AIに恣意的という表現を使うのもおかしいのですが、AIの恣意的な判断は防止されるであろうという論点。また、AIによる判決の上に、最終的には人間の判断が載るという論点。以上2つの論点から、AIが人を捌くという表現は詩的ではあれど現実的ではないと結論づけられます」
「更には、訴訟当事者の判決に対する期待値の枠をはみ出さない判決を法廷が出すのであれば、二審・三審に持ち込まれる事件の件数も減り、法曹界全体の効率もよくなることでありましょう」
「うむ、それはよく分かっている」
まぁ、ここまではお互いに異論のないところだが、問題はこの後だ。
「問題は第二の懸念点、要するに、市場占有率60パーセントを超える商品が、当事者と判事の両サイドで使われることによる、意図した、あるいは意図しない判決の、まぁ言葉は悪いですが、判決の談合。これをどう防止するか、という点です」
「その通りだ。佐藤君はどう考える?オウルレポートを法廷で使用することにはリスクを伴うのではないか?」
「オウルレポートにそのような機能はなく、また、将来にわたってもこれをつける意図も動機もない、と Legal Democratics社は言っております」
「だが、それが建前である可能性は残るのではないか?」
「大臣のおっしゃる通りです」
ギョッとした顔でこちらを向いた榊原CEOが口を差し挟む。
「佐藤君、君は一体誰の味方なのかね?君を雇っているのはうちだぞ。それを忘れたのか」
話しながら自らの言葉に興奮して顔を赤くする顧客を無視して、オレは言を続けた。
「そこで、大臣。いっそ諮問機関をお作りになることをお勧めします」
「諮問機関……榊原社長の言ではないが、君は立場上そんなことを言っていいのかね?」
「大臣、私はさきほど、大臣のご見識とお覚悟をご尊敬申し上げている、と申し上げました。であれば私も、せめてそのつま先くらいには近づきたく」
「続け給え……」
再度会釈した後、オレは論を展開する。
「恐れながら大臣、AIが法曹界に導入されれば、判決確定までの時間も短くなり、冤罪も減り、法曹界全体の効率が向上する。こんなことは私が生まれる前から言われ続けてきたことだ、と聞き及んでおります」
「確かに、君の言う通りだ。だが、現実はそうなっていない。何故だと思う?」
「私が申し上げたいのは正にそこなのです。色々な理由がありましょうが、大臣。結局のところはみな、現状維持の易きに流されやすいものだ、ということにつきましょう。ましてや組織が大きくなれば……」
「そう、その通りだな」
「だからこそ、その現状維持バイアスを破壊できるイノベーターが必要とされるのです。無論この場合、清廉潔白で名を馳せる大臣こそが、イノベーターに相応しい」
「そのための第一歩が諮問会議、という訳か。確かに、少なくとも時計の針を前に進めるためには、議論を始める姿勢を見せることから始めるべきだろうな」
「その仕事は、政治家にしかできないこと、と失礼ながら思料する次第です」
ナオキは経産省こそが真に国を動かすなどとほざいていたが、やはりその役割は政治家にこそ相応しいものであろう。
「しかし、君はそこまで言っていいのか?君は政治家ではなかろうに……」
ようやく笑顔を見せてくれた大臣に、こちらも目だけ笑って答えることにしよう。
「実は、契約は昨日で一旦切れておりまして、今月の契約は未だ巻き直しできていないのです……」
「はっはっはっ、それはそれは、申し訳ないことを聞いた。いや、榊原社長、今日は大変有意義なご提案を頂き、ありがとうございました」
榊原CEOが不承不承返答する。
「こちらこそ、大臣には貴重なお時間を頂き……」
会議室を退出した途端、榊原CEOの怒鳴り声が廊下に鳴り響く。
「佐藤君、何だね、あの言い草は。あんなことを言わせるために君と契約したのではないのだぞ」
オレは無言で元クライアントを見つめる。彼が怒るのも無理はない。だが……
「今月以降の君との契約は白紙だ。無論、今日の打ち合わせも、だ。それもこれも全て君のせいだぞ。いいな」
「承知しました、社長。それでは私はこれで……」
