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2 再会(1)


────────────────────────────



 思うに私は当時、とても生意気な若造だったのだろう。

 世間を知った気になって、その実、人の心の機微には疎く、自身の能力を過信して大事なものを見落としていた気がする。

 それは例えば、仲間の気遣い。

 本当に守るべきもの。

 そして──自分の本心。



────────────────────────────




 公国軍特殊部隊のアベル・イグナシオ。


 先進気鋭の若手軍人。

 孤児出身でありながら大公から男爵の地位を与えられ、貴族令嬢たちの熱い視線を浴びる美丈夫。


 曰く、『夜会で美女を取っ替え引っ替え』『決まった相手が居ないのは、令嬢たちが手を組んで順番待ちをしているから』『実は男色』…など、噂は枚挙にいとまがない。


 が、実際のところは。



「…仕事が忙し過ぎて、相手を作る暇なんて無いんだけど…!?」



 軍の本部、特殊部隊長の執務室。


 補佐の席で書類にサインを殴り書きしたアベルは、八つ当たり気味にペンをインク壷に突っ込んだ。


 丁度部屋に入って来た同僚、ブラウが眉を顰める。


「何の話だよ」

「…さっき治安部隊の連中が廊下でしてた陰口に対する回答」

「あー…。お前聞こえてたのか」

「ブラウが『あっ治安部隊のみなさんおはようございます』ってわざとらしく挨拶してるのも聞こえたよ」

「相変わらず阿呆みたいな聴力だな」

「それが取り柄の一つだからね」


 ふう、と溜息をついて、波立った感情を鎮める。


 治安部隊は、主に人口の多い街を守る部隊だ。

 公国の住民に最も親しまれている部隊だが、見方を変えると『住民に舐められがち』とも取れる。


 例えば、危険かつ大規模な犯罪が起きた場合は、アベルたち特殊部隊や軍の本隊も動員される。


 あくまで治安部隊の応援という位置付けなのだが、住民の目には『重要な場面では治安部隊以外が出て来る』ように見えるらしく、治安部隊は『荒事に向かない坊ちゃん部隊』だと思われているのだ。


