酔っ払い、軍団司令官へ立候補する
カエサルは奴隷剣闘士たちの反乱をしり、
旧友スパルタクスに対して何かできないか、仲間をつれて
スパルタクスたちがいると思われるカプア南部に向かった。
「立候補の日は今日中だ。日が沈むまでだぞ!」
カエサルを急かすように荒っぽく言うのは、カエサルの友達でもある、元護民官のメテイオだった。
友人でもあるカエサルが酔っぱらっているのを見て、見ていられなくなってはっぱをかけるが痩身の若者はまだ葡萄酒の杯を手に持って回しながら笑っていた。
イタリア南部の要衝カプアのほうに馬で向かって約1カ月の旅を経て帰ってきたカエサルは、ローマ市内に入る前に、借りていた馬を返すとすぐに疲れた身体を癒そうと馴染みの店で、葡萄酒を一杯飲みたいと言って寄り道をした。
一杯、と言いながら盃を重ねてさらに何杯もを味わっているのを、カエサルの従者であり仲間であるダイン、ジジ、プブリヌスがそろそろ行こうと主人に言っているが、カエサルが嫌がっているのを遠くから見つけてかけつけてくれたのだ。
そして事情をジジから聞き、少し頭を抱えたが、プブリヌスに家に帰ってカエサルの母に状況を伝えるように言った。
ひさしぶりにあった元護民官で商店の主として頑張っているメテイオは、酔っ払いの扱いにも慣れていた。友人の顔を抑えて正気を取り戻そうとする。
カエサルは酩酊しなごら、まだ大丈夫だよ、と言ったあとに、ぷはー、と酒臭い匂いを吹き掛ける。
店主に言って酒を止めさせて、日が暮れ出したローマの街を見ながら、焦る。
まだ、呂律の回らないカエサルを支えなから、大男のダインと共に軍団司令官の立候補の申請に、マルス広場に向かった。
千鳥足の痩身の若者は、ふらふら踊るようにしながら、事務官の元に向かう。
ほとんどダインがフォローしながら、若者は軍団司令官職への立候補の申請を行った。酒くさい若者は呂律もうまく回らない状態だったが、なんとか周りの人のフォローで申込の意思を伝えようとしていた。
「ガイウス!何をやっているのですか?しっかりとしなさい!」
叫ぶような鋭い女性の声が響くと、酔いが吹き飛んだようにしっかりとした足取りで事務官の元にカエサルはたどり着いた。
腕を組んで見ているのは、カエサルの母のアウレリアだった。
アウレリアを連れてきたプブリヌスも、カエサルを連れていたダイン、ジジ、メテイオも身が引き締まるような叱責の言葉だ。
通りがかりの周りの人たちは苦笑いして、見て見ぬふりをした。
カエサルは腰が抜けてその場で尻もちを突いたが、かなり怒っているであろう母親を見て、酔いが覚めてしまったカエサルは、ごにょごにょと言い訳をしながらもダインに支えられて必要な立候補を済ませてすごすごと帰宅した。
一般的なローマの貴族の家では、家長が力を持っているため、酒に酔っぱらっていても夕食の時に家長が責められるようなことはあまりなかった。
しかし、カエサル家では、女性陣が大きな力を持っている。
家長の帰ってきたカエサル家だが、晩餐は帰還を喜ぶ会ではなく、母と姉、久しぶりに家にいたカエサルの嫁、そして愛娘が揃って家長の無責任さを指摘する会になり、カエサルは晩餐の間、くつろぐことも許されずに過ごした。
特に攻めてくるのは姉であり、母はそれを見て時に容赦なく追い詰めてくる感じで、嫁はそれがカエサル家の形なのだろうと、家長を立てることもなく、食事を楽しんでいた。
カエサルは時々苦笑いをしながらも我が家の女性たちに攻められることも心地よかったのだろう。優しい笑顔を浮かべて文句を言う8歳のキレイになってきた愛娘を抱き寄せた。
食事が終わり、夜も更けてきたので、娘のユリアを一度抱きしめてお休みをいう。
カエサルが結婚をしたのは16歳の時。言われるがままに結婚して18歳の時にできた子供だ。
それから逃亡を繰り返したカエサルを尻目に嫁は必死に娘を育ててくれていた。
ローマの貴族や騎士階級の男たちは結婚して子どもが出来た後はそんなに子育てに関わることはなく、男たちの世界で生きていくのだが、プレイボーイとして女性との関わりが非常に多いカエサルには女性側の気苦労も見聞きして知っており、しっかりと育ててくれた妻への感謝の気持ちを新たにした。
