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5 鎌倉へ

祝言は、まだ先のこと。

けれども、この時すでに、美野は「義経の妻」として扱われ始めていたのでしょう。


 河越館の美野の部屋には、数々の衣装や道具が並んでいた。どれも美しく、好みに適っている。美野はそれを見ているだけで、幸せな気持ちになれる。見知らぬ土地で、見知らぬ相手に嫁ぐ不安も、美しい衣装を見ていると薄らいでいく。


 そんな気持ちになれたのも、すべて重房と重頼のおかげだった。

 輿入れの支度は、当初、梅枝が主導権を握っていた。当然、それは美野の好みからは外れている。美野が異議を申し立てても、無視される。

 好きではない花嫁衣装で嫁がなければならないのか、と気落ちしていた美野を救ってくれたのが、重頼と重房だった。


「美野の望む支度をしてやれ」


 そう重頼が言うと、梅枝は、あからさまに不機嫌な顔をした。そして、その言葉を無視した。

 再び重頼が注意し、梅枝がまた無視する。そんなことが何回か繰り返されたあと、ついに梅枝が言った。


「わたくしの選んだものがお気に召さないのであれば、御館さまがお選びくださいませ」


 人を小馬鹿にしたような口調だった。あからさまに言わないだけで、「男親に、輿入れ支度などできるものですか」と言っているのも同然だった。

 先に、堪忍袋の緒を切ったのは、重房だった。


「わかった。俺と父上が支度する。おまえは手出しするな」


 そうして、わからないながらも、美野の好みを聞きながら、少しずつふたりが用意してくれたものが、今部屋に並んでいる衣装や道具だった。

 美野が館に戻ったとき、それらの前に、総御前が立っていた。


「総御前……いえ……母上……さま」


 ふり返った総御前は、なにも言わずに美野を見下ろす。

 側に控えている梅枝が、ひどく満足そうに微笑んでいた。

 次になにが起きるか、美野にはわかるような気がした。

 その時、重頼が部屋に入ってきた。

 美野は救われた気持ちがしたが、重頼も、ほっとした顔をしていた。


「よく帰ってきてくれたな。私ではわからないことだらけでな」


 その言葉に、重頼たちが、美野が思っていた以上に、道具選びで頭を悩ませていたのだ、と気づいた。たしかに、男には衣装や道具はわからないことだらけだったろう。

 だが、総御前は重頼の言葉には答えなかった。代わりに、美野に目を向けた。


「美野、急いで支度をしなさい。明朝、鎌倉へ発ちます」


「鎌倉へ……ですか。何故」


「輿入れのために、決まっているでしょう。頼朝さまも政子さまも、お待ちかねです」


 美野は、嫌な予感が的中したことを知った。

 答える言葉が見つからずに黙っていると、重頼に続いて姿を現した重房が助け舟を出してくれた。


「母上、何をおっしゃっているのですか。美野が嫁ぐのは、九郎義経殿。九郎殿は、今、京にいらっしゃる。美野は京の堀川館に嫁ぐのです。鎌倉に行く必要はないでしょう」


 総御前は笑った。その笑いは、重房を軽蔑しているようで、美野はとてもいやだった。自分はともかく、実の息子である重房が真剣に話しているのに……と腹が立った。


「頼朝さまと政子さまが、鎌倉から嫁がせてくださると、おっしゃっているのです。こんな名誉なことはありません。ですから、急いで支度なさい、美野」


 総御前は、美野を急かした。

 けれど、今度は、答える言葉が見つかった。


「鎌倉には行きません。わたくしは河越から嫁ぎます」


「何を言ってるの。こんな田舎では、ろくなお支度もできないじゃないの」


「支度なら、俺と父上でちゃんと用意しました。鎌倉の世話になどならなくても、りっぱに美野を嫁がせてやります」


 重房が叫んだ。総御前への怒りを、重房は隠そうともしなかった。


「これが、あなた方が用意したというお支度なのですか」


 総御前は、蔑むような目で、衣装や道具を見た。


「このほかに、美野についていく武士や侍女を三十人ほど選んであります。もちろん、馬も……」


 ほこらしげな重房の口調を、総御前がさえぎった。


「みんな田舎くさくて流行遅れ。美野の嫁ぐのは京なのです。公家たちの目にさらされて、恥をかくのは美野なのです。いいえ、美野を嫁がせた河越氏、なにより、鎌倉の方たちが恥をかくのです。武士や侍女を三十人ですって? 河越の田舎者では、話になりません」


 その言い方に美野は気づいた。「恥をかくのは美野」と言ってはいるが、一番気にしているのは、美野ではない。美野が嫁ぐ九郎義経でもない。「鎌倉の方たち」のことだけなのだと。


