47 凪の一族の里(2)
アベルたちが話していると、
《──リョウ!》
森の方から念話が響いた。
リョウは弾かれたようにそちらを向き、目を見開く。
「繊月!」
《無事だったか!》
駆け寄って来たのは、金色の目の真っ白なケットシー。
長い尻尾をひらりと振り、アベルたちを見渡す。
《彼らは?》
「味方。公国軍の人たちだよ」
《そうか》
短いやり取りの後、ケットシーはこちらに向けてきちんと座り直す。
《俺はこの森に住むケットシーの、繊月。リョウたち凪の一族とは一族ぐるみの付き合いだ》
アベルたちも名乗ると、繊月はすぐにリョウへと視線を戻した。
《リョウは公国へ逃れていたのか。道理で、探しても見付からないわけだ》
「宝生が逃がしてくれた。…心配掛けてごめん」
《全くだ》
深く頷きながらも、繊月が笑う。
分かり合っている雰囲気に、アベルの胸にもやもやとしたものが湧いた。
…いや、相手はケットシーだ。嫉妬してどうする。
「繊月。もしかして、里を守ってくれてた?」
《一応な。…宝生たちが石になるのを黙って見ているしかなかったから、せめて…な》
視線を落とす繊月の目に、苦いものが浮かぶ。
事が起きたのは20日ほど前。宝生は里の前で凍牙とアオイと対峙し、石化の術を使った。
里の皆は異常に気付いて外に出て来たところで術に巻き込まれ、そのまま石化。
繊月はかなり離れた木の上から様子を見守っていたため、難を逃れた。
《凍牙とアオイの様子がおかしいのは一目で分かったし、リョウが居ないのも普通なら有り得ないからな》
まずはリョウを見付けようと、繊月はその後すぐに森の中を探し回った。
そして数日後、異常に気付いて再度里を見に来たところ、帝国軍が里を荒らし回っていた。
《…その時にはもう、家も壊されていて…石化したみんなを砕こうとしていたが、幸い砕けるような力を持った人間は居なかった》
「砕こうとして砕けるもんなのか?」
「超高威力の破壊系の魔法なら、多分」
そんな魔法を使えるのは、軍でも高位の魔法兵くらいだろう。
《連中は全員、普通の帝国兵の格好をしていた。魔法兵は居なかったと思う》
それが幸いしたということか。
そうして里を破壊するうち、誰かが侵入者を排除する術の発動条件を満たしたらしく、兵士たちは一斉に吹っ飛んで行った。
危機は去ったが、そうなるとケットシーも里の中には入れない。
それ以降、術の範囲外に居る宝生、凍牙、アオイを帝国軍や魔物や瘴魔に奪われないよう、繊月と仲間のケットシーたちは交代で見張っているそうだ。
話を聞いたリョウは、繊月に深く頭を下げた。
「ありがとう、繊月」
《なに、俺たちと凪の一族の仲だ。当たり前さ》
繊月はさらりと返し、石化した宝生を見上げる。
《…石化する前、宝生は笑っていた。凍牙もアオイもな。──多分、リョウに後を託したんだろう》
改めて3人をよく見ると、確かに宝生は不敵に笑い、凍牙とアオイは安堵の表情を浮かべているように見える。
この時の彼らにとって、石化することが最善策だったのだろう。
「…重いね」
《そうだな》
リョウが思わずといった様子で呟く。
それでも、立ち止まるという選択肢はリョウの中に無いのだ。
「──石化を解くには、まず宝生と凍牙とアオイに掛けられた呪術を解かないといけない」
先程アベルたちに説明したのと同じ内容を繊月に告げる。
ケットシーはすぐに頷いた。
《呪術か、なるほどな。…けど、呪術師が居るのはここら辺じゃないな。気配が森の外に繋がっている感じがする》
「…うん。方角的に、帝都で間違いないと思う」
「気配で辿れるの?」
アベルが訊くと、リョウは頷いた。
「物に掛けられた呪術と違って、人を操る呪術は呪術師が常に操作することになるから。その繋がりを気配として追えるみたい」
「確かに、ミミズが這ってるみたいな変な気配がしてるな」
「背中がムズムズするっスね」
呪術を感知出来るブラウとチェレステも、感じ方はそれぞれ違うが分かるらしい。
指さした方向は、3人とも同じだった。
《それなら、リョウ》
「なに?」
《里の防衛用の術を解いてくれ。石化した里の連中で、建物の下敷きになってるやつが居るんだ。今のうちに安全な場所へ移動させておく》
繊月の視線に釣られて門の中を覗き、アベルは息を呑んだ。
──家という家が、破壊し尽くされている。
ある家は窓とドアが叩き壊され、ある家は壁が崩れ落ち、またある家は丸ごと倒壊している。
無事な建物は1軒もない。
その中に、ぽつりぽつりと石像が見えた。石化した住民たちだ。
家の状況に対して、見える範囲の石像は無傷。話には聞いていたが、実際見ると現実とは思えない異様な光景だ。
「──分かった」
リョウは一瞬目を閉じた後、頷いて門へと歩き出した。
「リョウ」
思わずその背に手を伸ばすと、リョウは振り返り、アベルたちはここで待ってて、とこちらを押し留める。
「術で弾かれると大変だから」
「分かった」
ブラウがアベルの肩を押さえて頷いた。
リョウが門をくぐり、奥へ入って行ってから数分後。
「…?」
キン、と耳鳴りのような音が聞こえて、すぐに消えた。
繊月がぶるりと身体を震わせ、立ち上がる。
《解除できたみたいだな》
繊月が門へ駆け込むと、中からリョウも歩いて来た。
「もう良いよ。入って」
促されて、アベルたちも足を踏み入れる。
さあ、と乾いた風が吹いた。
背の高い石壁にぐるりと囲まれた、小さな集落。建物は10軒もない。土台は石材、家そのものは木造。
原型が残っている建物を見る限りでは全て1階建てで、農村のような古風な雰囲気がある。
点々とある石像──石化した住民は、皆、公国でも帝国でもあまり見ない前合わせの服を着ている。驚きの表情で固まるその姿に、チェレステが目を伏せた。
「…近くで見るときついっスね」
生きた人間だと分かっているから尚更だ。
「里人は全部で何人居るんだ?」
「私と宝生たちを合わせて、15人」
「つーことは、ここに11人居れば良いわけだな?」
その後手分けして確認すると、確かに里の中の石像は11体あった。
倒壊した建物の下敷きになり、身体の一部しか見えない者も居る。繊月の言った通り、石化している間に安全な場所に運び出した方が良さそうだ。
《俺らがやっとく。リョウはリョウにしか出来ないことを優先してくれ》
「けど…」
どこから瓦礫を片付けようかと話し始めたら、繊月に止められた。
戸惑うリョウに、チェレステが手を挙げる。
「なら、俺がここに残って、公国から応援を呼ぶっスよ。侵入者排除の術も解いたんだし、ケットシーの皆さんだけじゃ心配っスよね」
一旦公国側に渡り、最寄りの拠点で早馬を頼めば明日の夕方には応援が到着する。
それまではケットシーとチェレステだけで警備を行うという。
「大丈夫なの?」
アベルが言うと、モーリスがフンと鼻を鳴らした。
「これでもこいつは戦闘員の端くれだ。何とかするっつーなら何とかするさ」




