8 凪の一族(4)
「よろしく頼む。──そうだな、ならば…」
大公は視線を巡らせ、一瞬こちらを見てにやりと笑った。
(何だ?)
「──神凪リョウは、実は私が内密に帝国へ送り込んでいた我が国の特殊部隊員だった、という事にするか」
「え?」
10年前にアベルを助けたのは、実は味方だったから。
今回、尋問でなかなか口を割らなかったのは、公国ではなく帝国に捕まったのではないかと警戒していたため。
尋問部屋で一昼夜維持していた魔法ではない防御壁は、リョウの『異能』。
次々並べ立てられる設定は、確かにそれらしく聞こえる。
「ついでに、アベルとは10年前に将来を誓い合った恋人同士、という事にしておこう」
「…え?」
リョウが口を半開きにして固まった。
正直アベルも、理解が追い付かない。
呪術を掛けられた人間を判別するために、公国内で自由に動ける立場を用意する必要がある──そこまでは分かる。
だが何故、アベルの恋人などという面倒な立ち位置に据えなければならないのか。
(…絶対ややこしい事になるでしょ、それ…)
自慢じゃないが、アベルは社交界でも注目の的だ。
その隣に居たら、リョウにも注目が集まるのは必然。下手をしたらアベル絡みで余計なトラブルに巻き込まれる可能性もある。
「まあ待て、そんな顔をするな」
アベルとリョウを交互に見て、大公が苦笑いした。
「実は、呪術を掛けられている可能性が高い相手に心当たりがあってな」
「!」
場の空気が緊張を孕んで固くなる。
「アベルは知っているだろう。交易で財を成したパレンシア伯爵家の当主、フェデリコ・パレンシアと、一人娘のアリアドナ・パレンシア──2人は度々、商取引のために帝国へ赴いている」
パレンシア伯爵家の主要商材は穀物で、あらゆる国と取引がある。その中には帝国も含まれるのだ。
緊張状態にある国と交易するのはどうかと思うが、現状、法律には触れない。
「彼らは真っ当な取引をしているはずだが、ここ半年、妙に羽振りが良くてな。奥手なはずのアリアドナ嬢も人が変わったように派手な身なりになって、夜会でやたらとアベルに近付いている」
「…」
なるほど、そういう視点で見るとアリアドナの行動は本来の性格にそぐわず、不自然だ。
ただ煙たがっていたアベルは、こっそり自分を恥じる。
夜会でも日常でも、令嬢たちが群がるのは当たり前になっていた。
だが自分は特殊部隊員だ。相手にどんな思惑があるのか、言動の裏を見抜けなければいけない。
「──曲がりなりにも伯爵家、貴族だからな。特殊部隊員と言っても、平民が容易く近付ける相手ではない」
「…平民では近付けないなら、俺──私と同じように爵位を持たせれば良いのではないですか?」
思わず素で訊き掛けて、慌てて主語を言い直す。自分は思ったより動揺しているらしい。
アベルの問いに、大公は当然だと頷いた。
「勿論、爵位を与えるつもりではいる。ああ、名前と姿も偽った方が良いだろうな。そちらも早々に対応しよう。──アベルの近くに置くのは、その方がパレンシア伯爵家との接触が容易いからだ」
「接触が容易い?」
「15日後、パレンシア伯爵家で夜会が開かれる。アベルにも招待状が行っているだろう。そこに、リョウをパートナーとして連れて行け」
確かに、ブラウからもそんな話を聞いた。
昨日自室に、そんな感じの封書が届いていた気もする。
リョウのことで頭が一杯で他に意識を割く余裕が無かったので、開封すらしていないが。
大公の言う通り、パートナー扱いならば本人に招待状が届いていなくても夜会に参加できる。
パレンシア家主催の夜会だ。フェデリコとアリアドナには確実に接触できるだろう。
「待ってください。私は…貴族の作法を知りません」
リョウが焦った様子で言った。
森の中に隠れ住む一族の出身なのだ、他国の貴族の礼儀作法など知るはずもない。
しかし、大公は気楽に笑った。
「なに、全てを完璧にこなせと言っているわけではない。長期任務から帰還したばかりの特殊部隊員という立場だからな、多少の不自然さはむしろあった方が良いだろう。教育係を付ける。基本を押さえておけば大丈夫だ」
「…その基本が大変なんですよ…」
