53 Interlude【ラファエロ視点】レジスタンスとして
公国の者たちを個室に案内したクラウスは、思ったより早くこちらに戻って来た。
「よーう。お戻りだぜー」
酔っ払いのような千鳥足で手には酒瓶が握られているが、別に酔っているわけではない。クラウスはこれが普通だ。
最初は随分戸惑ったが、これが彼の処世術。この態度の軽さには何度も救われた。
「母国の仲間と積もる話もあったのではないか?」
「いやー、マイブラザーとは毎日のように『話して』たし、他の連中はお疲れだったしなー。そこはホレ、気遣いの塊のオレサマだから」
「そうか」
思わず苦笑が漏れる。
実際、クラウスの観察眼は非常に鋭い。
これでもう少し真面目な態度だったら、社交界でも引く手数多だろう。
もっとも、本人は嫌がりそうだが。
「んで、どうだったよ、凪の一族のお姫サマは」
クラウスが酒瓶を差し出して来る。
それを受け取り、栓を抜きながら、ラファエロは神凪リョウの姿を脳裏に描いた。
クラウスからの事前情報である程度予想はしていたが、彼女は想像よりずっと印象的な人物だった。
一族の仲間が生きるか死ぬかの瀬戸際にあるにも関わらず、驚くほど冷静な態度。
金色の瞳は全てを見透かすようで、その実あちらの本心は見えない。
淡々とした声は耳に心地良い一方、話す言葉は容赦が無い。
総じて、
「──なかなか居ないタイプの人間だな。公国に取られたのが惜しい」
「お、一目惚れか? 修羅場発生か? まだチャンスはあると思うぜ?」
「残念ながら、そんなことに割く時間は無いな」
「そいつぁ残念だ」
でもまあ、とクラウスは肩を竦める。
「お仲間の一人がご執心みたいだからなー。修羅場は少ない方が良いか」
「お前がそんなことを言うのは珍しいな」
クラウスは基本、退屈や平穏が苦手だ。
他人の色恋沙汰に首を突っ込んで場を引っ掻き回したのは一度や二度ではない。
それでも最後は収まるべき所へ収まるので、ラファエロは静観している。
しかし今回は、最初から首を突っ込む気は無いらしい。
ラファエロが首を傾げると、クラウスは訳知り顔で胸を張った。
「ひとつ良いことを教えてやろう。世の中には、下手に関わると『馬に蹴られて死んじまえ』と周囲に責められるケースも存在する」
重々しい声で言ってから、肩を竦める。
「まっ、我が愛しのマイブラザーに釘をさされちゃ手は出せないって話だけどな」
「なるほど、お前の抑止力にはお前の兄が適任、と」
「あっ、だからってこの国にスカウトするなよ!? そんな事したら怒られるのはオレだからな!?」
怒られたくないと主張しているが、恐らく兄には気を遣っているのだろう。本人には今一伝わっていない気がするが。
それはそうと、と、クラウスはあからさまに話題を変えた。
「エドガルド隊長に聞いたんだが、帝国軍はもう国境線から目視出来るくらい公国に近付いてるらしいぜー」
「何…? では、作戦を早めるべきか」
「いんや、それは大丈夫だろ。目視っつっても『遠見』の奴が頑張って見てギリ確認できるってくらいだからな。あっちも準備は出来てるらしいし、万一、予想より進軍が早くて即座に喧嘩吹っ掛けられても対処出来るだろ」
公国は本当に動きが早い。
軍事侵攻の可能性を伝えたのはつい一昨日のことだというのに、既に戦の準備が出来ているとは。
(…改めて、敵に回したくない相手だな、大公は)
数年前に初めて会った大公は、二十歳に届くかどうかくらいの青年の姿をしていた。
だが、薄く笑みを浮かべた顔で発せられる言葉は老獪で、見た目通りの年齢ではないと嫌というほど思い知らされた。
多分今でも、当時の姿のままなのだろう。
エルフとヒューマンのハーフだと言われているが、本人は『呪いのようなものだ』と笑っていた。
その姿のまま、どれほどの時を経てきたのか。
少なくとも、ラファエロの年齢はゆうに超えているだろう。
あまりにも異質だが──その彼は今、自分たちの協力者だ。これほど心強いことはない。
「──ならば、我々は予定通り、確実に、作戦を成功させる必要があるな」
ラファエロが口の端を上げて呟くと、クラウスが笑った。
