花火の夜・面接と実技試験
しばらくの間沈黙があって、圭太の方から会話の戦端が開かれた。
「真治君はトランペットなんだって?」
「はい。そうです」
「いつからやってるの?」
「小学四年生からです」
「そう」
ここでまたしばしの沈黙が訪れた。今度は真治が戦端を開く。
「ニニ・ロッソを目指してます」
圭太は少し笑った。『好きだ』『憧れ』ではなく『目指す』とは。まだ子供だなと思わざるを得ない。
「そうなんだ。頑張ってね。でも、それがどうしてクラリネットを吹くことになったんだい?」
真治は、やっぱりその話題からなのかと思う。
仕方ないだろう。プロのクラリネット奏者の娘が『トランペットが上手な先輩が席に来てくれて、クラリネットでグリーンスリーブスを吹いてくれたら、感動して泣いたから逃げちゃった。もっと聞きたかったのに残念。また吹いて欲しいな』なんて手紙に書いてきたのだから。圭太は驚き、目が飛び出たのだ。
「お嬢さんの香澄さんから相談されまして」
「トランペット吹きの君にかい?」
まずはそこから説明しないといけないのか。真治はちょっと憂鬱になる。
「香澄さんは、学校ではとても大人しいので」
「そうらしいね。家ではあの通り元気なんだけどね」
真治は頷いた。おっしゃる通りです。圭太は真治の話を待った。
「仲の良いお友達がトランペット吹きでして、お昼休みに相談されました」
大分省略したが、良しとしよう。圭太は頷いて納得してくれた。
「どんな相談されたの? まぁ、私に聞いて来たことなんてないんだけどね」
「そうなんですか。プロがいるのに勿体ない」
「まぁ、家にいないから、ていうのもあるだろうけど。で、どんなこと聞かれたの?」
圭太は自分で突っ込んで笑ってから、真顔になった。真治は言い辛い。
「えーっと、同じ音しか出なくてつまらない、一音しか出なくてつまらない、合奏しても副旋律はつまらない。こんな感じです」
「ボロクソに言われているねぇ」
苦笑いの圭太を見て、真治は慌てて両手を前に出し、上下に振った。
「いや、香澄さんには内緒にして下さい。お願いします」
「良いよ。約束しよう。それで、どうしたの?」
圭太は前のめりになった。『家の娘に何したんだよ』と言いたげだ。
「特別なことはしてないんですけど、楽器をお借りして、リードの締め具合変えたり、マウスピースの咥え方、口の大きさ、漏れ具合等々を調整して、一曲吹いただけなんですけど」
当時を思い出す犯人のように真治は答えた。圭太には普通のことだった。
「クラリネット吹いたことあるの?」
圭太は腕を組み考えている。
「いえ、その時が初めてです。サックスなら男子仲間の楽器交換で何度か吹いたことがあります」
「そうなんだ。どんな風に演奏したの? 是非演奏して欲しい位だよ」
圭太はソファーに寄りかかってリクエストした。笑っているが、目が真剣だ。
「いやいや、それは勘弁して下さい。ただ、『ニニ・ロッソ』と『シル・オースチン』と『ポールモーリア』と『グレンミラー』と『グリーンスリーブス』と『ダニーボーイ』を足して、二で割っただけなんですから」
真治がそう言うと、また沈黙が訪れた。圭太は空を見て、何か考えていたが、ゆっくりと真治に向く。
「それ、二で割っても、一、だいぶ超えてない?」
言われた真治はハッとした顔になる。
「あ、そうですね。ちょっと混ぜ過ぎましたね」
混ぜても良いのだ。二で割るな二で。圭太はそう思った。
「君、計算苦手なんじゃない?」
こいつ大丈夫かと思って、圭太は苦笑いした。真治は頭を掻く。
「いつも『原価計算できてない!』って、怒られています」
「そっちの計算じゃなくて、いや、一応、良いのかぁ?」
圭太も訳が判らなくなってきた。二人は真剣な目のまま、乾いた笑いをした。どうやら、だいぶ打ち解けて来たようだ。
「所で、クラリネット奏者が入っていないみたいだけど?」
圭太はにっこり笑った。真治はしまったと思い、直ぐに答える。
「あー、すいません。さっきの二項式として『ベニー・グッドマン』と『ジョージ・ルイス』も加えてください」
