42 動き出す事態(5)
後は当事者で情報を共有しろと執務室を追い出され、アベルたちは隣の会議室に移動する。
手近な椅子に座り、で、と話を振ったのはブラウだった。
「随分急な話だけどよ、何かあったのか?」
「…ある筋から、世界樹の限界が近いと知らされた」
リョウが答えると、モーリスがフンと鼻を鳴らす。
「その『ある筋』を教える気は無ぇってか」
「…ごめん。でも、信頼できる相手なのは間違いない」
「阿呆。謝るな」
言えないことがあるのは当然だ、とモーリスは言う。
薄々感じていたが、モーリスはアベルが関わらないとやたら物分かりが良いと言うか、常識的に見える。特にリョウが相手だと。
そのモーリスが次々発する問いに、リョウは淡々と答えていく。
「特殊な世界樹って言ってたな。他とどう違うんだ? ──ああ、言えないなら言わなくていい」
「普通の世界樹は大地を循環する魔素を吸い上げて空へ放出するけど、凪の一族が守る『反転の世界樹』はその逆。魔素と、瘴気というものを空気中から吸い取って魔素に還元して、大地へ戻す」
「瘴気ってのは何だ」
「生き物の負の感情の成れの果て…のようなもの。反転の世界樹だけが、瘴気を魔素に還元できる」
「世界樹の限界が近いってのは」
「…瘴気の還元が追い付かなくて、瘴気が世界樹に限界近くまで溜まってるってこと。限界に達すると、溜め込んだ瘴気を一気に放出した後、今度は逆に魔素を瘴気に変えて放出するようになる」
「瘴気を放出するようになるとどうなる?」
「濃度にもよるけど…最終的には植物は枯れ、生き物は死に絶え、辺り一帯が何も育たない不毛の地になる」
「えっ…」
チェレステが目を見開いた。
アベルは先程トパーズから聞いた話を伝える。
「ほら、北の大陸にあるっていう『呪いの地』。あれ、反転の世界樹が限界を迎えて瘴気を放出するようになった結果できたらしいよ。あそこにあった国一つ、それで滅んだって」
「…あれか」
モーリスが渋面を作り、チェレステが慌てたように声を上げる。
「で、でもそれ、噂ですよね? 噂……」
言いつつリョウの様子を窺い、どう見ても冗談を言っている雰囲気ではないことに気付いて口を噤む。
「…反転の世界樹がそうなってしまったら、対処する術が無い。だから、限界を迎える前に滅ぼす──切り倒す必要がある」
「世界樹をか? 無茶だろ」
「──それを出来るだけの実力を持ち、その使命を負える人間が、凪の一族では『月晶華』と呼ばれてる」
「…お前がそうだってことか」
「…うん」
凪の一族の『月晶華』は、世界樹を守り、瘴気が凝って生み出される『瘴魔』を狩る。
一方で、世界樹を監視し、いざという時は世界樹を滅ぼす役割を負う。
矛盾しているように見えるが、『瘴気の影響を最小限に抑える』のが本質ということだろう。
その後もモーリスやチェレステが質問をし、それにリョウが答えるという形で情報の共有が進む。
一通り話を聞いた後、モーリスとチェレステの眉間には見事にシワが寄っていた。
「ついこの間街から集めた呪術が掛かってるっていう工芸品も、これ絡みだったんスね」
「パレンシア伯爵の逮捕もか。国内に随分と広がってるみたいだな」
2人の言葉に、リョウは頭を下げた。
「…凪の一族の問題に、巻き込んでごめん」
アベルは目を見開き、慌てて声を上げた。
「リョウ、それは違う! リョウは危機を知らせてくれただけでしょ?」
モーリスがフンと鼻を鳴らして腕組みする。
「アベルの言う通りだ。呪術を使って何かしようとしてんのは、お前の一族じゃなくて帝国の上層部だろうが」
「そういうこった。むしろ公国にとっちゃ、貴重な情報が得られて有り難いくらいだろ」
