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強欲妹には制裁を!

作者: にゃみ3



 昼下がりのティータイム。

 陽光がテーブルクロスのレース模様を柔らかく浮かび上がらせる中、ロレッタ伯爵家の美しい庭園では、二人の姉妹が向かい合う形で座っていた。


 血の繋がった実の姉妹にも関わらず、二人の間に親しげな雰囲気は一切ない。

 長方形型の大きなテーブルを隔てた二人は、似ても似つかない顔立ちを合わせ、揃いの水色の瞳を向けあっていた。



「フェリーチェ・ロレッタ……花のように美しいお姉さまにピッタリな名だってバカな男共は言ってるけれど、お姉さまには贅沢すぎる名前よね」


「……突然、どうしたの?」


「うーん? ちょっと考えていたの。名前の由来とか、そういうこと」


「それはまた唐突ね」



 それを言うなら、リリィ・ロレッタ――百合の花のように清く、気高く育つようにと名付けられたあなたは、どうしてそんなにも性根が真っ黒く育ったのかしら?


 そんな皮肉を喉の奥で噛み潰しながら、私はそっと視線を逸らし、紅茶の入ったティーカップに口をつけた。


 花のように美しいフェリーチェ・ロレッタ伯爵令嬢。それは、私の社交界での異名。

 元々、「花のように美しい」という異名は私の母のものだった。

 ロレッタ伯爵夫人。花のように美しく、可憐なる少女――だった人。


 私に、とても優しくしてくれたお母様。


 まあ……それはあくまで、過去の話だけれど。


 始まりは、ほんの些細な出来事だった。

 私が十歳になったばかりのある朝。父が珍しく食卓につき、家族全員で朝食を取ることになった。


 酒の匂いを纏った父は強引に私の手を取ると、当主である伯爵から最も近い位置、つまりは夫人である母が座るべき席へ座らせた。


『どういうことですか? あなた。どうして私の席にフェリーチェを座らせているのです』


『私は美しいものが好きなんだ。私の傍には、いつだって美しい花を飾っていなくてはな。まったく、歳を取るとこうも変わってしまうのだな』


 父は娘の私を部屋に飾る花にたとえ、母は私をひどく睨みつけた。


 両親が言い合いをする中、私は口を閉ざし、机の下で自身のドレスのスカートを強く握りしめていた。母が私に似合うと選んでくれた、華やかな色のドレスを。


 それからというもの、父はますます家に戻らなくなり、母は私に対して冷えた目を向けるようになった。


 どれだけ笑顔を作っても、どれだけ褒め言葉を並べても、お母様の目には私は「敵」にしか映らなくなった。


『フェリーチェ……あなたはもう少し慎ましくなるべきね。それに比べて、リリィは本当に良い子だわ』


 私を下げるためにか、妹のリリィをひどく可愛がるようになった。



「ちょっとお姉さま? 何をボーッとしているの? 私の話聞いてる?」


「え……ああ、ごめんなさい」



 リリィの声でハッと意識を取り戻す。

 考え事をしていたせいか、リリィの話を全く聞けていなかった。


 自分の話を聞いていなかったことが腹立たしいのか、リリィは不機嫌そうに眉を寄せる。



「はあ……マヌケなお姉さま。そんなんだからお母様に嫌われるのよ」



 馬鹿にするような口調。けれど私は、それに反論する気力も湧かなかった。



「自分によく似たお姉さまのことよりも、お母様は私のことを可愛がってくださる。わかるでしょ? この家でお姉さまがどれだけ邪魔な存在なのか」



 よくもまあ、そんな言葉が口にできるものだと思う。


 そんなこと、あなたに言われなくても十分に分かっているわよ。


 お母様は、“母”であるよりも“女”であることを選んだ人。私を目障りな存在として扱い、醜い娘を傍に置いて安心するような人。


 心の中では冷たい怒りが小さく燃え続けているのに、私はそれを表に出すことすらできなかった。



「黙りこくっちゃってバカみたい。悔しいなら、留学中の婚約者に泣きついてみたらどう?」



 リリィが口にした「婚約者」とは、隣国サルデリア王国にあるアカデミーに入った私の婚約者――ヴィクトル・シルヴィア公爵令息のこと。


 私よりもデビュタントが遅かったリリィは、ヴィクトルに一度も会ったことがない。


 貴族の娘はいずれ他の家に嫁いで行くもの。

 祖父同士が友人だったとのことで縁があり、私は公爵家の跡継ぎであるヴィクトル公子と婚約を結ぶことができた。


 左薬指で光る婚約指輪は、私にとっての救い。

 その救いがあったからこそ、この地獄のような家で生きていることができた。


 私が姉だからとか、そういう単純な理屈ではない。

 私には救いがあったから……。


 

 それから数日後、リリィが家出をした。

 その知らせは屋敷中を一時騒然とさせたけれど、特別驚くことはなかった。お転婆な妹はいつだってトラブルの中心にいるから。



「奥様、お嬢様、リリィお嬢様がお帰りになりました」



 そしてひと月もしないうちに妹は帰って来た。

 元々些細なことがきっかけなだけあって、羽を伸ばしたリリィは満足したのだろう。

 到底家出帰りの娘とは思えないほど、機嫌そうな様子で帰って来たリリィは満面の笑みを浮かべ、言った。



「お母様……私、ヴィクトル様と結婚したいわ!」



 数名の護衛騎士と侍女を連れて「旅行」と称した家出を起こした妹は、開口一番、そんな爆弾を落とした。



「お母様もお姉さまも酷いわ! どうして彼があんなに素敵なお方だって教えてくださらなかったの? ヴィクトル様も私と同じ気持ちよ。私がコルデリアに着いて、すぐに彼が私に会いに来てくださったの!」