まだ加えるのか。圭太は吹き出した。しかも、どう加えれば良いのかは、真治にしか判らないではないか。
「有名所が出て来たね。更にプラス? それともマイナス?」
「全体を二乗してからプラスで。ジャズクラリネットも好きでして」
「そうなんだ。ジャズから入ってるんだね」
圭太は頷いた。真治は汗を拭き、にこにこしている。ジャズ系の演奏を香澄に聴かせたことはなかったなぁ。若い頃は、俺もかじったものだよ。
「クラッシックは、何が好きなの?」
圭太が話題を変えて来た。真治はとりあえずホッとする。
「第九が好きなので、年末になるとお店でずっとかけてたりします」
「それは迷惑なのでは?」
圭太は苦笑いして聞いた。日本で年末になると『ベートーヴェン』の『交響曲第九番』が流行るのは知っている。でも、凄く長い曲である。
「そうかも、しれません、ね」
真治はちょっと考えて笑った。その笑顔を見て圭太は『コイツそうは思っていないな』と感じた。しょうがない奴だと思い、笑う。
「お家、お店やってるの?」
「はい。一応住んでいる家が、店舗兼住宅なんですけど、それ以外にも色々ありまして、親戚中でやっているという感じでして、どの店が誰のかは、よく判りません」
「どういうこと?」
何だか手広く商売をしているらしいが、圭太にも中学生の真治にも、よく判らないことのようだ。
「えーっとですね、私も詳しくは判らないのですが、『島田』『島崎』『島山』の島三家と、『小野寺』『小嶋』『小山』の小三家で『藤門会』というのをやってまして」
早口だった真治の言葉が少しゆっくりになった。
「ほう。何か一杯出て来たね」
「はい。家紋がみんな『下り藤』なんだそうで、そこで、生鮮、物流、自動車整備、燃料販売、不動産、などなど、なんだか色々やってます」
「そんなにやっているんだ」
「はい『何か新しい店ができたなー』と思ったら、親戚の店だったりします」
真治は両手をあげ、困ったそぶりをした。
「へー、じゃぁ御曹司なんだ」
そう言うと、圭太は口を尖がらせた。香澄に似ていた。いや、逆か。
「いえ、継ぐっていうのはないですねぇ」
真治はにこやかに手を横に振った。とんでもない話だ。
「そうなの? 次男だからとか?」
真治の漢字を知らない圭太は『信二』とか『信次』だと思ったからだ。
「そういう訳ではなくてですね、商人なので、女の子が継ぐんですよ」
真治はまたにこやかに手を横に振った。まぁ、兄はいるのではあるが。
「へー、そうなんだ。珍しいねぇ」
「それがそうでもなくて『昔から』って言われました。だから男は基本婿養子でして、島三家と小三家で女の子が生まれると、許婚が決まるらしいです」
真治は笑顔で我が家の説明をした。圭太はポカンとした顔をしている。
「へー。じゃぁ真治君も?」
ちょっと興味を持ったのか、真治に既に決められた許婚がいるのか聞いて来た。真治は笑顔のままだった。横に振っていた手を、照れ臭そうに頭に乗せた。
「まぁ、私の場合は『おつむ』がよろしくないので、ちょっとそういうのは、ないと思います」
「どういうこと?」
説明を聞いても圭太には判らない。小野寺家は謎な一族である。
「お恥ずかしいのですが、頭悪い子はお婿さんに行かれないってことです。家だと、一高にも入れないのは、もう論外って感じです」
「厳しいねー」
にこやかに話す真治を見て、圭太はしみじみと相槌した。真治は淡々と話す。
「でも、男も女もみんな普通に一高に入ってますから。その辺は普通のレベルが家による、という感じなんでしょうか」
「真治君は一高無理な感じなの? しっかりしてそうだけど」
期待を込めたのか、前に乗り出して聞いて来る。真治はまた手を頭に乗せた。
「いやー、ちょっと英語が苦手なので、三高がやっとな感じなんです」
「じゃぁ、香澄に教わって一高狙えば?」
圭太の提案は早かった。学業の心配をするのは親の常であろう。
「それは有難いんですけど、気持ち的には微妙ですね」
真治は言葉通りの微妙な笑顔になった。それでも、それは本音だ。しかし、その答えの意味が、いまいち圭太には不明だ。香澄と一緒に英語を勉強すれば、それは楽しかろう。不思議だ。
