31日目:森を喰ったもの
朝、貴族の館にて。
白いクロスのかかった長机には、バターを吸いすぎて沈みそうなパンと濃いミルク、そして湯気の立つスープが並べられていた。
一見すれば、旅の疲れを癒す理想的な朝食。
だがその背後で語られたのは、消化の悪い話だった。
貴族の青年は、森の歴史を語った。
「かつて、あの場所はただの信仰の森だった」
静かで、穏やかで、地の精霊と静かに繋がるだけの場所。
だが、あるときを境に森は変質した。
「人を食らう森」
そう彼は表現した。
誇張ではない。
森に入った者は、戻ってこなかった。
救助隊、兵士、野心家──すべて、消えた。
岩場に残された衣服やカバンは、そいつらのものだと彼は言う。
遺体が見つかっていない以上墓を建てることもできず、遺品だけ回収してあのような形にしているらしい。
では、なぜ遺体はないのか?
「森が吸ったのだ」と彼は言った。
人間の身体を、森が吸収した。
にわかには信じがたい。
だが、あの異様な光景を見たあとでは、否定できる根拠もまた持ち合わせていない。
重苦しい沈黙が朝食の湯気ごと空気を覆った。
やがて、それを破ったのは花の魔女だった。
彼女はぽつりと呟いた。
「森が、泣いていたわ」
沈黙。
だが彼女は言い換えるように、続けた。
「正しくは──“あの場所に縛られている精霊が”、かしら」
この言葉に、当主は目を伏せた。
しばらくの沈黙の後、ぽつりと本題を告げる。
「精霊を、助けてやってほしい」
それが、依頼の本質だった。
曰く、彼自身には力がない。
だから力を持つ我々に託したい、と。
なぜこの話を我々にするのか。
なぜ他の者ではなく、今なのか。
問いは尽きないが、彼の言葉には打算の匂いがなかった。
あるいは、それすら無力に削り取られるほど、長く森の変化を見続けてきたのかもしれない。
わたしは、無言のまま少年に目を向けた。
彼は、すぐに頷いた。
そこには迷いも、躊躇もなかった。
明日、我々は森に入る。
今日は、準備のために時間を使う。
森と精霊と、名前を奪われた何かのために。