「お言葉ですが、母上」


「美野は黙ってなさい」


「嫁ぐのはわたくしです」


 美野が叫ぶのとほぼ同時に、重頼の平手が総御前の頬にとんだ。


「何を!」


 頬を押さえながら逆上する総御前を見下ろして、重頼は言った。


「おまえは、万寿丸殿の乳母になったとたん、私の妻であることをやめてしまった。その上、重房の母であることもやめてしまったらしい。鎌倉か河越かと選択を迫られたら、おまえは、迷わず、鎌倉を選ぶのだろう。夫や子どもを切り捨てて」


「何ですって?」


 総御前は重頼にくってかかった。


「わたくしが、万寿丸さまの乳母になったことで、あなたがどれほどの恩恵を受けたか、忘れたというのですか。今度のことだって、河越氏のためを思ってのことではありませんか」


「はたして、そうかな?」


 逆上する総御前とは反対に、重頼は落ち着きを増しながら言った。


「真に河越氏のためと思うなら、何故、郷を嫁がせない」


「それは、郷が嫌がって……」


「郷も武家の娘。そのようなわがままは許されまい。おそらく、郷を嫁がせたくない理由が、あるのではないか。だから、介八郎殿の娘御にそれを押しつけた」


「それは……」


 総御前は重頼をにらんだ。

 その表情を見ているうちに、美野の心の中にもやもやとした疑惑がわき上がってきた。

 そのもやもやとしたものを形にしたのは、重房の言葉だった。


「どういうことですか。この縁談に、なにかからくりがあるとでもいうのですか。源氏と河越氏の縁組み以上の意味があるとでも」


 総御前は答えない。


「母上、言ってください。あなたは、美野に何をさせるつもりなのですか」


「重房、もういい」


 止めたのは、重頼だった。


「ですが、父上」


「総、向こうで話を」


 重頼に促され、総御前は美野の部屋を出て行った。

 そこには、激昂がおさまらない重房と、卑しい笑い顔を見せている梅枝、そして、当惑している美野が残された。


 翌朝、美野は重頼に呼ばれた。部屋に総御前の姿はなかった。


「美野、鎌倉に行ってくれ」


 驚きを隠せない美野をなだめる口調で、重頼は続けた。


「いや、鎌倉から嫁げ、と言っているのではない。美野にはもちろん、この河越から輿入れしてもらう」


 どうやら、重頼と総御前の間で、なんとか折り合える折衷案が見つかったらしい。


「ただ、政子さまがいろいろと支度をしてくださったそうで、おまえが行って受け取り、お礼でも言わないことには、総の立場がないそうなのだ」


 重頼は、ひどく気まずそうな表情をした。美野に対してというよりは、自分に対して気まずい思いをしている様子だった。見放したようなことを言ってはいても、重頼には総御前に対する情がいくらかは残っていたのかもしれない。そして、そのことに誰よりも驚いているのが重頼自身なのだろう。


「輿入れまでには、まだ間がある。鎌倉へ行って、政子さまに会い、それから河越に戻っても大丈夫だろう。悪いが、そうしてくれまいか」


「父上さま」


 これが総御前の頼みなら、美野はことわっただろう。

 しかし、重頼の頼みではことわれなかった。

 美野の中で、重頼の願いは上総の父の願いと同等になっていた。


「わかりました」


 重頼はほっとした様子だった。


「では、明日にでも総と一緒に、鎌倉へ発ってくれ」


 うなずいて、鎌倉に行く前に聞いておかなければならないことを思い出した。


「まだ、九郎さまに御出陣命令は、出ていないのですか」


「ああ。そうらしい。しかし、蒲殿ひとりでは荷が重かろう」


 少し前に、範頼が鎌倉を出発していた。屋島に行宮を構えている平氏を追討するためだ。だが、京にいる義経に、出陣命令は出ていないと聞いている。


「やはり、鎌倉殿は九郎さまを目障りに思っていらっしゃるのでしょうか」


 それに対する重頼の返事はなかった。なにかを考えている表情でしばらく美野を見つめたあと、ふっと息をついた。


「やはり……言っておこう」


「なんでしょうか」


「実は……九郎殿は、まずいことになっている。いや、まずいことをしてしまわれたようだ」


 心臓がひとつ、嫌な感じにズキンと鳴った。


「蒲殿が発たれるのと入れ違いに、京から知らせが届いた。九郎殿は左衛門少尉、検非違使に任官されたそうだ」


「鎌倉殿の御推挙無しに……ですね」


「ああ……左衛門の少尉に検非違使を兼任したところで、大した位ではないが……」


「位の高い低いは問題ではないのですね。鎌倉殿のお許しなしに任官したことが、まずいと」


 父上はおっしゃるのですね、と確認すると、重頼は沈痛な面持ちでうなずいた。


「鎌倉殿は、九郎殿に激怒されていると聞く。にもかかわらず、おまえを嫁がせようとしている。だから、儂は、おまえを鎌倉に行かせたくはなかったのだが」


「参ります、鎌倉に」


 美野は即答した。さっきまで、鎌倉になど行きたくないと思っていた。だが、今は、行かなければならない……と思う。

 行って、鎌倉殿の考えを知らなければならない。九郎義経のことをどう思っているのか、無断任官のこと、それ以前に、九郎義経だけ推挙しなかった理由、そして、これから、九郎義経をどのように扱うつもりでいるのか。それらを知らなければならない。


