テスト期間・従業員一同
駅前のスーパーは夕方だから混んでいた。そこに館内放送が流れる。
『業務連絡。業務連絡。レジ応援願います』
どうやらレジが混んできたようだ。二人で品出しをしていた店員の一人が、示し合わせて頷きレジに向かう。
館内放送の音楽が流れ始めたと思ったら、また途切れる。そして、また業務連絡が入った。
『業務連絡。ダブルオー』
それはとても早口で、抑揚もなく短い連絡だ。しかし、それを聞いた店員に緊張が走る。品出しをしている店員も背筋を伸ばし、きびきびとしていたが、よりきびきびとなった。
スーパーにはお客様にはバレたくない用語というのがある。生鮮食品を見ているお客様の前で『ちょっとうんこ行ってきます』と言えないのと一緒だ。そういう場合は『ちょっと坂東太郎を塞き止めてきます』とか言うのだ。
今の業務連絡『ダブルオー』は本社の人が来たことを表す。本社採用の社員番号は先頭二けたがゼロなので、そういう言い方をする。
と、ここまで説明しておいて何だが、この『ダブルオー』というのは三号店だけの暗号で、会社全体の暗号ではない。考えてみて欲しい。そんな暗号、本社の人にもバレてしまい、意味がないではないか。
今の『ダブルオー』とは、御曹司の真治が、客として来店したことを意味しているのだ。放送を入れたのは、真治をいつもからかっている精肉部の島田だ。もちろん真治はこの暗号を知らない。
「あれ? 真ちゃん、今日お休みって連絡ありましたよね? 風邪じゃないの?」
「ああ、本店の店長からさっきな。何だ、元気なんか? 何処?」
二人は業務連絡を聞いてきょろきょろしていたが、店の入り口付近にある青果売り場に、真治と香澄を見つけた。
「あれま、あの子が真ちゃんのコレですね」
品出しをしながら小指を立てる。
「バリバリ元気そうじゃん。そうなんじゃない? 結構かわいい子じゃーん」
こちらも品出しをしながら、ちらりと見ている。
「買い物かご、二人で持っちゃって。あらー、仲良さそうですねー」
「そうだなー。彼女、凄いご機嫌じゃん。人参、ジャガイモ、で、玉ねぎか」
「カレーですかね。あ、まった見つめ合っちゃって。カーッ。羨ましい」
「だな。おぅおぅ、こりゃー熱々だ。ちょと精肉、行って来るわ。ここ頼む」
「判りましたー。良く見張っときまーす」
店員は早足で歩き始めた。
「いらっしゃいませー。いらっしゃいませー」
そう言いながら、真治の横をしらんぷりして通り過ぎる。二人は玉ねぎをどれにするか、物色している。
「島さーん。仲良しこよしで、こっち来るよー」
調理場奥の島田が気が付いて首を伸ばす。
「お、そうか? 何だ?」
「それはもう熱々の、カレーだと思いますよ?」
店員が微笑み、何度も頷きながら答える。島田も笑顔になった。
「熱々の、シチューかも、しれねっぞ?」
悪戯っぽく言い返した。笑って冷蔵庫を開けると、牛のブロック肉を取り出してカレーサイズに切り始める。まるで真治が連れて来た彼女の苗字が『小石川』であると知っていて、小石川家のカレーなら牛肉と、知っているかのようだ。全く迷いがなく、包丁さばきも速い、速い。
「じゃ、よろしくー」
「おう!」
店員は青果売り場に戻って行った。島田は牛肉を切り続ける。
「いらっしゃいませー。いらっしゃいませー」
玉ねぎをかごに入れた二人とすれ違ったが、仲良くメモを見て歩く二人とは顔を合せなかった。
精肉売り場前。冷凍食品売り場の店員も、二人を見守っている。
「なんだ、元気で良かったじゃん。この間の朝礼で言ってた子ですかね?」
「顔赤いけどなっ。だろうね。いや熱々だなぁ。冷凍食品、溶かさないでねー」
