17 貴族教育(3)
リョウが覚悟を決めたようにくるりと後ろを向いた。
瞬間、アベルは思わずあっと声を上げる。
──背中側には、何も無かった。
ハイネックではなく、ホルターネック──前側の布を首で留め、背中が大胆に露出する、特徴的な形のドレスだったのだ。
「…こ、これは……」
大変に色っぽい。
もっと言えば、リョウは細身で姿勢が良く、首筋から背中へのラインがとても綺麗なので、似合う似合わないで言えば大変に似合う。
が。
「……社交界デビューにしては刺激が強すぎない?」
「…そうですね」
思わず呟いたら、やや渋面のオーレリアに同意された。
「ニルダ、もう少し控えめな服装になさい」
「ええ、でも似合いますよ、すごく」
「似合うけど、似合うけどやめてあげて。俺が居たたまれない」
この服では、絶対に独身の貴族男性が殺到するだろう。面倒は避けたい。
…というか、自分が冷静でいられる保証が無い。ニルダには絶対に言えないが。
アベルが必死に止めていると、リョウがそっと片手を挙げた。
「…あの、刺激云々の前に、傷跡が丸見えなのはちょっと…」
「あ」
そういえば、うっかり見てしまったリョウの背中には大きな傷跡がいくつかあった。
何より彼女の背中には、自分と同じ位置に同じ形の紋様がある。
それを他人に見られるのは、何となく癪だ。
実際今、ニルダとオーレリアには傷跡も紋様も見られている。
2人とも何も言わないが、これ以上見せたくはない──そこまで思って、アベルははたと我に返った。
(…いや、何で?)
別にリョウはアベルのものではないわけで。
…一応、表向きは『恋人同士』という事になっているが。
「あー、リョウは嫌なのね。私たちは何も気にしないけど」
「ええ。深窓の令嬢ならともかく、貴女は軍人ですからね。…ですが、このドレスは流石に露出しすぎです。この形自体は良いですが…ニルダ?」
「はーい。次行きまーす」
ニルダが再びリョウを引っ張って試着室に引っ込む。
最初に似合わないドレスを、次にやたら色っぽいドレスを着せる。
多分ニルダは分かってやっている。愉快犯だ。
その後も頭痛を覚えながらニルダの着せ替えに付き合うが、2番目のホルターネック以上に似合うドレスが見付からない。
どうも、スタンダードなものはリョウに合わないらしかった。
女性にしては背が高い上、筋肉質なのだ。
普通のご令嬢向けのドレスだと長さが足りないし、雰囲気が合わない。
加えて、本人は傷跡を隠したいと言っている。
背中側だけではなく肩──首元近くにも薄ら大きな傷跡があるので、そこまで隠せる衣装となると、候補はかなり限られる。
「……ん?」
自分の衣装の候補は出し尽くしてしまい、手持ち無沙汰で衣装部屋を見回っていると、端の端、男性用衣装が並ぶハンガーラックのさらに奥に、小さなハンガーラックが押し込められているのが目に入った。
色とりどりの衣装は男性用女性用の区別なく、どうやら個性的すぎて使いにくいものをまとめて置いているらしい。
アベルの視線は、その中ほどに掛けてあるドレスに吸い寄せられた。
ベースの色は青みのある深い紅──ワインレッド。
赤と言うと派手な印象があるが、これはとても落ち着いた雰囲気だ。
全体の形状は、リョウが2番目に着たホルターネックのスレンダーなドレスに何となく似ている。
ただし、露出はかなり控え目だ。
首元はハイネックでノースリーブ。肩口のあたりが少し露出するが、胸より少し高い位置に薄い布がぐるりと一周、ケープのように重なり、二の腕を半ば覆うようになっている。
後ろ側の形も特殊で、首の部分は覆われているが、そのすぐ下からへその高さくらいまでスリットが入っている。
スリットの下半分は紐が交差して編み上げ状になっているので、恐らくそこでサイズを調整するのだろう。
このスリットによって背中側は背骨の位置だけ露出するが、上半分はケープのような薄布で覆われるので、パッと見には分からない。
肌が見える部分が傷跡の位置と被らない事を確認し、アベルはドレスを手に試着室の前へと戻った。
丁度カーテンが開き、難しい顔をしたニルダとリョウが出て来る。
リョウの顔がげっそりしているように見えるのは気のせいではないだろう。ずっと着せ替え人形状態なのだから無理もない。
「あ、ちょっとアベル! どこ行って──」
ニルダも疲れ始めているのか、こちらに文句を言おうとして──アベルが手に持つドレスを見て、きょとんと首を傾げた。
「…なにそれ」
「あっちのハンガーラックに掛かってた。リョウにどうかなって思って」
「そんなのあった…?」
後方支援員のニルダが知らないドレスとは珍しい。
お互い首を傾げていると、リョウの後ろからオーレリアが顔を出し、はっと表情を変えた。
「そのドレスは…」
「オーレリア様、ご存知なんですか?」
「……ええ」
オーレリアは一瞬言葉に詰まり、数秒の沈黙の後に頷いた。
「──それは私が若い頃に仕立てたものです。いつも格式張ったスタンダードな服ばかりだから、たまには羽目を外した変わった衣装を一緒に仕立てようと……夫は出来上がりを待つ間に病で急逝し、結局袖を通すことはありませんでしたが」
「え…」
この部屋には貴族家からの払い下げの衣装も保管されている。その中に、オーレリアの家からの衣装もあったらしい。
それにしても、まさか手に取ったドレスが正にそれとは。奇妙な巡り合わせだ。
オーレリアの表情は複雑だった。
夫君と共に仕立てた、恐らく最後のドレス。喜びと悲しみと、読み取れない複雑な感情が目の奥で揺らいでいる。
ドレスの由来を聞いて、リョウが戸惑いの表情を浮かべた。
「…これは着ない方が…」
「貴女さえ良ければ、着てもらえないかしら」
「え?」
オーレリアはどこか寂しそうな、けれど安心したような笑みを浮かべる。
「貴女は私の若い頃と体格が似ているから、そのドレスも似合うと思うわ。思い出も大事だけれど、衣装は着てこそだもの」
何より、と続ける。
「今まで全く目に留まらなかったそのドレスを、アベルが持って来たのよ? 巡り合わせではないかしら」
「確かに…あのアベルがドレス持って来るとか、今まで有り得なかったし」
オーレリアはともかく、ニルダの発言に悪意を感じるのは気のせいだろうか。
アベルが何となく目を細めてニルダを見ていると、ニルダは全く気にせずにアベルに手を差し出した。
「試着するから貸して」
「…」
この神経の図太さは、ある意味最大の強みだと思う。
ニルダとリョウが試着室に入ると、オーレリアは気分を切り替えるように深呼吸した。
「…さて、アベル」
「はい」
「あのドレスと対になる燕尾服か三つ揃えが、この部屋の何処かにあるはずです。探してください」
かなりの無茶振りが飛んで来た。
「…素人には難しいのでは…?」
「私の記憶が正しければ、裏地にあのドレスと同じ色が使われているはずです。男性にしては珍しい色ですから、すぐに分かるでしょう」
オーレリアは上品な笑みを浮かべた。
「…はい」




