にきくそ
田んぼと田んぼの間の区切りを畦と言って、それが道であるなら畦道。そうらしい、ということは知っていても、やっぱりぼくが今歩いているこの田んぼと田んぼの間のでっぱりの区切りは、ぼこぼことして歩きにくくて、ちっとも道っぽくないや、と思います。
飼っているカナヘビが、コオロギやイナゴやバッタの幼虫しか食べてくれないので、たびたびその餌がよく取れる草むらに行かなくちゃいけないのですが、そのためにはここを通っていくしかないのです。でないと、ここらの土地を持ってるおじさんにばれてしまうから。
虫かごは、もうずっと使い続けているので、青いプラスチックの蓋のカドの所が、何かで削れてすこし白くなっています。箱のところにも小さいヒビが入っている。それを首にかけています。虫取りあみは使いません。幼虫はとても小さいから、手でないと捕まえられません。
ようやく草むらにつきました。秋は、適当に丈の長い草をバサバサ手で払うだけでも、虫がピョンピョン跳ねて出てくるので、餌が捕まえやすくて楽です。
草むらとはいっても、ところどころ、植物が少ない、地面の土がよく見えているようなスペースがあるので、幼虫たちを上手に追い込んで、その土の上でかくれられなくなったところを、片手の手のひらで作ったドームをかぶせるようにして捕まえるのです。
ここの草むらはやっぱりすごい。ここだと、草をバサバサやらなかったとしても、勝手に分かりやすいところに虫がピョコンと現れてくれます。
採って、採って、採って。もう箱の中には20匹くらいの幼虫が集まって、箱に耳をすますと時おりポン、ポン、と跳ねる音が聞こえました。
これで4日間くらいは大丈夫だ、これ以上とると、カナヘビに食わせる前に、餓死してしまうやつが出てきてしまうのでこれくらいがちょうどいいのです。(カゴに草を入れておいても、虫はちっともこれを食ってくれないということは、今まで何度も試したので知っていました)
来たのと同じ畦道を通って帰ります。田んぼの水はとっくに抜いてあるので、普段は畦ももうちょっと乾いているのですが、昨日の夜にちょこっと雨が降ったせいか、ぬかるみが多くていやでした。
田んぼのエリアから出てすぐ近くにサイクリングロードがあって、そのコンクリート張りの道をしばらくたどれば家に着きます。虫をとったあとでこの道を歩いている途中には、いつも、少しだけこの虫たちに、かわいそうだな、という気持ちが湧きます。ぼくにつかまえられた時点で、もうこの虫たちは、食われて死ぬか、食えずに死ぬかのどちらかしかないのです。ひいおばあちゃんは最近死んでしまったけれど、親戚たちがみんな病院に集まって、見守られながらだったのできっと幸せだったと思います。前の日には好物の刺身を食べていたし、お父さんもお母さんも、ひいおばあちゃんはとてもいい亡くなり方をした、と言うので、きっとそうに違いない。
もしぼくがこの幼虫だったら絶望していたと思います。虫は脳が小さいからもしかするとなにも感じないかも。
田んぼと家をつなぐ帰り道の、残り4分の1くらいで、同級生の大和くんに会いました。「なにとったの?」と聞かれたのでカゴの中を見せると、「どうしてこんなの捕まえてるの?ちょうちょとか、もっといい虫かと思った」とがっかりされてしまいました。大和くんのこの正直なところがぼくは好きなので、できればもっと仲良くなりたいのだけれど、大和くんはDSのゲームが好きで、DSの話をできる人じゃないと長く話をできないみたいなので、それであまり近づいていけません。お父さんとお母さんが、ゲームは良くないと言って買ってくれないから、たぶんきっとこのままだと思います。
大和くんと別れて、裏口のギシギシいう低い柵をまたいで自分の家に入りました。裏口から入ると、本当はただ自分の家に帰っただけなのに、まるでいけない潜入をしてるみたいな気分になります。
玄関先の、家の外に置いてあるカナヘビハウス(虫取り用のものより2回りくらい大きい虫かごを使って作りました。土や、拾ってきたバウムクーヘンみたいな形の木や、雑草や、石が入れてあって、けっこう自然に近くなってると思います)の蓋を開けて、とってきた虫を、逃げないようにバーっと一気に入れました。
カナヘビが喜んでくれるといいな、と思いながら。カナヘビハウスは色々はいっていて、隠れる場所もたくさんあるので、だいたいカナヘビは姿が見えません。でもそれでも、時々見えるところに出てきて舌をチロチロ出したりしてくれます。
外の水道でかるく手を洗ってうちの中に戻りました。お母さんが、「おかえり、手は洗った?」と言ってきました。
ここで気付いたのですが、弟の様子が変です。テーブルの、四つある椅子の一つに座っている弟は、なんだかすごく悪いことをして、それを反省しているような感じに見えます。
お母さんが、「ほら、お兄ちゃん帰ってきたよ」と言うと、弟は「ごめん、兄ちゃん。カナヘビ逃しちゃった。」と、下を向いたままで謝ってきました。
その言葉の意味がわからないほどバカではないので、聞き返すようなことはしませんでした。ふざけるな、という気持ちと、でもぼくはお兄ちゃんだから、という気持ちと、大事に育ててたカナヘビがいなくなってかなしい、という気持ちと、そのほかにもいろいろ混ざりあっていました。
