11 回復と変装(2)
改めてノックをして、返事を貰ってからドアを開ける。
リョウはこちらを向いてベッドに座っていた。その背後では、ニルダがリョウの髪を手で梳いている。
「ニルダ、まだ掛かる?」
「もうちょっと」
ニルダの返事に頷いて、リョウの様子を観察する。
包帯はもう取れている。顔色もそれほど悪くない。
先程のドロテアの言葉が気になるが、問題はないように見える。
「リョウ、調子はどう?」
「ドロテアさんのお陰で、大分良くなったと思う」
リョウの言葉にアベルは少し安心して、肩の力を抜いた。
「ドロテアさん、口は悪いけど腕は確かだもんね。口は悪いけど」
大事なことらしい。ご丁寧に2回言う。
その後、ニルダは一つ頷いた。
「…よっし、準備完了。じゃあ行くわよ。リョウ、ちょっと目を閉じてて」
「分かった」
リョウが目を閉じると、ニルダはリョウの頭頂部を覆うように両手を置き、ゆっくりと撫でるように下へとずらして行く。
手が通り過ぎると、髪は艷やかな黒から明るい枯れ草色に変わった。
ニルダの異能は久し振りに見る。相変わらず、鮮やかな変化だ。
リョウは眉を寄せている。
色が変化している間、妙なむず痒さが続くので、多分それが原因だろう。
「──できた!」
髪の先まで変化が終わると、ニルダはやり切った笑顔を浮かべた。
「出来たわよリョウ。鏡で確認してくれる?」
リョウが目を開く。
琥珀色だったはずの目も、夕焼け色に変わっていた。色が変わるだけでまるで別人だ。
ニルダから渡された鏡を覗き込み、リョウが驚いた顔をする。
「…すごい」
「でしょー? 髪だけなら染められなくもないけど、目の色まで変えられるのは私だけよ」
ふふん、と得意気に胸を張る。
ニルダの能力は、敵地への潜入などで重宝する。顔形が変わるわけではないが、数日は持続し、その間維持に魔力などを使うことも無い。
「あとは、化粧もした方が良いわ。それだけで大分雰囲気が変わるから」
「…化粧とかしたことない…」
「私が教えてあげるわよ」
リョウの世話を焼けるのが楽しくて仕方ないらしい。ニルダは終始笑顔だった。
(…そういえば、孤児院に居た頃もやたら他の子の世話を焼いてたっけ)
懐かしく思い出していると、ニルダがリョウの肩に手を置いて、こちらに向かせた。
「ほらほらアベル。どうよこの仕上がり」
「はいはい、すごいすごい」
「褒め方がぞんざい過ぎるわ!」
文句を言われた。
しかし実際、見事なものだ。
色合いも公国ではありふれているから、悪目立ちすることもない。
改めてそう褒めたら、何故かニルダは半眼になった。
「…そういうのを求めてるんじゃないんだけど…まあいいわ。アベルだし」
とても失礼な事を言われている気がする。
「ところでアベル、隊長は?」
「また会議が長引いてるんじゃないかな。もうすぐ来ると思うけど」
今日は特殊部隊の隊長、エドガルドがこの病室に来る事になっている。アベルはただの先触れだ。
相変わらず忙しいわねぇとニルダが肩を竦めたところで、ドアがノックされた。
「どうぞ」
「失礼するぞ」
入って来たのは、噂のエドガルドだった。背後にブラウも付き従っている。
「ニルダ、処置は終わったか」
「はい、滞りなく」
腹に響く低い声。ニルダがサッと姿勢を正して敬礼する。
頷いたエドガルドは、改めてリョウへと視線を向けた。
「顔を合わせるのは2回目だな。──特殊部隊隊長、エドガルド・ハイメだ」
「──神凪リョウと申します。この度はご迷惑をお掛けし、大変申し訳ありません」
リョウが頭を下げると、エドガルドは片眉を上げる。
「気にするな。お前のもたらした情報は、我々にとって貴重なものだ」
公国と緊張状態にある帝国の情報は、重要であるにも関わらず非常に手に入りにくい。
まして、帝国で呪術が使われている可能性など、公国側では全く掴んでいなかった。
その意味で、リョウの存在にはとても重要な意味がある。
「大公から聞いているとは思うが、これからお前には、暫しの間、私の部下として振る舞ってもらう」
「はい」
リョウが即座に頷いた。迷いの無い目に、エドガルドも満足そうに頷く。
「──特殊部隊員としての名前は、レイナ・サリアス。10年以上前に密かに帝国に渡り諜報活動を行っていた、非常に例外的な立場の特殊部隊員だ」
エドガルドは丁寧に説明する。
レイナ・サリアスはアベル、ニルダ、ブラウと同じ軍事孤児院の出身で同年代の幼馴染。
レイナだけは早期に大公に才能を見出され、本来訓練兵になる年齢よりかなり早く特殊部隊員になり、秘密裏に教育を受けて帝国に渡った。
爵位は男爵。今回、帝国の情報を持ち帰った功績で爵位を賜ったという設定だ。
「…無理があるような…」
リョウかぼそりと呟く。
そうだなと頷いたエドガルドは、だが、と続ける。
「特殊部隊員ならば、例外的な扱いを受けるのは珍しくない。普通の軍人の立ち位置ではないからな」
公にはされていないが、特殊部隊は全員が異能──魔法ではない、特異な能力を持っている。
故に、隊員には男女の区別も年功序列も無い。
実力主義かつ適材適所。一見すると軍人らしからぬ者も居る。
「疑われても平然としておけ。『大公の命令だ』と言えば大概は押し通せる」
大変雑な指示だが、事実その通りである。
「軍人──特に同僚に喧嘩を売られたら、実力で黙らせても構わん。その程度の実力はあるのだろう?」
エドガルドが物騒なことを言い出した。え、とアベルが声を上げる横で、ニルダが渋面を作る。
「そっか。私たちの幼馴染ってことにしたら、モーリスに突っ掛かられるかも」
「あ」
「だよなあ…」
モーリスは、アベルたちとは別の軍事孤児院出身の特殊部隊員だ。
腕っ節が強く、負けず嫌いで気も強い。
筋力を飛躍的に上昇させる異能のせいもあるだろう。
特殊部隊は複数の軍事孤児院出身者で構成されていて、何となく派閥のようなものがある。
アベルはそれほど気にしていないが、モーリスとその取り巻きはそれが顕著だ。
「…絶対喧嘩吹っ掛けて来るね…特に俺には当たりが強いし」
同年代でありながら隊長補佐などという地位にあるせいで、アベルは特に敵視されている。
その『恋人』ともなれば、絡まれるのは必然。
どう躱そうかと思案していたら、リョウは平然と頷いた。
「分かりました。何とかします」
「何とかって…リョウ、モーリスたちはそれなりに強いよ?」
アベルやブラウはモーリスたちのやり方に慣れているから裏をかいて立ち回りが出来るが、リョウはそうはいかないだろう。
アベルの心配に対し、リョウは真顔で応じた。
「私もそれなりに強いから」
「…」
気負うでもなく、自信満々というわけでもない。事実を述べただけにしても、落ち着きすぎではないか。
「頼もしいな」
エドガルドが笑った。