34 パレンシア家の夜会(1)
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社交界デビューは、貴族にとって決して忘れられない思い出になる。
孤児出身の特殊部隊員にとっても、それは例外ではない。
しかし、彼女以上に鮮烈なデビューを飾った者は、他に居ないのではないだろうか。
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──3日後。
衣装部屋の奥の試着室で濃灰のジャケットを羽織り、アベルは鏡の前に立った。
オーレリアの夫が着るはずだった、濃灰の三つ揃え。
アベルのために補正された衣装は、驚くほどしっくりと馴染む。
「アベル、準備出来たか?」
扉の向こうからブラウの声。ブラウは自前の衣装だから、もう準備が終わったらしい。
アベルは急いでドレッサーの上のイヤリングを手に取った。
「もうちょっと待って」
鏡を見ながらイヤリングを着けようとするが、これが存外難しい。
「入るぞー…ってお前何やってんだ」
手元が狂ってイヤリングを落とした瞬間に、ブラウが部屋に入って来た。
濃紺の三つ揃え姿のブラウは、カーペットに転がるイヤリングを見て納得の表情を浮かべる。
「ああ、イヤリングか。慣れてないと着けられないよな」
そう言うブラウは、いつもと同じ黒い石のピアスを着けている。
「やってやるよ。貸してみろ」
「お願い」
ここで時間を食うわけにはいかないので、素直に拾ったイヤリングを渡す。
ブラウは素早くアベルの横に回り、イヤリングを着けてくれた。宝飾品店のクロエ並に手慣れている。
「出来たぞ」
「ありがとう」
鏡で確認すると、耳たぶに青白く輝く白い石。
試着した時は少し派手かと思ったが、こうして正装と合わせてみると丁度良い感じがする。タイの留め具と石が同じだからかも知れない。
「行こうぜ」
ブラウと共に試着室を出る。
隣の部屋はまだ扉が閉まったままだ。中からニルダの楽しそうな声がしている。
「ほーらリョウ、観念しなさい!」
「…そんな派手にしなくても」
「駄目よ。ドレスに合わせないとかえって不自然だもの」
アベルとブラウは顔を見合わせる。
貴族でも男性は基本、化粧しない。
やっても化粧水をつけて少し白粉をはたくくらいで、そんなに時間は掛からない。
やはり女性は大変だ。
そのまま数十分待っていると、ようやく扉が開いた。
「おっ待たせー!」
大変テンションの高いニルダが、ドレス姿で登場する。
何度か目にしたことのあるドレスだ。確か、給料を貯めて自分でオーダーしたドレスだったか。
年間通して着られるよう、工夫を重ねた作りになっているらしい。以前ニルダが自慢していた。
貴族の間では、夜会に出席するのに同じドレスを連続で着るのは好ましくないとされている。
しかしニルダ曰く、『毎回同じ人と会うわけじゃないし、髪型とか小物で変化をつければ良いのよ。仮に相手に気付かれたとしても、面と向かって指摘してくる無粋な輩は居ないもの。第一私、生粋の貴族じゃないし』だそうだ。
「ほらリョウ、出て来なさいよ」
ニルダがとても楽しそうに試着室を振り返る。
数秒後に現れたリョウの姿を見て、アベルは息を呑んだ。
「──」
印象的なワインレッドのドレス。
露出が少ないのに色気を感じるのは、体のラインにきっちり合わせてあるからだろう。
長手袋は肘を覆うくらいの長さ。少しケープ部分が翻ると二の腕がチラ見えする、絶妙なサイズ感だ。
髪は少し遊びを持たせて結い上げてある。リョウの髪はそれほど長くはないのだが、どうやらピンを巧みに使ってアップスタイルにしたようだ。
髪飾りはレースやサテンを使った花の形。縫い付けられたビーズがきらきらと輝く。
いつもより念入りに施された化粧で、顔は一段華やかになっている。
口紅はドレスに合わせて濃い紅かと思いきや、健康的なピンク色。ふっくらと艶感があり、うっかりすると目が離せなくなりそうだ。