一礼してオレはその場を去った。後ろの方では榊原CEOの怒声がまだ響いている。きっと、宮下部長は小さくなっているに違いないが、今やオレには関係ない人達であるし、そもそも宮下部長はオレの顧客ではないのだから。オレが悪徳コンサルを自称する所以である。
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「お帰りなさい、マリオ。お客さんがさっきからお待ちよ」
嫌な予感は当たったのだが、それを喜ぶほどオレは単純ではないし、あるいは、達観もしていない。
「あぁ、綾姉ぇの緊急連絡で何となく察しはついている。ありがとう」
ノックして応接室に入ると、奥のソファに座っていた二人の男性が立ち上がり、胸元から身分証らしき何やらーどうでもいい話だが、何故いつもアイツらはチラ見せしかしないのだろうか?ーを取り出すや否やそれをしまいながら、表向きは丁寧な口調で問いを発する。
「佐藤麻里亜さんでいらっしゃいますね?検察ですが、少々お話をお伺いしても?」
一応疑問形ではあるが否を言わせない強さがそこには秘められていた。
「えぇ、もちろん。どうぞお掛けください」
二人が再度ソファに腰を落ち着けたところを見計らって、オレは綾姉ぇに声をかける。
「コーヒーを3人分頼む。美味い奴を」
「えぇ」
綾姉ぇが退出しようとすると、優男風の角眼鏡-年の頃はオレと同じくらいだろうか。もう一人は40代くらいの、こちらは丸眼鏡をかけた少し恰幅のよい男性で恐らくは優男の上司に当たるのであろう-が断りの言を発する。
「いえ、我々は仕事ですから、お構いなく」
綾姉ぇもこういう時の対応には馴れたもので、涼しい顔をしてオレの反応を待っている。そりゃ、一度はあちらの世界にいたのだから、彼らの理屈もよく判っているのだ。無論、オレの反応も。
「いや、まぁそう仰らずに……。綾姉ぇの淹れるコーヒーは、まぁ自分で申し上げるのもアレですが、この狭くて何もない事務所の、唯一の自慢なんですよ」
「あら、マリオ。いくら何でもそれは褒め過ぎだわ……」
綾姉ぇの笑声を含む返辞が場の雰囲気を和ませる。無論、綾姉ぇもそれを判って敢えてやっているのであろう。目の前にいる2人の検察官を敵にするのも味方にするのも、こちらの態度次第なのだから。
尚も饗応-等というものでもないが-を辞そうとする角眼鏡を丸眼鏡が制する。
「折角のご厚意ですから、我々も是非その美味い一杯のご相伴にあずかりましょう」
「えぇ、承知しました。とびきりのを淹れて参りますわ」
軽く一礼をした綾姉ぇが退室すると、丸眼鏡が本題を切り出してきた。
「さて、今日は佐藤さんと Legal Democratics社との関係について、お伺いしにきました」
「Legal Democatics社……それが何か?」
「嘘をついても、あまり良いことはありませんよ、佐藤さん」
角眼鏡がその口ぶりに敵意を込めて牽制してくる。無論、それはポーズなのであって、まるで台本でもあるかのように丸眼鏡が笑顔でそれを制する。
「まぁまぁ、安田君。いきなりそのような言い方をするのは失礼でしょう」
「失礼しました」
オレには奴らのプロレスごっこに付き合ってやる必要はないのだから、ここは直球勝負をしてやろうではないか。それでこそ安田君の気も晴れるというものであろう。
「同社は昨日までの顧客でした」
やや意外そうな表情を浮かべながら丸眼鏡が続ける。
「昨日まで……?それでは本日はどちらに?」
無論彼らも裏を取った上でこちらを訪問しているのであろうから、ここで下手なことは言わない方がよいし、そもそもオレにやましいところは何もないのだ。
「Legal Democratics社の榊原社長および宮下部長とともに、白河法務大臣のところへ……同社のオウルレポートの提案を行って参りました」
「ほう、昨日までのクライアントのために……ですか?」
だから、検察がオレのところに来た理由は、オレにではなく、オレの依頼主にあるのであろう。
「いや、本当に間抜けな話ではありますが、実は同社との契約は昨日で切れておりまして……ただ、大臣へのアポイントゆえ、無断で欠席する訳にもいかないでしょうから……」
