香澄のトークショー
夏の夜、香澄と真治はピアノのトークショーに来ていた。コンサートではなく、日本でのアルバム発売に合わせた催し物で、代表的な何曲は演奏されるだろうが、主としてアルバムのPRとファンとの交流を目的としたものだ。
会場には、ピアニストが白いタキシードを着て、白いピアノの前でポーズを決めるポスターが、沢山貼ってある。二人はその前で記念撮影をした。
香澄はせっかく東京まで行くのだから、おしゃれをして行きたかった。が、真治が恵子に『学生の正装は学生服ですから』と宣言したため、二人は夜の東京に、学生服で乗り込んだのだ。
その代わりとして、香澄の髪留めは、また新しいものが追加されていた。多分、学校にはつけて行けないだろう。『学生服を着ていても、今日は学校に行く訳ではない』と、真治が選んだものだ。だから、まぁまぁ上機嫌ではある。
入り口で真治が二枚のチケットを出した。すると受付で説明が始まった。
「こちら、質問を受け付けております。聞いてみたい質問をあちらの記入台で一つ書いて、質問受付までお願いします」
真治は『質問用紙』を二枚受け取った。真治の腕にくっついていた香澄は、それを覗き込んで『へー』と思った。一度真治と顔を見合わせると、受付にお辞儀をして通り抜けた。
「書くでしょ? 何書く?」
質問用紙を一枚香澄に渡した。
「そうねぇ。選ばれたら良いけど、怖い気もするわ」
渡された質問用紙を見て香澄が答えた。真治はどんな質問を書くのか気になった。質問用紙には名前と質問を書く欄があり、下に小さく注意書きがある。
『選ばれた中から一名様は、花束を渡すためステージ上に案内させて頂きます』
真治はそれを見て香澄を見た。香澄も真治を見た。目を合わせた真治が笑う。
「俺のも書く?」
「ダメよ。自分で書いて下さい!」
二人は笑顔でにらみ合い、質問用紙を押し付け合ったが、結局自分で一つ質問をすることにした。しばらく考えて、用意された記入台に同時に向かうと、名前と質問をさらさらと記入して二つに折る。お互いの質問を見られるのが何となく恥ずかしかった。そして、揃って受付に提出。礼。
「時間あるし、お土産コーナーに行ってみようよ」
「はーい」
真治と香澄は、はぐれないように手をつなぐと、肩をどつき合いながら、人混みの中に紛れて見えなくなった。
見るからに中学生のカップルが同時に質問用紙を提出して、手をつなぎお土産コーナーに消えるのを、受付係の二人は見送った。
「どこから来たのか知らないけど、学生服で来るとは珍しいですねぇ」
「学生の正装は学生服ですから、合っていると言えば合ってますけど。でもねぇ」
「いやー、でも、微笑ましいねぇ。手つないじゃってさ」
「そうですねぇ。どれどれ、どんな質問を書いたのかな?」
別に折り畳む必要はなかった質問用紙。それを一枚づつ持った二人は、同時に広げて中を見た。
『譜面通りに弾くべきですか? 小石川香澄』
『楽譜通りに演奏すべきですか? 小野寺真治』
お互いに質問用紙を見せ合う。シンプルな質問が記載されている。
「あれ? 何か、仲良いですね。質問まで一緒ですかぁ」
「お互い秘密にしてたっぽいのに。女の子の方が、ピアノ弾くのかな?」
「あ、そうだね『弾く』だもんね」
受付の後ろから、既に提出された質問用紙の束を持った男が、二人の後ろからにゅっと出て来た。
「どうよ。良い質問あった? 毎回この企画、大変だよねぇ」
男が手にしている質問は『どうやったら上手に弾けますか』『プロになるにはどうしたら良いですか』『一日何時間練習すれば良いですか』とかだった。
「大変だけど大切ですよ。ほら、中学生の女の子が、こんな質問して来まして」
そう言って質問用紙を渡す。男は一読すると、直ぐに答える。
「良いじゃん。最後の質問にしようよ。ピアニスト志望なのかね。ちょっとさりげなく追加質問して来てよ。高校受験対策なのか、何年ピアノやってるのとか、何を何時間位練習してるのとかさ」
そう言いながら質問用紙は返さない。
「判りましたー」
受付の男が立ち上がって、受付を出る。それを慌てて制止した。
「ちょっと待って。顔覚えてるの? 服装とか、判ってるの?」
「大丈夫ですよ! セーラー服着ている子、一人しかいませんから!」
「そうなんだ。じゃぁ決まりだなっ!」
二人は顔を見合わせて頷き、笑った。質問用紙を振りながら声をかける。
「聞いた結果を追記して、楽屋に回しといてねー」
「判りましたー」
受付係は振り返り、右手をあげて返事をした。
お土産コーナーは思ったより人が多かった。手をつないで突入した香澄と真治だったが、腕を組んで密着しないといけない程だった。仕方ない。
「オルゴール、かわいいですね」
