23話 神の矢
大智が仕掛けた。
タイミングは完璧。
静流の準備も漣の準備もできている。
静流は自身の龍命気を纏う神剣を両手で握りしめた姿勢のまま、カッと目を見開いた。
草薙剣。
ヤマタノオロチの尾から見つかりし神剣。
天界に納められ、そしてまた日本の正統後継者の証左として下賜された剣。
ヤマトタケルの伝説を共にした神剣。
その最後に在った地が――愛知。
静流の召喚した草薙剣なら、剣が得てきた全ての神話を体現できる。
ヤマトタケルの伝説。
燃え盛る草原。炎に囲まれた絶体絶命の窮地を、草を薙ぎ、炎をかき消した神剣。
その草原の広さは、見渡す限りと言う。
故にこそ、草薙剣。
草原一帯を薙ぎ払えるその神剣ならば――。
「――海だって、薙ぐことが、できる!」
剣を振る。
自身の限界を超えるほどに詰め込んだ龍命気の水色の光が、剣身を追いかけるように残像を残す。
狙うは――海そのもの。
眼下に広がる全ての海を――その根元を――薙ぐ。
輝く剣閃が、眼下全てに一筋の光を押し付ける。
海が裂ける。
四匹の和邇が吹き飛び、桃色の光の粒子となって消えていく。
両断された海は、衝撃に空へと散る。
今までその上に平然と立っていた者たちも、全員空へと投げ出された木の葉のように、宙に舞った。
「――琴っ!」
回転する視界の中、晴彦は、琴を見る。
ぉわーと、どこか間の抜けた驚きの声を上げながら、琴は吹っ飛んでいた。
体重が軽いのだ。
バタバタと姿勢を整えようと手と足を振っていた。
この状況。
援護しなければ。
桃色の光になって消えていく海の、何とか残っていた微かな塊。
視界の端に見えたそこに足を乗せる。彼女を空中で受け止めるために足に力を込める。
そこに大智の斧が襲ってきた。
咄嗟に刀で逸らせた斧が、軸にしようとしていた足元の海を切り裂き、破裂させる。
まずい。
琴は、今までの状況から見るに、肉体的に強いわけではない。
広大な海を召喚したことから圧倒的な力があるのは分かる。
復活してくる、という異常さも見ている。
しかし、やられないわけではない。
あの光景の衝撃は、忘れるには余りに早い。
(護るんだ――! なんとしても、俺が!)
ぎり、と歯噛みする。
そう思っても、今、この瞬間、晴彦にできることは何もなかった。
視界の奥、漣の姿が見える。
黄色く光り輝く力が矢の先端に集まっていくのが見えた。
空中に舞って、この間、コンマ二秒。
バク宙もできない琴。
完全に頭を下に向けた無防備な体勢。
狙い定めた弓が向く。
(く、くそ――っ!)
晴彦の耳から、音が消えた。
全てが遅く、全てが無音で、晴彦の身体も動かない。
ただ、ひたすら、空に投げ出された自由の利かない空間。
心臓を射抜かれた琴の姿を幻視する。
また、あの光景を――。
琴に向かって手を伸ばす。
だが、それが届くこともない。
その瞬間、輝く光を集約した矢が、放たれた。
◆◆
世界が止まったような気がした。
光は矢となり、空を裂いた。
音もなく、ただ一条の黄色い光だけが世界を二つに断つ。
晴彦の目には、琴の胸を貫いた未来が先に見えていた。
その光景が現実になるように、琴の身体に光の筋が吸い込まれる。
次の瞬間、全ての動きが元に戻ったように、重力を思い出した世界に引っ張られ、風を感じて晴彦たちは地面に落ちる。
だん、と脚を下に着地する。その後ろで、大智も同じように着地した。
海は完全に霧消していた。
静かだった。
なぜか?
