クラッスス、痩身の若者を晩餐に呼ぶ
ローマに復帰してまだ話ができていなかったローマ一の大富豪、クラッススと会い、話をするカエサル。
痩身の若者はローマ一豪華と言われるクラッススの邸宅の、客間で、くつろぎながら豪華な食事をご馳走になっていた。
付き人としてきていたプブリヌス、ダイン、ジジの3人は別の部屋に連れて行かれてそこで主人ほどではないが馳走を頂いていた。
杯に最高級の葡萄酒を注いでもらい、少し味わい、給仕にも笑顔をふりまく。その杯は東方から取り寄せた優れもので薄く軽いが丈夫な陶器でできていた。そこに細かな装飾が施されていて陶芸の極みともいえる作品で珍品でもあった。その装飾をじっと見ては杯に注がれた葡萄酒を飲む痩身の若者は、楽しそうにしていた。
「ふん、ガイウス、お前はいつも楽しそうだな。その陶器の価値がわかるのか?」
「いいえ、クラッスス、さっぱりわかりませんがこの線の細さ、なのに丈夫な様子は女性を思い起こさせて素敵だな、と思ったものです。」
「さすがは名の知れた女ったらしの意見だ。」
カエサルは何も答えず、笑った。
その後はクラッススがカエサルがローマを空けていた2年で起きたことを教えてくれた。
一通り話が終わった後でクラッススが豪快に笑って口を開く。
「ふふ、それはそうとガイウス。お前、キンナとともに民衆派の帰国事業を実施しているらしいな。」
クラッススは可否の話ではなく事実を述べる。
「ええ。ローマに必要だからです。」
「ほう、それは何故か教えてくれるか。アウレリウス・コッタ殿が作った法のおかげで、俺はせっかく安く買い叩いた民衆派の邸宅、持ち物を一部保証する必要が出てきているのだ。せっかく儲けた金をローマの国庫や訴訟に来た奴らに返してやらなければいけないとはどういうことだと思う?」
ここにきて、クラッススが言いたいことはわかった。
カエサルの叔父であるコッタの作った法案は、元老院派と民衆派で分断されたローマをもう一度元に戻そうと歩み寄る機会を作るもので、スッラ体制下で民衆派が追い出されるなかで、過剰に儲けた金を国庫に収めるか本人が訴訟した場合には差額を返金することを決めていた。クラッススはこの時、他の全ての者よりも活動を活発化させ、ローマの国家予算並みの金を稼いだと噂されているのだ。その分返す金も多くなる。金が増えることは好きだが、単に減るということが大嫌いなクラッススらしい反応だった。
カエサルは、最初とはうって変わって厳しい目で自分を見るクラッススに対して、落ち着いて言い返す。
「マルクス。これは本当に重要なことです。スッラの改革によってローマの正規軍は北はルビコン川からメッシーナ海峡に至るラインでイタリア半島には入ることが認められなくなりました。これは素晴らしいことではありますが、反乱が起きた際の対応力に大きな問題が出ます。まず素早く対応できない。一定の時間反乱軍の好き勝手にさせてしまう。そんな状態でローマを荒らす者が出たら大惨事になるでしょう。」
「そんな根性のある奴らがいるものか!」
「今、その可能性があるのが旧民衆派の残党ですよ。彼らは生きるすべを失ってただ逃げていました。でも今、スッラが死にローマが平和になってきていると耳にすると自分たちを追い出して金を持ち平和を享受している者たちをどう思うでしょうか?」
「そんな奴らの言い分まできにしているわけにはいかないだろう。」
「ええ、そうですよ。でも、彼らに少しばかりの金を渡し、生きる希望を持たせて上げれば、そもそもで彼らも命をかけて反乱を起こそうとは思わないでしょう。逃亡生活の大変さは彼ら自身が最も分かっているはずです。疲れきった彼らは以前の生活よりはマシだとローマでの生活に戻ることで一定の満足を得られます。さらにローマとしてもヒスパニア、ビティニアでの戦争の継続のためにも働く意欲のあるローマ市民の増加は必要だと考えます。」
ため息をついてクラッススは痩身の若者を見た。
「まあ、一応の理があることは認めよう。」
「想いを一緒に出来ると思っていました。」
「だがな、ガイウス。俺は今回の件ではお前の知恵のせいで大損しているのも事実だ。どこかで借りは返してもらうからな。」
「私はすでにマルクスに多くの金を借りていますが、それを上乗せするのですか?」
きょとんとした感じで、まったく気にもせずカエサルが聞く。
「いや、お前の借金を増やしてもあくせく働いて返すつもりは感じないな。お前のやり方で俺に返せばいい。それと他で何か返せるものがないか考えてくれ。」
「わかりました。感謝します。」
カエサルの軽い礼を見ながら、思い出したようにクラッススが言う。
「そういえば、カプアのほうで奴隷剣闘士たちが反乱を起こしたそうだ。」
