18 貴族教育(4)
そこまでヒントを出されては、探さないわけにはいかない。
アベルは大人しく男物のハンガーラックを漁り、程無くそれらしいものを見付けた。
一つは、黒い燕尾服。もう一つは、赤みのある濃い灰色の三つ揃えだった。
どちらも裏地はワインレッドで、裏地の質感もあのドレスと似ている。
しかし、どちらなのかが分からない。
判断を早々に諦め、アベルは両方持って試着室の前に戻った。
「あら、もう見付かったのですか」
オーレリアは意外そうに首を傾げた。
その目が少しだけ赤くなっているのは指摘せず、アベルは肯定を返す。
「はい。…ただ、どちらなのかが分かりません」
正直に言うと、オーレリアは微笑んだ。
「どちらも正解ですよ、アベル。招待された場の格式に応じて使い分けるのです」
「え…」
「男性用の服にも、求められる格式というものがあります。実は女性のドレスよりも細かく決まっているのですよ。この服の場合はですが、格上の家の正餐や大公主催の式典などに招待された場合は黒の燕尾服、少し襟を緩めても良い夜会などの場合は濃灰の三つ揃えを着用します」
女性とは違い、型が概ね決まっているため、素材や色に指定があるらしい。
「…知りませんでした…」
今まで間違った服装で夜会に出ていた可能性もあるのではないか。そう思ったら肝が冷えた。
「そのあたりの決まり事は細かいですし、正確に隅々まで把握している方は少ないと思いますよ。普通は仕立て屋に頼めば相応の素材で作ってもらえますから、心配ありません。覚えておいて損はありませんが」
ちなみにこの部屋の衣装は、概ね男爵から子爵相当、主に夜会向けのものが揃っているそうだ。
特殊部隊員は基本的に夜会くらいにしか参加しないし、使い分けを求めると間違える者が出て来る可能性があるため、最初から用途を絞っているらしい。
とても正しい判断だと思う。
「それを踏まえて、アベル。今回の場合、どの服が相応しいと思いますか?」
「…灰色の方、でしょうか」
主催者は伯爵。自分より格上の相手だが、確か比較的ラフな夜会だったはずだ。
アベルが答えると、オーレリアは少し悪戯っぽく微笑んだ。
「正解は『どちらでも良い』です」
「え」
「夜会の格を考えれば濃灰の三つ揃え、社交界デビューを迎えるレイナのパートナーという立場を考えたら黒の燕尾服、ということです。どちらでも礼を失することはありませんから、自分に似合う方を選ぶと良いでしょう」
ただ…と続ける。
「貴方の場合、何を着ても似合うのが困るところですね…」
頬に手を当て、そんなことを呟く。
一応それなりに整った顔だという自覚はあるが、それを『困る』と言われてもこちらが困る。
アベルが困惑していると、試着室のカーテンが開いた。
「すっごいわ! これで決まりよ!」
大変なテンションのニルダに続いて、先程のドレスを纏ったリョウが出て来る。
その姿に、アベルの目は釘付けになった。
(うわ…)
全体はすらりとしたシルエットで、肌の露出も少なく上品な印象。ドレス自体があまり見ない形だからか、不思議な存在感がある。
ニルダに手を引かれてリョウが一歩踏み出すと、スカートの両サイドが大きく開いた。
その隙間から、細かいひだが寄せられた薄紅色のプリーツスカートが広がる。
外側のワインレッドの部分は厳密にはスカートではなく、前身頃と後身頃に分かれた長い上着のようなものだった。
一見するとシンプルなドレスだが、動くと両サイドから薄紅色の重ねが見え、とても華やかになる。
動いて初めてその全貌が分かるドレス──なるほど、オーレリアが『羽目を外した』と言った意味が分かった。
貴族のマナーに反しないぎりぎりの範囲で、遊び心を加えているのだ。
身体の線に沿うドレスは、姿勢の良いリョウの立ち姿をさらに美しく見せる。
惜しむらくは、髪と目の色を変えている点だ。
このワインレッドの色彩はきっと、今の枯草色の髪と夕焼け色の目より、黒髪金目の本来の姿の方が似合う。
「ちょっと胸回りとか腰回りに補正は要るけど、肩幅はぴったりね。裾は──オーレリア様、いかがでしょう?」
「少し長めに見えますが、ヒールを履くことを考えるとこのままで良いでしょう。──それにしても、本当に良く似合っていますね」
「…ありがとうございます」
オーレリアが目を細めると、リョウは少し恥ずかしそうに礼を述べた。
ニルダがギッとこちらを睨んで来る。アベルはようやく我に返り、リョウに近付いた。
「リョウ、すごく似合ってるよ。ちょっと言葉が見付からないくらい…」
「…ありがと」
何故だろう、目を逸らされた。
「あとは、装飾品と…長手袋はあった方が良いでしょうか」
「合わせて作った薄紅色の長手袋があるはずです」
「分かりました、探してみます」
ニルダとオーレリアの間で、話がどんどん進む。
「アベル、あんたの服は──あ、そのうちのどっちかね。どうせだから試着してリョウの隣に並んでみなさいよ」
「あ、ハイ」
思わず敬語で頷いて、言われるがまま試着室に入る。
カーテンを閉めた途端、どっと顔が熱くなった。
(…え? 俺あのリョウの隣に並ぶの!?)
あまり認識していなかったが、リョウは鼻目立ちが整った部類に入る。
可憐とか可愛らしいとかそういうのではなく…『精悍』が一番近いだろうか。
そしてあの、独特だが落ち着いた雰囲気のドレス。
化粧もヘアメイクもしていないのに、驚くほど似合っていた。
フルセットで整えたら、普通の貴族令嬢とは一線を画するとんでもない美人に仕上がる予感がする。
正直ホルターネックのドレス以上に、冷静さを保てる自信が無い。
「アベル、まだー?」
「も、もうちょっと待って!」
悶々と考えていたら、ニルダに急かされた。
アベルは慌てて黒の燕尾服を纏い、カーテンを開ける。
長手袋と格闘していたリョウが、こちらを見て驚いた顔をした。
ニルダが腰に手を当てて溜息をつく。
「あー、やっぱり似合うわね。嫌になるくらい」
「ちょっと、言い方」
褒められているはずなのに、褒められている気がしない。
アベルが抗議すると、ニルダは面倒臭そうにひらひらと右手を振った。
「はいはい。じゃあ次ね」
「…」
目の前でカーテンが勢いよく閉められる。
アベルは大人しく濃灰の三つ揃えに着替え、すぐに試着室を出た。
オーレリアが目を細める。
「ああ、こちらも似合いますね」
「…ありがとうございます」
礼を述べてからリョウを見遣ると、彼女は先程と同じ位置で、同じ顔で固まっていた。疲れが出ているのだろうか。
「どっちが良いかしら…」
ニルダが真面目に悩み始める。
適当で良いと思うのだが、リョウの社交界デビューの相手役と考えると手を抜くわけにはいかないらしい。
最初が肝心なのよ、と、昨日ニルダが鼻息荒く言っていた。
「リョウ、どう思う?」
「え…」
いきなり話を振られ、リョウが硬直から脱する。
リョウはこちらをじっと見詰めるが、アベルと目が合った途端に視線を逸らした。
地味にショックだ。
が…よく見ると、耳が赤い。
(もしかして、照れてる?)
だとしたら、ちょっとは意識してもらえているのだろうか──そこまで考えて、いや意識って何だ、と自分に突っ込みを入れる。
これ以上深く考えてはいけない気がする、切実に。




