長い日曜日・五階
どん突きコの字形のホームが特徴の木白駅は、地元有力者が国鉄と私鉄のどちら側に駅ビルを作るかの熾烈な勢力争いをした結果、推した側の市長が当選したことで決着した。私鉄側のホーム上に駅ビルができて、ローズデパートになった。駅前の髙増屋と渡り廊下でつながっている。
大きな駅なのに改札口は一つしかなく、出てすぐ左に曲がるとローズデパートの入り口がある。二人はそこへ向かう前に、真治が思い出して帰りのキップを先に買うことにした。
真治が伊藤博文を券売機に投入し、『カップル』が描かれたボタンを押して一括購入した。出て来たキップ二枚は、真治が預かる。香澄は真治からはぐれたら帰れないと思って、ずっと真治の腕にぶらさがっていなければと考えた。
ローズデパートの入り口には奇麗なお姉さん達が笑顔で迎えているが、女の子を連れている時は、そちらを向いてはいけない。入店時刻十一時十一分。入り口の時計で確認した。
「お腹減った?」
「もうお昼ですか?」
「ちょっと早いけど混んじゃうと大変だし、朝飯が早かったら食べられそう?」
入り口に館内案内がある。そこに二人は歩みを進め、立ち止まった。
「軽いものなら入りそうです」
ひとしきり眺めて香澄が答えた。
「朝飯早かったの?」
「いえ、今朝はあまり食べられなくて」
昨日学校から帰って、香澄は母に『小野寺先輩が木白へ買い物に行くと言うので、一緒に行く約束をした』と決定事項にして、同行の許可を願い出た。数問の質疑応答の後、許可が出た。飛び跳ねて喜んだ香澄であったが、今度は食事が喉を通らなくなっていた。
「いつもは洋食? 和食?」
案内を見たままの香澄に聞いた。
「いつもは洋食なんですけど、何でも良いです」
「じゃぁ、見てから決めようか」
「はい」
案内板を見ていても全メニューがある訳でもなし。二人は昇りのエスカレータに乗った。レストラン街は七階、八階の二フロア。開店直後の時間帯だし、どこか空いている店もあるだろう。
「あ、あそこ、ちょっと見ても良いですか?」
香澄が指さしたのは、和風雑貨屋の猫どっさりワゴンだった。
「良いよー」
二人はエスカレータを五階で降りた。香澄は真治と手をつないだまま真治を追い越して、引っ張るように猫どっさりワゴンに駆け寄った。
「かわいいー」
最初は真治の手を握ったままの香澄であったが、気分が盛り上がって来たのか、その手を離し、両手で猫雑貨を手に取り始めた。
「猫好きなの?」
「はい」
猫を見たまま香澄が答えた。
「猫飼ってるの?」
「いいえ。これかわいいけど何ですか?」
それは和風のぐるぐるをあしらった招き猫形態の箸置きだった。実在しない柄の猫であるが。
「ぐるぐる猫の箸置きだね」
「ぐるぐる猫って言うんですね」
「そうそう」
香澄は騙されやすい性格なのかも知れない。かわいいではないか。
「中も見て良いですか?」
「良いよー」
これが客寄せの見本である。店頭に安くて目を引く商品を置いておき、客を店内に引き込む。そして店の奥に行く程値段が高くなり、最終的には二百万円の座卓に辿り着くのだ。
香澄は再び真治の手を取り先陣を切って店内に入った。店内には塗の箸、急須、茶碗等の食器から、扇子、手ぬぐい等の生活雑貨まで、和のものが取り揃えてある。真治は、ちらっとかんざしを眺めた。
思い起こせば小石川家は洋風であったことから、和風雑貨は珍しかったのかもしれない。そんな風に真治は思った。
「こういうの憧れますか?」
香澄が真治の方を見て指さしたのは、夫婦茶碗であった。真治が答える。
「割れた時に泣き叫んだりしなければ、使っても良いと思うよ」
そう言うと香澄は目を見開いて、もう一度夫婦茶碗を見た。そして割ってしまった時を想像すると、想像上の自分が両手を広げて叫んだ。
「考えます」
そう言って、香澄は次の商品に目移りして行った。夫婦茶碗は割れて怖いと思ったからなのか、今度は夫婦箸をキラキラとした目で眺めている。
「お箸は、どんなのが好みですか?」
振り返って香澄が真治に聞いて来た。真治は目を細める。
「春慶塗で、先の細いやつが好みかな」
真治がそう言うと、香澄はショーウインドウにパッと向き直り、春慶塗の箸を探し始めた。だが、見当たらない。
「輪島塗しかありませんね。どんな字を書くんですか?」
「春に、慶応の慶だね」
「んー、春という字がありませんね」
「そのようだね」
真治には遠目にもないことが判っていた。色味が全然違うから。
「どんなのなんですか?」
「四角で朱色の地味なやつだよ」
香澄は四角の箸を探したが、丸い箸しかなかった。
「地味好きなんですか?」
「いや、こういう蒔絵のは、お正月とか、お客様用というか、特別な時に使う感じだから、特に好みってないんだけど、普段使うものは、一見地味でも、ちょっと良いものが好き。みたいな感じ?」
「そうなんですか」
香澄は真治の方を見て、もう一度箸の方を見た。これらは特殊用途らしい。
「商人だからね。見えない所で見栄を張る。こういうお高いものも良いけど、普段の食事で、箸置きが出て来るような、そんな生活が憧れです」
「へー」
そう言って香澄は頷くと、真治が指さした箸置きを見た。ぐるぐる猫より地味だが、それなりにお高いものが並んでいる。良く見て覚えた。
「小野寺先輩って、おぼっちゃまなんですか?」
さっきの仕返しとばかり、香澄はちょっとからかってみた。
「いやいや。そんなことはないですよ。憧れだけで」
「そうなんですか。じゃぁお嬢様が好きなんですか?」
香澄の質問は続く。顔は笑顔である。真治も慣れて来たのか、本音を吐いた。
「んー、お嬢様の定義は人それぞれだけど、ギャーギャー煩い人は苦手かな。お上品な人には、それに応じた対応をしてあげたいとは、思うけどね」
そんな話をしていたら和風雑貨屋の外に出た。
「今日の私はどうですか?」
広い通路へ先に出た香澄は振り返ると、両手を広げ、コーディネートを見せた。小首をかしげて上目遣いである。真治は慣れたなんて、即、撤回だ。
「良いと思いますよ。お嬢様」
にっこり笑って真治は答え、また手をつなぐように右手を差し出した。香澄は喜んで腕にしがみ付く。そしてキャッキャッと笑ったと思ったら止まった。
「私、煩かったですか?」
「いや、煩くないよ」
真治は直ぐに答えたが、ホントかなという顔をした香澄は下を向く。五秒間下を向いている香澄を、真治は照れているのかなと思って見ていた。パッと顔をあげた香澄と、不意に目が合う。
「ピアノも煩いですか?」
香澄の心配そうな顔を見て、真治は何を急に、と思う。
「いや、全然。ピアノは煩くないでしょ。トランペットの方が煩いでしょ?」
真治が笑いながらそう言うと、香澄がみるみる笑顔になってゆく。
「トランペットも煩くないですよ!」
そう言うと、香澄は真治の腕を引っ張って、エスカレータに向かう。時刻は、十一時半を回っていた。