結局勝ったのは、お兄ちゃんとして恥ずかしいところは見せられない、と言う気持ちで、ぼくは静かに、どうしてカナヘビを逃してしまったの?怒らないから教えて?と聞きました。
すると、弟が、カナヘビと遊びたくて、カナヘビハウスの蓋を全開にしてカナヘビを探していると、急にスキマからカナヘビが這い出して、そのまま猛スピードで家の前の道路から、側溝の蓋の穴をくぐって逃げてしまった、というような事情だったことがわかりました。追いかけようにも見えなくなってしまったようです。
弟にふだんカナヘビにさわらせないようにしていて、こっそりあそぼうとしたのがこのことにつながったみたいでした。
ぼくは気持ちを落ちつかせて、弟に、許す、みたいな意味のことを言って、家から出てカナヘビハウスの前に行きました。いまはもうカナヘビハウスと呼ぶのは変かもしれない。カナヘビのいないこのカナヘビハウスのなかで、虫がピョンピョン跳ねているのが見えました。入れてしばらくは元気に脱出を試みるからです。
このカナヘビハウスをとっておいてももう仕方がないので、ぼくは中身を捨てることにしました。土や石や木をとってきたのは、これも家の近くの河川敷です。そこに返してこようと思いました。
河川敷に到着すると、中学生くらいに見える3人が、広くなってグラウンドのようになってるところでキャッチボールをしていました。彼らは少しこちらを見ましたが、すぐ興味なさそうに目線を戻してキャッチボールを再開しました。
グラウンドみたいになってるところからもう少し川の流れに沿って先に行くと、今度は砂漠みたいになってるところがあって、ここに捨てればいいな、と思いました。ここいらには虫はいません。整備されてほとんど草むらもないからです。幼虫たちはだから死んでしまうかもしれないけど、でもちょっとそれは嬉しいかもなと思ってしまいました。
カゴの蓋を外して、カゴを持って、一気にひっくり返す。少し湿らせていたので土煙は少なかったけれど、石や木は落ちるときにボコッと音を立てました。虫も何匹か跳ねています。数匹は生き埋めになったかもしれません。
そうして、また家に帰りました。
もう夕方になっていました。まあ、エサの虫を捕まえに行ったのがもう三時くらいだったから仕方ないような気もします。
早めにお風呂に入って、それから自分の部屋に戻りました。
明日は月曜日だから学校があります。友だちに、カナヘビがいなくなってしまった話をしようと思いました。
カナヘビの飼い方は友だちが教えてくれました。ぼくは虫があまり好きじゃないけど、カナヘビのためならと思ってがまんしていました。でもカナヘビはもういないのです。また別のカナヘビを探そうか、と少し考えたけど、これからは冬眠の時期に入ってしまって、そうなるとぼくはカナヘビを殺してしまいます。去年も冬眠の時期の用意をうまくできなくて、前のカナヘビはそれで死んでしまいました。今年も死んでしまうよな、とは思ってたけど、でも今度こそ大丈夫かも、と思って、夏のはじめに捕まえてずっと飼ってたカナヘビでした。
カナヘビのことはまだ忘れられないとは思うけど、でもカナヘビだけが楽しみで日々を送ってるわけでもないよな、と突然に元気が出てきました。自分でも不思議です。カナヘビにかけていた時間のぶん、これも自分の好きな読書に使えばいい。ゾロリもまだ全部は読み終わってない。他にも、絵をかいたり。
ぼくはあしたの学校のじゅんびを済ませて、学校の図書館で借りていた魔法使いの物語の、さいごのまだ読み終わってなかった少しの部分を読み終えました。
夕ごはんはマーボーナスでした。
夜になって、寝る時間になりました。布団の中で目をつぶっていると、なんかグワングワンとして、自分のからだがぐんぐんふくらんでるのにちっとも動かせない、みたいな感じがしました。すごく怖くて目を開けてしまいました。こうなるとしばらく眠れません。それで、カナヘビのことを考えました。
考えたら、カナヘビは逃げられたほうが幸せだったはずです。とじこめられていたままだと、エサには苦労しなくても、やっぱり不自由です。ぼくはすこしも逃がそうとは考えなかったけど、でも弟が間違ってカナヘビを自由にしたことは良かったのかもしれない。
ぼくが友だちにじまんできることは、これでなくなってしまった。こんどはクラスの生き物係になったりして、どうぶつや虫の育て方をもっと勉強したりすれば、こんどはカナヘビがいなくてもみんながほめてくれるかもしれない。カナヘビは女子はきらいで話があまり通じなかったし、みんなが好きなのは金魚とかだったかも。
……といったことを頭で思い浮かべているどこかで寝つけたようでした。
朝起きて、登校班で学校に行きました。
その途中で、道にふだんないものが見えたようなので、登校班からあまりはなれすぎないようにいそいでちかづいて見てみると、それはつぶれたカナヘビの死体でした。
もしかするとぼくのところから逃げたやつだったかもしれないけど、すぐ班にもどらなきゃいけなかったのでかくにんはできませんでした。
学校から帰るのは登校班じゃなくて一人になるのだけれど、同じところを見てももうそこに死体はなくなっていました。
自転車か、車にひかれたのかな、と考えています。
ぼくは、自分はなにかを飼うのにはやっぱり早かったのかな、と考えてしまって、それで生き物係に入ることを考えるのはやめにしました。
これからはやっぱり本をたくさんよむのがいいな、と思いました。