10話 お勉強の時間だ
琴は、熱そうなお茶を一口飲みながら、尋ねる。
「晴彦。お主、現実世界ではどのような感じで能力に目覚めた?」
「能力っていうか……。俺は剣道が強くなったんだ。それも、なんか急に」
元からある程度の実力はあったと思う。だが、高校での剣道は、これまでとは全く手応えが違った。
「なるほどのう。剣道か。……剣豪か何かの逸話のある所、ということかの?」
琴が、ふーむ、と首を左右にゆらゆら揺らしながら考え込む。
「……では、ざっくりと話をしていこうか」
琴は湯飲みを置いて、ビシリと一本指を立てた。
「まず大前提。能力とは本当に千差万別で、何かルールがある、と考えるのは本来間違いじゃ。これを心に留めておくがよい」
「あ、ああ」
「その上で、あえて能力の使い方に区分をつけるとするのなら、四つに分けられる」
琴の白い指が一本、上を向く。
「召喚、憑依、術式、そして加護じゃ」
四つの指が立つ。
「召喚は、見たであろう?」
「あの、鵺を召喚したりしたやつか?」
「そうじゃ。他にも、河童を出したり、海を出したり、壁を出したり。とにかく、もっとも汎用性が高い能力じゃな」
先ほどの戦いの光景が頭に浮かぶ。
「……あんなの、俺にできるのか?」
「ふむ。基本はイメージできるかどうかじゃ。どこの土地でも、探せば妖怪伝説の一つや二つは眠っておる。じゃが、その姿がイメージできるか、そしてそいつがどのような動きをするのか、そういう深い理解がなければ召喚しても碌に動かん。案外扱うのは難しい技術じゃな」
そう言って、琴は晴彦を流し見た。
「晴彦。お主、自分の県の妖怪は知っておるか?」
「いや……知らない」
ついこの間まで、普通に暮らしていたのだ。妖怪などに興味を持つこともなかった。
「まあ、そうじゃろうな。『召喚』というのは、知識が重要になる技術じゃ。今すぐに晴彦が使うというのは難しい」
「なるほど……」
少し残念に思いながら、晴彦は手を見る。
琴は、大丈夫じゃ、と続けた。
「物体の召喚だけなら晴彦でも、すぐにできる。この小屋も晴彦が召喚したようなもんじゃしな」
「そうなのか?」
「うむ。まあ、それは追々にしよう。ともかく今はざっくりと話を進めるぞ」
一言置いて、琴は指を二本上げる。
「二つ目は憑依じゃな。これは簡単に言えば、武人などの伝説――要するに人や人神などの逸話を、自身の身に宿らせて再現することじゃ」
琴はにやりと笑う。
「お主は剣道が急に強くなったと言うたじゃろ? おそらくこの憑依の能力を現実で使ったのじゃと思われる。……何か、心当たりはないか? 歴史の教科書とかで、出身の武人の逸話を読んだとかなんとか」
言われて晴彦は自分の行動を振り返る。
高校で剣道部に入る前、神社で祈祷をした。
小さい頃から通っていた神社だったが、それまで気にしたこともない由緒を本当になんとなく読んだのだ。そして、そこで一つの伝説を知り、それが自分の中の知識と結びついた。晴彦は初めて、歴史というものが少しは面白いのかも、と興味を持った。
あの経験は、かなり印象に残っている。久しぶりの価値観の変遷だった。
そして、その後、晴彦は自分でも何かに覚醒したのかと思えるくらいに、剣道での動きが劇的に変わった。
もちろん、今日この時まで、二つの事象に関連があるとは思っていなかったが――。
「――そうだな。心当たりは、ある」
でも、と晴彦は首をひねる。指導の先生と試合をした時を思い出す。
「本当に強い人とだと普通に負けた。超人みたいな動きはできなかったな」
「まあ現実なら、そんなもんじゃろう。常人の努力や経験で十分に覆せる。……じゃが、龍脈界では違う」
琴は、持っていた湯飲みを握り込む。湯飲みは輪郭をぼやかして、光がじわりと滲み、やがて桃色の粒となって空気に溶けた。