 もちろん、政子には対面出来ても、頼朝には会えないだろう。行ったとしても、なにも得るものはないかもしれない。だが、河越にいては、なにも知ることはできない。

 京に嫁いでいく前に、少しでも、頼朝の考えを掴んでおきたい……美野はそう考えた。



「美野でございます」


「顔を見せなさい」


 下げた頭の上に、政子の声がした。

 ゆっくりと顔を上げて、北条政子と対面する。

 気の強いことで有名な政子だったが、美しい人だった。若々しく、総よりも華やかな顔立ちをしていた。

 けれど、どこか、冷たさも感じる。美しい目は光が強すぎるようで、口もとも厳しすぎる。その厳しさは、母となっても消えることはなかったようだった。


「美しいこと」


 そう言う政子の顔は微笑んでいたが、わずかな嫉妬も感じられた。政子の持っていない柔らかな美しさを美野が持っているからか、それとも単に若さへの嫉妬だったかもしれない。

 政子の視線は、まるで物を検分するかのように、美野の美しい黒髪から、ふっくらとした唇をたどり、黒目がちできらきらと輝く瞳に留まった。


「この美しさならば、九郎殿も、お気に召されるでしょう」


 褒め言葉のはずが、まるで褒められている気がしなかった。政子の口元は笑っていたけれど、目は笑っていなかったし、言葉には、どこかとげがあった。


「ありがとうございます」


 礼を言う総御前の口調も、どこか空々しい。

 それでも、礼は言わなければならない。美野は、総御前に倣って頭を下げた。


「美野殿」


 厳しい声で名前を呼ばれ、顔を上げる。


「間もなく、あなたは、源九郎義経殿の妻として、京へのぼられる」


「はい」


「鎌倉から、何人かの武士と侍女をあなたと一緒に京へ行かせます。それで……」


 政子が美野の後方に視線を向けた。

 ふり返ると、そこに、梅枝がひかえていた。

 美野の侍女として鎌倉に同行はしていたが、ここには連れてきてはいなかったはずなのに……いぶかる美野に、梅枝は勝ち誇ったように笑ってみせた。


「この梅枝を、常に、側に置くように」


「側に……ですか」


 梅枝は、総御前の侍女ではなく、政子の配下だったのだと、美野はその時気づいた。


「いいですか。九郎殿の所業はすべて、この梅枝に話すのですよ」


「……」


 返事ができなかった。九郎殿の所業とは、つまり……。

 考えをめぐらせて、気づいた。先日の無断任官に、頼朝は相当腹を立てたのだろう。そして、九郎義経の謀反を疑っている。だから、その気配を少しでも感じれば、報告せよ、という意味だろう。

 だが、そんなことはしたくない。いや、できない。


「わかりましたね」


 返事をしない美野に、政子は、強い語調で念をおす。


「……ですが……」


 政子が眉をひそめた。


「河越からも、何人か侍女はついていきます。それで、充分かと」


 重頼は、美野が気に入った侍女を選んでくれた。梅枝は入れないでくれ……と頼んで、重頼に聞き入れてもらっていたはずだった。


「多すぎて困ることはないでしょう。とにかく、一番にこの梅枝に相談しなければなりません」


 政子の口調は、どんどん厳しいものになっていた。

 だが、美野は屈したくなかった。

 そのまま黙っていると、政子は怒りを爆発させた。


「この娘は、自分の立場が分かってないようですね。なにも話していないのですか」


 と、総御前にその怒りをぶつける。


「いえ、政子さま、それは……」


 総御前はうろたえ、あわてて弁解しようとするのを政子がさえぎった。


「わたくしから、直接話します」


 政子は、美野をひたと見据えた。

 その視線を、美野は真っ向から受け止める。


「いいですか、美野殿」


 にらみつけられても、視線は外さなかった。


「九郎殿の妻となられても、御自身が、河越重頼殿の息女であることを、お忘れにならぬよう」



次話より、舞台は京へ移ります。

美野が思い描いてきた義経と、現実の義経――

その隔たりが、ここから物語を動かします。

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