 両手を胸の前で合わせて、頬を染め、夢物語を語るかのように話すリリィ。



「リリィ……あなた、自分が何を言っているか分かっているの?」


「もちろんよ、お母様! あのね、ヴィクトル様がね――」



 帰って来て早々、乙女のように口を動かすリリィに呆れたように頭を押さえたお母様は「話はまた明日聞くから早く部屋に戻りなさい」と、ため息交じりに言った。


 結婚前、それも婚約者も居ない令嬢のリリィが家出をしたことに叱るわけでもなく、人の婚約者を欲しがるリリィに叱ることもなく部屋に戻って休めと言ったお母様。


 まったく、どれだけリリィに甘いというのだろう。

 それとも、母が私に特別厳しいだけで、普通の母親というものはこんなものなのだろうか。



「ねえ、お願いお姉さま。私にヴィクトル様をちょうだい?」



 翌朝、私の自室まで一人で訪ねてきたリリィは頬に手を添え、甘えるようにこてんと首を傾げた。


 昨夜の出来事が夢であってくれたなら……そう願ってはみたものの、現実はそう上手くいかない。



「リリィ……彼は物ではないわ、一人の人間よ。あげるとか、欲しいとか、そんなふうに言ってはダメでしょう」


「そんなこと分かってるわよ! でもお姉さま、私たちは姉妹な訳だしどっちが嫁いでも同じだと思わない?」


「……いくらなんでも勝手すぎるわ。リリィ、あなたの我儘は限度を越してる」


「お姉さまが頭が固すぎるだけでしょ? いいじゃない。お姉さまはこの伯爵家の長女なんだし、婿を貰えばいいでしょう?」


「お父様は昔から、私たち姉妹にではなく叔父さまに家を継がせると言っているじゃない」


「ああ……あの私たちとそう歳が変わらない、混ざりモノの?」


「……リリィ、その言い方はあんまりよ」



 お祖父様と、かつて仕えていた平民のメイドの間にできた子供。つまりは父の腹違いの弟であり、私にとっては若い叔父にあたる人物。


 貴族の血に、平民の血が混ざった混ざりモノ。貴族至上主義のこの貴族社会において、異様な呼び方をし区別することは当然のようなものだった。



「お父様は叔父さまをとても可愛がっているし、彼はとても聡明な人。私も、叔父さまがこの家を継ぐことに賛成よ」


「ふーん? でも、どれだけ優秀でも結局あの人は半分平民の混ざりモノなんだから、長女のお姉さまが当主になりたーいって駄々をこねたら、家臣たちも頷くと思うけど?」



 まるで人形遊びのように、他人の運命を指でつまむように語るその甲高い声。

 私は胸の奥で、何かがひどく冷えていくのを感じていた。



「……もう、下がってちょうだい」


「まあ、結局お姉さまの一存だけでは何も決められないものね。いいわ、お父様が帰ってきたら直接私が話してみるから」



 リリィは踵を返すと、こちらに背を向けた。



