20話 黄泉帰り
全員のいる位置から少し離れた所。
大智がなぎ倒した木々の塊。
そこが少し蠢めいていた。
ズズ、と地を擦るような音と共に、なんの脈絡もなく地面がせり上がる。
そこには穴が開いていた。
暗い闇につながっている、光をも飲み込むような深い穴。
風が吹いてくる。
湿り気のある生温い不快な風。
地下に閉じ込められていた腐った空気が、外につながり解放されたことを祝うように、渦巻いて駆け抜けるように、風が吹く。
誰も、声も、身動ぎもできなかった。
闇の奥から、物音が一つ響いてくる。
かつん、かつん、と。
石畳をゆっくり踏む木の音。
長い石の階段を登るように、規則的に甲高く。
かつん、かつん。
少女が静かに、身を現す。
長い艶のある黒髪。黄色のリボン。眠たそうにも見える半目に、いつものにやりとした微笑み。赤い刺繍の入った白衣。胸にぶら下がった緑の勾玉。そして色鮮やかな紅の袴。
間違いない。
見間違えようもない。
「琴っ!」
「本当に琴ちゃんっ? 大智君、やったんじゃないの?」
「絶対、やったよ! ぶっちゃけ、真っ二つに――っ!」
戦慄が四者四様に襲い掛かる。
「大智君、漣さん! ともかく戦闘準備を!」
いち早く、静流が混乱から脱却して、指示を出す。
その戦闘を継続する意思を聞いて、琴はにこりと楽し気に笑った。
そして、パン、と両手を祈りの形にした。
瞬間、地を震わす轟音と共に、森を飲み込むほどの大濁流が琴の足元から発生した。
その勢い、津波のごとく。
十メートルは立ち上った水の量は、これまでと比べる必要もなかった。
「晴彦。海の加護のおさらいじゃ。頑張れるか?」
呆然と見上げた先。
膨大な水の塊が頭上から降ってくる合間に、そんな声が聞こえてきて、晴彦は思わず頬に苦い笑いを浮かべた。
ああ――そうだよな。
迷いなく、パン、と手を合わせる。
この水の勢い。
晴彦に海の加護を教えていた時のあれは、琴にとって、全く本気ではなかったのだ。
それが肌身として理解できた。
荒れ狂う濁流。いきなり現出した海。
切り倒された木々は流され、まだ無事だった森も波に呑まれて、亀裂音と共に折れていく。
全てを押し流そうという波濤の勢い。
晴彦も一瞬で巻き込まれる。隣の静流も、大智も、漣も。皆等しく。雄大な自然の前に、ちっぽけな人間など抗う術もないと言わんばかりに。
視界がもみくちゃになり、流し出される感覚。
潮の味が口に広がる。
海。
――祈る。一心に海へ。
濁流にのまれる木の葉のような体が、不意に一点に向かって動き出した。
「ぷはっ!」
水中から顔を出し、そのまま水の上に飛び出る。
できた。
安心もつかの間。
晴彦は、すぐに琴の姿を探した。
ほんの一瞬で十数メートルは流されたのか、随分と遠くで、彼女がニコニコしながら手を振っているのが見えた。
荒れ狂う海は、歩きにくい泥の上のような感覚だ。だが、迷うことなく晴彦は全速力で走って、琴の傍まで駆け寄る。
「琴っ!」
名前を呼ぶと、うん? と見上げてくる、小さな巫女姿。
一瞬、二の句が継げずに、脚を止めた後、晴彦はようやく言葉を紡ぐ。
「……無事だったのか?」
その一言に、琴は、かか、と声を上げて笑った。
「無事なわけないじゃろっ! ちゃんと、黄泉帰りなのじゃ」
「……どういうことだ?」
理解できずに問うが、薄らと微笑むばかりで琴は答えず、荒れ狂う海を見た。
晴彦もそちらを見る。
そうだ。おかしい。
かなり時間が経つが、誰も顔を出してこない。
「さっきの三人は?」
「海に飲み込まれておるのじゃろ? 哀れじゃが致し方なし」
にやりと悪そうな笑みを琴は浮かべた。
「どうして? あいつらは――」
「栃木と愛知じゃろ? 残念ながら海がない。彼らは加護を得られないのじゃ」
そう言われて、晴彦も合点がいく。
「そしてもう一人は片手じゃった。ぱっとは祈れんから、海の加護を持っていても、しばらく時間がかかるじゃろ。晴彦、あの斧使いの出身は分かったのか?」
「……神奈川って言ってた」
「ふむ。神奈川で斧なら、坂田金時かの? もっといいものも、いっぱいあるじゃろうに」
