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アベル・イグナシオ回想録 ~国境で捕えられた敵国人は、俺の命の恩人でした~  作者: 晩夏ノ空


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4 再会(3)



 ──最初に見えたのは、森の中、拓けた場所に集まる男女の姿。


『凍牙、アオイ、おかえり!』

『よう、遅かったな』


 明るい声で話すリョウと、その隣に並ぶスキンヘッドの男。

 対面する青年と髪の長い女性は、穏やかな笑みを浮かべている。


『ええ、ただいま。リョウ、宝生』

『済まない、遅くなった』


 口調の端々から、親しげな雰囲気が伝わる。


 アベルの知らないリョウの姿。

 これはリョウの視点から見た記憶だから彼女の表情は見えないが、恐らく目の前の女性と同じように笑顔を浮かべているのだろう。


『皇帝に会ったんでしょ? 何か収穫はあった?』

『ええ、勿論』


 リョウの問いに、女性が深く頷いて──



   ニ ゲ テ



 その口が、声なき言葉を紡いだ。



『…!』



 スキンヘッドの男とリョウが、大きく飛び退る。

 一瞬で遠くなった青年と女性は、先程と同じ笑顔。


『…ああ、浅かったか』


 笑顔の青年の手には、いつの間に取り出したのか、短剣が握られていて──その刀身は赤く染まっていた。


『…くそっ…』

『宝生!』


 スキンヘッドの男が悪態を吐き、左腕を押さえる。

 その指先から血が滴った。腕を深く縦に斬られている。


『流石は宝生ね』



   ダ メ


    ニ ゲ テ



 笑顔で称賛する声とは裏腹に、女性の口元は悲痛に歪み、必死に声なき声を伝えようとする。


 ──まるで誰かに操られ、自由になるのは唇だけだというように。


『アオイ、これで行けるか?』

『ええ、十分よ。後はリョウだけね』


 青年から短剣を受け取り、女性が微笑む。

 宝生と呼ばれた男はまだ腕を斬られただけなのに、まるでそれで決着がついたような言い草だった。


『ちっ…!』


 スキンヘッドの男には、その言葉の意味が分かったらしい。こちらに──リョウに視線を投げ、行くぞ!と叫ぶ。


『けど、宝生!』

『阿呆! あいつらはもうダメだ! 俺も──…とにかく、行くぞ!』


『逃がさないよ』


『!』


 次の瞬間激しい金属音が響き、目の前に青年が居た。

 穏やかな笑顔の中心、目の奥に異様な光が見える。


 一体いつの間に抜いたのか、リョウは青年の剣を鍔迫り合いの形で受け止めていた。


 青年の剣はよく見る両刃の長剣だが、リョウの持っているのは緩やかに湾曲した片刃の剣だ。

 確か東方の武器──カタナ、というやつか。


『…ああ、俺じゃ届かないか』


 青年が笑顔で言う。

 その腕が、何かを堪えるようにカタカタと震えていた。


『じゃあ私ね』


 女性の声が響いた直後、視界の端で女性の姿が消えた。



『っ!』



 リョウは咄嗟に飛び退ったようだが、女性はそれ以上に速かった。


 左腕に拳が掠めたと思ったら、掠っただけのはずの上腕が不自然な形にひしゃげる。

 乾いた木の枝が折れるような音がした。


『ぐっ…!』

『逃げちゃダメよ』


 目の前に、薄ら寒い女性の笑み。


 次の瞬間、打撃音と何か乾いた音と共に、視界が激しく揺れた。


 胸のすぐ下、わき腹付近に女性の拳がめり込んでいる。

 今の音、まさか──肋骨も折れたのか。


 すくい上げるようなカタナの反撃は、女性に余裕で回避される。


 相手が強いだけではない。リョウは明らかに攻めあぐねていた。


『リョウ!』


 スキンヘッドの男の声が響き、何かがリョウのすぐ横を掠めて青年と女性の目の前に落ちて──



 ──バチィッ!



