4話 はーげんだっつ
財布の中には、親が用意してくれた三万円が入っている。一応、何かあった時用の現金。
そして今、晴彦は少々、いやかなり悩んでいた。
巫女服の少女がスーパーの大型冷凍庫の前でアイスを吟味している。よくある買い物の一風景。巫女服でなければ。
アイス一個くらいなら別に構わない、と言って店に入ったのは、数分前。
巫女服少女の乱入に買い物しているおばさんたちの視線が集中するのを、無謀な知らない人ですアピールで躱そうとして敢え無く撃沈しながら、この一角まで来て、晴彦は見てしまった。
――ハーゲンダッツ。
琴は百円ちょっとの所を見て回っている。だが、晴彦としてはよく分からん相手とはいえ、生まれて初めての『家族以外の女の子』への奢りだ。
ここでケチる必要は、果たしてあるのだろうか?
「のう、晴彦。ワラワは決めたぞ!」
にこにこと嬉しそうに笑いながら、ちょこちょこ近づいてきた琴に、晴彦はちょいちょいとコーナーを指さす。それを見て彼女は、へ、と目を丸くした。
「は、晴彦。お、お主もしや――?」
驚き立ち止まる少女に、晴彦の口元がにやりと歪む。
「……いくか?」
「い、いや、しかし、そんな、ワラワはそこまで遠慮なしのつもりは――うげ、三百円もするではないか……」
「というか、俺が食べたい」
「あ、ああ。そういうことか。びっくりした。……うむ。ならばワラワのことは気にせず買うがよい。ワラワはもう、アイスを奢ってもらえるだけで大感謝なのじゃ」
「何にする?」
「え?」
琴は目を瞬かせ、まるで信じられないものを見るように晴彦を見た。
「よ、よいのか……? 本当に? ワラワ、ハーゲンダッツ選んでよいのか?」
言いながら、彼女は冷凍庫の中のカップを凝視する。視線があっちへ、こっちへ泳ぎ――やがて、うっすらと震える声でつぶやいた。
「ぅう……どれがいいのじゃ? 晴彦、お勧めはあるか?」
「自分の好きな奴でいいだろ」
そう言うと、彼女は恨めしげにこちらを見上げた。
「生まれて初めてなのじゃ。……ハーゲンダッツ」
◆◆
公園の木陰に戻り、使い捨ての木のスプーンを片手にカップを開けると、きめ細やかなバニラの中に、黒い点々が混じるあの光景が広がる。
――クッキー&クリーム。
正面には未知なる宝物を前にしたように目を輝かせ、恐る恐る木のスプーンを差し込む巫女がいた。
小動物のようにパクリと口に含んで、そのまま時が止まる。
しばしの沈黙。
そして琴は、ぅうう、と目を潤ませた。
「……そこまでいくか?」
「うまいのじゃ! 晴彦のおすすめだけあるの!」
「王道も王道、だけどな」
「くぅぅ。夢にまで見たハーゲンダッツ。人生とは真に急転するものじゃな!」
小さく小さく大切そうに口へ運んでいく琴を見て、自然と笑みが浮かぶ。喜んでもらえることは単純に嬉しい。
木陰に吹く風は柔らかく、夏の光が木漏れ日となり頬を照らす。こんなところで、こんな巫女服の珍妙な相手とアイスを食べている現状を思えば、人生とは本当に急転するものだな、と実感が押し寄せる。
「なあ、なんでそんなしゃべり方なんだ?」
人心地ついて、やっと気になっていたことを口にする。
「ん? それはまあ、出身をごまかすためじゃな。ワラワは、標準語はそんなに得意ではない。こうやって芝居がかっていた方が、ボロが出にくいのじゃ」
「なるほど、方言対策なのか」
晴彦も出発前に、標準語で話すようにと何度も言われたことを思い出す。
「他にも意味はあるがの」
くく、と喉の奥で笑う琴を見て、晴彦は首をかしげる。
「なんで出身がばれたらいけないんだ?」