何が起きたのか、その場にいる誰もが理解できていなかったからだ。
ふわりと木の葉が舞い落ちてくるように、不思議な浮遊感をもって琴が地面に降り立ってくる。
「どういう……ことだ?」
大智が呆然と呟く声が聞こえた。
その気持ちは晴彦にもよく分かった。
必中のタイミングだった。そして間違いなく当たった。
漣の放った矢は、ただならぬ威力を込めた必殺の一撃だ。
一閃の光にしか見えなかった。それは人を超えた神の一撃といっても疑いはない。
止められるはずがないというのは、傍目に見ても明らかだった。
なのに、琴の薄緑に輝く右手には、なぜか矢が握られていた。
琴が、にやりと笑みを浮かべた。
「先輩が神威を込めたことにより、ワラワの逸話の範疇になったのじゃ。……与一の逸話だけなら、防げんかったじゃろうな」
くく、と笑うと琴は、ポイっとその矢を上空に投げる。
誰も反応できなかった。
何をしているのか、分からないから。
その瞬間、矢はまるで生きているかのように、漣に向かって駆け抜ける。
反応は一拍遅れていた。
それでも、彼は間違いなく射線を躱した。
――はずだった。
誰もが驚きで身動き一つ出来ぬ間に、彼の左胸には矢が深々と突き立っていた。
漣は、自身の左胸に刺さった自分の矢を見て、はは、と笑った。
「なんだい、こりゃ。……やっぱ、琴ちゃん、反則だよ」
間違いなく避けたのに、矢の軌道が変わった。
こんな不条理、神話の中の何かでしかない。
左胸を正確に、本当にいつの間にか、と言うしかないほど、自然と突き立った矢。
「漣さん!」
名古屋城の天守閣から静流が全力で滑り降りているのが見える。
その表情を見て、申し訳なくなる。
(ずるいよね、琴ちゃんは同じ心臓を撃ち抜かれても復活してきたのに……)
にこりと笑って、静流にごめんと手を上げる。
(神威を込めたから、神の矢となった、ということか。だから返された。……そういやあったね、そんな一場面)
でも、こんな利用方法、思いつかないよ。
はは、と自嘲して漣は目を閉じる。
「僕もまだまだ勉強不足……だね」
その身体が黄色の光の粒子となって、空へと消えていった。
「うわぁあああ!」
間に合わなかった静流が叫ぶ。
その悲嘆を含んだ叫びに、晴彦は少し心が痛んだ。
「てめぇら、許さねぇ!」
大智が怒りに任せて斧を振るってくる。
その感情にも心が痛む。
ああ、やはり、彼らも同じだ。
暴を纏った斧を捌いて、晴彦は思わず怒鳴った。
「なんで! なんで殺したっ?」
その声に、琴はふむ、と温度差のある表情で答える。
「別に漣先輩は死んでおらんし、元々そういうルールなのじゃがな。……強いて言うなら先輩は危険すぎるからの。だから、ご退場してもらえるなら、それが一番じゃ」
その理由を聞くと、なおのこと、晴彦は大智の斧を捌く手が鈍る。
――全く同じなのだ。
目を血走らせたような大智が、息を荒くする。
その目を晴彦が痛ましく見つめると、彼はふと何かに気づいたように、その眼の色を少し和らげた。
「はぁ、はぁ。……なるほどな」
「……?」
「お前が、あんなにキレた理由が、なんとなく分かったよ。……こんな気分だったんだな」
バツの悪い顔で晴彦は黙り込む。
無言は、肯定そのものだった。
「……悪かったな」
何かを捨てたように呟くような謝罪をして、大智はイヤホンの入った右耳を押さえる。
「分かったよ。……静流。お前に託す」
そう言って大智は身を翻して逃げていった。
それと同時に、晴彦の背筋がチリチリと焼けるような感覚を得て、振り向く。
巨大な城が桃色の光の粒子となって消えていく。
幻想的な光景。
その足元に、静流が立っていた。
距離は五十メートル。
全ての光が一点に集約していく。
草薙剣。
剣身が水色に輝く。
神剣と聞いた。
剣閃だけで海を薙いだ先ほどの威力を見て、それを疑うことはない。
まさに人知を超えた一撃だった。
今、その力が彼女の手に集約されている。
今度は剣閃などではない。
直接その剣を振り下ろしてくるのだ。
「……さて、晴彦」
琴が言う。
「少し、離れておれ」
そう言って、琴は晴彦を振り向き、にこりと笑った。
「お主が出会った、か弱そうな少女が、実は最強なのじゃと分からせてやるからのう?」