 白い光と激しい音がした直後、青年と女性がビクンと硬直し、地面に倒れる。


『行くぞ、リョウ!』

『…っ分かった!』


 リョウは一瞬青年と女性の方を振り返ったが、すぐに宝生を追って駆け出した。


 時折、視界が不自然に揺れる。恐らく殴られた部分が痛むのだろう。


 それでも──森の中を恐ろしい速さで走り抜け、程無く国境の川岸、崖の上に着く。



『リョウ、お前は行け。公国にこの事を知らせろ。俺たちだけじゃどうにもならん』

『宝生!?』

『あいつらはもう、皇帝の傀儡(かいらい)だ。皇帝が呪術師だって噂はマジだったんだよ。──俺も奴らに血を取られた。多分、正気で話せるのはこれが最後だ』

『…!』


 リョウが息を呑んだ。


『──まあ、タダで操られてやる気は無いけどな』


 額に脂汗を浮かべ、宝生が獰猛な笑みを口元に刻む。

 そのまま手を不思議な形に組み合わせ、何事かを呟いて──



 ヴォン!



 リョウの周囲に、薄紫色の膜のようなものが展開する。


『これ──!?』

『俺のとっておきだ。俺は防御術くらいしか使えないけどな、だからこそ出来る事もあるんだよ』


 不敵に笑い、宝生は右手でリョウの肩を掴んだ。



『──後は頼んだぜ』



 強い決意を秘めた瞳がこちらを射抜く。

 次の瞬間、視界が後ろに動いた。


 宝生に肩を強く押されたリョウがよろめく。



 そして──その先には、地面が無かった。



『宝生!』



 伸ばした右手は、もう届かない。



 川に向かって落下するリョウを見詰める宝生の笑顔は、ひどく穏やかに見えた。




『──じゃあな、リョウ。俺の大事な──』



『──!!』



 ひどく遠い宝生の声と、言葉にならないリョウの悲鳴。


 直後、視界が激しい水しぶきと一面の泡に変わる。


 上も下も分からない中、リョウの右手が必死で水をかくのが見える。どうやら、膜のようなものは水を退ける機能は無いらしい。




 ──どれほど泳いだだろうか。



『…』



 やがてリョウは、どこかの川岸に着いた。


 目の前には、半分ほど崩れた崖。

 右の方に、特徴的な形をした大岩が見える。


 その地形には見覚えがあった。公国領の中ほど、帝国との間に掛かる橋が近くに無い場所だ。


 リョウの目線が先程より低い。左腕が不自然に脱力しているのが視界に入った。

 恐らく、気力と体力の限界が近い。


『……知らせなきゃ』


 掠れた声が呟いた。


『行か、なきゃ…』


 ぐらり、視界が大きく傾ぐ。

 それでも岩に右手をつき、1歩、2歩と踏み出して──




『……銀…月……』




 小さな囁きと共に、視界は闇に閉ざされた。






「──い! おい、アベル!」


 強く肩を揺さぶられ、アベルは我に返った。


 周囲を見渡すと、そこは尋問部屋。横に、心配そうな表情のダリオ。

 目の前には、拘束された黒髪の女──



「…っ!」



 アベルは立ち上がろうとして、大きくよろめいた。


 『月の眼』を使った反動で三半規管が狂い、頭が割れそうに痛い。


 だが今は、それすら気にならなかった。


「おい、無茶すんな!」

「…ダリオ、頼む」


 支えてくれるダリオに縋り付き、アベルは必死に言葉を紡いだ。


「彼女の拘束を解いてくれ。彼女は──」


 リョウは再び俯き、どうやら気絶しているようだった。


 当たり前だ。『月の眼』による記憶探査は、探査する方とされる方、両方に等しく負担を強いる。

 丸一日防御壁を維持し続けた後で、耐えられるはずがなかった。


 どれほどの怪我をしているかも分からない。

 焦燥だけが募り、意識が上滑りする。




「──リョウは、俺の命の恩人だ!」






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