12 回復と変装(3)
「まあ、調査に支障が出るようなら言え。俺の権限で何とかしよう」
「承知しました」
「──それから、これを渡しておく」
エドガルドが書類をリョウに手渡す。
「…『その功績を鑑み、特殊部隊員レイナに『サリナス』の姓と男爵位を授与するものとする』…」
「公式書類だ。一応とっておけ」
「ありがとうございます」
本来なら式典で華々しく授与されるはずの書類を、リョウはあっさりと受け取った。
自分の時もこんな感じが良かった、とアベルは思う。
特殊部隊員は大概まとめて爵位を授与されるのだが、アベルはタイミング悪く一人で授与式に臨むことになり、貴族たちから大変な注目を浴びた。
それ以降の『歩く媚薬』っぷりは言うまでもない。
今後、リョウを巻き込みたくはないが、立場的にそれは難しいだろう。
せめてきちんと守らなければ。
決意を新たにしていると、エドガルドが立ち上がった。
「明日の朝、隊員たちを集める。そこでお前を紹介する。──ニルダ、隊服の手配を」
「もうやってますよ。今日の夕方には届く予定です」
「そうか。宿舎の方は?」
「私の隣の部屋を確保しました。掃除がまだなんで、明日、案内する予定です」
「仕事が早いな」
「こういうのは私の得意分野ですから」
ニルダが胸を張る。
彼女は前線に立つ戦闘員や潜入員ではなく、変装や各種根回しなどを担当する支援員だ。
一応体術の心得はあるが、他人の世話を焼くのが一番楽しいと常々言っている。
リョウはこの国に不慣れだ。ニルダの世話焼きが遺憾なく発揮されるだろう。
その後2、3確認をして、エドガルドは帰って行った。
残ったのはアベルとニルダとブラウ、そしてリョウ。
ニルダとブラウと視線を交わすと、アベルは椅子に腰掛けた。
「さて…改めて、これからよろしく、リョウ──じゃなかった、レイナ」
つい本名を呼んでしまい、頭を掻いて言い直す。
ブラウが腕組みした。
「これ、よっぽど気を付けてないと絶対言い間違えるよな。特にアベル」
否定できないのが辛い。
渋面を作っていると、大丈夫よ、とニルダが笑みを浮かべた。
「ニックネームが『リョウ』って事にしちゃえば良いわ。そしたら、言い間違えても誤魔化せるし」
「なるほど。しかもより親しい関係だとアピールも出来ると」
「そういうこと」
「え、『レイナ』の愛称が『リョウ』って、無理があるんじゃない?」
「大丈夫よ。幼馴染なんだから、多少変な呼び方してたっておかしくないわ。アベルなんて昔は『ベル』から派生して『リンリン』って呼ばれてたし」
ニルダがさらりと言い放った。
アベルの顔にぶわっと血が上る。
「ちょっ…!? それ言わないでよ!」
「幼馴染なんだからむしろ知らない方がおかしいでしょー」
「…リンリン…」
「リョウ、復唱しなくて良いから!」
真顔で呟かれて、身の置き場が無くなる。
ガタッと立ち上がったアベルは、そこでようやく現実に気付いた。
──リョウを『幼馴染』とするなら、アベルたちの幼少期の恥ずかしい思い出も共有しなければならないのだ。
例えば、アベルが昔はムカデや蜘蛛が苦手で、部屋で遭遇するたびに泣いてブラウの後ろに隠れていた、とか。
ブラウは釣りが得意だが、泳げなかったので郊外の小川で何度か死にかけた、とか。
ニルダは大人に反発して家出して、迷子になった挙句に号泣して兵士に連れられて帰って来たことがある、とか。
「……ねえ、俺の子どもの頃のこと話すなら、当然ブラウとニルダも話すよね…?」
ぎぎぎぎ、と念を込めた視線を巡らせると、ニルダとブラウの表情が変わった。
ニルダはサッと明後日の方を向き、ブラウは顔を引きつらせて目を逸らし、口笛を吹き始める。
「は、な、す、よ、ね?」
『……』
返事が無いので、
「…じゃあ俺が話す」
