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考える

八月二十日(土)

夏体みもうすぐ終わりですね。

今年は凄く短く感じました。

9月まで続いて欲しいです。

読書感想文を手伝うというのを、

責任の一つとして、今から追加して下さい。



八月二十日(土)

確かに今年の夏体みは短く感じました。

お体み中は色々なことがあって、楽しかったです。

来年は受験だし、こんなにのんびりはできないんだろうなぁ、と思うと、

夏体みが終わってしまうのが残念です。

読書感想文は志賀直哉の『朝顔』がお勧めです。

すぐ読み終わるので今からでも間に合います。

図書室のドアもちょろいので、明日志賀直哉全集を一緒に探しましょう。





 今日は珍しく、香澄の部屋にちゃぶ台を設置して、夏体みの宿題、いや、夏休みの宿題をしていた。明日の全校登校日が、宿題の提出期限である。

「さて、じゃぁ情報を整理してみましょうか」

 にこやかに腕組みをした真治が言う。香澄は渋い顔である。

「あのー、短すぎて、感想文の方が長くなってしまうのではないでしょうかー」

 香澄は右手の拳をあげ、困った顔をした。気持ちは判る。『朝顔』は短編小説である。読破まで数分。学校への往復の方が長かった。目の前には『朝顔』の特徴を記載したメモがある。

 日曜日なのに二人は学校へ行った。職員室で鍵を借りる、『締め切り前日だぞ!』と怒られる、図書室の解錠、志賀直哉全集を探す、『朝顔』のページを開ける、の各役は全部真治が担当した。香澄はそれを読んでノートにまとめる役。志賀直哉全集を戻す、図書室の施錠、職員室に鍵を返す、『早いな。本当に読んだのか?』と怒られる役は、また真治が担当した。

「読書感想文に、本の長さは関係ありません」

 えらい目にあった真治が、きっぱりと言う。香澄はやっぱり渋い顔だ。

「そぅなんですかぁ?」

 香澄は首をかしげている。真治は腕を解き、右手の人差し指を立てた。

「はい。読書感想文にも『正解』というものがあります」

 真治が、さも当然のように言う。香澄は驚いた。

「感想文なのに? ですか?」

 香澄は目を見開いてもっと渋い顔になると、首を逆に傾けた。真治の言っている意味が判らないようだ。真治は人差し指を前後に振りながら語る。

「そうです。読書感想文には、必ず『正解』があります。それは読み手が『こう思って欲しい』ということが、書けているか。ということです」

 香澄は首を逆に傾けた。一つも謎が明らかにならない。

「はあ? 読み手って、誰ですか?」

 香澄は質問した。夏休みの宿題を、誰が好きこのんで読むのか。それを聞いた真治は、再び腕組みをして頷いた。

「この場合は、採点をする先生です」

 真治は言い切った。しかし、それでも香澄は渋い顔だ。

「先生の考えに、合わせるってことですか?」

 香澄には意外な答えだったらしい。真治は頷いた。

「そうです」「そんなの判りません」

 香澄の答えは早く、頭をブンブンと横に振った。そんな仕草を見た真治は、申し訳ないけど面白くて、笑って両手を前に出して上下に振った。

「まぁまぁ、そう言わずに。ちょと先生の気持ちになって考えてみましょう」

「はい」

 ブンブンを止めて、香澄は背筋を伸ばした。しかし、相変わらず渋い顔だ。

「意地悪な先生でなければ、ですけど。国語の先生は、良く読んで良く理解して、それを日本語で上手に表現してくれたら良いなぁ、と思っているはずです」

「そうですね」

 香澄は頷く。ここまで納得のようだ。真治は言葉を続ける。

「だとしたら、作者の書いた文章を、その人の『魂の叫び』と捉え、自分なりに解釈した結果を書けば、それが『正解』です」

「そぅなんですかぁ?」

 また『正解』という言葉が出て来たからか、香澄は首を傾けた。真治はそんな香澄の表情を見ても、笑顔である。

「そうなんです!」

 香澄の問いに真治は自信を持って答え、頷いた。香澄は悩んだ。

「魂の?」「叫びです」

 小首をかしげ確認する香澄。それを見て真っすぐ答える真治。

「はぁ」

 しかし、香澄には判らないようだ。下唇を噛んで、顎を前に出した。それを見た真治は、きちんと解説をする。

「志賀直哉は、自分の体験を書いていることが多いです。教科書に載っている『城の崎にて』も、実体験を元にしていると言われています」

「そぅ教わりまぁしぃたぁ」

 よろしい。真治は頷いた。そして質問する。

「出だし覚えてますか?『城の崎にて』の」

「忘れました!」

 元気よく答える香澄に、真治は膝を崩した。だめだこりゃの発言は控える。気を取り直して説明だ。

「そうですか。『山手線にはねられて怪我をした』です」

「え、痛そうですねぇ」

 意外な答えだったのか、香澄は口をへの字に曲げ、顔を曇らせる。

「痛かったでしょうねぇ。そもそも、山手線の踏切って三つしかないのに、よりによって、なーんで山手線なんでしょうね?」

「判りません!」

 香澄の返事は早かった。真治は笑う。まぁ、昔はもっと踏切があったのかもしれないと、思ったからである。眉をひそめてから同意する。

「まぁ、私も判りません」

「な・んですか? それぇぇ」

 静かに答える真治の言葉を聞いて、香澄も膝を崩した。

「判らないんですけど、普通、電車にはねられたら死にますよね」

「そぅ言われてみると、そうですねぇ」

 山手線の踏切数とは、あまり関係がなかったようだ。そういうことかと思ったのか、香澄は頷いた。それを見た真治も頷いて、言葉を続ける。

「でも、志賀直哉は、その体験を書かなかった。山手線にはねられたとき、どうやったら生き残れるのか。それは書かなかった。書いたのは、療養で訪れた城崎温泉での、散歩の様子です」

