サザンと言えば
夏休みなると吹奏楽部は、コンクールの練習漬けになる。演奏するのはコンクール用の曲だけになり、繰り返し繰り返し練習する。飽きたら、その辺を走り回ったり、腹筋背筋をしたりする。
そんな中、真治は一人屋上でトランペットを吹いている。理由は家庭の事情という奴だ。
中学に入ってから『家の手伝い』をすることになると、家庭の事情が最優先になった。真治もそれは理解していた。三十五名のコンクールメンバーが発表されてから父上に報告すると、コンクール当日の『家庭の事情』が優先された。真治は泣いて村田に謝り、メンバーから外れた。
学校内の授業時間として実施される舞台、文化祭、運動会、卒業式、入学式での演奏は問題なかった。
中学二回目の夏休みがやってくると、今度は自主的に屋上へ向かった。屋上にいても音楽室が近いので、演奏が聞こえて来る。ずっと聞いていれば、覚えて一緒に吹けるようになる。『屋上のトランペッター、習わぬ曲を吹く』だ。
コンクールに出ないなら、夏休みに部活に来ることもなかろうて、だって? それはない。家にいたら、いくらでも『家の手伝い』はある。それも家庭の事情である。
そもそも夏休み期間中の部活動は、朝十時から午後三時までである。朝四時に起きて市場の仕入れに同行し、得意先の店に品物を卸しながら店に帰る。その後は店の周りの掃除、納品物の検品、朝礼で一応、十七時戻りを報告した後もバタバタして、気が付くと九時になっている。急いでシャワーを浴びて香澄の家に行き、トランペットと香澄を受け取って学校へ向かうのだ。トランペット位吹かせてもらえないと、やってられん。ぷっぷくぷーだ。
その辺の所は村田にだけは相談していて、屋上の鍵を借りられているのであった。他の部員には奇異な存在であったが、本人も変わっているし、家もそうなんだろう位に思っていても、おかしくはない。
「小野寺先輩、出席まとめて来ました」
大体十時半位になると、フルート一年・山本と、クラリネット一年・小石川がパート毎の出席をまとめた結果を持って来る。山本は真治の事情を知らないので『お前暇なら全員分の出席を確認しろよ』と、心の中で思っていてもおかしくはない。ただ、ちょっとでも練習を抜けて屋上に来るのは、気分転換にはなった。
「ありがとー」
真治がそう言ってトランペットケースから手帳を取り出すと、メモを見ながら名前を確認しようとする。
「あげます」
山本は手帳のページを破って真治に渡すと行ってしまった。真治がメモを見ながら、全員分の名前が書かれた出席簿に転記するのを、暑い屋上で待つ義理はないからだ。
真治が受け取ったメモを左手に持ち、右手に持ったボールペンで名前を探している。
「持ちましょ」
小石川は、香澄は、真治の左手からメモを取り上げると、一緒に名前を探してあげるのだ。次に香澄がクラリネットの出席を報告する。香澄は真治と同じ手帳を持っていて、それを破いて渡すのが嫌だっただけなのだが。
フルート二十五名、クラリネット三十名の出席を確認するのに、それほどの時間がかかる訳ではない。それでも、一緒に行った山本と香澄が屋上から戻って来る時間差は、噂を広げるには十分な長さだった。それに屋上から戻る時に山本が振り返ると、真治と香澄が仲良くノートを指さしながら笑っている姿を見ると、それも証言の一つになった。毎日そんな感じだし。
やがて屋上に他の部員がやってくる。着席、音出し、音合わせが終わる頃、三年生を中心とした三十五名によるコンクール練習が始まる。それ以外の部員は、ちょっとは涼しい教室でパート練習をするか、見晴らしの良い屋上へやって来て、パート練習や自主練習をするのだ。