左の手首には腕輪、胸元にブローチ、そして両耳にイヤリング。全てムーンストーンで揃えられたアクセサリーは、最初からこれで一揃いだったように統一感がある。
「…すごく似合ってる。綺麗だよ、リョウ」
「ええと…ありがとう」
心からの賛辞を贈ったら、リョウは頬を染めて視線を逸らした。
「その…アベルも似合ってる」
何だ、この可愛い生き物は。
吐血しそうな内心を全力で隠し、アベルはにっこりと笑った。
「ありがとう。これなら、パートナーを務められそうだね」
「ホントよ。今のアベルでギリギリって感じね。正直ここまで化けるとは思ってなかったわ」
ニルダが達成感と呆れの混ざった表情で溜息をつく。
リョウを化けさせたのは他ならぬニルダなのだが、やった本人でも驚く仕上がりらしい。
気持ちは分かる。隊の制服も精悍な雰囲気で良く似合っていたが、ドレス姿だと女性らしい線の柔からさと涼し気な雰囲気が強調されて、神秘的な美女になっているのだ。
そこらの貴族令嬢が霞む。それくらいの存在感がある。
「アベルが添え物になる日が来るとはなあ」
ブラウがケラケラと笑った。
「ちょっと、添え物じゃなくてパートナー」
「パートナー組んだら、男は大体添え物になる運命なんだよ」
ドヤ顔で説明される。
そうそう、とニルダが頷いた。
「つまりブラウも私の添え物ってことよね」
「馬鹿言うな。むしろお前が添え物っつーか、虫除け役だろ」
「…虫除け?」
リョウが首を傾げた。
そういえば、きちんと説明していなかったか。
「ブラウは既婚者なんだよ。奥さんは子爵家出身なんだけど、体が弱くて夜会に出られないから、代わりにニルダがパートナーになる事が多いんだよね」
「…奥さん、居たんだ…」
「おいそこ、驚くな」
リョウが意外そうな顔をして、ブラウが突っ込んだ。
ニルダが訳知り顔で頷く。
「分かるわ。ちゃらんぽらん男にしか見えないのに何で奥さん居るんだよって、よく驚かれるのよねー。結婚当初は詐欺に引っ掛かったと思われてたし」
「あれね。隊長すらちょっと疑ってたもんね」
「お前ら、人の古傷を寄って集って抉るなよ!」
特殊部隊員が貴族と縁付くのは珍しいことではない。
しかし、ブラウは男爵位を賜ってすぐに子爵家から打診があったのと、一人娘の婿養子として来て欲しいという熱烈な要望だったため、周囲の注目を集めた。
「じゃあブラウは、厳密には子爵家の一員?」
「一応な。義父殿がまだ現役だから、次期当主ってやつだ」
だから夜会では、第2夫人、第3夫人を希望する男爵家のご令嬢がブラウに群がる。一人で出席すると大変面倒なのだ。
「丁度私は夜会に参加できるような相手が居ないし、ブラウの奥さんともそれなりに親しいから、奥さんに頼まれて代理でパートナーを務めてるの」
ニルダがそう説明すると、リョウは首を傾げた。
「…でもニルダ、付き合ってる人、居るよね? 良いの?」
「え!?」
当たり前の顔で言われ、ニルダが目を見開く。
アベルも思わず声を上げた。そんな話、一度も聞いたことが無い。
硬直から脱したニルダが、焦りの混ざった表情で口を開く。
「え? 待ってリョウ、何言って──」
「だって、モ」
「待って待って待って! ホントに!」
何か言い掛けたリョウの口をニルダが必死の形相で塞ぐ。
…どうやら、リョウの指摘は的を射ているようだ。
「何で!? 何で分かったの!?」
「…例えば昨日、」
「わーっ!」
自分で説明を求めたくせに、リョウの言葉を途中で遮る。
「…ニルダ?」
どういうことだとアベルが目で訊くと、ニルダは数秒硬直した後、溜息をついた。
「……分かったわ。夜会が終わったらちゃんと説明する。するから、とりあえずこの話は後回しで。良い?」
「良いよ」
「えっと…分かった」
何やら微妙な空気になってしまったが、今日は問題の夜会当日だ。まずはそちらを優先すべきだろう。
ブラウが軽く手を叩いた。
「そろそろ時間だ。行こうぜ」