 結果、特殊部隊は治安部隊に要らぬ対抗心を燃やされ、その中でも目立つアベルは嫌味や陰口の槍玉に挙げられる。

 いい迷惑である。


「陰口叩く暇があるなら、仕事を代わって欲しいよ…」


 ぼそり、呟くと、ブラウが肩を竦めた。


「それな。──まあ無理だけどな」

「まぁね」


 公国軍特殊部隊は、その名の通りかなり特殊な部隊だ。


 普通、軍の兵士は貴族平民問わず公募で募る。

 部隊ごとに募集を掛けることもあれば、『新兵募集』として、採用後に適性を見て各部隊に配属することもある。


 だが特殊部隊に関しては公募は行われていないし、そういった経路で新人が入って来ることはまず無い。


 アベルたち特殊部隊員は、全員が孤児──それも、軍事孤児院で適性を見出され、幼少期から特別な訓練を受けた者たちなのだ。


 しかも、指揮命令系統も他の部隊とは異なる。


 軍務卿をトップに頂く公国軍の中で、特殊部隊だけが、大公の直轄部隊として位置付けられている。

 他国で言う近衛兵、あるいは親衛隊の立ち位置に近いが、実際には大公の護衛を務めるだけではなく、大公の手足となって情報収集や裏工作なども行う。


 当然、その仕事は多岐にわたり、実務も書類仕事も膨大だ。


 表向きは単なる『大公の護衛』だから、他の部隊にはいまいち苦労が理解してもらえないのだが。


「あいつらにこの仕事任せたら、3日で音を上げるでしょ」

「夜会すら任務の一環だって知ったら、あいつら裸足で逃げ出すだろうな」


 顔を見合わせて苦笑い。


 貴族の集まる夜会は、特殊部隊にとって重要な情報収集の場であり、高貴な方々を陰ながら護衛する任務の場でもある。

 夜会は基本的に主催者の私兵が警備するが、目の行き届かないところをフォローするようにと大公に命じられているのだ。


 大変過保護だが、実際問題が起きるのは大抵人目につかないところなので、その心配もあながち杞憂とは言えない。


 特殊部隊員のおおよそ半数が爵位持ちなのは、夜会に出ても不自然にならないようにという、大公の()()()()配慮だったりする。


 …そのせいでご令嬢たちが特殊部隊員に群がり、余計な面倒事が増えている感もなきにしもあらず。


「今度、パレンシア家で夜会だってよ。またお前のところに招待状が来るんじゃないか?」

「勘弁して欲しいんだけど…」

「いや、無理だろ。あそこのご令嬢、お前にご執心じゃねぇか」


 ブラウに指摘され、思わず渋面になる。


 パレンシア伯爵家は、交易で財を成す有力貴族の一つだ。

 そこの娘は確かにアベルに好意的──と言うか、若干引くくらいの執着心を見せ、アベルにとってはかなり苦手な部類に入る。


 アベルが口を引き結ぶと、ブラウはにやにやと笑った。


「まあ気持ちは分からんでもないけどな。アベル・イグナシオは()()()()()()()()()()にご執心だもんなー」

「誰のことだよ」

「え? 隣国に流れ着いたお前をこっちに返してくれた『命の恩人』殿の事だよ。分かってるだろ?」


 当たり前の顔で言われ、一瞬言葉に詰まる。


「…あの子はそういうんじゃない」

「へー。ほー。ふーん」


 もごもごと呟いたら、ブラウがとても気持ちの悪い笑顔になった。


 嘘は言っていない。

 神凪リョウ──彼女は初恋などではなく、命の恩人だ。


 今どうしているか、とか、どんな風に成長したか、とか、今なら自分も胸を張って隣に立てるだろうかとか、色々と考えることもあるが、彼女は恩人なのだ。


 ──それだけ、のはずだ。


「それより、仕事! 書類は?」

「おう。これな。こっちが今日中で、これは明後日まで」


 アベルが書類を受け取ると、ブラウはキョロキョロと辺りを見回した。


「…ところで、隊長どこ行った? 今日の夜警の打ち合わせがしたいんだが」

「定例会議だよ。今日は長引いてるみたいだね。…夜警の打ち合わせって…何か変わったことでもあった?」


 特殊部隊員は、交代で城の夜警に立つ。


 ただしこれは、他の部隊には秘密の任務だ。

 地下通路や排水路など、一般には認識されていない侵入経路を見張っている。


「ああお前、最近こっちに居なかったから知らないか。──一昨日、国境部隊の連中がこっちの岸に流れ着いた帝国民を捕らえたんだよ」

「帝国民? 死体じゃなくて?」


 アベルは軽く目を見開いた。


 帝国との国境線は、深い峡谷を流れる川。

 たまに人間がこちらの岸に流れ着くことがあるが、大体は死体だ。


 昔自分が崖から落ちて向こう岸に流れ着き、無傷で公国に帰還した時は、どんな奇跡だと散々騒がれた。


 それくらい、あの川を橋以外のルートで越えるのは困難なのだ。


「ああ、生きてるらしい。だもんで、軍全体がピリピリしててな。警備の配置を変えるとか何とか…」


 アベルは昨日まで、別任務で地方に出向いていた。帰って来たのは今朝方だ。

 そのままこの部屋に来たから、軍全体の状況は把握していない。


 しかし、夜警の割り振りは隊長補佐である自分も把握しておくべき案件だ。


「──分かった。隊長が戻り次第、俺も確認しておく」

「頼む」


 ブラウと頷き合ったところで、扉が開いた。


 入って来たのは、壮年の男性──噂の特殊部隊長、エドガルド・ハイメ。


「おかえりなさい、隊長」

「お邪魔してるっス」

「ああ」


 ブラウと2人で敬礼すると、エドガルドはおざなりに敬礼を返し、やや逡巡するようにアベルを見た後、視線を彷徨わせた。


 厳格な隊長にしては珍しい態度だ。アベルはすぐにピンと来た。


「俺に指名任務ですか?」

「…ああ。帰還早々悪いが、頼めるか?」

「勿論です」


 特殊部隊員に、任務を断る選択肢は無い。


 即答すると、エドガルドは一つ頷いて腕組みした。


「──尋問部隊より応援要請だ。先日捕らえた帝国民の記憶の『読み取り』を、お前に頼みたい」

「承知しました。今すぐ向かってよろしいですか?」

「ああ」


 やはり、任務はアベルの特殊能力の使用要請だった。


 隊長とブラウに敬礼して、アベルはすぐに部屋を出る。


 正直、今能力を使うのは負担が大きいのだが──文句は言っていられない。



 それが、特殊部隊員の仕事なのだから。



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