店では朝七時から朝礼があって、連絡事項が伝達される。日曜日の朝礼には真治も参加していて、十時から十七時の間、一時不在となることが連絡された。
真治が『すいませんがお願いします』と頭を下げた所で、島田がすかさず『かわいい女の子と初デート』であることを補足説明し、これはやむを得ない事由であると、みんなに理解を求めたのだ。どんな顔をしているか判らないが、頭を下げ続ける真治に、不満をぶつける無粋な者はいなかった。島田が何故、そんなことを知っていたのかは、真治にも判らない謎である。
精肉売り場の調理場は、全員そわそわし始め、にわかに活気付く。
「へー。あの子ですかー。かっわいい子じゃないですか。真ちゃんやりますね」
「あんな子だったら、俺だって仕事、休んじゃいますよー」
「お前はパチンコの方が好きだろ!」
「あ、ばれました?」
「馬鹿、来たぞ。知らんぷりだ。知らんぷり!」
精肉コーナーが一瞬で静かになった。
「はい。いらっしゃいませー」
「牛肉を五百グラム、お願いします」
「はい。畏まりました」
にっこりと揉み手をして、店員がオーダーを受けた。
「カレー用ですか?」
首を伸ばした別の店員が、包丁を手に聞く。
「はい。そうです」
「じゃぁ、ブロックのにしましょうね」
そう言う手元には、既にブロック肉がある。
「お願いします」
包丁を持つのとは違う店員が、そこにある切りたてのブロック肉をトレイに入れ、秤に乗せた。ピッタリ五百グラムだった。職業柄ピッタリにできる腕を持っているのだ。
「おまけしときましょうねー」
「ありがとうございます」
そう言うと、トレイを秤から降ろし、一つ肉を追加してラップで包んだ。そして売値のシールを貼ると、カウンター越しに渡した。
「はいどうぞ。若奥様」
笑顔で会釈して、二人は精肉売り場から離れて行った。二人が十分離れた所で、調理場はまた賑やかになる。
「良い子じゃないですかー。首を横にキュッとしちゃってー。かっわいー」
「いやー、仲良いですね。もう真ちゃん、後ろから直視、できてないじゃーん」
「お前、若奥様なんて言って、後で怒られるぞ! しらねーぞ?」
「本人喜んでたじゃないですか。真ちゃんボーっとしてて、覚えてないっすよー」
「お前ら、手を動かせ手を。後で青果の方からも、報告来るから」
島田が笑いながら店員に注意した。そして、エプロンを外しながら言う。
「ちょっと『福神漬け』と『らっきょ漬け』が出てるか、見て来るわ」
「えー、島さん、だめですよー邪魔しちゃー。顔怖いんだからー」
「うるせー。邪魔じゃないよ。売上アップアップだよー」
島田は笑顔のまま、調理場を出ると、『いらっしゃいませ』を連呼しながら、二人を先回りして漬物売り場に向かった。そして、真治が好きな『らっきょ漬け』を三つ取ると、それっぽくスペースを作り、売れ筋の『福神漬け』の隣に置く。そして、棚の陰に隠れて小鳥が来るのを待つかのように見守った。
やがて香澄と真治が来ると『福神漬け』と『らっきょ漬け』を一つづつ買い物かごに入れるのを観察した。二人にばれないように反対側に回り込むと『らっきょ漬け』を元の場所に戻して棚を整え、持ち場に戻る。
「若奥様、旦那様の好み聞いて『らっきょ漬け』も買って行ったよー。なー?」
「何やってるんですかー。予算オーバーしたら、どうするんですかー」
「いやー、めっちゃ優しい奥さんじゃーないですかー。家のと交換したいわー」
「馬鹿、それは両家から怒られるって。もう、俺を巻き込むなよ?」
忙しく手を動かしながら苦情を言うが、みんな笑顔だ。
「あ、そうだ。カレーにはセロリ入れるよな。隠し味で」