しかし、娘のユリアを寝かせると母の説教が待っていた。
「市内で酩酊状態になるまで酔うとは、カエサル家の家長としてあるまじきことです。まさか、いつもあんなになるまで飲んでいるのではないでしょうね?」
「いえ、そんなことはないですよ。母上。」
「いいえ、あの体たらくを見て、あなたの外での振る舞いは想像が付きました。軍団司令官へ立候補したのだから、選出されるまで家以外で飲むことは許しません。」
「母上、私はすでに家長です。振る舞いについて多くご意見を頂く必要はありません。私は私が振る舞いたいように振る舞います。それにせっかく立候補して投票まで市内にいろいろ顔を出しておいたほうが良いでしょう。」
母は強情な息子に向かってため息をついた。
「カエサル。スッラにさえ我を通したあなたですから、多くは言いません。ただ、権力者に対して、自分の道を進む、といえるあなたは素晴らしいですが、酔っぱらった姿を嗜められたところで、我が道をいくと言っても誰も共感しませんよ。」とやわらかくいう。
カエサルが言い訳をしようとしたところで、そもそもの本題が気になったアウレリアは話題を変えた。
「カプアに行って、どうだったの?」
カエサルは、悲しい表情を作って言った。
「私は、スパルタクスに会って話をしたかったのですが、彼には会うことができませんでした。」
「そう。探索行が無駄におわってしまったから気落ちしてるのだろうけど、その瞬間では無駄に終わったと思う事も後から役にたつこともあるわ。ガイウス。」
母はやさしく息子の次の言葉を待った。
「スパルタクスたちは、カプアからさらに南下してヴェスヴィオ山のふもとのどこかに逃げ込んだそうです。山麓に広大な森林を持つ火山のふもとで時間の許す限り彼を探したのですが会うことはできませんでした。2週間近くにわたって探索をしたのですが、彼らに会うことはかないませんでした。スレスレまで粘ったのですが、最後は私の判断で切り上げてきました。」
「ならば、切り替えるしかありません。スパルタクスの命運は彼自身が握っています。そして彼に共として何か言おうとあなたはできることはしました。後は彼自身が今後の道を切り開いていくでしょう。」
「ええ、そうなんです。まさか、会えないとは思わなかった。」
「カエサル、そこはあなたも考えなければいけませんよ。あなたはどうも自己中心的になって、自分が動けばスパルタクスに必ず会えるとおもっていたのではなくて?世界は広いということを以前の旅で何度も思い知ったでしょう。人の命運は本人が握るのです。」
「そうですね。ありがとう、母上。私は私ができることをこれからも頑張っていきます。」
その後は今後のカエサルの行動について、どう家を盛り立てていくのか、などを聞かれ、またキンナと民衆派として迫害された人たちの帰還事業を開始していることなどを説明して、それについて母の感想を聞いたりした。
母は帰還事業に対して、高い評価をくれた。その熱い目を見ているとカエサルは、この母から自分は生まれたんだな、母は男に生まれたかったのかもしれないしそのほうが良かったのかも、とも考えた。それからもいろいろと話をしていき、改めて似た者母子だ、などと考えながら、カエサルは母にはこれからも相談をすべきかもしれないな、と思った。
母との話が一段落して、寝室に向かう。
久しぶりの自分の部屋は、キレイに整えられていた。
そして無造作に散らかっていたはずの書物がキレイにかたずけられているのを見てから、ベッドに横になって満足して笑った瞬間、疲れで身体が沈んでいくのを感じて目も開けていられくなってしまった。
笑顔で横になった瞬間眠りについた主を見ながら若い女奴隷は笑ってしまった。
疲れて旅から帰ってきて、皆の話を聞いて、自分の母とも話をして、イヤな顔をするわけもなく、真剣に話をして、ついに疲れの限界がきたのか、それでも笑って寝る主。
このまま変わることなく今のままの主でいてほしいと願って、疲れて静かに寝ている主人に布団をかけて部屋を出た。
軍団司令官職への立候補を無事に終えたカエサル。
官職への着任ができるだろうか?