凝った装飾の箱がある。香澄がそれをひっくり返してねじを巻く。元に戻して蓋を開けると、鉄の爪を弾く透き通った音がする。雑踏の中で良くは聞こえないので、二人は箱に耳を近付けて聞く。
「グリーンスリーブスだね」
真治は笑顔で香澄に言う。
「そうですね」
香澄は直ぐにオルゴールを元に戻した。どうやら気に入らなかったみたいだ。
「好きなんじゃないの?」
不思議に思った真治が聞くと、香澄は真治の方を見て、鼻で笑う。
「歌詞、知らないんですか?」
「知らなーい」
真治が即答する。ニニ・ロッソの演奏を思い浮かべても、歌詞は出てこない。が、英語が苦手な真治は、歌詞を聞いても、内容は理解できないだろう。
「どういうの?」
真治の質問に、香澄は意味深な顔をするだけで答えない。次のオルゴールを手に取ってネジを巻き、にっこり笑って鉄の調べを聞いている。そんな様子を眺めていた真治は、香澄の笑顔で満足するしかない。
真治と香澄はオルゴールコーナーから動けなくなっていたので、ちょっとづつ横に移動しながら、目の前にあるオルゴールを試し聞きしていた。回る人形やメリーゴーランドのオルゴールは、収納機能はない。眺めるだけだ。
「あ、こんなのも、あるよ?」
真治が指さしたものを香澄が見ると、今手にしていたオルゴールをスッと戻した。そして、真治が指さしたものに急いで持ち替える。それは宝石箱にオルゴールが付いたものだった。香澄は目を見開き、瞳を輝かせて真治を見つめる。
「これ、かわいい。買ってくれるんですか? 良いんですか?」
「えぇー、絶対高いですよ。大人向けでしょ? お幾ら万円ですか?」
香澄の質問に真治が聞く。ナイショだが、真治は香澄の笑顔に、滅法弱い。
「そんなにしませんよ!」
ひっくり返して、値札を探し出した香澄が答える。しかし、そう言うほど安くもない。中学生には高い買い物である。真治は人差し指と中指をおでこにあて、考えている。今なら手持ちのお金で買える。しかし、本日のお土産代予算としては、超過だ。真治が考えていると、香澄が猛烈に推挙し始める。
「指輪三本入るし。付き合いリング、婚約指輪、結婚指輪。ピッタリ!」
「あ、今日は、箱だけで大丈夫です。そこの指輪までとは、言いません」
「ほら、ここは小物入れになるし。イヤリングだって、沢山入ります」
「あ、ちょっと真治さん! これ、曲が『愛のオルゴール』だし!』
それを聞いて、真治は口をへの字にした。対照的に、口角をぎゅっと上げた香澄の笑顔を、じっと眺めながら考える。そして思い付き、ポンと手を叩く。
「うーん。電車賃で買うから、歩いて帰る?」
「おんぶしてくれるなら! やったー」
決定事項として香澄から切り返された。凄く早い。真治が嫌みの如く笑顔になる暇さえ与えない。何だかそういう冗談に対する返事が、段々早くなっている。もしかして予想されている? 迷いもなく、にっこにこの香澄を見て、真治は思った。そして、もう一度考え直す。対策は思い付いたが、ポンは出ない。
「じゃぁさー、アルバム代で買うからさー、後で聞かせてよ? 頼むよ?」
「もちろん良いわよ! 一緒に聞きましょっ! ありがとう! ダイスッ!」
今度も返事が早い。赤面しつつも機嫌良く体を横に振っている香澄の手から、きらきらした宝石箱を取り上げると、会計コーナーに向かう。手をつないではいないが、香澄も真治の学生服を鷲掴みにして、付いて来ている。離れない。
会計のお姉さんは、真治から宝石箱を受け取ると、後ろから満面の笑みを浮かべる香澄の姿が目に入った。思わず真治と香澄の顔を見比べる。前途多難な未来の旦那を気の毒に思ったのか、それでも『プッ』と吹き出すのは耐えた。そして定型句の質問を封印し、黙々とプレゼント用のラッピングを始めた。
混雑したお土産コーナーを出て劇場の入り口に来ると、二人は係の者に捕まって、チケットとは違う席に案内された。香澄は真治の隣なら良いと答えると、係の者はにっこり笑って頷いた。
そして、歩きながら香澄が何個か質問に対して答えると、係の者は頷いて、また笑顔を二人に振りまいた。案内されたのは、真ん中の通路の端だ。そして、香澄がアルバムのジャケットを持っているのに気が付くと、それも預かって行ってしまった。
「何でしょうね?」
きょとんとしている香澄を見て、今度は真治が笑顔を見せるだけだ。理由は答えない。二人はトークショーが始まるのを待った。
トークショーは、アルバムに収録された曲の紹介と、生演奏、アルバム制作の苦労話を挟み、最後にアルバムの題名となっている曲を演奏して終わった。コンサートではないので、アンコールはなく、鳴りやまぬ拍手を打ち消すように、司会者のお姉さんが進行して、質問コーナーが始まった。
「では、最初の質問です。『どうしたらピアノが上手になりますか?』です」
質問を聞いた通訳の人が翻訳を始める。
(どやったらー、ピアノがー、じょずにーなりますか?)
