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一文字の想い

 日曜日の朝、香澄と真治が歩いている。日記の内容のことで揉めているようだ。香澄の家に着いて真治が日記を渡すと、香澄はそれを持って直ぐに二階に上がり、用意していた鍵で日記を解錠すると、内容を直ぐに読んで、施錠し、机の中にしまい、机もまた施錠した。そして駆け下りて来て、バラのトンネルで一時停止して駅まで向かっている。

「何か今日の日記は言訳っぽかったですね」

「そんなことありませんよ」

 香澄のちょっと棘のある言い方に真治は冷静に答えた。

「それより、どうしてあの曲にしたんですか?」

 冷静な真治の受け答えに、香澄が声を荒げた。

「あれ、怒ってる? 怒ってるの?」

「怒ってないです。でも、付き合っているのバレて、仲間外れにされたら、責任取ってくれますか?」

 香澄がつないでいる手をぎゅっと握った。

「責任って、どうすれば良いの?」

 真治がその手をぶんぶん振る。

「こうなったら、もう、私と付き合っているって、公言して下さい」

 香澄の握る手に力が入る。

「良いですよ」

 真治のぶんぶんが大きくなった。

「真衣ちゃんにもですよ?」

「了解です」

 真治はしっかりとした口調で答え、頷いた。

「あと、からかわれたら、助けて下さい」

 香澄が手を下に引っ張っている。

「良いですよ。『俺の女に手を出すな』って、言いましょうか?」

 真治が香澄の目を見て、手を強く握った。

「あ、いえ、普通でお願いします」

 香澄は右手を左右に振ろうとしたが、手に持ったお弁当袋が重くて、それはできなかった。

「あらそう。あとは?」

 大体のお願いはした。香澄は表情が明るくなった。

「あとはー、んー。真治さんの方が、先に私を好きになって、今は大好きってことにして下さい」

 何でも了解する真治に『これはどうだ』とぶつけてみた。

「良いですよ」

 意外とすんなり通った。真治は平然としている。

「え、良いんですか?」

 全く恥ずかしがる様子もなく、真治は頷いた。どう思い出しても、香澄の方が先に好きになった筈なのに。香澄は不思議に思いつつ、真治を見つめた。

「問題ありません。あとは?」

 真治は香澄の方を見て答え、不思議そうに小首をかしげた。

「あとはー、あ、そうだ。やっぱり『歌詞は知らなかった。偶然だ』ということにしておいて下さい」

 困った香澄は、そんなお願いもしてみた。

「判りました」

 真治は変なお願いだと思ったのか、笑いながら答えた。言葉遣いはあくまでも丁寧に。

「え? 良いんですか?」

 また香澄は真治の方を見て確認したが、またもや恥ずかしがる様子もない。

「香澄さんに届いたみたいなので、それで構いませんよ」

 前を向いたまま真治は答えた。香澄は笑っている真治の横目と合った。

「な、なんか、すいません」

「あとは?」

 下を向いた香澄を見て、真治がやさしく聞いた。香澄はあらかたのお願いを聞いてもらって、ほっとしたようだ。並木を避けるふりをして、真治に寄り添うのを質問の答えにした。あまり無理をさせても。そう考えていた。


 小さな路地を渡った所で、香澄が思い出したように聞いて来た。

「そうだ。日記に『返したくない』ってありましたけど、『家に帰る』の方の間違いですよね?」

 香澄は軽い気持ちで誤字を指摘したつもりだった。

「いや、返却の『返』で合ってますよ」

 真治は笑いながら答えた。

「そうなんですか? デートの後に『帰したくない』ということですよね」

 香澄は真治を見ながら聞いたが、真治はこちらを見ない。

「あー、そう取りましたか」

 むしろ周りを気にしてきょろきょろしている。いや、道路を渡ろうとしているだけだろうが。

「あの返すはそんな『帰す』じゃなくて『お預かりした香澄さんを返したくない』ということです」

 香澄は真治に手を強く握られて驚いた。

「違いが良く判りません」

 咄嗟にそう答えた。

「そうですか。んーっと『帰る』っていうのは結婚した後でも『実家に帰る』とか言うじゃないですか」

 真治が香澄を見て言う。香澄は真治の口から『結婚』と聞いて笑顔になった。

「結婚したいってことですか?」

 真治はにっこり笑って、それには答えず解釈のつづきを話した。

「この『返したくない』は『返すと約束したけど、このまま貰っちゃいたい』ってことです」

 どうやらそれは、遠い未来の話ではなく、今の話らしい。

「私、貸し出されていたんですか?」

 香澄はポカンとして真治に聞いた。香澄の貸出カードは真治の名前で一杯だ。

「いつもご両親に何て言って出かけていたか、思い出せませんか?」

 真治は笑顔で香澄に聞いた。多分これから出かけるのが嬉しくて、聞いていないのかもしれないが。それならそれでも良い、と思っていた。香澄は真治から顔を逸らし、前を見て思い出している。

「そう言えば、言っていたかも」

 いつ出かける時も『お嬢さんお預かりします』『おやつまでにはお返しします』と、確かに言っていた。

「ご理解頂けましたか?」

 真治は笑顔だった。丁寧に言われて香澄はちょっと恥ずかしくなった。つまり真治は、デートの後、私を手放すのが嫌なのだと。奪ってその後何するのと。

「で、でも、それじゃー私にしか、判らないじゃないですか」

 香澄にはどうしても『帰す』であって欲しかったのか、それとも、良く聞いていないといけないクイズのようで、それが理不尽だと思ったのか、一字の違いをこんなに指摘、解説されて恥ずかしかったのか、真治を見上げて答えた。ちょっと赤面しているのを自覚していた。

「何か問題でも?」

 真治に真顔で言われて香澄は下を向いた。真治に強く手を握られた。

「問題ありません」

 そう答えて、香澄もちょっと強く握り返した。一文字にそんな気持ちが込められていたとは判らなかった。そんな自分が悔しく、握られている手を放したくない気持ちが強くなった。


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