62 反転の世界樹(4)
「……」
光が収まった後。
誰も言葉を発せず、ただ世界樹があった場所を見詰める。
斜めの切り口を見せる、巨大な切り株。
世界樹は、それだけを残して消え去った。
その切り株も──みるみるうちに朽ち、乾き、崩れて行く。
光となって消えるのではなく、普通の枯れ木が朽ちるように、けれどもっとずっと速やかに、世界樹はその痕跡を消して行く。
もう二度と、この場に蘇ることはない。そう宣言するように。
「──」
カタナを持った右手をだらりと下げ、じっと世界樹があった場所を見詰めていたリョウの上体が、ぐらりと傾いた。
「リョウ!?」
手からカタナが滑り落ちる。
咄嗟に身体を滑り込ませ、抱き留めて──その身体が異様に重く感じて、アベルは全身が総毛立った。
──その重さは、知っている。
生きた人間ではなく…死体の重さだ。
「リョウ!」
地面に仰向けにして頬に手を這わせ、全身から血の気が引く。
──息をしていない。
「…おい、見せろ!」
モーリスが膝をつき、脈を診る。その顔がみるみるうちに厳しいものに変わって行った。
「くそ…! 息をしろ! 阿呆!」
モーリスが即座にリョウの胸に手を当て、心臓マッサージを始める。
アオイがアベルの隣に座り込み、リョウの額に手を当てた。
「…なんてこと」
宝生もモーリスの隣でリョウの手を取り、険しい表情になる。
「世界樹との繋がりを維持したまま、斬ったのか…!」
それはつまり──リョウは、世界樹と命を共にしていた、ということか。
──その状態で、世界樹を滅ぼした?
(それじゃあ…)
自分が死ぬのを承知で、カタナを抜いたのか。
母親を斬る代わり、自分も共に逝くと──
「…ダメだ、リョウ!」
アベルはリョウの手を握り締めて叫んだ。
「君は、俺の…! ──まだ何も伝えていないんだ!」
ただの身勝手な願いだ。頭の中で冷静な自分が呟く。
──それでも、彼女に生きていて欲しい。
何かが繋がった感覚と共に、ドクン、と心臓が跳ねる。
モーリスがはっとして動きを止めた。
「…心拍が戻った?」
宝生が目を見開いた。
「──月絆の紋か!」
「あ…!」
月絆の紋──リョウとアベルの背中にあるその紋様は、互いの肌が触れた時、心臓の鼓動を同期させる。
ならば今、心臓が止まったリョウと繋がり、アベルの心臓と同期させれば──
「アベル、そのまま手を握っていてくれ! 絶対に離すなよ!」
宝生が強い声で言い、手を複雑な形に組む。
それを見て、アオイも別の形に指を組んだ。
「宝生、補助するわ」
「頼む」
「俺の制御能力も使ってくれ」
「…ああ!」
宝生とアオイがリョウに手を翳し、凍牙が宝生の両肩に手を置く。
暖かな気配が、リョウを包み込んだ。凪の一族の術か。
皆が固唾を呑んで見守る中、暫くして宝生が歯噛みする。
「くそっ…神経がズタズタだ。これは俺たちの術じゃあ…」
アベルは息を呑んだ。
モーリスたちが厳しい表情で顔を見合わせる。
「神経…回復魔法の領分か」
「けど、相当高位の回復魔法が必要だよな?」
「回復術師は…」
瞬間。
「──呼んだかい? ひよっこども」
有り得ない声がした。
『!?』
アベルたちが驚いて振り返ると、里の方からカミロと、細身の女性が近付いて来るところだった。
「ドロテアさん…!?」
公国軍後方支援部隊の回復術師が、何故帝国のこんな所に居るのか。
どうしてここに、とアベルが目を見開くと、ドロテアはフンと鼻を鳴らした。
「大公の命令に決まってるだろ。──全く、相変わらず未来が見えてるんじゃないかってくらいの的確さだよ」
呆れ混じりで呟いたドロテアは、足早に近付いて来て腕まくりをする。
「さあ、場所を空けとくれ。公国の英雄をこんな所で死なせるわけにはいかないんだよ」
公国の英雄とはどういうことか──疑問が頭を掠めたが、それを問い質している暇は無い。
ドロテアはリョウの頭側に膝をつき、両手で頭を包み込んだ。
「──なるほど、これは厄介だ」
術を維持している宝生たちへと視線を投げ、
「この魔力じゃない流れはあんたたちの術かい?」
「ああ。肉体と魂の繋がりを維持している」
顔も上げずに集中している宝生とアオイに代わり、凍牙が答える。
ドロテアは満足そうに頷いた。
「なら、そっちは任せる。──アタシは回復術師の本分を果たそうじゃないか」
ゆらり、陽炎のようにドロテアの魔力が揺れる。
「モーリス、アタシの身体を支えな。集中したい」
「承知しました」
モーリスが即座にドロテアの背中を支え、回復魔法の魔力がドロテアの両手からリョウへと注がれ始めた。
5分、10分、30分──長い治療を、祈るような気持ちで見守る。
宝生たちの顔にも、ドロテアの顔にも、びっしりと汗が浮いている。凪の一族の術も回復魔法も、非常に高度な制御が必要なのだろう。
それでも、途切れることはない。
「……ふう」
やがて、先に手を引いたのはドロテアだった。
モーリスに汗を拭かれながら、小さく首を横に振る。
「──アタシに修復できる部分は修復し切った。あとは、本人次第だ」
「…」
宝生たちは術を維持したまま。
まだ、危機を脱してはいない。
アベルが奥歯を噛み締めていると、また里の方から人影が近付いて来た。
「宝生、アオイ、凍牙!」
今度は凪の一族の里人たちだった。カミロたちやケットシーも一緒だ。
里人たちはリョウの姿に息を呑んだ後、強い決意を秘めた顔で宝生たちに声を掛けた。
「宝生、アオイ。わしらの力も使ってくれ」
「私たちに出来るのはそれくらいだもの」
宝生が目を見開いて顔を上げ──厳しい表情で頷いた。
「…頼む」
アオイと凍牙も小さく頷く。
里人たちは宝生側とアオイ側にそれぞれ分かれ、手を繋いだり肩に触れたりして繋がって行く。
全員が目を閉じると、宝生は獰猛な笑みを浮かべた。
「──アオイ、やるぞ!」
「ええ…!」
2人の身体にぐっと力が入り、暖かな気配が炎のような熱さを帯びた。
「──いい加減に起きろ! この馬鹿娘!」
宝生の叫びは、叱責と言うより懇願に近かった。