「あとは、吉田さんですね」
「よーよー、吉田さん」
「ここですね」
「どうも。吉田さんっと。ありがとうねー」
「いえいえ。どういたしまして」
その日の出席簿をつけ終わると、真治は長期欠席者がいないか、パラパラとページをめくり、パタンと閉じた。問題は無いようだ。
「よしっ! 終わり!」
「何で、出席係なんですか?」
香澄の突然の質問に、真治は小首をかしげる。
「何でって言われても。これをこの後、パソコンに投入して、出席率計算して、統計情報出さないといけないから?」
「えっ?」
香澄は驚いた。真治はそんな香澄に聞く。
「やる?」
「やりません」
真治の問いに香澄の返事は早かった。真治は『ほら見ろ』と思う。
「でしょー?」
真治は笑った。どうやら納得してくれたみたいだ。結構大変なのだよ。
「何か、働き過ぎなんじゃないですか?」
「そんなことないよ。トランペット吹いているしー」
真顔になった香澄に言われ、真治も真顔になったが、明るい表情だ。
「一人で吹くの寂しいって、書いてたじゃないですかー」
香澄は真治を心配している。それに、寂しいのは嫌だった。しかし、真治はやっぱり明るい表情のままだ。
「でも、吹かないよりは良いでしょ。こうしてお話もできたし。これでも、一応部員なんでー」
前向きな考えなのか、そう言って真治は伸びをする。まぁ、誰も気にしちゃいないかもしれないが、一応部員なのさ。今日も空が青い。
香澄には判る。こういう人は、いつか壊れてしまうのだ。
「何か吹いて下さいよ」
「ん?」
三年生の演奏が屋上にまで響いて来ている。良く聞こえない。
「何か、吹いて、下さい!」
香澄がもう一度言ったので、やっと聞こえた。真治は頷くと、トランペットを構える。この時点で何を演奏するかは考えていなかった。真治は、今朝トラックの中で聞いた曲を思い出す。
去年の一月に発表されたその曲は、二度目の夏を迎えていた。海での出来事を曲にしたものらしい。真治は前奏とかを飛ばし、歌詞の歌い出しから演奏を開始。間奏が始まる手前の二番まで演奏した。
演奏時間は九十秒位だろうか。香澄は謎のコンクリートの上に腰かけて、足をブラブラさせ、真治の横顔を見つめながら聞いている。知らない曲だが、いつものニニ・ロッソ風に吹いていたので、そっち系の曲だと思っていた。
演奏が終わって、香澄が真治に聞く。
「明るいような、悲しいような、不思議な曲ですね。何て曲ですか?」
「しぃらなぁーい」
真治の間の抜けた声と両手をあげた姿を見て、思わず香澄は笑う。
「ちょっと、どういうことですか?」
「今朝、トラックで流れていた曲だから、わっからなーい」
「そうなんですねー」
にっこり笑う真治を見て香澄も納得した。真治が一度聞いた曲を、アレンジして演奏できることを香澄は知っている。そしてそれが、ハ長調になることも。まぁ、真治のトランペットの場合は、変ロ長調であるが。香澄はぴょんと謎のコンクリートから降りると、スカートをポンポンとはたいた。
「じゃぁ、練習に行きますねー ごきげんよぅ」
「うん。行ってらっしゃーい。ありがとうねー」
「はーい」
真治が手を振るものだから、香澄も笑顔で手を振り返す。そして前を向き、テトテトと屋上を走った。クラリネットの倉橋と黒井が香澄を迎えに来ている。音楽室に入れないので、香澄のクラリネットを、ケースごと持ってきたのだ。
「ありがとう」
香澄が笑顔でクラリネットを受け取った。それを見た二人も笑顔だ。
「澄ちゃんさ、本当は『香澄』だっけ?」
ヒソヒソ声で、急に聞かれた。
「そうですけど?」
