3話 野生の巫女さん
日の光を反射する鏡の四角柱。そのまわりに、不思議な形をした石が集められたモニュメント。少し大きめの公園なら時折ある、意味が読み取れるか取れないかギリギリをついてくるようなアート作品。
それを背にして少女が立っていた。
真昼の陽光に淡く輝く、白い上衣。明るい紅の袴。
緑の公園の中に、そこだけが色鮮やかに切り抜かれているようだった。
腰まで届く艶やかな黒髪を黄色いリボンで一つに結んで、その先が尾のように風に揺れている。
手をおろし、目を閉じ、天を仰ぐように。まるで風の音を聞いているかのように。
背は小さい。顔立ちも幼い柔らかさ。だが同時に不思議な凛々しさを感じる。首から胸に下げた薄緑の勾玉が、きらりと陽光を返していた。
視界の反対、晴彦の背後には――剣と盾とスライムの像。まさしくドラゴンクエストの記念碑があった。だが晴彦の目は、どうしても少女から離れなかった。
(……巫女さんだ)
野生の巫女さんが現れた。ドラクエ風のナレーションが頭に響く。神社以外に生息しているとは思わなかった。そんな言葉が脳裏に浮かんで、自身の思考の乱れに気づく。
それでも目が離れない。
彼女だけが、この現実から切り離されているようだった。
夏のさなか。セミの鳴く声が、青空の下に響く。
広場に人影はなく、ただ時の止まったように二人だけ。
緑の中。暖かい風だけが、二人の間を吹き抜けていった。
◆◆
見つめていた時間は、たぶん、思うよりも短かったのだろう。
少女の頬を、一粒の光が滑る。
涙だ。
まるで零れ落ちる宝石のように、日の光を含んできらめき、す、と地に落ちる。
目を閉じたまま、彼女は大きな息を吐き出し、うなだれる。
その一連の仕草さえ、どこか幻想的に思えた。
だが思考を現実に引き戻すと、どうも何かに困っているようにも見える。
一方で、冷静に考えれば、彼女もまた、晴彦と同じ目的でここにいるのかもしれないと思った。
龍宿者――そんな現実味のない肩書は、そこらの若者と区別の付かない晴彦などよりも、むしろ巫女姿のこの少女にこそ似つかわしい。
もしそうなら、彼女はライバル。互いに序列を競い合う立場となる。
ならば余り関わらない方がいいのかも。
一瞬だけそう考えて晴彦はすぐに首を振った。
違う。県の序列のために自分の在り方を変えるのは、本位にもとる。
困っている人がいるなら、手を差し伸べる。当たり前のことだ。
とはいえ、見ず知らずの相手。
緊張から手が無意識にポケットへと入り込み、そこで小さな布の感触を覚えて、晴彦の脳裏に赤い『えんむすび』が思い浮かんだ。
妹の顔が浮かび、ふ、と笑みがこぼれる。不思議と、決意が形に変わっていった。
年下の少女。だったら、そんな相手には慣れているだろ。心を定めて近づき、晴彦はなるべく優しい声音を作って声をかけた。
「……大丈夫?」
少女は、はっと目を開き、潤んだ瞳で晴彦を見上げた。
傍に立てば、その小柄さが一層際立つ。百七十三センチの晴彦から、頭ひとつ分以上は小さい。彼女はきょろきょろと周囲を見回し、自分に声をかけられたのだと悟ると俯いて答えた。
「大丈夫……ではない」
「どうしたの?」
「鞄を、失くしたのじゃ」
「そりゃ、大変だ」
反射的に返したが、本当に大変だ。思ったよりも深刻な話だった。そのせいで、少女の妙な口調に突っ込みを入れるタイミングを完全に逃してしまう。
「どこで?」
「うーむ。どこじゃろうなぁ。ホテルに忘れたのかもしれんし……あるいは、ここで休んでいる間に失くした気もするし」
「鞄だろ? 手に持ってたんじゃないの?」
「巾着袋じゃ。地図とコンパスを入れてただけじゃから、あんまり嵩張らなくてのう。持っている意識すらなかった」
――地図とコンパス。
時代錯誤にもほどがある。
「スマホは?」
「ない」
あっさり言い切られて、晴彦は口をつぐむ。小学生なら、持っていなくてもおかしくはないか。
「あと一つ、さっき気づいたばかりの、最新の困ったことがある」
「まだあるの?」
「財布を落とした」
「……そりゃ、大変だ」
「もう、何もかもなくなったのじゃ! さすがに天を仰いで、思わず泣いたぞ」
「今さっき?」
「今さっきじゃ」
――あの神秘的に見えていた仕草。
裏側を知ってしまうと、ありがたみも何もない。
晴彦は思わず、憮然とした顔で腕時計をちらりと見た。