「どうして?」
圭太は早口になっていた。言われた真治は神妙な顔つきになり、圭太の目を見ながらゆっくりと話す。
「いや、あのー、一高に入ったら、許婚、紹介されますが?」
「良いんじゃない?」
二人の会話がピタリと止まった。香澄と真治が付き合うのに、圭太は反対なのか。いや、別に相手が誰であろうと嫌なだけだ。それより何より、うだうだ言ってないで努力しろ、と言っているだけだ。一方の真治は、一高に入っても母を選んだ、尊敬すべき父のことを思い出していた。
二人共笑顔のまま、しばし見つめ合った。
「ははは。というのは冗談として、勉強はしっかりしないとね」
圭太が形式的に話し始めた。
「はい。そうですね。音楽ばっかりやってるなと、良く言われます」
真治は真実を話した。圭太は、やっぱり話題を変えようと思った。
「ははは。家とは正反対だね。ところでピアノは?」
圭太は親の顔から音楽好きの顔になった。その顔を見た真治はピアノ好きの顔になった。
「ピアノですか。やっぱり『カーメン・キャバレロ』ですね。左利き説、私は本当だと思います」
また早口になっている。圭太はコイツ判りやすい奴だなと思った。でもちょっと質問の意図を読めていない。
「そっち? いや、ピアノ曲の方ね?」
圭太は笑いながら聞き直した。真治も頭に手をやって笑った。
「失礼しました。ピアノ曲ですか。この間香澄さんにリクエストした『子犬のワルツ』とか『月光』『ラジオ体操第一』『荒野のバラ』とかー」
圭太は吹き出しそうになった。
「色々だねー」
顎を引き、上目遣いに真治を見る。
「そうですねぇ」
にっこり笑う真治に、圭太が質問した。
「ピアノ、何か弾けるの?」
好きなピアノ曲の中から一曲位弾けるのかと思うのは当然だろう。特に『荒野のバラ』は小学生でも弾く。
「いやいや、プロフェッショナルな皆さんの前で披露できる程の腕前でもないですし、全然弾いてませんし」
真治は真顔で両手を振り、遠慮した。圭太は笑った。『ラジオ体操第一』って言われたらどうしよう、と思っていた。家族揃って体操しなければならないだろう。何年振りだろうか。まぁ、真治はピアノが好きなだけかと理解した。でも、娘を泣かせたクラリネットが聞けないなら、今そこにピアノがあるんだから、ピアノでも聴きたいと思った。だから、もう一度聞いてみる。
「そういうのね、遠慮することないよ。気持ちだから」
圭太は生暖かい目で真治に言った。言われた真治はなるほどと思う。確かに気持ちは大切だ。でも、だとしたら、この状況では、なおさらに、弾けないではないか。うん。無理だ。絶対に、弾けない。
真治の顔が段々と真剣になっていく。それが圭太には判った。だから、何かしらの返事があるのではないかと、期待し始める。前のめりになっていた。
真治は姿勢を正し、真顔で堂々と圭太に宣言する。
「私、好きな人の為にしか、弾きませんから」
渋い声だ。圭太がポカンとした顔になった。そして、直ぐに笑いだす。
「ははは。言うねー。判った判った」
笑いながら圭太は立ち上がった。愉快な奴だ。そう思いながら、ゆっくりと歩いて電話の前に立ち、受話器を取る。
「あぁ、恵子さん? 香澄の着替え終わった?」
ちらっと圭太は真治を見た。ピアノを弾かなくて済んだと、安心している。
「うん、そう。じゃぁ、いや、あのね、真治君が、香澄がいないとピアノを弾かないって言ってるんで、そうそう、香澄は? あれ切れた」
にやっと圭太が笑って、受話器を置くと『ドーン』という凄い音がした。そんな馬鹿なと思い、真治は驚いた。しかしそれは、二階のドアが開いた音とシンクロしただけだった。その後、直ぐに階段をダダダと降りて来る音が聞こえて来て、どんどん近づいて来る。
「ちょっと、香澄!、スリッパ履いてー。もー」
恵子の声がやけに大きいと思ったら、それはリビングのドアがバーンと開いたからだった。
圭太は見たこともない香澄に驚いた。真治は『やってくれたよ』と思いながら、黙ってお茶に手を伸ばした。