不思議な質問に香澄は答える。自分から『澄です』と言ったことはない。真衣と友達になったばかりの時に、真衣と字数を合わせたくて『香澄』の先頭二文字を取ったら、真衣が慌ててそれを否定し、それなら後ろ二文字しなさいと言われ、命名されたものだ。もちろん『香澄はー』と言ったこともないが。
「小野寺先輩と付き合ってるの? えー?」
「いつも一緒に登校してるじゃーん。仲良しじゃーん」
笑いながら二人が同時に質問する。香澄は真治と付き合っていると公言したことはなかったし、部活では小野寺先輩と呼称していた。ちょっと苦笑いを答えとし、返事はしなかった。二人の質問は終わらない。
「小野寺先輩が吹いてたじゃないですかー」
「そう。今の今のー ねぇねぇー」
「聞いてたの? 今の曲、何て言うの?」
香澄は二人に聞いた。すると二人から笑顔が消えた。意外に思ったらしい。
「知らないで聞いてたの? 嘘でしょ? 小野寺先輩、泣くかもよ?」
「いやいやー。でも澄ちゃんはしっかりしてよー。えー、まじなの? まじで?」
「うん」
香澄の返事を聞いて、二人は顔を見合わせて笑う。香澄は不思議に思った。
「何て曲なの?」
香澄が質問したので、二人は笑うのを止めて香澄の方を見た。しかし、直ぐに、また見合わせて笑う。二人にとって、香澄の反応はあり得なかったらしい。
「澄ちゃん、今のはね『チャコの海岸物語』よ?」
「『サザン』の曲よ?」
二人が教えてくれたので、香澄は頷いた。
「そう。ありがとう。『サザン』て『サザンクロス』のサザン?」
香澄の質問を聞いて、また、二人から笑顔が消える。
「え? いやーそうなのかもしれないけど、知らなーい。黒っち、知ってる?」
「さぁ? うっそ。澄ちゃん『サザン』知らないの? 大丈夫?」
心配そうに香澄に聞き返した。まるでテスト範囲を知らぬ、やばい奴扱いだ。
「うん」
香澄は真顔のまま素直に頷く。期末試験は、真治に教わって随分良かった。
「真面目だねー」「真面目だねー」
倉橋と黒井が腰を入れて香澄を指さしながら、同時に言う。笑顔に戻っている。二人は顔を見合わせると、両手を振りながらゆっくりと、香澄に教えだす。
「『サザン』は『サザンオールスターズ』の『サザン』よ? 覚えてねぇ」
「そうそう。カタカナね。漢字じゃないよぉ?」
やっぱり真顔のまま、香澄は頷いた。そして二人に聞く。
「へー。カタカナでサザンさん。ミスターかしら。南国系の外人さん?」
だめだこりゃと思ったのか、二人は急に笑いだす。毎日、何をしているの?
「いやいや、面白いから。バリバリの日本人です」
「澄ちゃん。レコード屋さんに売ってるよ? 見たことない?」
ここまで知らないとは思わなかったのか、また二人は顔を見合わせて笑った。
「へー。探してみる」
香澄はちょっと興味を持ったようだ。しかしそれも、二人にとってはちょっとズレたおかしい返事だったようだ。どうしても、笑いが止まらない。
「いや、まだ一杯売ってるから!」
「すぐ見つかると思うよ!」
そう言うと二人は『キャー』『キャー』と笑いながら行ってしまった。そこまでおもしろいことだったのか? と、不思議に思いながら、香澄はまだ手に持っていた手帳に、作者と曲名をサラサラと英語で書いて『原題はカナ』と注記し、クラリネットのケースにしまった。そして、首を捻る。
一人なのに『スターズ』と複数形を語る謎の歌手。そして、南国系ではないけど、バリバリと音がする日本人。謎は深まるばかりだ。それに、真治が泣くとは? またまたぁ。本人に聞こうと思って振り返ったが、絶賛基礎練習中だ。
真治に泣くのか確認するのは止めにして、一人で頭を捻りながら、クラリネットのパート練習へ向かう。思わず苦笑いした。これはきっと、暑さのせいだ。