「ああ、それと……」



 やっと帰ってくれるかと思い一安心だと肩の荷を下ろそうとすると、リリィはくるりと振り返り、軽く口角を吊り上げて笑った。



「お姉さまがいつも大事に着けているその婚約指輪。ヴィクトル様は身に着けていなかったわよ?」



 吐き捨てるようにして言い残したその言葉。



「プフッ、可哀想なお姉さま」



 吹き出すようにこぼれ出したリリィの笑い声が、頭の中で大きく響いた。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




「……疲れた」



 ぽつりと不満を声に出し、私は両手で顔を覆った。


 私は伯爵家の娘に生まれたことへ威厳を持つように育てられたし、それなりにこの立場を気に入っていた。


 伯爵家のお姫様。女好きで悪い噂が絶えないどうしようもない父親と、この世の何よりも美に執着し、母であることよりも女であることを選んだ母親。まともに躾もされず、自分の身の丈もわきまえない傲慢な妹。


 色々と訳アリで、問題ばかりな家ではあるが、父は年の離れた弟に爵位を継がせる予定だと言っていたし、貴族令嬢に生まれた以上、私はいずれ他の家に嫁に行くことになる。だから、嫁ぐまでの数年を大人しく過ごすことに努めた。


 ロレッタ伯爵家の平穏を守ることは本当に簡単だった。私が、従順に従えばいいだけのこと……。


 そう思っていたけど、結局はそれすらも無意味なことだった。



「お母様の言う通りですね。私には少し派手すぎました」



 健気に、眉を少し下げて笑う。

 私はあなたに逆らいません。私はあなたにとって無害な存在です。

 そう意味を込めて笑う。そうすれば、お母様は私に笑顔で返してくれた。



「いい子ね、フェリーチェ。それじゃあその髪飾りは妹に譲ってあげなさい」


「はい。リリィ、あなたにあげるわ」


「わあい! ありがとう、お母様!」



 髪につけた真珠の髪飾りを外し、ゆっくりとリリィに差し出すと、まるで奪い取るかのように強く掴み取ったリリィは差し出した私にではなく、母に向かって感謝の言葉を放つ。

 私がお母様の言うことを素直に聞いていれば、私たち家族は上手くやれる。


 ……まだ幼く、無知だった私は、そう心から信じていた。

 

『私、ヴィクトル様のことが好きになってしまったの。あーあ、お姉さまじゃなくて私の婚約者になってもらおうかしら。ねえ、皆さんも良いと思わない?』


 これは、どこの強欲な魔女だろうか? 残念ながら、この女は魔女ではなく、我が家で開いたお茶会でとんでもない爆弾発言をした私の妹だ。


 ポーカーフェイスがお得意な令嬢たちも、さすがに動揺したのか「さあ……」「どうかしら……」と、目を泳がせ、分かりやすく引きつった笑みを浮かべていた。

 

