14話 海の上に立つ
「では、もう一度やってみるかのう?」
パン、と琴が手を叩く。
その音と共に、土中から亡者たちが五体、また現れた。
「今度は、その刀で斬ってみるがよい」
琴からもらった刀をもう一度抜刀して、中段に構える。剣道と同様の姿勢。
だが、なぜだろう。
さっきと同じ状況だというのに、この心の落ち着き具合の違いは。
囲まれているはずなのに、まるでこの一太刀の届く範囲であれば、どのような動きであっても対応できる。そんな確信があった。
だが、そもそも囲まれるままである必要がない。
分かる。
亡者が動き出すその直前。息を吸うと同時に、左足で地を強く蹴り込む。
狙いは正面の一体。
突然の動きに反応が遅れたそいつの、右手を小手切り。そのまま、更に間合いを詰め、したこともない逆袈裟斬り。
右下から左肩にかけ亡者の身体が真っ二つになる。
斬った、という実感が遅れてくる。
人間のような相手を。
胸の奥で、何か大事な線を越えた気がした。
だが、戦いの感覚は続く。
そのまま身体を翻し、隣にいた亡者に向かって大上段から一気に下ろす。
脳天から左右に千切れ落ちるウジの湧いた身体。
桃色の粒子となって消えていく、その合間から残りの亡者がとびかかってくる。
一歩、軽く後ろに飛ぶ。
引き面。一体の攻撃の間合いを外し、その脳天を切り裂く。
そのまま左足でブレーキと共に土を踏みこみ、今度は一瞬で前に出て、出遅れた一体へ一気に間合いを詰める。
相手の攻撃より早く腹を薙ぎ、上半身と下半身を分断させた間から、ちらりと見えた最後の一体の、その喉元に突きを放った。
首に大穴が開いて、亡者の頭が宙を舞った。
「グロいのぉ……」
琴がぼんやりとつぶやく声と共に、一瞬の攻防のさなかで飛び散っていた肉片が、雨のようにあたりに降り注ぎながら、光の粒子となって空へと消えていった。
全て斬った。
だが気は緩めない――残心。
ひゅんと風切り音を鳴らして刀を振り、涼やかな音を鳴らして納刀した。
その瞬間、忘れていた呼吸と汗が戻ってくる。
「はぁ、はぁ。……やった?」
「うむ。一瞬で片付けたのじゃ。見事としか言いようがないのう」
「…………」
返事もできず、呼吸を落ち着けるように胸を押さえる。
だが鼓動がない。その違和感に気づく。
「この身体って疲労とかもしないんだよな? なんで、息が荒いんだ?」
純粋な疑問に、ふむ、と琴が言う。
「脳の緊張感は、現実と変わらんからな。お主は今、人型を初めて斬った。無視していた感情が脳に負荷を与えておるのじゃろう。現実世界の晴彦の身体は今、物凄く呼吸をしているのかもしれん」
そう言われると、少し気になってくる。
「その……現実世界での、俺の身体って、今、どうなってる?」
「彩音さんがちゃんと運んでくれていたら、たぶん、ベッドで寝ているじゃろ」
なるほど。
そういえば、琴が一緒に寝るかと聞いてきたことを思い出す。
この少女は無邪気なのか、羞恥心がないのか、よくわからない。
そんな晴彦の内心に気づきもせず、琴は大きく頷いた。
「晴彦の動きを見る限り、接近さえすれば、ワラワにもその一太刀、届き得るかもしれんな。これは中々、とんでもない剣豪が生まれたものじゃ」
コロコロと嬉しそうに笑う顔に、晴彦は少し照れを覚える。
じゃが、と琴はにやりと笑った。
「そうなれば当然、相手はお主を近づけんように立ち回る。遠距離からの攻撃も増えるじゃろう。……そうじゃな。一つだけ対応できるようにしておくか」
「対応?」
「海の加護じゃ。これを覚えておけば、圧倒的不利に落とされることは少なくなる」
「……海の加護か。あの、水の上に立つ奴だろ?」
「そう、それじゃ」
「どうすればいいんだ?」
晴彦の問いに、琴はにこりと頷く。
「加護を得るのは簡単じゃ。祈れ」
そういって、パンと琴は両手を合わせる。
「水を召喚するのは難しい。お主にこれができろとは言わん」
にやりと笑うと、途端に彼女の周りから水が大量にあふれてくる。
さっきの戦闘でも経験した、この唐突な洪水のような水の勢い。
一瞬で、腰まで水に満たされる。
「祈るって……どう祈るんだよっ?」
「普通に祈れ。自分の県を信じて。ほれ、こうして手を合わせてな。祈りの基本じゃぞ?」
水にもまれながら、晴彦は言われた通り、手を合わせる。
「自分の県に海があるのじゃろ? それを信じよ。海は自分の味方だと」
海は、自分の味方。