「そうっスよ!」
全員に一斉に否定されて、リョウは驚いた顔をする。
数秒後、少しだけ泣きそうな顔で微笑んだ。
「……ありがとう」
それにしても、この状況で真っ先にするのが謝罪とは。本当に、他人に頼るのが苦手なようだ。
アベルが内心で溜息をついていると、それにしてもよ、とブラウがモーリスを見遣る。
「お前さっき、リョウが帝国の人間だって聞いても全然驚いてなかったよな」
「まあな」
モーリスは当然という顔で腕組みする。
「──そもそも、こいつがアベルたちの幼馴染じゃねぇってことはバレバレだったんだよ」
「え?」
アベルは思わず呻いた。
自分たちの演技は不足だったのだろうか。
「ニルダとブラウ、特にニルダの距離感だ。あいつは気心が知れてる奴は息をするようにからかうだろ。だがリョウにはそれがなかった」
「あー…」
ブラウが呻く。
言われてみれば確かに、ニルダはリョウに対してはお節介モード全開で、からかったりはしていなかった。
「つーか俺もかよ。俺はそんなに絡んでなかったと思うんだが」
ブラウが首を傾げると、モーリスは呆れた目でブラウを見遣る。
「お前の場合、距離が遠すぎだ。それに、リョウとアベルをたまに監視する目で見てたぞ。大方、隊長に様子を見るよう命じられていたんだろうが」
「うっわマジか…」
ブラウは天を仰いだ。
それに気付くモーリスもモーリスだ。どういう観察眼をしているのだろうか。
…ブラウが監視していたというのは少々ショックだが。リョウが帝国民であることを考えると、無条件で信用するわけにもいかなかったのだろう。
モーリスはさらに指摘する。
「まあ決定的だったのは、リョウの雰囲気だがな」
「え」
「任務から帰還したってのに、四六時中あんな張り詰めた空気を纏っているやつがあるか。訳アリだと宣言してるようなもんだ」
実際大多数の隊員は騙されているが、察しの良いベテランの何人かは、何らかの事情があると気付いているのだという。
チェレステが挙手する。
「ちなみに俺は気付いてなかったっス。レイナ──リョウさんがこっち来てすぐに帝国の様子を見て来いって言われたんで、何か特別な情報を持ち帰ったんだろうなーとは思ったっスけど」
まあそれが普通だろう。モーリスがおかしいのだ、多分。
リョウが首を傾げた。
「…モーリスは、ニルダに事情を聞いてたんじゃないの?」
「は?」
何故そこでニルダが出て来るのだ。
アベルは不思議に思ってモーリスを見遣り──モーリスが今まで見たことのない表情で固まっている事に気付いた。
(…あれ?)
図星を突かれたというか…とりあえず動揺が前面に出ている。
「えっと、リョウ、どういうこと?」
「モーリス、ニルダと付き合ってるよね?」
「……はあ!?」
アベルは思わず叫んだ。
そして、叫んでから気付く。
チェレステもブラウも、全く驚いていない。
ブラウは苦笑しているし、チェレステは『あーあ』という顔でそっと視線を逸らしている。
固まっているモーリスの顔にみるみるうちに朱が上った。
「え、ちょっと待って。もしかして、気付いてなかったの、俺だけ?」
硬直するモーリスではなく、ブラウとチェレステに向けて訊くと、2人は同時に頷いた。
「俺は一応、モーリスさんに近い人間なんで」
「俺は嘘ついてたらすぐ分かるしなー。隠すのも不毛だからって、ニルダから聞いてたぜ」
ならばリョウはと視線を送ると、リョウは困った顔で首を傾げる。
「…ニルダが時々、モーリスの気配の残滓を纏ってたから…」
「気配の残滓」
「野生動物か、お前は」
赤い顔のモーリスが、苦々しい顔で呻いた。