 リリィのとんでもない発言に慣れっこになっている私でも、思わずティーカップを持つ手が震えたのだから当然だろう。

 

 いつものように仕事を理由に愛人にゾッコンになっている愚かな父を除いて、私たち家族三人は朝食を取っていた。話題は、昨日の地獄のお茶会の件だった。



「リリィ、聞いたわよ。あなた、昨日の茶会でヴィクトル公爵令息と結婚したいと言ったんですってね」


「お、お母様……」


「まったく。あの茶会には大事な仕事相手である家の令嬢たちも来ていたのよ。発言には気を付けなさいとあれだけ教えてきたのに」



 いくらリリィを可愛がっていると言っても、ロレッタ伯爵家の娘が姉妹の婚約者を欲しがったとなれば母だって怒るに決まっている。


 お母様に強く言われたリリィは少し不満そうに眉をひそめた。



「ご、ごめんなさい、お母様……」



 少々心配はしたが、母がきちんとリリィを叱っていることに少し気持ちが落ち着いてきた。

 いくらお母様だって、踏み越えてはいけないラインをきちんと分かって……。



「それで、フェリーチェ。どうするの?」


「……はい?」


「だから、どうするのかと訊いているのよ」



 母の言葉で私の思考はピタリと止まった。お母様の言葉がまるで理解できない。


 どうするって、何? この話にどうするもこうするもないでしょう?



「はあ……あなたはそんなにもマヌケな子だったかしら。妹が可哀想だとは思わないの? あなたがしっかりしていないから、リリィが恥をかいたじゃない」


「マヌケ……私がですか?」


「あなた以外に誰がいるって言うのよ。まったく……」



 嫌悪の目で私を見つめたお母様は、呆れたように溜息をついた。

 


「お姉さま……それ、綺麗ね」


「…………」


「でも、お姉さまには少し派手すぎると思わない? ねえ、お母様」


「ええ、確かにそうね。リリィの言うとおりだわ」



 リリィとお母様の視線が、私の左手へと向く。正しくは、私の左薬指にはめられたヴィクトルと揃いの婚約指輪へ。


 昔から、リリィは私から物を奪うときはいつだってこうだった。美しい、綺麗だと褒めて、母から賛同を得る。


 たったそれだけのことで、私はいつも笑顔でなんだって差し出してきた。きっと今回もそう思い通りに行くと考えているのだろう。この、私の醜い妹は。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




 そして、後日開かれた社交パーティーでのこと。当然のように母と妹とは別の馬車で会場まで向かった私は、ドレスの裾を掴んで会場の入り口に立った。

 私の入場が高らかに宣言される。私は深呼吸をして、一歩前に足を進めた。

 

 絢爛なシャンデリアの下、貴族たちの談笑が柔らかに響く空間。その一角に――彼女がこちらをじっと見据えていた。私と揃いの、淡い水色の瞳と目が合う。

 


「なっ、なんで、お姉さま……!」



 会場に入って真っ先に目に入ったのは、私と全く同じドレスを身に纏ったリリィの姿だった。



「あら?」



 わざとらしく驚いた素振りを見せ、リリィの元まで歩く。

 一歩、また一歩とコツコツと鳴り響くヒールの音が鳴り、妹の前に立つとピタリと歩を止めた。



「まあ、リリィ。どうしたのよ? その格好……」



 私が何気ない口調で声をかけると、リリィは顔を真っ赤にして言葉を荒げた。



「どうしたもこうしたも……どういうことよ、お姉さま! そんなドレス、朝は着ていなかったじゃない!」



 その声は、会場中に響き渡るほどの大きさだった。一瞬で社交界の華やかなざわめきが静まり返る。視線という視線が私たち姉妹に集中した。



「今朝も言ったけど、私は今日一日体調が優れなかったから夜から参加すると言ったでしょう? だから、今朝のドレスと違うのは当たり前のことじゃない」


「う、嘘よ! だって、お姉さまは今日いつものピンクのドレスを着てくるって……!」


「一体誰からそんな話を聞いたのかは分からないけれど、私は随分前から今日着るドレスはこれにすると決めていたわ。これは、公子様が贈ってくださったものだから。でも……どうしてリリィがそのドレスを?」



