5日目:壁と堀と信仰の防衛線
今日、比較的大きな街に到着した。
名前は長く、覚える価値は薄いので割愛する。
街は壁に囲まれていた。
高く、厚く、さらにその外側に水堀がある。
理屈としては「堀が魔物の侵入を防ぐ」とのことだが、空を飛ぶ魔物には無力だし、泳ぐ魔物にはただの道である。
つまりこれは自己満足か、さもなくば民衆の不安を抑えるための催眠術だ。
安心とは「安全であること」ではなく、「安全だと思い込ませること」で成立する。
門番の兵士に通行許可を求めたところ、王家の印章を見せた瞬間に態度が豹変した。
人間の脳は便利だ。
権威に触れた途端、慎重と卑屈を履き違える。
街に入ってすぐに気づいた。
雰囲気が張り詰めている。
祭りでもなく、疫病でもなく、これは恐怖による沈黙だ。
人々は急ぎ足で家に帰り、露店は軒並み閉まっている。
この国の宗教において「聖域」とされる神殿が魔物に占拠されたのだという。
つまり神の家が魔の巣と化したわけだ。
信仰心の強い者にとっては最悪の背教であり、弱者にとっては死の前兆に等しい。
聞き込みによれば、数日前、突如として神殿に禍々しい瘴気が立ち込め、内部に魔物が現れたとのこと。
聖職者は逃げ出し、兵士は手出しを躊躇している。
理由は単純だ。
「聖域は壊せない」という思い込みが、実際の行動を鈍らせている。
つまり、「神殿を守る」という幻想が、現実を化け物に明け渡したということだ。
これは皮肉ではない。
現実である。
少年は黙って話を聞いていた。
拳を握り、唇を噛み、まるで何かに責任を感じているような顔だった。
彼がなぜそこまで背負うのか、わたしには理解できない。
自分が責任を持つべき世界など、誰に与えられたのかも曖昧なのに。
だが、人は「自分が守れるかもしれない」と錯覚したとき、喜んで檻に入る。
それが希望という名の牢屋だ。
明日、神殿へ向かう。
勇者は決意を固めたようだが、決意が勇気と同義だと思っているのなら、それは幻想だ。
決意とは、自分に背を向けることだ。
勇気とは、自分を見つめたまま進むことだ。
そして彼にはまだ、自分というものが無い。
ただ、無いということは、何よりも強いのかもしれない。
空っぽの器ほど何でも入る。
毒も、薬も、神も、魔も。
明日の結果次第で、彼の中に何が注がれるか──観察を続ける。