17話 鬼
コキリ、と首を鳴らしながら、大智が歩み寄る。
一瞬の静寂。
ふぅっと息を吐く――瞬間に、斧が閃く。
縦に一撃。かわす。次の攻撃。かわす。
当たることはない。
振る前から見えている。
その合間に、小手を、面を、胴を斬り込む。
だが、どれも刃が止まる。
硬すぎる。
(そんな逸話を持つ英雄とか――あるのか?)
不死身。聞いたことがない。
そもそも、他の県の逸話なんてほとんど知らないが、不死身の伝説で心当たりがあるのは、人魚の肉を食べたとかいう話くらいだ。
攻撃をかわしながら、晴彦は思考を巡らせた。
男は、どこか楽しそうに笑いながら斧を振るっている。
「剣豪の誰かかっ? 技術はあるけど、威力が足りねぇな!」
挑発混じりの声。
心外だ。そっちが硬いだけだ。
人魚伝説。八百年生きた女の伝説。
違う。不死身に気を取られるな。
こいつの根本はそっちじゃない。
怪力。斧。尋常じゃない肉体。
『強い能力には、必要な条件が二つある』
琴の声が聞こえる。
そうだ。こいつは強い。
きっと誰もが知っているような――
「――金太郎っ!」
その名を叫んだ瞬間、男がにやりと頬をゆがめた。
「ご名答!」
斧が地面を叩き、爆音が森を震わせる。
晴彦は大きく後方へ跳ね、間合いを取った後、肩で息をつく。
思考と緊張が、全身を鉛のように重く感じさせた。
土埃を払うように、男は斧を肩に担いだ。
その顔に、子供のような無邪気な笑みを浮かべて。
「石渡大智。神奈川出身だ。正直、県の逸話とかって言われても金太郎くらいしか知らねーんだけどな、これが」
二ッと歯を見せる。
「……だが十分、最強だろ? この知名度!」
確かに。
「神奈川県……か」
晴彦はつぶやいた。
――相手の出身が分かれば、有利になる。
琴の言葉が頭の奥でよみがえり、晴彦は顔をしかめた。
「正直、他の県の特徴なんて、なんも分からん」
誰に向かっての言い訳だったのか。
だが、おおよそ独り言に近かった言葉に、大智が、お、と嬉しそうな顔を浮かべた。
「おおお、お仲間じゃねーか! 良かった、俺だけじゃなかったんだなっ! 他の奴ら、なんであんなに詳しいんだろうなっ? 不思議に思わねーか?」
大智はあっけらかんと笑う。
その笑顔は、本当に普通の、どこにでもいる高校生が浮かべるような――。
晴彦の胸が、ずきりと胸が痛んだ。
その笑顔を見ただけで、わかった。
――多分、こいつとは友達になれた。
そういう奴だ。こんな状態でなければ。
「じゃあ、次は俺の番だな」
大智が腕を組み、どこか楽しそうに考え込む。
「とんでもない剣豪だってのは分かった。つまり、お前の正体はー、宮本武蔵だろっ!」
びしりと指を突き付けてくる。
「……ノーコメント」
「なんだよ! お前ずりーぞ!」
「名前だけは教える。……晴彦だ」
「お、晴彦か。よろしくな!」
緊張と笑いが入り混じる、奇妙なやり取り。
それが、心の靄を強くする。
だが、小さく首を振って、払う。
刀を中段に構えたまま、晴彦は頭を巡らせた。
実のところ、晴彦は特定の人物を意識しながら戦っているわけではなかった。
宮本武蔵に関しては、ざっとした経歴は知っていたが、出身地すら詳しくは知らなかった。
さらに言えば、今、思い浮かべている逸話は――刀を使うものですらなかった。
刀が使えるイメージは、勝手に醸成されているだけ。
ただ、その理由には見当がついている。
(待てよ……?)
晴彦は神社で祈祷したときに、その伝承を読んだ。
その中身は――。
『ワラワたちの力は、特定の人物を投影するのではない。逸話そのものを力に変換しているのじゃ。そこを間違えないようにな』
琴の声が脳裏に鮮やかに聞こえてくる。
目の前の相手は、金太郎そのものを投影している。
確かに強い。
なにせ金太郎。
日本に住む人間のほとんどが聞いたことのある童話。
正直、細かい話の内容は覚えていない。
熊を投げ飛ばしたとかなんとか。まさかりを担いでるとかなんとか。
だが、思い返せ。
琴の戦いを見たとき、彼女たちはもっと多彩な力を使っていた。
それは、人物の投影だけではない。
「……そうか」
――逸話だ。
琴たちは、逸話の『使える部分』を抜き出して、使っていたのだ。
決して、一人の人物を基に戦っていたわけではないし、そこに固執する必要もない。
晴彦は呼吸を整え、思考を切り替える。
剣術――いや、戦闘技術では、自分の方が上だ。
足りていないのは、ただ一つ。
圧倒的な力。
その力を得るためには――。
一つの像が、静かに晴彦の脳裏に浮かび上がった。
その沈黙を諦めと勘違いしたのだろう。
大智は、ふっと息を吐いて大きく頷いた。
「もう、お前の攻撃が俺に効かねーってのはお前も感じてるはずだろ? 悪いことは言わねぇ。降参しろ。……俺たちの仲間になれよ」
それは多分、善意にあふれた言葉なのだろう。
敵意のない、ただの勧誘。
けれど、晴彦の口は悩むよりも早く動いていた。
「……断る」
理屈で言えば、降参した方がいいのかもしれない。
この先のためにも、その方が賢い選択だったかもしれない。
だが、それでは納得できないのだ。
この場で、一矢でも報いなければ、我慢ならなかった。
大智が短く息を出し、肩をすくめる。
「残念だ。……じゃあ、わりーけど!」
次の瞬間、大地が鳴る。
地を踏み抜くような一歩で、金太郎が突進してくる。
土煙が爆ぜ、斧がギラリと光を帯びる。
大上段に振りかぶる。
振り抜けば、地面に深い穴をあけ、木々をなぎ倒すであろう、その膂力。
――金太郎。
今のままでは、力負けする。
だから、俺は――。
晴彦は刀を地面に突き立て、両手を広げる。
風が砂を巻き上げて渦を描く。
研ぎ澄まされた思考が、周囲の動き全てを把握する。
見える。動きも分かる。
先ほどまでの感覚はそのまま。戦闘術は捨てない。
だが。
ギリ、と奥歯が鳴る。
脈動が耳を打ち、血潮が熱を帯びる感覚。
筋肉がうねり、骨が軋む。
身体がひとまわり、膨れ上がるような錯覚。
俺は――。
昂揚。心の底で、何かが暗く紅く燃え上がる。
どくん、と晴彦の瞳が赤く脈打った。
――鬼になる!