 これは偶然のことではない。リリィが勘違いするように、私はリリィの息がかかったメイドに対して、今日は別のドレスを着る予定だと嘘を吹き込んでおいたのだ。


 案の定、その浅はかなプライドと優越感に背を押され、リリィは何の疑いも抱かずに私のドレスを盗み、袖を通してきたのだ。



「それは試作品のドレスじゃない」


「試作品……?」


「サイズ調整とデザイン確認のために仮縫いで用意されたものよ。確かにクローゼットに仕舞っておいたはずなのに、どうして……」



 言葉と同時に、私は自分のドレスの胸元を軽く撫でる。

 上質なサテン地に繊細な刺繍。所々に埋め込まれた宝石が、シャンデリアの光を受けて柔らかく煌めいている。



「お、贈り物があんまりにも多かったから見落としちゃったんじゃないの?」


「え?」


「もう、お姉さまったらそういう抜けてるところがあるんだから。公子様からの贈り物はちゃんと確認しなきゃっていつも言ってるのに!」



 まくしたてるように口を動かすリリィの姿を、私は無言で見つめた。


 私の着ているドレスに比べて、リリィのドレスは……。確かに同じ型紙で作られているものの装飾の一切が施されていない、あくまでも試作品。普通に着れば立派なドレスのはずだったのに、私の着ている光り輝くドレスを前にすると、それは影のかかる引き立て役となってしまっている。


 私は心の奥底で、妹のことを憐れんでいたのかもしれない。

 私が譲り受けた、母の美しい黄金の髪も、真珠のようにまっしろな肌も。リリィは手に入れることができなかった。


 父譲りの栗色の髪と丸みのある体格。リリィが自分の容姿に劣等感を抱いていることを、私はよく知っている。伯爵である父と同じ髪を誇ると言い張りながらも、その実鏡の前でため息をつく姿を何度も見てきたのだから。


 可哀想な子。本当に、哀れで可哀想だわ。

 私の細く伸びた腕より一回り程大きな腕をした彼女のドレスは、今にもはちきれそうになっている。


『うーん、確かにこの計画ならあの子に一泡吹かせてやれそうだけど、肝心なのはリリィが試作品のドレスを盗むかってところよね。……いや、あの子は私の妹だもの。あの子がどうしようもないクズだってことは、姉の私が一番よく知っているじゃない』


 先日の心の内の葛藤を思い出して、思わずふっと笑みがこぼれる。


 やっぱり、私の妹は滑稽で仕方ない。バカみたいに私の思い通りに動くのだから。



「凄く似たドレスだけど……まさか、リリィ嬢が真似したの?」


「待ってください。私、先日フェリーチェ嬢に見せていただいたのですが、あのドレスに首に着けられているルビーのネックレスは……」


「美しいフェリーチェ嬢にはとってもお似合いだけど。リリィ嬢には、ちょっと……ねえ?」



 ふっと視線を逸らして、眉を下げてみる。すると、周囲に居た噂好きの貴族たちは勝手にコソコソと小言を言い始めてくれた。


 