「それは、経産省の飯嶋課長補佐との関係もありましょうからなぁ……」
そこまでお見通しなのであれば、最早隠すことなど何もあるまい。
「これまでの契約書に関する情報はこのデバイスに」
そう言って電子契約書の一覧を表示した情報端末を丸眼鏡に提示する。大昔の紙で契約書を交わしていた時代では契約書をバックデートして作成する等という野蛮な慣行もあったらしいが、電子契約では契約を交わした日時を改竄することはできない。
「ほう、これまでの契約書の巻き直しは毎回、1週間前には締結されているようですが……今月からの3か月分については未だ締結されていないのは何故でしょう?」
無論、オレに契約更新の意思があったことは契約書案送付の事実からして明白であろう。つまり契約未締結の理由はオレの側にはないのだから、ここは推論の貌で主張を告げることが可能になる。
「さぁ、これは想像に過ぎませんが、恐らく今日の大臣面談の成否を見極めてから契約更新の是非を判断するつもりだったのではないか……と」
オレは嘘は言っていないが、本当のことも言っていない。榊原氏は金払いの良い顧客ではあるのだから、ケチな理由から契約書の締結を故意に遅れさせている、というのは考え難い。本当は多分他にも理由があるのだろう。単に、大臣面談に向けた準備を優先したために劣後した、とか、あるいはもっと大きな……
「ただ、もう契約更新はされないでしょう」
オレはそこには触れずに事実を推測のオブラートに包んで提示する。
「ほぅ、そうですか……それはまた何故?」
ありがたいことに丸眼鏡はこちらの土俵に乗ってくれたから、ここは畳みかけておこう。
「今日の面談後、榊原社長からは契約更新の意思がないことを明言されましたので……」
これも事実であるが、これにより先の推論の真実味が増すことであろう。もしオレの推測が正しければ、オレにはこの手を打っておく必要があるのだから。
「失礼します」
いいタイミングで綾姉ぇがコーヒーを運んできた。無論、綾姉ぇはちゃんと見計らってくれているのである。ここで休憩を入れることでオレとLegal Democratics社との契約関係から彼らの意識を一瞬でもそらすことができれば、仮に榊原CEOが何か仕掛けていたとしても、その何かによる弊がこちらに及ぶリスクを下げてくれることになろうから。まぁ、彼らもそんなに単純ではなかろうが、少なくとも友好的な態度はこちらが先に示すべきであろう。もし彼らがこちらに友好的にあるのならば、そもそも今日の訪問はないはずなのであるから。
「いや佐藤さんの仰る通り、確かにこのコーヒーは逸品と呼ぶべきものでしょうねぁ」
幾分表情を和ませた丸眼鏡がオレの自慢の一品に賛辞を述べる。
「いぇいぇ、そんな大したものでは……」
綾姉ぇの謙遜に、角眼鏡ですら相好を崩す。切り札、というものはこういう時に切るべきものであろうから、オレは思い出したように胸ポケットに差したペンを眼鏡どもに差し出す。
「実は、今日の面談記録はこちらに録音が……」
まぁ古臭い装置ではあるのだが、今時こんなものを使う奴はいないがために、逆に疑われない点がオレのお気に入りだ。普段は議事録作成のために使っているものなのだが、今日は証拠品というところであろうか。尤も……
「盗聴の類は証拠にはなりませんが……これは……」
「えぇ、もちろん、お持ちいただいて構いません。ただ……本当は情報端末を押収されると我々も困るので……何しろ貧乏事務所だけに、情報端末に替えがないもので……」
「そうですね……それでは、データだけはコピーさせて頂きますが……」
人に見られてヤバイ動画や画像は、決して仕事用のデバイスには保存しないことを推奨する。何しろ今日のオレの様に、自分に非がないのに突如として検察官のお世話になることはあり得るのだし、仮に見られてヤバイ画像があったが最後、もう二度と彼らと対等な関係には戻れないのだから。少なくとも精神的には……な。無論彼らにも捜査上の守秘義務というものは存在するのだから……ん?操作上の守秘義務……?