思わずぼそりと呟いたら、大公の背後に控える同僚2人が大きく頷いた。
2人とも、任務のためにと男爵位を与えられている。その時に貴族の礼儀作法を叩き込まれたから、お互いどれだけ苦労したか知っているのだ。
しかもリョウの場合、本番は15日後。準備期間は今日を除き、実質13日間しかない。
加えて、
「陛下、リョウは肋骨と左上腕骨を折る重傷です。治るまでには時間が掛かります」
せめてきちんと治るまで待って欲しい。
そう言ったら、斜め上の回答が返って来た。
「回復術師を手配する。明日には派遣できるだろう。そうすれば、すぐにでも準備が始められるな?」
「…」
回復術師とは、回復魔法に特化した魔法使いの事である。
魔法使い自体、それほど数は多くないが、回復術師はそれに輪をかけて希少な存在だ。
公国軍に所属している回復術師は、後方支援部隊の5名のみ。
いずれも非常に忙しく、特殊部隊員の間では『うち以上にやばい職種』と認識されている。
それを、大公権限でこっちに優先的に派遣する、と。
(…いや、この件が重要なのは分かるけどさ…)
呆然としているリョウを見て、とても気の毒な気分になる。
仲間と別れ、自身も満身創痍、その上でこの無茶振りだ。身体がいくつあっても足りない。
「それとも何だ? アベル、恋人役は嫌か?」
「い、いえ、そんなことは」
大公が突然人の悪い笑みを浮かべ、とても答えにくいことを訊いて来た。
慌てて首を横に振ったら、リョウが申し訳なさそうな顔になる。
「…ごめん、迷惑だよね」
「違う違う!」
むしろご褒美──喉元まで出掛かって咄嗟に口を噤む。
噤んでから、我に返った。
──ご褒美って何だ。
「えっ…と、迷惑だなんて思わなくて良い。いくらでも協力するよ」
咳払いをして笑みを浮かべるが、リョウは浮かない顔のままだ。どうやら選択を間違えたらしい。
「──リョウ」
どうしたものかと思い悩んでいたら、大公が不意に真顔になった。
「この件への協力は、君の目的にも合致するはずだ。出来るな?」
「…」
リョウの表情がすっと切り替わる。
「──勿論です。協力に感謝いたします、陛下」
整った表情で頭を下げる姿からは、内心は窺えなかった。
リョウの病室を後にして執務室に戻ると、大公はドカッと椅子に腰を下ろした。
特殊部隊隊長のエドガルドは大公の背後に、アベルたちは執務机の前に並ぶ。
「さて──」
アベルの隣に並ぶブラウに、大公が意味深な視線を投げる。
「ブラウ。どうだ?」
「──神凪リョウの話は、全て事実のようです。嘘をついている様子はありませんでした」
ブラウは、目の前の相手が話している事が嘘か否か判別することが出来る。
観察眼とかそういうレベルではなく、アベルの『月の眼』と同じ、『異能』と呼ばれる能力だ。
それで『全て本当』という判定が出た──アベルは少しだけ肩の力を抜く。
しかし、
「…あくまで、彼女の立場から見た事実は、ですが」
ブラウが釘を刺した。
ブラウが判別できるのは、相手が意図的についた嘘だけだ。つまり、本人が心から信じていれば、それが別の誰かがついた嘘だったとしても『本当』だと認識される。
「そうだな。その辺りは裏付けが必要だ。──エドガルド」
「調査を手配しておきます」
「頼む。──さて、アベル」
「はっ」
名を呼ばれてぴしりと姿勢を正すと、大公は静かな目で告げた。
「大公権限で、お前に新たな任務を与える。神凪リョウの護衛とパックアップ、それから監視だ」
「…監視、ですか?」
「そうだ。ブラウが言った通り彼女の言葉に嘘が無かったとしても、帝国民である事に変わりはない。そもそも──彼女が呪術に掛かっていないという保証がどこにも無い」
「…!」
アベルが『視た』記憶の中には、それらしい光景は無かったが──呪術は精神に干渉できるのだから、記憶が改竄されている可能性がある。
大公の指摘に、冷や水を浴びせられた気分になった。
「お前が彼女に恩義を感じているのは知っている。だからこそ、油断はするな。──お前は我が国の特殊部隊の中核を担う者だ。己の立場を忘れるなよ」
「……はい」
きつく握り締めた拳。
爪の先が手のひらに食い込む痛みを感じながら、アベルは抑えた声で了承を返した。