言わんとすることは分かる。
だが、水の上に立つという現象が、理解を超えている。しかし、それをさらに超えて信じろということなのだろう。
さっきの時と違い、水かさがどんどんと増えていく。もう胸まで来ている。このままだと、飲み込まれる。
まずい。必死さが足りないのか。
晴彦は目を瞑る。
海は自分の味方。
そうだ、俺の県には海がある。
それは紛れもない事実なのだから。信じるも何もない。
祈る。味方をせよ、と。
一心に念じた。
その時、ふわりと身が浮いた気がした。
「よいぞ。その調子じゃ」
琴の励ましが聞こえる。
その言葉を頼りに、強く祈りを込める。
ぐん、と身体が大きく浮き上がる感触。
気づけば、水が身体を襲う感触が消えていく。
代わりに感じたのは、揺れる足元の感触。
波の上に立てれば、こんな感じかもしれない。
そんな感覚と共に、晴彦は目を開いた。
「うわ……」
不思議な光景だった。
目の前の少し先の水面に、巫女姿の少女が立っている。
黒髪は波風に揺れ、巫女服の裾もはためく。
幻想的な水の巫女。
彼女の足元の水は、うっすらと薄緑に輝いていた。
周囲を見渡せば、水の広がりは、横手に見える森の木々の根元を飲み込んでいる。木々は波濤と飛沫を受けてなお、それでもまっすぐ立っていた。
荒れ狂う水面の波は高く、足元が不安定に入り乱れる。油断すると酔ってしまいそうだ。
だが、それ以上に晴彦は自身が水の上に立つという奇跡に、目を輝かせた。
「……できた?」
「うむ。できたのう。やるではないか。晴彦」
琴の明るい声音に、大きく息をつきながら、晴彦は微かに笑った。
「晴彦は呑み込みが良いのう。まあ、土壇場で選ばれる選定者は、基本的に龍脈との相性自体は良いじゃろうからな。足りないのは、あくまで時間と知識ということか」
「それは……褒めてくれてるのか?」
「もちろんじゃ。……しかし勿体ないのう。お主が、もっと自身の出身地への知識があれば、色々とできることは増えたのじゃが」
「それは……そうだけど」
晴彦は苦笑いを浮かべる。
確かに、出身の土地だというのに、特にその歴史や逸話などに興味を持っていなかった。
同級生の中にもそんな奴はいなかったから、当たり前と言えば当たり前なのだが、こんな状況になると、なぜ興味を持たなかったのか、悔しく感じる。
琴は、教師のように水の上をしたり顔で歩きながら、人差し指を左右に振った。
「それに、海の加護を得るのに、あんなに時間がかかっていては、実際の戦闘では役に立たんから、気を付けるんじゃぞ? 心の底から信じること。それが加護を得る際の秘訣じゃ。……あとは、慣れ、じゃな」
琴はにこにこと笑いながら、もう一度、パンと手を合わせる。
すると、琴の足元に輝いていた薄緑の光が消え、荒れ狂うように湧き出ていた水が目に見えて減り始めた。
「この召喚された海……でいいのか? こんだけの水、どうなっていくんだ?」
「しばらくしたら、消えるのじゃ。召喚したものは大体そういうもんじゃ。ある程度距離を置いたら龍気になって消えていく」
ざあ、っと広がっていく海の先を指さしながら琴は言う。その言葉通り、流れて広がっていくはずの海は、ある距離より先で桃色の光の粒となって消えていた。
「ああ、あの時の鵺が消えた理由は、それか」
「そういうことじゃな。召喚されたものに手も足も出ん、となったら、逃げるのも手じゃ。術者から一定以上の距離にはこれんからのう」
言っている間に、足元の海そのものが光の粒となり消えていき、二人は地面に立った。
「さて、おおよそどのように戦えばよいか、見えてきたじゃろう?」
「ああ。俺の剣技……って言っていいのか分からないけど、これなら、多少は戦えるってことだよな」
「うむ、そうじゃな。きっと、お主の元々の剣道の実力と、逸話がきっちりはまり込んでおるのじゃろう。とにかく、お主は近づくことを優先するが良い。近づけば、そうそう遅れをとることはないじゃろう」
そこで、少しだけ悩むそぶりをしてから、琴は続けた。
「じゃが、一つだけ覚えておくがよい」
「なにを?」
「ワラワたちの力は、特定の人物を投影しているのではない。逸話そのものを力に変換しているのじゃ。……そこを間違えないようにな」
琴の言った意味を理解しきれず、晴彦は一瞬考え込む。
「それって、ど――」
尋ねようとした、その時。
ドス。
という低い音と共に、琴の左胸から、唐突に矢が生えた。




