テスト期間・べっ甲の髪留め
夕刻の道を行く。香澄の家から並木道までは車の少ない住宅地の道である。それでも横断する時は後ろを振り返り、角を曲がる時はちょっと覗き込んで先を確認する。
小さい子供ならお構いなしに駆けだして、十年に一度くらい、車に轢かれたりするんだろうけど。真治はここで、自転車を一台ダメにしたのを思い出した。
真治と香澄は仲良く手をつないで歩いていた。お互いに反対の方を確認し、危ないのに行こうとしていたら手を引っ張る。デパートの中を歩く時のように。
「今日も髪留め壊れちゃったの?」
唐突に、真治が香澄に聞く。朝、香澄は髪を纏めていた。夕方音楽室に来た時は、今と同じ長い髪型になっていた。香澄は、目をぱちくりさせる。
「ええ。そうなんですよ。髪の量が多いと反発力が強いから、壊れ易いんです」
そう言って香澄は、真治が見ているのを確認すると、手で髪をなびかせた。真治からは、天使の輪がゆらゆらしたのが見える。
「結んだのとぉー、どぉーっちが好きですか?」
「そりゃぁー、今の方が良いよー」
真治の返事は早かった。香澄は目を垂らした笑顔になる。
「そうですかぁー」
そう言いながら、香澄は真治に寄り添った。まぁ、並木が歩道を時々狭くしているのも、理由ではあるが。
「それに、何か、良い香りするよねぇ」
真治が直ぐ横に来た香澄の頭に、顔を近づけながら言った。香澄は驚いて、ちょっと頭を引っ込めたが、真治は取り残されてそのままでいた。
「汗臭いですよっ!」
香澄は今までの女性の魅力アピールを止め、自虐の言葉を吐きながらも笑う。そして、真治から離れる。手は離す訳もなく。
「そんなことないよー」
真治も笑いながら香澄を引き寄せた。香澄はちょっと驚き、それでも恥ずかしそうに戻って来る。また並木が、歩道を狭くしたからだ。香澄は真治が前を向いたので、下を向いて微笑む。その時、真治から予期せぬ一言が。
「今度さ、髪留めの丈夫な奴、買ってあげるよ」
「え、良いんですか?」
香澄が直ぐに顔を上げる。真治は香澄の方を見て、念を押す。
「べっ甲とか、ダメだからね?」
「何ですか? それ」
香澄の言葉に、真治はガクッとなった。気を取り直して言う。
「いやいや、香澄さーん、べっ甲の髪飾りと言えば、高級品ですよ?」
「どんなのですかっ?」
香澄が嬉しそうに聞く。真治はダメだと言ったのに、説明はする。
「んーとね、琥珀色のやつ。見たことない?」
「琥珀って、何ですか?」
香澄が真顔で質問する。通じない。真治はあれっと思ってちょっと慌てた。
「え、んーとね。松脂が化石になったやつ?」
「べっ甲って松脂からできているんですか? 何かベトベトしそうですねぇ」
真治はまたずっこける。それでも、もう一度気を取り直す。
「いやいや、香澄さーん、そうじゃなくてぇ、えーっと、色つやは琥珀に似ているんですけど、原材料は、海亀の甲羅ですよ?」
左手に持った買い物かごを振りながら説明する。香澄は何だか嬉しそうにしているが、頭を捻って考えたままだ。
「亀なんですか?」
「そうです。そうです」
真治の答えを聞いて、香澄はニ、三回首を捻った。そして口をへの字に曲げ、鼻をつまんで聞いて来る。
「亀臭するんですかぁ?」
モゴモゴとした変な声。予想もしなかった質問に、真治は困った。
「え? え、いやー、亀の臭いって判らないけど、多分しないと思いますよ?」
「本当ですかぁ?」
まだ鼻をつまんで、変な声で聞いて来る。香澄の念押しに、真治は固まった。確か何年も乾燥したものを使っていると思うから、臭いはしないはずなのだが、確証はない。いや、豆腐も外人は臭いって言うらしいし、はてさて、どうなんだろう。もしかして、臭わないのは日本人だけ? いやいや、べっ甲って世界中で販売されているよね?
考えながら、ちらっと香澄を見た。香澄は鼻から手を放し、笑っている。
「あー、やっぱりね、亀臭します。それでね、松脂で、ベットベトです!」
咄嗟に答える。頭を縦に振りながら、香澄のモゴモゴ声を真似た。そして、歯を思いっきり見せてニッと笑う。その様子を見た香澄は、ちょっと怒った。モゴモゴ声は止め、声のトーンが上がる。
「ちょっと! 嘘なんですね! 買わせまいとしてますね!」
目をくりくりさせ、頭からポンポンと湯気を出す。真治はその湯気を払う様に手を振ると、笑いながら否定の歌を歌った。
「いやいやぁー、かわいい香澄さんにぃはぁー、本人が望むものぅをぉー、買ってあげまぁすよぉぉぉ」
嘘か誠か、いかにも怪しいオペラ風だ。聞いた香澄の答えも、嘘か誠か判らないオペラ風になっていた。
「じゃぁ、それにしますうぅ。絶対それにしますうぅ」
口を凄く尖がらせて歌う香澄も、またかわいいと思った真治なのであった。