「ええ、そのようですね。」
「俺が手に入れた最新情報によるとな・・・。」
そこでクラッススは自慢げに奴隷剣闘士たちの反乱について説明をはじめた。
カエサルは、うなずきながらクラッスス家の出した豪華な料理をここぞとばかりに食べながら
耳を傾けている。
奴隷剣闘士たちの反乱の件を説明しながら、先だって反乱を押さえにいき敗北した同僚を貶しながらクラッススはカエサルに言う。
「まあ、奴らが駄目なことは想像していたけどな。」と言うクラッスス。
「どうだ、俺に武勲をあげるチャンスがまわってくるかもしれねえぜ。ガイウス、お前も軍団司令官になったんだろう。俺の指揮下で戦うチャンスをやろう。」
「ありがとうございます。軍団司令官としての初めてがマルクスの指揮する軍になれば私も安心です。」
その言葉を聞いてクラッススもうなずきながら痩身の若者を見て笑顔になる。
この若者はぱっと見たところ、オシャレに気を遣うプレイボーイであり、細身のため、戦場に出て名をあげる力強さを感じないが、実は18、19のころに属州で島の奪還を指揮した経験を持つ有能な男であることを知っていた。軍団司令官の一人として参加させると心強いと思っていた。
ローマの権力争いのなかで、スッラの旗下の実力者たちが力を失っているなかで、次代を担うとされているのが自分ともう一人、若くハンサムで「偉大なる」というアレクサンドロス大王と同じ2つ名をスッラからもらったポンペイオス・ストラボンだった。ポンペイオスの戦いの上手さは既に話になっている。そのポンペイオスに対してクラッススは政治や経済では負けない自身があったが戦場での武勲では少しだけ及ばないかもという気持ちがあった。その分、自分の配下に優秀な軍団長、軍団司令官を置きたいという気持ちを強く持っていた。
そのクラッススの気持ちに応えるように、カエサルは笑顔で言う。
「ぜひ私もスパルタクスとの戦いに参加させてください。」
カエサルの言葉に笑顔だったクラッススが固まる。
「なぜ、スパルタクスと言う名前を知っている?」
「私の知り合いですからね。そういった情報を私も独自で集めました。誰が反乱の首謀者なのか、と。そうすると知った名前が出てきたのでビックリでしたよ。いやあ、3年程前にはよく市内を一緒に飲みに行っていましたよ。」と身体を伸ばしながら笑って当時を思い出して話す。
「反乱軍の首領とお前が仲良しなのか?」厳しい口調のクラッスス。
「その時はローマ市内でも人気の奴隷剣闘士だったんです。私がデクラやドラベッラと訴訟で戦っていたとき身を守ってくれたりもしましたね。」
クラッススの顔は暗いままである。
「そんなに仲がいいのか。」
「背中を預けて闘うくらいには。でも戦場に出れば敵同士、お互い気を抜かず斬り合えます。クラッスス軍を勝利に導いていれましょう。」
そこまで言ってカエサルはクラッススを見てニカっとわざとらしく笑う。
「お前を信じないわけではないぞ、ガイウス。だが、軍の規律として敵の首魁と仲良しだったお前を軍団司令官として連れて行くのは、もしかしたら難しいかもしれん。」
カエサルは驚くような表情を作りつつ、
「そんな。もう以前の話ですよ。」と取り繕うように言った。
「それでも、だ。俺がお前を信頼したとして、その話を聞いた他の武官がどう思うか、というのが問題だろうが。戦場にいって不利になると、もしかしたらスパルタクスはお前を抱き込もうとするかもしれん。」
「彼はそんなことしないでしょう。されても私はほだされませんけどね。」
と真面目な顔で返すカエサルにクラッススは頭を抱えた。
悩んでいるクラッススを見てカエサルは少し笑う。
実際のところ、反乱軍の首領と仲良しと知られれば、軍団司令官として現地に赴くのは難しいだろう。クラッススに付いていって名をあげる機会でもあったが、それ以上に、ローマの困窮した市民もすでに加わり出している反乱軍に加わりたくはなかった。勝ったとして反乱奴隷を主軸にした敵への対応は苛烈なものになることが予想されたからである。奴隷の反逆は死刑と相場が決まっていた。すでに一万を越える軍に膨れ上がっているというスパルタクスの軍は負けたら全員殺されるのだ。
そんなことは顔に出さず、気にする風もなく、豪華な食事を堪能し、召使に言って葡萄酒をお代わりさせ、さんざん楽しんだあげくにカエサルはクラッススに深く礼を言ってローマ一豪華な邸を後にした。
クラッススの目にもスパルタクス軍の反乱はローマの一大事ととらえていることが確認できたカエサルはなんとか自分がクラッススの下での軍団司令官になることを逃れる。
スパルタクスの動向を気にしながら、カエサルはローマで何をするのだろう。