スパルタクス軍、北へ
元老院は剣闘士たちを本腰を入れて鎮圧に向かうことを検討しだした。
そのころ、スパルタクスたちは・・・。
<ローマ元老院>
元老院にいる多くの人々は騒然としていた。
スッラの改革によって安定し、強力な体制になったはずのローマに、今脅威が迫っていることを感じていた。
広大になった領土のビティニア属州に進行してきたポントス王国を撃退し、安定化させるためにルクルスを送り出したばかり。
以前より反抗していた西の果てヒスパニアには、スッラ門下の重鎮メテウス・ピウスが相対していたが、攻めあぐねていたがここにも元老院は適切な手を打ち終わったばかりだ。メテウス・ピウスがヒスパニアに行って4年が経過していた。元老院は元老院議員ではないが、スッラ門下の最も有能な司令官ポンペイオスを送っている。
ローマの外に対しては十分な対応だった。
しかし、期せずして起きた剣闘士奴隷たちの反乱は前法務官の軍隊が討伐に向かい、2連続で失敗していた。その結果、剣闘士奴隷たちの名はイタリア半島中に響き渡り、近隣の奴隷、凋落した農民や商人、元に兵士たちまでが合流しだして、一大勢力になってきていた。
その数はすでにして途方もない数の奴隷、農民を糾合して軍隊として機能するだけでおよそ5万人にも及んでいるという。
時の執政官プブリコラは60歳を超えて、初めての執政官になった男だった。やる気に満ちていた。
髪の減ってきた頭を撫でながら、考える。
同僚のレントゥルス・クロディアヌスは名門貴族の生まれで、優雅ではあるがさほどやる気をもっていないことは確かだった。何事において名声を得ようとはするが、地道な作業や大変なことをしたがらない男だった。それにひきかえ彼自身は平民上がりで苦労して苦労してのしあがってローマ最高の権力者、執政官にまで成りあがったのだ。自分に続く者たちのためにも、平民として執政官になった自分が素晴らしい成果をあげる必要があると思っていた。そしてあわよくば、自分自身も名を残したいと思っていた。
ここで、プブリコラは自分と同僚がこの思いあがった剣闘士奴隷達の反乱を制圧するとして、鎮圧にいくことを提案した。
元老院は、現執政官のプブリコラとレンテュルスに2個軍団ずつを持って抑え込むことを承認した。ローマの通常の戦略単位としては最大規模であった。
すぐに軍隊が編成され、プブリコラは南から攻め、レンテュルスは東からと反乱軍を挟み撃ちにすることを決定した。
すぐに執政官の指揮する軍団が驚くべき速さで編成されたが、両執政官の指揮する軍団に新しくなったばかりの痩身の若者の呼び出しはなかった。
<スパルタクスの陣営>
軍隊はスバルタクスが見たこともないくらいの規模に膨れ上がっていた。その数八万と推定される。
小規模の部隊を率いるくらいなら出来ると自負していた長身で焼けた筋肉が盛り上がり深く刻まれた額の皺から彼のたどった道の険しさが感じられる。
大きな色男は、ため息を付いて、軍隊になるために共に進んできた仲間たちを見て言った。
「本当にローマに攻めいるつもりか?クリス?」
クリスと言われた男も大柄で日焼けして黒さが目立つ体躯を持っていた。
黒く日焼けした男はスパルタクスの目を見てただ頷いた。
「スパルタクス、なあ、お前もローマを攻めようぜ。オエノだってそれを望んでいる。」
そういって戦いで散っていった慎重な戦友の名前を出す。
さらに黒く日焼けした大男は、見た目以上に饒舌に口を動かす。
「オエノが死んだ。他にも多くの者たちがローマに奴隷にされて死んだ。ローマのやつらは奴隷を、生きるために生活の道具として奴隷を使うのではなく、自分たちのおもちゃとして殺し合いまでさせてきた。ずっとな。ずっと俺たちは身体も心も殴られ続けてきたんだ。今度は俺たちの番だ。今度は俺たちが殴られ続け痛めつけられた分、ローマ人を殴り続けてやる。すでに集まった仲間は8万人だぜ。」