そう言われていたから愚直に守ってきたが、その真意はよく分かっていなかった。だが、それを聞いた琴は、信じられないものを見たと言わんばかりに、目をぱちくりと瞬かせた。
「出身がばれたら、手の内が分かってしまうであろう?」
「そこがよく分からないんだ。説明は軽く受けたけどさ」
「ふむ。お主、いつ、説明を受けたのじゃ?」
「えーと、行くって決めてからだから……一週間前くらいかな?」
何の気なく答えると、琴が一週間、と驚愕の声を上げる。
「と、いう事は、お主、『龍脈界』に行ったことは、ないのか?」
「ないけど……」
そう聞くと琴は呆然とした顔のまま、ため息を吐くように、なるほどのう、と呟いた。
「うむ。……決めた」
一言。
「何を?」
「ワラワは晴彦と一緒に行く」
そう言われて、晴彦は首を傾げた。
「そういう約束だろ?」
「違う。儀が始まってからの話じゃ。先達としてワラワが色々と教えてやる。龍脈界のことを何も知らずに行くのは、余りに不憫じゃ」
じっと真面目な視線を向けられ、晴彦は頭をかいた。
「ありがたい話だけど、良いのか? ライバルになるんじゃ……」
「良い。なにより――」
そう言って、ハーゲンダッツを一口する。
「――晴彦には恩義があるからの」
味わう様に目を閉じた後、琴はすっと姿勢を正した。
「龍脈は大地を巡る気の流れ道じゃ。それは分かるか?」
「ああ。そう聞いた」
「龍脈に流れる大地の気――これをワラワたちは『龍気』と呼んでいる。これに対応して、生命が生み出す体内の気のことを『命気』と言う」
言われて、そういえば文書の中にそんな単語があったような、と朧げに思い出す。
「ワラワたち龍宿者は常人に比べ多くの『龍気』を自身の体内に蓄えることができる。ゆえに、『龍気』を宿す者、という訳じゃな。そうして蓄えた『龍気』と自身の『命気』を混ぜ合わせ、『龍命気』を作る。この『龍命気』を使うことで通常ではできないことができるようになる」
そう言って、琴は手のひらを晴彦に向けた。触ってみろ、と促されて、晴彦は恐る恐る手を合わせた。
「熱っ!」
反射的に手を引っ込める。体温として異常な温度。まるで湯飲みを素手で掴んだような熱さだった。
「現実世界では、出せる変化はこの程度。じゃが――龍脈界に行けば、もっと色々なことができるようになる」
琴はそう言って、指先をゆっくり閉じた。
「ただ、そこで起こせる現象は、その人間の生まれ育った感性で決まってくるのじゃ」
「感性?」
晴彦は手の平に息を吹きかけながら問い返した。琴はうむ、と小さく頷く。
「良くも悪くも、人間は生まれ育った土地の影響を受ける。龍命気を使って何かを成そうとした時、それは『その土地に根付いた何か』であった方が、より強い力を引き出せる」
「……どういうことだ?」
「要するに、出身の県に所縁のある事柄の方が、効果が出やすいということじゃな。……まあ、今この場で全部説明するには時間が足りん。経験すれば、嫌でも分かることじゃ」
琴はそう締めくくると、手にしていたカップの底をスプーンでさらい、溶けかけのアイスを掬い取り、とろりとした一口を下の上に乗せると、満足げに微笑んだ。
「そろそろ行く時間じゃろ?」
水を向けられて、腕時計を見れば確かに集合時間が近い。
気になっていたドラゴンクエスト記念碑の前で、なぜか琴と並んでピースをした記念写真を撮ってから、集合場所に向かう。
琴は随分と上機嫌だった。
初体験ができたからのう、と体の後ろで手を組み、巫女服の裾をぶらぶら揺らして歩く。
その姿は、まるで遠足帰りの小学生のようにも見えた。




