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龍脈戦儀 ー巫女と刀とヤマタノオロチー  作者: でぐら
巫女と刀と草薙の剣
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1話 日常、行ってきます。


 地が鳴り響き、岩が悲鳴を上げて砕ける。それらを切り裂き、深淵から、神話が地上に形を成していく。


 龍の首。

 爛々と赤に輝く瞳。

 苔の生した黒い鱗。

 その腹は、古の戦場の記憶でも宿すかのように、血の色に染まっている。


 天に昇る龍のごとく、地の底から高く、高く、空へと進む。

 その数は、八。

 それらを纏める胴体が、山の如く現れた。


「ヤマタノ――オロチ……」


 晴彦(はるひこ)は、喉を鳴らして、その威容を見上げていた。


 ついに――ついに『これ』と、自分自身が相まみえる時が来たのだ。

 その巨大さ。面と向かうと、これほどの圧倒的な格差を示してくるのか。


 いつの頃からか、想像はしていた。

 自分自身が、この神威と戦う光景を。

 だが、それでもなお、その威光には身が固まった。


 四十メートルの高さ。幅三十メートル。首は大人が一抱えできないほどの太さ。それが、蛇が身を起こすかのように、直立しながら上へと伸びていく。


 幅広な十五階建てのビルを見上げるのと変わらない。

 それに人間一人が立ち向かう。

 まるで象と蟻だ。

 人はビルに入りはするが、外から破壊を試みはしない。


 それは挑戦ではなく、単なる愚行。

 馬鹿げた話だ。――今から晴彦は、その愚を為そうとしていた。


 地の揺れが収まる。

 最後に、八つに分かれた尾が、地表を蛇行しながら這い、遠くで土煙を巻き上げた。


 その頭頂は、晴彦の視界から外れてもおかしくない。

 だがその高く遠い空の上から、赤く輝く十六の瞳が、確たる意思を持ち晴彦を睥睨していた。

 

 カタカタと、金属が小さくなる音が聞こえて、右手に持った刀が小刻みに震えていることに気づく。


 手が震える。

 やむなし、だろう。


 頼る刀は日本刀。打刀。

 刃渡り六十七センチ。重さ一キログラム。ごくごく一般的な刀。

 どれほどのものを連ねても、目の前の怪物を倒すには、物足りなく見える。


 その刀を左手で握り込み、震えを抑え込む。

 すっと、刀を顔の横に持っていく。

 八相の構え。


 心をまっすぐ、一つに支えて。大きく息を吐く。

 大丈夫。


 ――勝てる。


 この巨大な怪物にも、今の俺なら。

 全力を、尽くしてきた。

 その、これまでの、歩みを信じる。


 彼は、遥か頭上の彼方で、こちらを見つめる相手に、決然と顔を向けた。




  ◆◆





 ――龍脈。


 古代中国の昔より、人々が感じ取ってきた、大地をめぐる見えざる奔流。


 山脈を仰ぎ、森林を見渡し、河川のせせらぎに耳を澄ませる。人は、その美しさに心を奪われるだけでなく、その奥に脈打つ確かな息遣いを見出してきた。


 数千年の時を超えても、その感覚は人々の中で確かな実感と共にあり、ゆえに、風化することなく言葉が残り続けている。


 そして今、科学の進歩と共に、人々は自らの立つ大地が『地球』と呼ばれるひとつの世界であると知った。大陸も海も、山脈も森林も、砂漠ですらも、ひとつの生命体のごとく繋がっている。