「まさか……あのドレス、姉のものを勝手に?」


「そういえば、前にも似たようなことを聞いたことがありますわ。確か、妹君の方が勝手に――」



 私とリリィの仲が良くないことも、リリィが傲慢な性格で姉から何でも物を奪うということも、噂好きな貴族たちには周知の事実だった。


 そんな背景をよく知る令嬢たちの目が、あっという間に冷ややかに変わっていく。


 リリィの頬が見る間に赤く染まっていく。羞恥と混乱に支配され、何かを言おうと口を開くも、かすれた声は喉の奥に吸い込まれていった。



「ぷふっ……なによ、あれ」



 誰かが小さく、だがはっきりとそう呟いた。その声が火種となり、周囲の令嬢たちは小さく笑いを漏らす。



「盗み着だなんて、みっともないわね」


「フェリーチェ嬢がお気の毒ですわ。あのような人が妹だなんて」



 嘲笑と侮蔑が空気に満ちていく。

 リリィはぎゅっとスカートの裾を掴み、下を向いた。けれど、そのドレスさえ彼女の体格を嘲笑うかのようにひどく不自然に張っていた。



「いい加減にしなさい、二人とも! 何をしているのよ、みっともない!」



 突然割って入った声に、その場が静まり返る。



「お、おかあさま!」


「皆さま、娘たちがお騒がせしてしまい申し訳ございません。よくある姉妹喧嘩ですのよ、オホホ。恥ずかしい……」

 

「フェリーチェ、あなたが居てどうしてこんな騒ぎになるの? まったく……今日の所は帰るわよ」


「何を言うんですか? 私は妹と喧嘩なんてしていませんよ?」



 そして当然のように「娘たち」と、リリィと私を一括りにしたお母様。


 たとえ、すべてを仕組んだのがこの私だったとしても。今、この場で周囲の誰がそれを見抜けようか。


 どう見ても、醜態を晒したのはリリィであり、私はただ巻き込まれた被害者でしかないのに。


 お母様からすれば、きっとそんなことはどうでもいい、些細なことでしかないのだろうけれど。



「……フェリーチェ?」


「何です? お母様。私が何か、間違ったことを言いましたか?」

 


 普段の私なら、きっと母に強く名前を呼ばれるだけで、すぐに萎縮していただろう。だけど、もう私は、以前までの私じゃない。お母様の言いなりになるのは、もう止めるのよ!



「待ってよお母様、私まだ帰りたくないわ! お姉さまにドレスを着替えさせてよ! そしたら全部解決でき……」


「いい加減にしなさい!」


「ひぃっ!」



 母の声に、リリィの肩が跳ねた。



「せっかくの夜会を台無しにする気? いい加減にしなさい。貴族令嬢としての立場を、あなたは理解していないの?!」



 きつく叱責されたリリィは、ただ震えながらスカートの裾を掴み、涙目でワインレッドの絨毯に座り込んだ。



「グスッ、うう、どうしてよぉ……」


「こんなところで座り込むなんて! さあ、早く帰――」



 母の声を遮るように、私は彼女より一歩早くリリーに歩み寄る。そっと膝を折り、同じ高さに視線を落とした。


 この子はどうしてこんなにもおバカなのかしら。どうして世の中の仕組みをわからないのかしら。仮にも、私たちは姉妹なのに。


 私たちって、姿だけじゃなくて中身も全く似ていないのね? ほんと、安心したわ。



「お母様、リリィ、あなたたちって本当にマヌケですね」



 囁くように、けれど刃のように鋭く。

 俯いたままのリリィと、硬直する母の耳元に、しっかりと届くように吐き捨てた。



「は……?」


「フェリーチェ、あなた何を……」



 声にならない驚きがリリィとお母様の口から漏れたその瞬間、私は静かに立ち上がり、声を上げた。



「誰か! 妹を控室に運んであげてください! 間違いを犯したとしても、この子が私の大切な妹に変わりはないのです。誰かお助けください!」




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴



 

 騒ぎが収まる気配はなく、私は静かに会場を抜け出した。

 夜気を含んだ風に誘われるまま、王室の庭園を歩く。整えられた低木の列はどこまでも続き、月光を受けた噴水の水面が、淡く揺れていた。


 さすがは王室の庭園だ。その辺の貴族の邸宅とは、規模がまるで違う。

 

 最後にこの声を聞いたのはいつだったか。ずっと前だったと思う。でも、すぐに分かった。



「……ヴィクトル?」

 