(心を込めて、沢山練習しましょうね。幾ら練習しても嫌々やっていたら、上手になりませんよ。にっこり)
ピアニストの答えを頷きながら通訳の人が聞く。そして日本語に翻訳した。
「心を込めて、沢山練習しましょう。嫌々やっていたらダメですよ」
通訳の人がそう言うと、司会者のお姉さんが手元の紙を見て、次の質問を読み上げる。
「次の質問です。『プロになるにはどれくらい練習するんですか?』です」
質問を聞いた通訳の人が翻訳を始める。
(ぷろにーなるにはー、どれくらーい、練習、するですかー?)
ピアニストは笑顔で頷いた。
(決まった練習時間はありません。練習したからと言ってプロになれる訳ではないからです。練習は時間よりも質です。時間を気にしている間は、プロにはなれないと思って下さいね。時間を忘れる位、練習して下さい)
ピアニストの答えを頷きながら通訳の人が聞く。そして日本語に翻訳した。
「時間を忘れて練習しなければプロにはなれません。練習は時間よりも質です」
通訳の人がマイクで話すと、司会者のお姉さんが頷く。声を張り上げた。
「では、最後の質問です。最後の質問は花束を渡して頂き、直接聞いて頂きましょう!」
そうコールすると、香澄の方を見た。香澄の後ろの方から、係の者が大きな花束を持って来ている。ポカンとしている香澄の前に差し出したので、香澄は驚いて係の者を見て、そして真治の方を見る。
「良かったね。行っておいで」
笑顔の真治にそう言われて、香澄はやっと理解したようだ。緊張しながらも立ち上がり、花束を受け取るとガッチガチのまま、ステージに向かった。
司会者のお姉さんが香澄を笑顔でステージに案内する。ステージ上のちょっとピアニストから離れた場所でお辞儀をすると、拍手が沸き起こって、ピアニストも立ち上がり、ステージ中央に歩み寄る。そこで香澄が花束の正面をピアニストに向けて差し出すと、それを受け取り、ステージ下のカメラを指さし、照れている香澄を花束の方に引き寄せて一緒に写真に納まった。
ピアニストは笑顔で花束を受け取ると、後ろから来た係の者に渡し、それは白いピアノの前に飾られた。
「では、直接質問してみましょう!」
そう言って、司会者のお姉さんが香澄にマイクと質問用紙を渡す。香澄はそれを受け取ると内容を確認し、緊張しながらも、ピアニストに向かって話す。
(本日はお招き頂き、ありがとうございます)
(おー、上手なフランス語ですね。本日はお越し頂きありがとうございます)
香澄が何て質問したのか判らない観客は、ピアニストの反応を見て、判らないのは自分達だけなのだと理解した。香澄はマイクを持って話し続けている。
(素晴らしい演奏を、ありがとうございました。こうして同じステージに立たせて頂き、大変嬉しく、光栄に思います)
(とんでもございません。私の演奏を楽しんで頂き、ありがとうございます。その紙の質問をどうぞ)
(はい。『譜面通りに弾くべきですか?』です)
香澄の質問を聞いた通訳の男性が、慌てて翻訳する。
「譜面通りに弾くべきですか?」
(そうですね。一概には言えませんが、今は何を練習しているのですか?)
通訳の男性が、しかめっ面で司会者のお姉さんに手で合図すると、司会者のお姉さんも翻訳を始めた。
(ショパンのバラード三番です)
間に合わない。ピアニストが話す内容を会場に翻訳する前に、緊張した笑顔でピアニストの目だけを見て話す香澄は、先に答えてしまう。
「何を弾いてるんですか?」
「ショパンのバラード三番です」
通訳の男性と司会者のお姉さんが次々と翻訳を始めた。
(おや、手は届きますか? 私と比べてどうかな?)