 その知識は、脈々と受け継がれた概念に、より鮮烈な意味をもたらせた。

 龍脈とは世界の生命活動。

 灼熱の中心から生まれ出る、世界の脈拍そのものなのだ、と。



 二〇二四年。八月八日。


「――県を代表して、戦いに参加してください」


 六十に近い年齢とは思えぬほど精悍な姿。

 黒々とした髪に、仕立ての良いスーツ。清潔感と誠実感を前面にした男が、静かに深々と頭を下げていた。軽やかさなど一片もない、重苦しい願いに満ちたお辞儀だった。


 ――県知事である。


 晴彦は、その光景を、半分現実から浮いた頭で見つめていた。

 視線を外せば、そこは自分がいつも過ごしている家のリビングだ。

 食卓のいつもの席に座っている母と父と自分に向けて、背後に控える数名の職員と共に、県の長が頭を下げている。この光景。


 場違いというより、もはや現実がねじ曲がったかのような奇妙さだった。


 時折ニュースや広報映像で目にする顔。明るい笑顔を浮かべ『皆さん、県を一緒に盛り上げていきましょう』と語るその人が、今、目の前にいて、人の熱をまとって、真剣な表情でお辞儀をしている。この自分に。


(有名人に会うって、こんな感じなのか?)


 状況に取り残されたような思考が頭をよぎる。

 現実から半歩足を踏み外しているような感覚。ピントの外れた世界の中で、事は、まるで全てを飲み込む渦のように、バタバタと慌ただしく進んでいた。


 剣道の地区大会で、優勝した――と思ったら、県の職員と名乗る人物に声を掛けられ、押し流されるままに話が転がっていく。そして気づけば、県知事に頭を下げられることになっていた。


 あれはまだ、たった一月前のこと。

 その事実が、晴彦の中で、今でも信じられなかった。


 出発の朝。


 二度と来ることはないと思われる県庁の奥まった先にあった簡素な一室。

 金属の脚を持つ、よくある移動式の事務机。その向かいに、田中と書かれたネームプレートを胸に留めた男性が、冷房の効いた室内で晴彦のサインが入った書類を、ぴらりとめくっては小さく頷いていた。


 この件の担当だ。三十を少し過ぎたくらいの、穏やかな顔つきの男性。色々と準備も含め説明を何度もしてくれた相手だ。

 書類をすべて確認した彼は、ことあるごとに繰り返していた同じ言葉を、また口にした。


「いや、本当に助かったよ」


 何度目か分からない。だが、晴彦はどうしても疑念を抱いてしまう。


「あの、本当に俺なんかで大丈夫なんですか?」


 問いかけると、彼は力強く頷いた。


「もちろんだよ。むしろ、こんな急なお願いを聞いてくれて、こちらこそ頭が上がらない。職員全員、感謝してもしきれないよ。お父さんやお母さんにも、本当にご迷惑をおかけしてしまった」

「……それは、俺の責任な気もしますけど」


 晴彦の脳裏にあの夜の家族の姿が浮かんでくる。

 食卓の上に広げられた『極秘』と朱で記された分厚い封筒と、書類の束。

 母は何度も難色を示し、父は腕を組んだまま黙り込んでいた。四つ下の妹は不安そうに、少し離れたソファから様子を窺っていた。あの夜の空気もまた、現実味に欠けていた。だが最後には、母も晴彦自身の言葉と父の同意によって、渋々ながら首を縦に振った。


 もしかしたら、一番強く反対していたのは顧問の先生だったかもしれない。

 ――せっかくインターハイに出られるんだぞ! なんでお前が……。

 お前なら優勝だって狙えた、と悔しげにつぶやく顔が今も脳裏に浮かんでくる。


 大人たちはそれぞれに思惑を抱えていたのだろう。だが最後に出された結論はいつもひとつだった。


 ――晴彦の意思を尊重する。


 それは、ありがたいと同時に、どこか呪いめいた響きを持っていた。


「じゃあ、最後にもう一度だけ、確認するよ」

「はい」

「期間中、相手からの攻撃、妨害など戦闘行為がある。本当に……そういうの、平気だよね?」

「ええ。剣道やってますから」


「人が死んでしまう様に見えることとか、自分が殺してしまう様に見えることが、どうしても起こる。でも、それは現実には起こっていない『現象』だ。だから安心してほしい。ただ――そういう場面を目にするのは、大丈夫? ホラー映画、楽しんで見られる?」