 振り返ると、そこには月明かりを背に男が立っていた。ヴィクトル・シルヴィア。私の婚約者だ。

 


「久しぶりですね、フェリーチェ」


「どうして、どうしてあなたがここに……」

 

「少し、嫌な予感がしたんです。遠く離れた場所で暮らす婚約者がとても心配で飛んできましたが……私の心配は無意味だったようですね」



 ヴィクトルは少し悪戯気にニコッと笑うと、私の頬を左手で優しく撫でた。

 


「指輪……」



 左手。嫌でも、薬指に無い婚約指輪が気になってしまい、声に出す。



「ああ、これですか? 在学中は、無くさないようにこうして身に着けているんです」



 ヴィクトルはそう言って、衣服の襟元に指をかけた。

 次の瞬間、取り出された細いチェーンの先で、月光を受けて小さく煌めいたのは、私と揃いの婚約指輪だった。

 

『お姉さまがいつも大事に着けているその婚約指輪。ヴィクトル様は身に着けていなかったわよ?』


 何だ、そういうことだったのね……。



「フェリーチェ?」

 


 しばらく俯いたまま動かない私を、ヴィクトルが覗き込む。

 


「……逢いたかった。私、すごくあなたに逢いたかったです」

 


 一歩踏み出した私へのご褒美なのだろうか? 月光に照らされて微笑む婚約者へ向かって、私は走り出した。ヴィクトルは何も言わず、当然のように私を受け止め、優しく腕を回してくれる。


 まるで、離れていた時間など存在しなかったかのように。

 夜の庭園には、噴水の音だけが、静かに響いていた。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴



 

 その後、私は一時帰国していたヴィクトルの勧めで、シルヴィア公爵家の所有する邸宅に移ることになった。彼が王国に帰ったのちに正式に結婚することになっているため、花嫁修業を建前に移り住んだ。けれど本当の所は、めんどくさい家族たちから逃げるためだ。

 

 新しい住居での生活に慣れるまでは家族と会うことを避け続けていたが、どうしても一度だけ会いたいとしつこく連絡してくるお母様に、私も話すべきことがあったため、了承した。

 


「もう大変で仕方ないの! 周囲からの視線は気持ちが悪いし、当主様だって私に酷く当たるのよ!」


「まあ、それは大変ですね。お父様と一旦離れるのはいかがですか? お母様の実家に、リリィと二人で帰られたらいいじゃないですか。少し大人しくしていれば、リリィ一人の噂なんてすぐに消えますよ」


「嫌に決まってるでしょ?! あんな田舎に帰るなんて! 私のように美しい女は、首都で咲き誇ってこそなんだから!」


「……お母様、花はいつか枯れるものです。それはお母様が一番よく理解しているのではありませんか?」


「なにを、言って……」


「まあ、花を咲かせることが出来ず、早々に枯れていく花もあるけれど……」



 頭の中でリリィのことを思い出す。



「大丈夫です。私はお母様のようにはなりませんから。お母様のおかげでそれに気づくことができたのですよ。私を産んでくださったことと、その件については感謝しています」



 お父様は私にとっては使える存在だから家を出るまではそれなりに利用させてもらって、シルヴィア家に嫁いでからは縁を切るのも悪くないだろう。もちろん、妹と母も同じことだ。


 結婚相手が見つかるかもわからない妹と、美しさを失い、夫からも見捨てられた哀れな母。二人はこれから、どう生きていくのかはわからないけれど。私には関係のない話だ。



「まあ! フェリーチェ様はとても刺繍がお上手なのですね!」


「人から褒められるのは初めてです。ありがとうございます、先生」



 私は静かなこの家で、いずれ夫となる私だけの婚約者の妻としてふさわしいレディーになれるよう励んでいる。

 


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― 新着の感想 ―
お姉ちゃん強い。 母と妹の末路が気になります。叔父が跡を継いだら追い出されるのでは。
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