「ああ、集まった人数はすごいさ。」
「そして、すでにローマの軍隊を俺たちは2度も破っている。」
それでも首を縦に振らないリーダーのスパルタクスに対して、クリスは言う。
「スパルタクス、考えてみろよ。今8万だろ。ローマに近づいてもう1度戦いに勝ったらローマ近郊にいる奴隷たちが全員俺たちの味方になるぜ。10万以上の軍隊になるんだ。そうなればローマに変わって俺たちがイタリア半島もローマの支配地域も抑えることができる。」
「戦いに勝てると可能性は出てくる。しかし、ローマは城壁を持った都市だ。立てこまれると城を攻めた経験がない俺たちは長期戦を強いられるだろう。」
「そうかもしれないが、ローマ市内には俺たちの側に立ちたい奴隷が山のようにいるんだぜ。」
「それでも、だ。ローマが混乱しきっている今のうちに北上して、故郷にかえりたいやつは故郷へ。逃げる場所がないやつらはローマの支配地域から逃げ場所を提供するほうが確実だ。」
スパルタクスの現状の把握力は的確だった。
ローマの軍隊を撃退できた。これからも撃退できる可能性はある。
しかし、大都市ローマを相手に自分たちの軍隊が制圧できるかは難しいと思っていた。ローマに10万の兵を連れて行ってローマ人たちが立てこもったとしたら、大都市ローマは肥大化して、周囲を囲うには難しすぎた。そして自分もローマで過ごした経験があるスパルタクスだからこそ思っていたのが、ローマでは奴隷が圧倒的に苦しい生活をしいられているかというとそうでもない。奴隷にも一定の自由があり、身分を覆す解放奴隷、そして子の世代にはローマ市民になれるチャンスがいくらでもあるのだ。それらを目の前にしている奴隷が、地方で苦しんで命をかけて戦いにでた者たちと同調するとは思えなかった。そして、10万近い大軍になったとして、今度はローマを包囲して維持できる食糧が手に入れられるとは思えなかった。
結局2人のリーダーはお互いに道を譲らず、膨らみ過ぎた軍を2つにわけることで合意した。
ガリア人のクリスを主体としてローマに襲い掛かる4万人強。
そしてもう一つはスパルタクスの率いるイタリア半島を北上して自分たちの場所を求める4万人弱。
思った以上に多くの歴戦の兵士がスパルタクスに従った。
道を分けた2人はそれでもお互いの検討を祈り、連絡手段と主な動きを話し合って別れることにした。
スパルタクスはクリスとの別れを惜しんだが、ローマを攻略したら、自分の従姉も助けてほしいとクリスに依頼をした。もしうまくいけば本当の自由が勝ち取れるのだ。
軍隊を分ける前にスパルタクスとクリスは互いに抱擁しながら別れを惜しむ。
クリスが珍しく神妙な面持ちで話をしてきた。
「俺はお前が好きだぜ、スパルタクス。苦難に耐える鋼の身体と心。慎重でありながら、時に大胆に振る舞う。まさに俺の描いた英雄だ。俺はお前ほど冷静ではない。だが、ローマ侵攻で名声ではお前に並ぶかお前を超えることができるだろう。俺がローマを支配したらトラキアに行ったお前を呼ぶぜ。トラキアで王になるのもありだしな。そうしたらローマとトラキアで互いに同盟をすることができる。その時には俺がトラキアに行ってもいい、また共に飲もう。」
そこまで言うと踵を返して軍隊を南西にあるローマの方向に向けて歩きだした。
多くの仲間がそちらについていく。
「元気でな。」
それだけを言うと自分の馬に騎乗してスパルタクスは大きな声を張り上げて周りにいう。
「我々は、我々の台地へ行くぞ。」
そう言って自分たちの道を進み始めた。
スパルタクスの率いる反乱軍は2手に別れた。
スパルタクスはローマから逃れるように北へむかう。