64 居場所(2)
そうして里人たちは公国へ渡り、特殊部隊員もほぼ全員が公国へと帰還した。
残ったのは、ドロテアとリョウ、宝生、モーリスとカミロ、そしてアベル。
カミロが残ったのは、全員が引き揚げる時に荷物を運べる人手が必要だろうという気遣いだ。
あと、『食事の用意とか片付けとかその他諸々の雑務要員がモーリス一人じゃ足りないだろう』と言われた。
アベルが最初から頭数に入っていなかったが、反論できなかった。
宝生は繊月たちケットシーと協力して、周囲の状況確認と警備を行っている。
モーリスはそれを手伝う傍ら、カミロと共に雑務をこなしている。
そしてアベルは、相変わらずリョウの傍に居た。
ドロテア曰く、初日よりは生体反応が良くなってはいるらしい。
実際3日目にはアベルの手を握り返すような反応があった。起きるのかと期待したが、まだそこまでは至っていない。
「アベル」
不眠不休で至った4日目の朝、ドロテアが渋面でアベルに声を掛けて来た。
「この薬を飲んで一旦寝な。このままじゃお前が倒れるだろ」
「え…」
言われたことが理解出来ず、アベルはぼんやりとした頭でドロテアを見上げる。
数秒後、ようやく何を言われたのか認識して、首を横に振った。
「…まだ大丈夫です。リョウは10日寝られなくても大丈夫でしたし…」
「馬鹿言うんじゃないよ。それは大丈夫だったんじゃなくて、無理に無理を重ねていただけだ」
ずいっと突き付けられたのは、リョウも飲んだあのドス黒い丸薬だった。
「6時間だ。6時間だけ寝な。特別に効き目を調整してやったからね」
リョウを診る傍ら、ずっと何かごそごそしていたと思ったが、睡眠薬の調合をしていたらしい。
ドロテアに凄まれてこれ以上反論する気になれず、アベルは大人しく薬を飲んだ。
「…リョウが起きたら起こしてください」
「無茶言うんじゃないよ」
リョウの隣の簡易ベッドに身を横たえながら要求したら、ドロテアが苦々しい顔をした。
そういえば、この薬が効いている間は絶対に起きられないのだったか。
(しまった…)
心の底から悔やみながら、アベルは意識を失った。
6時間後、目を覚ますと、隣で寝ていたはずのリョウが消えていた。
「──っ!?」
「落ち着きな、アベル」
血の気が引いて飛び起きたアベルに、ドロテアが声を掛けて来る。
「ドロテアさん、リョウは──!?」
掴み掛からんばかりの勢いで身を乗り出すと、
「…リョウはつい1時間前に意識を取り戻した」
「…あ……」
静かに言われ、全身から力が抜ける。
ドロテアはあくまで冷静に言葉を続けた。
「一応、回復してはいるようだ。体力は随分落ちていたようだが…4日も寝てたんじゃ無理もない」
「…リョウは、今どこに…?」
「少し出歩いて来ると言っていたね」
「…っ!」
アベルは即座に救護室を出た。
テントから飛び出すと、カップを手に椅子に座っている宝生と目が合う。
「アベル、起きたのか」
「宝生…」
瞬間、頭が冷えた。
宝生の目に焦りや不安は無い。多分もう、リョウと話をしたのだろう。
それ以前に──リョウが意識を取り戻さない中、宝生は黙ってこの場所を守っていた。
何も手につかず、眠れすらしなかった自分とは違う──
(…俺は…)
急いていた心が、急に重くなる。
それでもアベルは、何とか言葉を絞り出した。
「その…リョウは…?」
「ああ──」
宝生は里の奥、世界樹のあった方向を見遣った。
「反転の世界樹──の、跡地に行った。色々と思うところがあるんだろう」
穏やかだが淡々とした声は、もう何もかもを割り切っているように聞こえる。
だが…リョウは意識を取り戻したばかりだ。1人で行かせて良いのだろうか。
「…一緒に行かなかったの?」
つい、責めるような口調になる。
宝生は軽く目を見開き──首を横に振った。
「俺が行ってもな…」
自嘲混じりの口調だった。どういうことかと首を傾げると、宝生は僅かに口の端を上げ、アベルを見遣る。
「──お前こそ、行かなくて良いのか?」
「え──」
まるで全てを見透かすような、鉄鈍色の眼。
アベルは思わず目を逸らした。
──それこそ。
「…俺が、行っても……。宝生たちの方が、きっと…」
喉の奥がひどく重い。
絞り出すように呟くと、宝生は胡乱な顔でアベルを見詰め──何かに気付いたように『あ』と呻いた。
がしがしと頭を掻き、
「…そーかそーか。そういう事か。そりゃそうだよな」
いきなり口調が軽くなった。
笑い混じりの言葉の意味が分からずアベルが呆然としていると、宝生は苦笑しながら肩を竦めた。
「いや、スマン。『月絆の紋』が今でも有効だっつーから、てっきり知ってるもんだと思ってたわ」
「…?」
月絆の紋。
話の繋がりが見えない。
宝生はコップを切り株の上に置き、きちんとこちらに向き直った。
「あのな、良いこと教えてやる。──『月絆の紋』はな、凪の一族が使う術の中でもとびきり特殊な術なんだよ」
「特殊な術…?」
「お前、リョウから何か聞いてるか? 効果とか、どういう状況下で使われるものか、とか」
「ええと…本来は身内にだけ使う術で、月絆の紋をつけた者同士が直接接触すると、心臓の鼓動が同期する…って。だから、人命救助に使うことがあるとか…」
「それだけか?」
「…他に何かあるの?」
アベルが首を傾げると、宝生は突然額に手を当てて天を仰いだ。
「っかー! あの馬鹿娘、例外中の例外の話しかしてないのかよ!」
予想はしてたけどよ!
天に向かって叫ぶ宝生は、何だか心の底から呆れているようだった。
アベルが呆然としていると、宝生はずいっと身を乗り出して来る。
「──あのな。この術は本来、極めて親しい者同士が、共に在る事を誓い合って使う術なんだ。確かに緊急時の生命維持に使うこともあるが、そういう場合はすぐに効果が無くなって、紋様も消える。──『月絆の紋』の成立条件は、『術で繋がった者同士が互いを心の底から大切に想っていること』だからな」
「………………え?」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
睡眠不足は解消されて、頭は働いているはずなのだが──そんな埒もないことを考える。
『月絆の紋』は、術で繋がった者同士が互いを心の底から大切に想っていることが成立条件。
生命維持に使った場合、普通ならすぐ効果が消えて、紋様も消える。
だが──現にアベルとリョウの背中には、紋様がある。
リョウの心臓が止まった時、アベルの鼓動と同期させることが出来ていた。
それは、つまり。
「……!!」
ぶわっと顔に熱が集まる。
だが同時に、一気に視界が晴れた気がした。
──まだ、効くんだ…。
以前、睡眠薬で眠りに落ちる寸前に、リョウが呟いていた言葉がようやく分かった。
思わず口元を手で覆うアベルに、宝生が笑って手を振る。
「ほれ、理解したか? さっさと行け、朴念仁」
「……っ、はい!!」
アベルは宝生に思い切り頭を下げ、里の奥へ向かって駆け出した。
それを見送る宝生は、今までで一番、穏やかな顔をしていた。