差し出されたピアニストの手に、香澄が手を合わせる。
(大体一緒ですね。良いなぁ。大人になったら、もっと大きくなって上手に弾けるようになるでしょうね)
「手は届きますか?」
そう翻訳すると、ピアニストと香澄の仕草を見て、場内に笑いが起きた。
(ありがとうございます)
(では、質問にお答えしましょう)
(はい)
(コンクールに出るのなら、譜面通りに弾くべきでしょうね。曲想はプロになって、同じ曲を弾くことができる数多のピアニストの中から、聴衆が、どうしても貴方の演奏が聴きたい、と足を運んでくれるようになってから、つまり、一定のファンと言われる人達が、貴方を応援してくれるようになってからで、大丈夫ですよ。無理に自分のスタイルを出すのは押し付けであって、プロではありません。勘違いしてはいけません)
(はい判りました。肝に銘じます)
(ただ、コンクールに出るような人達の演奏は、みんな譜面通りですが、全員同じではありませんよね)
(そうですね)
香澄が頷いた。
(あなたはどうしてバラ三を選んで弾こうと思ったのですか?)
(バラードと言えば悲しい曲が多いのですが、この曲は明るくて素敵だなと思って、母にお願いしました)
「コンクール用なら譜面通りに弾きましょう。曲想はプロになってからでも遅くはありません」
「はい」
「でも、譜面通りでも全員同じではありません」
「そうですね」
「貴方がその曲を選んだ理由は何ですか?」
「バラードなのに明るいと思い、お母さんにお願いしました」
通訳がやっと追いついた。ピアニストの方が気が付き、待っていた。
(お母さんがピアノの先生なの?)
「お母さんはピアノの先生ですか?」
(はい。そうです)
香澄は誇らしげに頷く。
「はい」
質問に答える時香澄は頷くので、多分翻訳しなくても通じているだろう。
(お母さんは何て言ってたの?)
(バラードは、恋の一つもしないとダメだと、言っていました)
(素敵なお母さんですねー)
(はい。憧れです)
「お母さんは、この曲を選んだ時、何て言ったの?」
「バラードを演奏するなら、恋をしろと」
「素敵なお母さんですね」
「はい」
ピアニストは左手を口に添えて、小声で香澄に聞いた。
(あそこに見える男の子は『彼氏』ですか?)
右手で真治を指さす。それを見た香澄は、今日一番の笑顔で答える。
(はい。『婚約者』です。指輪より先に、宝石箱を買ってくれました!)
「今日はお友達と来たのですか?」
「はい。そうです」
司会のお姉さんは、目を丸くして翻訳を変更した。ピアニストは小さく両手を顔の前に上げて、笑顔で驚いている。とても楽しそうだ。
(ははは。じゃぁ、貴方はバラ三を弾いても大丈夫ですね)
ピアニストは笑って答える。香澄は手を前で重ね、体を左右に振りながら、モジモジし、とても恥ずかしそうにしている。
(彼を想って弾けば、それが譜面通りです。喧嘩したらダメですよ?)
(判りました。仲良くします)
片目を瞑ってのアドバイスに、香澄は笑顔で頷く。
「喧嘩したら譜面通りじゃなくなりますよ」
「はい」
質問が終わると係の者が、ピアニストのサインが入ったアルバムを香澄に返却した。それを二人で持って、もう一度写真撮影が行われる。
(日本での成功をお祈りします)
(ありがとうございます。またどこかでお会いできる日を楽しみにしています)
(ありがとうございます。そうなれるように頑張ります)
何やら二人で会話が始まったので、通訳がまた耳を澄ませた。
(ところで、お母さん厳しいの?)
ピアニストは口をキュッと苦笑いしながらも、明るく香澄に聞いた。
(はい。とても!)
香澄も口をキュッと苦笑いしつつ、目をギュッと閉じながら大きく頷いた。
「お母さん怖いの?」
香澄の顔から笑顔が消える。慌てて首を横にブンブンと振ったが、遅かった。観客席からは、盛大に笑い声があがった。ピアニストは何が起きたのか判らなかったが、男性通訳から理由を聞くと、気の毒そうに一緒に笑った。
香澄はもう一度ピアニストに礼をする。そして観客席にもお辞儀をすると、拍手が起きて、その波の中、アルバムと強い決意を両手で大事に抱え、真治の隣まで走って戻ると、そこにぴょんと座って観客に戻った。
ステージ上ではもう一度ピアニストが紹介され、大きな拍手が沸き起こる。
「ありがとう、ございまーす」
最後は日本語で答え、トークショーは終わった。