「そもそも龍脈界での物質は全て作り物じゃ。この身体も同じ。元から現実の身体より強い。力も出るし頑丈じゃ。こんなちんちくりんなワラワでも――」
琴は座布団から立ち上がる。手を上に伸ばし、垂直飛びをする。普通に飛んだように見えたが、そのまま勢いが減らず、天井に手を触れさせた後、すた、と着地した。
「ほれ、届いた」
その光景に晴彦は息をのんでいた。
小学生の女の子がダンクシュートを決めたような感覚。もしくは重力の低い月面でのジャンプのような。手を伸ばした琴が二メートルとしても、垂直跳びで一メートルくらいは飛んでいることになる。
それは、現実から余りにも乖離した光景だった。
だが、思えば清雅も一跳びで、三メートルほど移動していた。河童や鵺などに目を取られていたが、あの動きも、よく考えれば現実では有り得ない話だった。
琴は頷く。
「憑依の能力はこの身体能力をさらに向上させる。憑依させた人物が、人間離れした逸話を持っておれば、なおのことじゃ」
なるほど、と少し納得を覚える。
先ほどの逃げる時、夢中だったとはいえ晴彦の足は普段より速いと感じていた。持久力もあり全力で走り続けても息も切れず、琴を抱きかかえていたのも苦ではなかった。
上を見上げる。天井は高い。これまでの感覚なら、手が届くはずがないと感じる高さ。だが、きっと晴彦も簡単に手が届くのだろう。
「なんだか、感覚、狂いそうだな」
「実際狂うぞ? 現実に戻ると、身体がめっちゃ重たい!――となる」
「……怖いな。油断すると事故にあいそうだ」
晴彦の不安げな顔に、琴は、言い得て妙じゃな、と可笑しそうに笑った。
「じゃが、その感覚のズレというのは極めて重要じゃ。ワラワが今から、バク宙をするから、見ておれ、よっ――」
琴は一声出して、後ろに向かって跳ぶ。ふわりと身体が舞う。高度は十分。違和感のある浮遊。だが、回転が半端だ。頭から落ちそう、というか落ち――。
「危ない!」
晴彦は反射的に座った姿勢から飛び出し、琴の小さな体を横から抱き留め、床の上を滑って減速する。
「何やってんだよっ?」
晴彦の焦りを含んだ大声に、腕に抱えられた琴は少しびくりと身を竦ませた。
「落ち着け」
そう言って晴彦の胸をぐい、と押して琴が降りる。そのまま、背中を向けて言った。
「別に頭から落ちても大丈夫じゃ。痛くもない。この身体が自由落下で損傷するとしたら、十メートルは必要じゃろう」
「だからって――」
「まあ、晴彦が優しいのは、よく分かった」
一つ息を吐いて琴は振り向き、自分の頭を指さす。
「何を見せたかったか、というとじゃな、この身体を作り出したのは脳じゃが、身体を動かしているのは運動神経じゃ。そして運動神経は、身体と違って強くなっておらん」
「……?」
「現実で側転もできんウンチのワラワは、今の身体能力がすごくなっても、側転の感覚が分からんから、ちゃんと練習しない限りできん」
ここが、お主の有利な点じゃな、と琴は晴彦に指を突き付ける。
「お主とワラワが、同じ剣豪と呼ばれる者を憑依させたとしても、晴彦の方が圧倒的に強くなる。ワラワは剣道などからっきしじゃ。剣豪の逸話を宿らせても、多少剣が使えたりするようにはなるが、それを最大限生かすとなると、判断や、反応が足りなくなる」
要するに、と琴はまとめた。
「憑依は自身の肉体や感覚をベースに伸ばすだけであり、思考が別人になるわけではない、ということじゃ」
そう言われて、晴彦は自身の手を見る。
「なるほど。逆に俺は生身で結構戦えるから、憑依との相性がいいってことか」
「そういうことじゃ。ワラワの思うに、晴彦はこの憑依を使って戦うしかないと思うぞ。……ということで、後の二つは巻きで説明していく」
「あ、ああ」
巻きで説明するのか、と晴彦は少し面喰いながら頷いた。