「そう言えば、捜査令状とかいうものはお持ちで?」
「いえ、今日は単に任意での事情聴取です」
いやにあっさり認めた丸眼鏡が言をつなぐ。
「それとも、令状を取り直してきましょうか?」
それはつまり、こいつらはもう一度押しかけてくる、ということであろう。こんな面倒な厄介毎、人生経験として一度は遭遇してもよかろうが、二度はご免だ。だからオレは涼しい顔でこう言ってやる。
「いえ、それには及びません。ただ、どうせならちょっと見てみたかっただけですから」
ホっと胸を撫でおろしたような安田君を横に、丸眼鏡が涼しい顔で返す。
「助かります。実を言うと令状を取るのは時間がかかるんですよ……」
データコピーが終わるまでの数分間、オレ達の間では社交的で友好的な辞令が交わされた。曰く、何故こんな事務所を開いたのか。曰く、何故オレはキャリア半ばで退官したのか。曰く、何故Legal Democratics社と契約を結んだのか。最後の質問にだけは明快な回答が用意されている。
「いやぁ、貧乏事務所だけに、来る仕事は断れないんですよ……民間なんて、そんなものです」
「はっはっ、またご謙遜を。佐藤さんのお噂は色々と聞いておりますので」
お噂?調査の間違いではないかと思わないでもないが、まぁ、そういうことにしておこうか。そんなこんなのやり取りをしていると、データコピーも終了したようだ。
「それでは我々はこれで。ご協力、感謝します」
それからしばらくして……オレがLegal Democratics社の榊原元CEOの退任と宮下部長のCOO就任の報を聞いたのは、オレが諮問委員会の委員に就任した、その最初の会合の日であった。榊原CEOの退任理由に関する説明は同社からは公表されなかったし、その後の当局の動きに目立ったことはなかったことから推察すると、恐らくはどこかの筋から上手くもみ消し工作のひとつでも行われたのではなかろうか。それがオレと綾姉ぇの共通した見解であった。
一方、オレが政府の諮問委員なぞという金にもならない仕事を受ける羽目になってしまったのは、果たして「来る仕事は拒まない」などと軽口を吐いてしまった所為であろうか、それとも……まぁ、オレも席上いくつか提言もしたし、それは後に正式に取り入れられたことが議事録にも残されているのであるから、多少はお国のためにお役に立ったのではないだろうかとは思うのだが。全く、焼きが回るとはこのことであろう。
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数年後。
日頃霞が関の連中を無能だなどと言っているオレではあるが、名指しの仕事が廻ってくることがこうも増えてしまっては仕方が無い。毎回これを断る綾姉ぇの身にもなれば、そのうちの幾ばくかは引き受けたりせざるを得ないであろう?無能どもの仕事は安い割に委託者は偉そうに振る舞う訳で性質が悪いことこの上ない-榊原CEOなどもその振る舞いは偉そうではあったが、金払いはよかったのだ-。アイツらは、口では「国民の血税が」などとほざく-正論だな-が、なら少しは公僕らしく丁重な態度というものをみせたらよかろう。その日もそれで、すこぶる気分が悪かったのである。
「佐藤先生、ご無沙汰してます」
振り返るとそこには、宮下CEOが笑顔で立っていた。彼も今ではCEOとして活躍しているようで何よりだが、少し驚いたような表情でも見せていたのであろうか。宮下CEOが殊更繕った笑顔で続ける。
「やっぱり佐藤先生でしたか。大変ご無沙汰してます。その節は大変お世話になりました」
顧客がオレを先生と呼ぶ時は引き際のサインである、と心得ているオレではあるが、今のLegal Democratics社はオレの顧客リストに名を連ねてはいないし、彼個人の名がそれに載ったこともない。要するに赤の他人であれば、社交辞令だけ済ませてさっさと立ち去ることにしよう。この御仁の前からも、この場所からも……
「こちらこそ、ご無沙汰しております。そういえば宮下さんはCEOにご就任されたそうで、お祝いを申し上げるのが遅くなりまして申し訳ありません」
造った笑顔が自然と綻んでしまうのだから、そこは彼も嬉しいに違いない。何しろ、あの社長に永らく仕えていたのであるから……そう言えば心なしか、以前に比べて顔色も良くなったような気がするが、本来CEOなどというものは激務のはずで、余程あの前社長の下で働くことは大変だったのであろうか。まぁ、オレには関係のないことではあるが。