「えっ、じゃぁ、俺行ってきます。セロリの専門家なので」
「いやいや、今度は、俺が行ってきますよ。ずるいですよー」
店員は真治達を笑顔で見守った。真治が三号店を客として訪れたのは久し振りだった。それまでは真衣と二人で来ていて、良くここで馬鹿話をしていたのだが。真衣が中学生になってからは、めっきり来なくなっていた。
三号店には今は亡き五号店の店員だった者もいる。みんな小さい頃の真治を知っていて、我が子のように見守っていたのだ。
レジ係達も二人をひっそりと観察していた。香澄が『こちらへどうぞ』と案内された方に吸い寄せられて行くと、買い物かごの反対側を持った真治がガクンとなりながら引っ張られて行くのを、笑いを堪えて見守った。きっと防犯カメラに写った真治の様子が、アナウンス付きで編集され、回覧されるだろう。
真治と香澄は、持参した買い物かごまで二人でぶら下げて、薄暗くなった街へと退店して行った。店員達は、しばらく二人の話題で盛り上がるのだった。
その頃島田は、バックヤードの休憩室でタバコをふかしていた。
真治が連れて来たのは、息子がトランペットを毎日貸していた子だ。話に聞いた感じと、真治と一緒の感じでは、まるで別人だ。息子よ、残念だったな。
兄貴に『真治と真衣を頼む』って託されたけど、これはもう、絶望的だな。土曜日の夕方、作り笑顔の真衣を見て焦った。慌ててココに連れて来て、何とか間に合った。イカ燻とサラミを摘まみに、濃い目のカルピスあおっちゃって。あぁ、弱虫で泣き虫だった頃に逆戻りだ。兄貴ぃ、すまん。切ないぜ。
ネクター、チビリチビリしながら愚痴も吐いてたな。『ナイトを捕られた』『私の方がかわいいのに』『一緒にピアノ弾いたのに』あと何だったっけかな。あんだけ仲良しだったんだから、そりゃぁ、愚痴も出るわなぁ。
はぁ。『お父さんがいなくても良い。貧乏でも良い。ピアノだってなくて良い。私には真ちゃんがいる』って、言ってたっけ。俺に言わないで真治に言ってればなぁ。まぁ、言えないか。はぁ。中学に行ったらまた一緒だって、いつも言ってたもんなぁ。で『私の新婚生活三カ月もなかったー』号泣。だから、苗字を変えずに真治を信じて十年耐えろって言ったのに。こっちが泣きたいよ。
泣き止まないから『それじゃ息子はどうだい?』て聞いたら、嘘みたいにピタッと泣き止んで『エースは嫌だ!』か。即答かよ。『あいつエースなの? 凄いの?』て聞いたら『ポーカーなのにスペードのエースでスリーカード、ハートのエースでワンペア、それでフルハウスだって出す馬鹿、初めて見た』か。
てか、息子よ。何を賭けていたのか知らんが、勝負事で手品の技は使うな。「オリーブの首飾り」ばっかり聞いてるからだ。真衣が好きなのは「朧月夜」だ。「にほひ淡し」を「淡い香り」って言ったらダメだからな。「枕草子」読破してから行けよ? はぁ。ここで言ってもしょうがないか。
しかし俺も『それだったらファイブカードだよな』って返したら、俺まで兄貴と比較されて、馬鹿にされちまったぜ。ふふっ。いやね、主席だった兄貴と、比較しないで欲しい。俺だって一応、一高なんだぜ? はぁ。どうしよ。
島田は、真衣が好きだった煙の輪を作りながら、タバコを強く揉み消したとき、不覚にも『プッ』っと吹き出して、思い出し笑いをしてしまった。
左手にカバンを持ち、おみやの大阪寿司を右小指にぶら提げていた。振り返らずに、ひょいと右手をあげる。いつもの別れの挨拶だ。そのまま、がに股の千鳥足で帰る後ろ姿。きっと裏通りに行ったら『朧月夜』を歌いながら行くのだろう。流石兄貴の子。そっくりに育ったよ。