「はあ。そ・うですぅねぇぇ」

 香澄は内容をちょっと思い出したが、真治が言うような考えには思い至らなかった。真治はやっぱり変わっている。

「何で東京で負った怪我の療養で、兵庫県まで行ったんでしょうね。当時は新幹線もないのに」

 大正時代の話である。真治が次々と疑問点を香澄に問う。

「判りません!」「私も、判りません!」

 香澄の答えが予期できたのか、真治の答えは早かった。笑っている。

「だ・め・じゃないですかぁぁぁ」

 そんな真治を見て同類だと思ったのか、香澄も笑った。しかし真治は、直ぐに真顔に戻り、解説を始める。

「いや、そうじゃなくてですね、電車にはねられたら普通死ぬでしょ、それが死ななくて生きている。それは何故か? そして、何故近所の温泉ではなく、遠くの温泉に行ったのか? 温泉の名前は『城崎温泉』なのに、作品名には『の』が入った『城の崎にて』なのか?」

「判りません!」

 次々と聞かれても、香澄の答えは決まっていた。そして早かった。

「それを考えて書くのが、読書感想文の『正解』です」

 真治が言い切った。香澄は非常に困った顔をした。真治の解説は難解である。

「えぇぇ」

「さて『朝顔』の特徴的な所をメモして来ましたよね」

 香澄の『えぇぇ』は無視して、真治はノートを指さした。香澄も『城の崎にて』のことはさて置き、ノートに視線を移した。締め切りは明日である。

「はい。いちおぅ」

 真治は香澄がノートに目を落としたのを確認すると、解説を始める。

「この『朝顔』は晩年、地位も名誉もあったのに、戦後の焼け野原が嫌という理由で東京の生活を捨て、熱海に引きこもった時に書かれた作品です。『城の崎にて』で偶然助かった命。しかしその命は、兵隊として役立てることができませんでした。多くの犠牲があったにも関わらず、結局生き残った戦後。自分だけ地位も名誉も得たうえで、若者にエールを送る役を仰せつかりました。しかし、思ってしまったのです。自分が守ることのできなかった東京は、今だ焼け野原である。それを自分は口だけで、どうすることもできず、ただみつめることしかできない。きっと、埋もれた瓦礫の下から、幾十万の魂の恨み節が聞こえたことでしょう。遂に耐え切れなくなって逃げた者の『呟き』なのです」

 解説の途中から顔を上げた香澄は、いつまでも終わらない解説を聞きながら、表情を苦笑いに変えている。

「あ、すいません。もう一度説明して下さい。それを感想文にします」

 鉛筆を置き、香澄は両手を合わせてお願いした。しかし真治は、溜息を付く。

「困りましたねぇ」

 苦虫を潰したように真治が困った表情を見せ、小首をかしげた。まるで悪戯をした犬を、じっと見るかのように。

「はいぃ」

 香澄も同じく苦笑いする。しかし香澄には、真治の心情が判っていなかった。

「良いですか! 小・石・川・香・澄・さ・ん! これは真面目なお話です!」

「はい!」

 真顔になり、ちょっと強めに言った真治が、正対して座り直した。その言葉と姿勢と目を見て、香澄も座り直して真治に正対し、両手を両膝の上に置く。真治は香澄が聞く姿勢を取ると、静かに、ゆっくりと話し始める。

「これからあなたは、音楽という正解のないものに、答えを出し、時に競い、時に試される。そういう理不尽とも言える人生を、目指しているのです。楽譜には本と違って、言葉はありません。あるのは、音の高さと強弱と速度の指示、そして若干の感情表現だけです。圧倒的に情報不足です。題名だって良く判りません。それを自分の気持ちで捉え、作曲者の意図を読み、聞く人の目的を考え、あなたの音楽を聴いた人が『うん。これが正解だ』と、言わしめないと、いけないのです。だからあなたは、考え続けなければ、ならないのです!」

「は・い!」

 香澄は大きな声で返事をした。返事をさせられたのかもしれない。真っすぐ目を見つめて話す真治に、決意を返さないといけないと、思ったのかもしれない。それとも素直に大変だと思っただけなのか。答えたものの、何も判らなくなっていた。それでも、正しい答えを模索した。

 香澄が答えた後、しばしの間があった。血の気が抜けた香澄を見て、真治は笑顔になり、やさしく言葉を続ける。

「とても、素晴らしいことだと、思いませんか?」

 香澄は驚いた。自分の考えた答えのいずれでもない。混乱して宙を見ていた目が、次第に焦点を定めて真治の顔を捉える。優しい笑顔だと思った。

「私はあなたを応援しますよ? 大好きですから」

 ゆっくりと話す真治の言葉は、それでも一応音速で香澄の耳に届き、香澄の頭の中に響く。顔には血の気が戻った。しかし姿勢を正したまま、香澄は何も答えられない。それでも、頭の中で、何かのスイッチが入る音がした。


 香澄が黙ったまま机の上に転がっている鉛筆を手にする。そして、一気に読書感想文を書き始めた。その様子を見た真治は、またにっこり笑って音を立てないようにそっと立つと、香澄の部屋からそっと出た。そのまま恵子に挨拶して、不思議がる恵子に、口元に人差し指をそっと付け『静かに』のサインを送ると、恵子も頷いた。

 そのままお見送りもなく、玄関ドアも、門扉もそっと閉め、ちょっとだけ二階を見上げて、もう一度笑顔になった真治は、足音も消して、駅まで走った。


引用

志賀直哉『城の崎にて』『朝顔』

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