「たぶん……大丈夫だと思います。ホラー映画はあんまり見ませんけど」


「うん。でも、トラウマになる人が時々いる。もちろん、実際に体験してから、やっぱり無理だったって分かっても構わない。その時は期間中でもやめてもいい。いいね? 絶対に無理はしないで」

「はい」


 親と共に読み通した書類にも、同じような注意事項が記されていたことを思い出す。

 精神に異常をきたし、入院を余儀なくされた――そんな事例が、事細かに示されていた。


 龍脈の中に構築された、現実から隔絶された世界で、戦闘行為を行う。


 そこで説明されていたのは、漫画やアニメの中で描かれるような荒唐無稽な事ばかり。それらを淡々と説明する硬い役所言葉。


 そんな奇天烈な文書を読んで、晴彦は一つ法則を知った。

 現実味の無い事柄を、現実味たっぷりの退屈な文章で提示されると、冗談なのか、真実なのか、判別できなくなる、という法則だ。


 今でも、少々思っている。

 どこか廊下の片隅の見えない暗がりから『ドッキリ大成功!』と書かれた看板を掲げた人が、バラエティ番組よろしく飛び出てくるんじゃないか、と。


 最後に、お願いします、と一礼を受け、案内されて県庁の出口へと向かう。

 自動ドアが開いた外には、母と妹が待っていた。出てきた晴彦に気づいて、母が、リュックを両手で提げたまま近づいてくる。


「ハル。本当に、大丈夫? 洗濯はちゃんとしなさいよ? 荷物なくしたりしないでね?」

「大丈夫。中学の頃は、夏休みの合宿なんてよくあったじゃん」

「そうだけど、久しぶりだし、さすがに二週間なんて……」

「心配しすぎだって」


 着替えの詰め込まれた黒のリュックを受け取り、晴彦は呆れたように笑った。


「いーなぁ。ハルにいだけずるい。淡路島ってどんなとこなの?」

「俺が知るかよ」


 妹の気楽そうな言葉に気の抜けた返事をしながらリュックを背負う。

 隣では田中が母と大人同士のやり取りを始めていた。

 しばらくかかりそうだ。間が空いた晴彦は隣の妹を見る。二つ結びの黒髪の先をつまらなそうに弄っていた妹は、その視線に気づくと、唇を尖らせて何かを握りしめた手を出してきた。


「これ」

「なに?」

「お守り」


 晴彦の出した手の平の上に、ぽと、と落とされたのは赤い布袋のお守りだった。正面には、ひらがなで『えんむすび』と書かれてある。


「……なんで縁結び?」

「かわいいじゃん。ひらがなだよ?」

「普通は、厄除けとかだろ?」

「うるさいなぁ。かわいいから、いいじゃん」


 はは、と呆れながら、晴彦はそれを黒いジーンズのポケットにしまい込む。


「ありがとう」


 思いがけない小さな贈り物に、少しだけ胸が温まる。そうしていると話し終えた田中が再び先導を始めた。

 歩いて数分もかからない。庁舎を出た先に待っていたのは、黄色いタクシーだった。


「では、ここから駅まではタクシーで。そのあとは新幹線に乗って三宮駅にて淡路島行きの高速バスに乗り換えてください。淡路島に着いた後は、書類の指示通りにお願いします」

「はい」

「ハル、書類持ってる?」

「大丈夫。スマホに入れた」


 母にそう言ってサイドポーチからスマホを取り出すと、ロック画面に通知が一件。


『頑張ってこい』


 仕事中の父からの短いメッセージ。

 胸の奥がむず痒くなる。ほんの一言なのに、不思議と重たい。


 その時、タクシーの自動扉が静かに開いた。出発だ。


「行ってらっしゃい。風邪ひかないでよ?」

「お土産も忘れないでねー」


 母と妹がいつも通りの声音で言う。そのすぐ後ろで、田中が深々とお辞儀をしていた。


「じゃあ、行ってきます」


 晴彦は目を細め、家族に向かって手を振って、タクシーに乗る。

 ドアが閉まる。その音がやけに大きく聞こえた気がした。それは、晴彦にとって日常の扉が閉じた音のようにも思えた。


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