「それにしても宮下社長の代になってから、御社は益々の成長を遂げていらっしゃる、と風の噂に聞いております」
それくらいの社交辞令はオレにだって言える。あとは「益々のご発展を」とか「お体だけはお大事に」などと適当なことを言って切り上げるだけなのだが……
「いやいや、それもこれも全て、佐藤先生のお陰ですから」
やはり悪徳コンサルを自認するオレに、社交辞令なんぞは似合わなかった。
「何しろ、先生のお陰で、当社は市場シェアを更に伸ばすことができたのですから……」
例の諮問委員会には、当然のことながら学識経験者やら有識者やらが集められたのであるが、Legal Democratics社の競合企業達も委員席の一角を占めていたのである。そして、その場でオレが提言したことは2つ。1つ目は、法廷で利用するJPRSは3社から採用し、その多数決を以ってAIの判断とすること。2つ目は、弁護士事務所において大きな市場占有率を持つシステムは、法廷には導入させないこと。この提言は委員達からは非常に歓迎されたものであった。AIによる恣意的判断をなおも恐れる連中からは当然のことであろうが、委員席を占める企業から見ても魅力的なものであったのだから。なにしろ、この新市場にLegal Democratics社は参入することができないばかりか、この場に座す残る大手3社-3社を合計して30%ほどの市場シェアを持つ-のJPRSがみな採用される、つまり競争入札という名の価格競争が回避されることを意味するのであるから。
「先生は、榊原社長から契約破棄された後も当社のことを考えてくださったのでしょう?そうだ、お礼替わりと申しては何ですが、是非また当社の顧問を引き受けて頂けませんでしょうか?契約金額も以前のものより更に上乗せしますので……」
ほら、こう来る。その展開は想定の範囲内ではあるが、正直に言えば最下策であるし、そもそもそんな提案をする方がどうかしてる。元腰巾着は新低能に昇進したことの証左であろうか、これは……折角どこかで骨を折ってくれた人が、これでは泣くというものである。
宮下CEOの言うところの「オレのお陰」とはつまりこういうことだ。オレの1つ目の提言により競合他社のJPRSが法廷における判定システムとして導入されたからこそ、オレの2つ目の提言により、それらは市場でのシェアを縮小せざるを得なかった。そしてその空白地帯はオウルレポートが埋めた訳だから、要するに、結果的にはLegal Democratics社の一人勝ちになった-何しろ、弁護士事務所向けの方が市場が大きいのだから-という訳だ。だが、だからと言ってオレを先生呼ばまわりする人物をオレの顧客にする訳にはいかないだろう?もしそうすれば、現在の同社のシェアとオレの提言の間に因果関係を作ってしまうことになるからな。オレは悪徳コンサルを自認してはいるが、法令順守には常に適合していることを自負してもいるのだから、ここには謝絶の一手以外の選択肢は初めから存在しないのだ。
「折角ですが、お断りさせて頂きます。私がかつてお受けした依頼は、結果的には果たすことができませんでしたので……」
同社からの依頼を蹴った、と知ったら綾姉ぇはどんな顔をするだろうか。宮下社長の提案を受けていれば、綾姉ぇへの報酬だって少しは増やせたであろうに。無論、そんなことを気にする綾姉ぇではないことをオレは知っている。きっと綾姉ぇなら「そのお仕事を受けることは、マリオの正義感が許さないんでしょ」とでも言って笑って許してくれるのだ。それでも、その綾姉ぇの笑顔を想像すると気分が塞いでしまうことも、オレは自覚している。それもこれも、オレが無駄な社交辞令を吐いた所為であり、結局それは、自分自身の選択の結果なのだから……
「それでは私はこれで失礼します」
そう言って宮下社長に背を向けたオレは、足早にその場を立ち去った。直前の仕事で気分を害していたオレは、宮下社長から思わぬ追撃をくらい、「本当のところ、無能と低能ではどちらがよりアレなのであろうか……?」などという愚にもつかない悪態を独り言ちるのが精一杯であったのだ……これでは、悪徳コンサル失格である。