琴が眉をしかめて言う。
「……おっと、動くようじゃな」
琴が何かに気づいたように視線を遠くに向ける。
晴彦が目で追うのと、その海の底が水色の光で輝いたのが同時だった。
「なんだっ?」
ずず、視界の先の海が荒れる。
濁流を切り裂くように飛沫が舞い上がり、何かがせり上がってきた。
見えたのは白い壁。
いや、壁だけではない。
薄緑の瓦。金のしゃちほこ。多重に積まれる屋根の幾何。
特徴的なその形状。
――日本の城。
雄大で美しく、高く、大きく。海の中から屹立していく。
「ふむ。……立派じゃのう」
その頂点の屋根の上。
見上げる高さの天守閣に、まるでその主の如く。
一纏めの黒髪を風に揺らして、静流が軍配を掲げていた。
「な、なな……っ?」
彼我の距離、百メートルは離れているだろうか。
その距離があっても、その姿は雄大だった。海より生えた天守閣。
突然のことに、晴彦が驚き固まっていると、琴がこともなげに言う。
「名古屋城じゃな。さすが愛知。……まあ、ワラワは古風な城の方が好きじゃがな」
そう言っていると、名古屋城の横に、別の城が海の中から現れた。
「ぉお。国宝、犬山城ではないか。最古の現存天守。うーむ、大盤振る舞いじゃな。ワラワのリクエストに応えてくれたのか?」
琴が嬉しそうに言う。
黒瓦の城。城と言われてイメージできる城そのものだ。
だが、静流の立つ城より小さいのか、半分ほど海に飲まれている。その屋根の上に、漣や大智が息を切らせながら、座り込んでいた。
その様子を遠目に見ながら、琴は晴彦をちらりと見た。
「さて晴彦。……愛知と言えば、なんじゃ?」
「……いや、そう言われても」
「むう。お主、本当に勉強不足じゃな。……金太郎ほどではないかもしれんが、日本一有名な者たちじゃぞ。義務教育を終えた頃には、全員知っておる」
「どういう逸話だ?」
琴は、天守の上で軍配を掲げている静流を指さした。
「愛知の三英傑。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康じゃ」
「えっ?」
その瞬間、城の窓のあちこちから、鎧武者が現れる。その手には銃。
屋根に陣取り、整列し、銃を構えて膝立ちする。
そこまでいけば、晴彦にも分かった。
火縄銃。
信長の鉄砲隊。
静流が軍配を振り下ろす。
「放てぇ!」
グイっと琴に引っ張られる。
パチン、と琴が指を鳴らすのと、銃声が響くのが同時。
弾が殺到する直前に、目の前の水が壁の如く立ち上る。
その膨大な水壁が、弾の勢いを全て殺していった。
足元の海が荒く波立ち、晴彦は転ばぬようにバランスを取る。
飛沫が収まった後にいたのは、体長五メートルはありそうな、巨大なサメのような背びれを持つ怪物だった。
「な、なんだこいつっ?」
「和邇じゃ」
「わに? サメに見えるけどっ?」
「それが和邇じゃ」
だが、銃声は止まらない。
信長の鉄砲隊なら、当然三弾撃ちだ。
銃弾が殺到するたびに、和邇が海面を尾で叩いて水飛沫の壁を作る。
「晴彦、お主の役割はこれじゃ」
琴が、右手を海にかざす。
すると海の上に薄緑の光が揺蕩い、その中から刀がせり出してきた。
「一度手に持ったから、お主も自身で生み出すことはできるかもしれんがの。……それでもまあ、まだワラワの刀を使っていた方が、マシじゃろ」
ポイっと軽く渡された刀を受け取る。
「鉄砲隊は布石じゃ」
琴は、にやりと笑う。
「本命は時折やってくる、与一の矢。……すまんが、お主が防いでくれ。また矢を食らうと面倒じゃからな」
「あ、ああ!」
刀を抜き、鞘を放り投げて、顔の脇に刀を縦に構える。
なぜだろう。力が湧いてくる。
遠くで響く銃撃音。
琴がパチンと指を鳴らすと同時に、和邇が一匹増え、激しい水飛沫が、上空まで立ち上る。
その一角、舞い落ちる飛沫の中で、音も何もなく、放物線を描き飛来する矢。
琴を狙って正確に。
だが、見える。
一瞬で踏み込み、刀を振るう。風切音ごと矢を叩き斬る。
「ぉお。さすが晴彦じゃ!」
琴が嬉しそうに言う。
その声に、晴彦の頬は自然と笑みの形になっていた。




