愛するN
【これまでのあらすじ】
ドーナツ・トランペットの望みはただひとつ――王様になること!
リブの協力とタイムリープで暴動を止めたドーナツ。
三日三晩の逃亡を終え、やっとシャワー……のはずが、クイーンズの団地のババアから緊急招集!
ハンバーガー101個のタイムリープで、ドーナツはハチャメチャな人生を駆け上る!
「ドードーちゃん、大変よ!」
白いキャデラックから降り立った途端、ババアが、プエルトリコ訛りまくし立ててきた。
相変わらずのアフロヘア、浅黒い肌、濃いメイク。ケツがはみ出るようなホットパンツに、ピンクのスパンコールサンダル。
全くもって好みじゃない。
「前に言ったでしょう、隣の男がヤバいって。ウチのベティーちゃんを殺すって脅してたの。そしたら、今朝からベティーちゃんの姿が見えなくて! 今すぐ、隣の部屋を調べて頂戴」
「それが、アンタの言うトップシークレットか……?」
暴動騒ぎで疲れ切った俺は、怒りでシャツを引きちぎりそうだった。ちっこいマルチーズが消えたってだけで、わざわざ王を呼びつけたのか?
ババアは、興奮したように鼻を鳴らした。
「もちろん、それだけじゃない。あの男――ヤバいわよ」
「ヤバいって、何がどうヤバいんだ?」
「ヤバいものはヤバいのよ」
「……理由はないってことか?」
「女のカンね」
今度こそ、俺は雄叫びをあげてシャツを引きちぎった。心の中で。俺のシャツは高級ブランドの超一流品だ。イカれたババアのために引きちぎるには惜しい。
「そもそも、ウチのアパートはペット禁止だ!」
車に戻ろうと、キャデラックのドアに手をかける。次の瞬間、壊れたバイオリンのような悲鳴が俺の鼓膜をぶち抜いた。ババアが叫んでいる。さらにババアは叫んだ。
「ベティちゃんを探してくれないなら、叫び続けてやる! 近所からクレームが来ても、警察が来ても、このアパートから誰もいなくなるまで、叫び続けるわよ!」
インターフォンを押す。
だが、ババアの隣の部屋は静かなままだった。
当たり前だ。もう昼の12時近く。まともなの勤め人なら部屋にいる時間じゃない。
入居者名簿によると、住民の名はラビット・ポークビッツ。郵便局勤務らしい。
「いないぞ」
やれやれ。これでお役御免だと帰ろうとしたが、ババアは納得しなかった。
「今日は休みのはずよ。さっきまでテレビの音が聞こえたもの」
「でも、出ない」
「管理会社なら、鍵を持ってるでしょ? 部屋の中を調べて」
「出来ない。俺が訴えられる」
「ベティちゃんは、朝ごはんも食べてないの。それを夜まで放っておけって? そんな酷いことを言うなら……」
ババアが思い切り息を吸い込む。
耳を塞ごうとした時、インターフォンから小さな声が聞こえた。
「はい」
俺は、あわてて応えた。
「トランペット・オーガナイゼーションだ。犬を探してる」
「犬?」
「隣の犬がいなくなった。部屋を調べさせてくれ。すぐに終わる」
しばらくして扉が開いた。
犬を殺すと脅したと聞いていたから、どんなマッドな野郎が出て来るのかと思いきや、中肉中背、いたって平凡な大人しそうな男だった。
右手を、パーカーのポケットに突っ込んでいる。名前の通り、キャベツか人参しか食っていないようなウサギ野郎だ。でかい二本の前歯もウサギくさい。
「犬なんて、いませんよ」
ウサギ野郎は、右手をポケットに突っ込んだまま、迷惑そうに俺を部屋に通した。マナーはなってないが、いきなり部屋を調べさせろと言われたら腹も立つだろう。
部屋の中は、リビングもキッチンも、こざっぱりと片付いていた。
「綺麗に使っているな。実によろしい」
部屋を借りる中には、酷い状態で部屋を使う連中も多い。管理会社として、こういう店子はありがたい。次の契約も更新させてやろう。ちゃんと働いて、家賃を滞納しないなら。
「仕事は? 休みか?」
「ええ、まあ。昨日は色々と忙しくて」
「そうか。いつもは真面目に働いてるってワケだな。ん……?」
便箋が一枚、棚の下からはみ出しているのが見えた。
何かのはずみに落として、忘れているんだろう。せっかくのこざっぱりした部屋が台無しだ。俺は、便箋を拾おうと手を伸ばした。
だが、俺より先に、ウサギ野郎が慌てて便箋を拾い上げた。
『愛するN』
はずみで書きかけの宛名が見える。
子供みたいな下手糞な文字だ。
俺は笑った。
「ラブレターか?」
ウサギ野郎は、心なしか顔が赤くなっている。
「まあ……俺の手紙を待ってるんで」
「愛するNは、ナンシーか? ナタリー? それともナイジェル?」
ウサギ野郎は答える代わりに、大きな前歯を覗かせて薄ら笑いを浮かべる。お世辞にもハンサムとはいえない顔に俺は哀れになった。実際、こんな平凡な男からの手紙を待つ女なぞいないだろう。鼻紙にでもされるのがオチだ。
俺はウサギ野郎の肩を叩いてやった。
「フン。まあ、頑張れ」
黙っていても女が寄ってくる俺を、俺は神に感謝した。
「犬はいなかったぞ。そもそも、このアパートには犬がいないのが正解だ!犬と暮らしたきゃ、橋の下でも掘っ立て小屋でも、さっさとどこへでも出ていけ!」
俺はババアに言い捨てると、マンハッタンのアパートに戻った。
今度こそ、シャワーを浴び、三日三晩ぶりに、清潔なベッドへ入る。俺は、よろよろと服を脱ぎ、シャワーの蛇口に手を伸ばした。
次の瞬間、またも電話が鳴った。
「ドーナツ! ババアが大変なことしやがった――!」
地獄の悪魔が、またも俺を呼んでいた。