「はあ!?」
「裏切り者―!」
「最初にばらしたのはそっちでしょ!」
ぎゃんぎゃんと言い合っていると、フッとリョウの雰囲気が和らいだ。
「…ふふ…」
「あ…」
小さく笑みを浮かべるのを見て、アベルは思わず硬直する。
涼しげで柔らかい表情に、目が離せない。
(…こんな顔も出来るのか…)
「やだもう!」
ニルダが黄色い悲鳴を上げる。
「すっごい可愛いんだけど! リョウ、もう一回!」
「えっ」
「俺らの周りにはあんまり居ないタイプだなあ」
ブラウも訳知り顔で頷いている。
ああそうか、とアベルは内心で呻いた。
──目が離せなくなったのは、今まで出会った事の無いタイプだったからか。
…残念ながら、違うだろ、と突っ込める者はこの場には居なかった。
「──分かったわ。私とアベルとブラウ、順番に話しましょ」
ひとしきり騒いだ後、ニルダが腰に手を当てる。
「で、リョウの事も教えて。──そうね、子どもの頃…10歳くらいまでの頃の好きな食べ物とか、好きだった事とか」
その情報を擦り合わせて、お互い共通の『記憶』の設定を作る。
ニルダの提案に、アベルたちも頷いた。
「じゃあまず私からね。──アベルは5歳くらいの時に、脛をざっくり切る大怪我をしたの」
「え、ちょっと待って。自分のこと話すんじゃないの?」
「え? そんなこと一言も言ってないじゃない。良いのよ、誰の話だろうと印象に残ってることを順番に話して行けば」
すっぱりと言い放ち、ニルダは続けた。
「何でそんなことになったかって言うと──孤児院の厨房に勝手に入って、食べ物漁ってたのよね。でも、5歳児には調理台の上なんて見えないじゃない? 調理台の上を頑張って手探りしてたら包丁を落としちゃって、床で跳ね返った包丁がスパッと脛を切り裂いたと」
「あの時は流血沙汰で大騒ぎになったよなー。俺たちがドロテアさんに初めて会ったのもその時か」
「そうそう。アベル、ものすっごい怒られてたわよね」
「…他人事みたいに言うけど、君らも一緒に侵入して一緒に怒られたはずだよね?」
「覚えてないなー」
「その後メシ抜きだったのは覚えてるけどな」
「『その後』って事は、やっぱり覚えてるでしょ!」
アベルが突っ込むと、はいはい、とニルダが手を叩く。
「じゃあ次、ブラウ」
「俺かー…。そうだな、俺たちが居た軍事孤児院の裏手にはちょっとした林があるんだが、毎年初夏に、そこに生えてる木いちごの実を採ってジャムを作るって行事があってだな」
「あー、あったわね」
「で、アベルが7歳くらいの時、その木いちご狩りで蛇が出て、噛まれそうになったアベルは咄嗟に頭を踏み付けてそのまま始末してしまいましたとさ」
「また俺の話!? っていうか、それ俺が始末したんじゃないから! 蛇踏ん付けて動けなくなってたら、庭師のラウル老が助けてくれただけだから!」
「あれ、そーだっけか?」
「あ、確かにそうね。ラウルじーさまが血の付いたスコップと頭がサヨナラした蛇の死体持って、涙目のアベルを連れて帰って来たのよね」
今考えるとかなり猟奇的な絵面である。
ラウル老は元軍人で、かなりガタイの良いご老人だった。
アベルに蛇の頭を踏ませたまま、スコップで蛇を始末したのはそのラウルだ。
足元でびたんびたん暴れていた蛇が、ビクッと痙攣して動かなくなって行ったあの感触、未だに記憶に残っている。
…しかしニルダといいブラウといい、アベルの恥ずかしい過去ばかり披露するのはやめてもらいたい。
ふう、とアベルは溜息をつき、気合いを入れ直す。
これは、自分が2人のとっておきのエピソードを話すしかないようだ。
その後も、リョウを含めた4人は代わる代わる子どもの頃の話を披露し──
お互いの話に悶絶したり突っ込んだり苦笑したりして、何となく通じ合った気がした。