「そうこなくちゃな。あんたのそういうトコ、好きだぜ」
ケットシーのように目を細める。
「凪の一族のお姫サマの台詞じゃねぇけどよ、やっぱあんた、国のトップに向いてるんじゃねーの?」
「そうか。ならばそうなった暁には、お前は補佐として働いてくれるか?」
冗談交じりに問うと、クラウスはにやりと笑った。
「待遇次第では考えてやらんでもない」
「なるほど、それは難しい問題だな」
クラウスが給料や地位で釣れるとは思えない。
本人が面白いと思うような仕事か、場所か、環境か──そこまで考えて、ラファエロは内心で苦笑した。
(…国を背負って立つ気は無かったんだがな…)
思い出すのは、先程のリョウの透徹した眼差し。
──『少なくとも貴方は、呪われた一族なんかじゃないと思いますよ』
──『多分、人々を導く役割には向いているんじゃないですか』
その言葉が、どれほど自分の救いになったことか。きっと、言った本人は気付いていないだろう。
『初代皇帝の再来』と呼ばれた兄と違い、ラファエロには呪術師の才能が無かった。
瘴気を感じ取ることは出来たが、肝心の『瘴気を操作する能力』が無かったのだ。
故に親族たちはラファエロをあからさまに軽視し、侮蔑し、嘲笑った。
何か他のことで役に立とうと必死に勉強し、鍛錬に打ち込んでも、その視線が変わることは無かった。
──一族の落ちこぼれ。恥ずべき存在。ずっとそう呼ばれて生きて来た。
唯一、兄だけは『ラファエロは視野が広くて頭が良いんだから、別の分野で活躍すれば良い』と、ラファエロの努力を認め、後押ししてくれた。
ラファエロを外交官に抜擢してくれたのも兄だ。彼は皇帝に即位してすぐにラファエロを呼び出し、親族たちの居並ぶ中で直々にラファエロを外交官筆頭に指名した。
その時の親族たちの唖然とした顔は、暫く兄弟だけの宴席で笑い話のタネになった。
だが──その兄は今、禁断の呪術に手を出している。
(…気持ちが分かってしまうのが、辛いな)
兄とその奥方は、政略結婚ではあったが非常に仲睦まじい夫婦だった。
子宝に恵まれなかったのに、いずれ親族から養子を取ると宣言し、第2妃、第3妃を娶るのを拒否したくらいだ。
──きっとそれが、兄の最も幸せな時間だったのだろう。
それほど身体が丈夫ではなかった奥方は、兄が皇帝に即位してから5年後、酷い風邪に罹り、1ヶ月に及ぶ闘病の末にこの世を去った。
失意の底に沈む兄に、掛ける言葉が見付からなかった。
だが周囲の心配をよそに、兄は驚くほど早く復活し──政治方針をガラリと変えた。
増税に次ぐ増税。あらゆる犯罪行為に対する罰則の強化。徴兵制の新設に…極めつけは、他国への軍事侵攻。
最初は、隣接する王国への侵攻だった。
特に仲が悪かったわけではない。むしろ友好国だったと言っても良いだろう。
それなのに、皇帝の周囲には反対する者が居なかった。
ラファエロだけはそれを止めようとし──即日、外交官の地位を取り上げられた。
違和感に気付いたのは、解雇された後のことだ。
皇城を去る直前、すれ違う政務官たちの目には生気が無かった。
その後、皇都で当てもなくその日暮らしをする中で、ふとした拍子に呪術の──瘴気の独特の流れに気付いた。
調べて行くうちに、その呪術は他人を操る禁術だと分かり…ラファエロは激しく後悔した。
──自分が呪術師だったら、兄が取り返しのつかない事をする前に、察知できたかも知れないのに。
その後悔は、今でも胸の中にある。
けれど。
──リョウやクラウスが言うように、自分が人々を導くのに向いているというのなら。
もう戻れない兄を止め、この国に平穏を取り戻すのは、弟である自分の役目だ。
重すぎる責任を、『呪われた一族ではない』自分が、負って見せようじゃないか。
ラファエロは静かな決意と共に、酒瓶から直接中の液体を呷る。
──入っていたのは酒ではなく、スパイスを少し入れたブドウの果汁だった。
「………クラウス…」
「や、だって、『酔わない酒があるなら持って来い』っつったじゃんか!?」
気合いが入り切らないのも、存外自分たちらしいのかも知れない。
クラウスを半眼で見遣りながら、ラファエロは内心で苦笑した。