「とにかく探そう。心当たりは?」
「探してくれるのか?」
「約束の時間があるから、長くはできないけど」
そう答えると、少女はじっと晴彦を見つめて、ふ、と微笑んだ。
「いや、良い。かまうな。大切な用があるのであろう?」
「でも、大変だろ? せめて財布くらいは……」
「お金はほとんど入っておらん。ビンボーじゃからな。まあ、千円……くらいか。どっちかといえば、地図を失くした方が問題じゃった」
「なら、鞄を探そう。巾着袋だったよな?」
迷いなくそう言うと、少女は一瞬きょとんとした後、鈴を転がすように笑った。
「お主、本当に良い奴じゃな。……こんな風体のワラワに、よくもまあ、付き合おうと思える」
そう言って、少女はすっと手を差し出した。握手を求めるように。
「琴じゃ」
「こと?」
「名じゃ。よろしく頼む」
「あ、ああ」
おずおずと少女の手を握り返す。
柔らかく暖かな手だった。むしろ、熱いとさえ言える。不思議なくらいに。同時に、まるで壊れ物かのように、とても小さい手だった。
琴と名乗った少女は、にやりと頬笑むと、手を離す。
そして晴彦を意味ありげにじっと見つめて――静かに言った。
「お主、龍宿者じゃな」
風が止まった気がした。
晴彦の身体が固まる。
その用語が出た時点で一般の人間ではない。極秘の書類に記載されていた事項の一つ。
驚きはあった。だが、予想もしていたことだ。
「じゃあ、やっぱり、お前も――」
「お前ではない、琴、じゃ」
きっぱりと言って琴は、ふん、と鼻を鳴らす。
「あ、ああ。……ごめん」
「まあ良い。それより――」
琴は手のひらを向けてくる。
「お主の名前はなんじゃ?」
そういえば名乗っていなかった。
晴彦は反射的に名乗ろうとして、ふと思い出す。
(そうだ。初対面の相手には、苗字を名乗らない方がいいって、言われたな)
苗字には、県に特有のものがあり、相手によってはそれだけで出身を特定できる者もいる。そして、出身を知られることは、序列を競う戦いにおいて、不利を背負うことと同義だ、と説明されていた。
「えっと……晴彦、だ」
女の子に、自分の下の名を明かすという事象に、若干の気恥ずかしさが走る。だが、琴という少女は意に介さず、うんうんと頷いた。
「晴彦か。良い名じゃな」
そう言って晴彦を見上げると、琴は、にやりと薄い微笑みを浮かべた。
「……よろしくのう、晴彦」
長いまつ毛。どこか鋭く、どこか眠たげに細められた切れ長の目。その奥にある漆黒の瞳。その微笑みは、さっきまでと違い、幼さの中に、吸い込まれるような何かを持っていた。
見続けるのは、なぜか良く無い気がした。
自然と、晴彦は目を泳がせる。
「と、とにかく、探そう。心当たりは本当にないのか?」
誤魔化すように口を開くと、琴は首を振る。
「いや、晴彦。もうよい。ワラワは諦めた。巾着袋は多分ホテルに忘れておるだろうし、財布は……この平和な日本のことじゃ。いずれ交番に届くじゃろう」
「確かに、そうかもしれないけど……じゃあ、どうするんだ?」
「お主に付いていく」
「は……?」
「最終的な目的地は同じじゃろ?」
そう言って琴は、くく、と笑った。
「それにのう、晴彦。ワラワはこれを、縁だと受け取った。お主と出会ったのは、何かの巡り合わせじゃ、とな」
そう聞いて、晴彦の頬にも苦い笑いが浮かんでくる。
――縁か。確かに縁、なのかもしれない。
実際問題、ここであるかないか分からない失せ物を探すよりは、琴の提案は現実的だった。諦めるものは、諦める。その潔さは晴彦としても嫌いではない。
ジーンズの上から、ポケットの中のお守りに触れる。
――まったく、随分と妙な縁が結ばれたものだ。
はぁ、と諦めを含んだ息を吐いて、晴彦は気を取り直す。
「分かった。じゃあ、行くか」
「あ。ちょっと待て、晴彦」
歩こうとしたのを呼び止められ、晴彦はなんだ、と琴を見る。
「その、なんじゃ。……ワラワは巾着袋を探して、この公園を練り歩いた」
「ああ」
「季節は夏真っ盛り、じゃな」
「そうだな」
「巫女服というのは、じゃ。実は通気性が悪い」
「……そうなんだ」
「うむ。そこでじゃ――」
琴はすっと通りを挟んだ所にある大きなスーパーを指さす。
「ワラワ、何か冷たいものでも買おうかと思った」
「うん」
「そして、財布がない事に気づいて、絶望した」
「なるほど」
「……晴彦。奢ってくれんか?」




