テスト期間・消音室の仕様
「電車、行っちゃったね」
「行っちゃいましたねー」
『じゃぁね』と行こうとする真治を察してか、香澄が真治の手を引き、地下道から改札口の方に引っ張った。まだ離れたくなかった。
「次の電車まで、一緒に待って下さいよぉ」
地下道の入り口から二メートル程の角地に誘導され、おねだりされた。そこはいつも、女子生徒同士がおしゃべりをしている所だ。
真治は商店街の方を見た。たい焼き屋のおやじさんは暇そうにタバコを吸っていて、駅前ロータリーの噴水を挟んだ向こう側にある靴屋のご主人は、足を組んで新聞を読んでいる。駅前の時計を見て、改札口の方を見た。
「じゃぁ、駅で座ろう」
そう言って香澄の手を引っ張った。香澄は『え?』と思ったが、おねだり顔から笑顔になり、そのまま改札口まで引きずられて行った。
改札口に着くと、香澄はカバンから定期を出して、真治がキップを買うのを待とうとした。しかし真治は、いつの間にか学生服の第二ボタンを外していて、サラリーマンのように内ポケットから定期券を取り出すと、先に改札を通過して行った。香澄も慌てて後を追う。
「定期持ってるんですか?」
「学割が効いて安いからね」
歩きながら定期券を見せ合った。一駅だけの同じ区間だ。香澄はまた『え?』と思い、真治の答えが香澄の答えになっていないことに気が付いた。しかし真治が歩きながら、さっと定期をしまったのを見ると立ち止まり、香澄もカバンに定期を放り込んだ。真治は気が付かず、先へ行く。
「あっちの椅子にしよう」
真治の声がして香澄は顔をあげた。振り向き待っていた真治が歩き始める。
「はい」
小走りに真治を追い、定期券を収納する役目を終えた右手を掴まえた。そのままホームへのスロープを登り、なおも先へ歩いて行くと、小さな風よけの待合室があって、そこにベンチが置いてある。ただ、今の季節、蒸し風呂みたいになっていて、とても時間つぶしに入れる場所じゃない。
手前のベンチに二人は座った。
「トランペット持って帰って、練習するんですか?」
「どうしようかなぁ」
それを聞いて香澄は笑った。相変わらず、謎多き人だ。
「どうしようかなって、どういうことですか?」
真治は困った顔をしている。
「マウスピースだけ持って帰ろうと思っていたら、なーんか、持って帰って来ちゃったんだよねー」
香澄が音楽室に来た後も、真治は香澄が直ぐに帰ると思って、トランペットを磨いていた。ピアノを弾く気だった。一時間位、弾けた筈だった。
「あー。そういうことですかー」
「ミュートは学校に、置いて来ちゃったしさー」
ミュートとは、トランペットの先にくっつける消音装置である。大して消音効果はないが、ないよりはあった方が、そんなものである。
「明日取りに行けば良いじゃないですかー」
「泥棒スタイルOK?」
にっこり笑って聞く。一応言っておくが、真治の私物である。
「それはダメです!」
頑固か。真治が両手を上にあげた。香澄はこのままだと、真治が本職の泥棒になってしまうのではないかと心配し、妙案を思い付いた。
「じゃぁ、家で練習しませんか?」
香澄は真顔で提案した。
「うーん。え、良いの?」
真治は自宅でトランペットを演奏すると、どうなるか良く知っている。だから店長室のロッカーに入れておいて、閉店後に店長室でベルにタオルを突っ込んで練習しようと思っていたが、それではニニ・ロッソになれないと、悩んでいた所だった。
「私の部屋に、消音室ありますし」
何とか真治を説得せねばならない。目も口調も変わっていた。
「それが凄いよねー」
真治は香澄を指さした。でも、香澄の部屋にある消音室なるものが、一体どんなものか想像が付かなかった。
「練習が終わったら、そのままトランペットを置いて行くのはどうですか?」
「え、それは悪いよ」
真治は慌てた。確かに身軽にはなる。有難い話ではある。しかし、大事なトランペットである。
「セキュリティ対策してますから、ちゃんとお預かりできます」
「そ、そうなんだ。だよね」
真治は思い出した。香澄の家には、トランペットよりも高そうなものが、それはもう沢山ある。それに、音楽室は出入り自由であることを。
「明日も、練習できますよ?」
香澄に覗き込まれた。真治は眉をひそめて黙ってしまい、結論を言わなかった。腕を組んで目を瞑ると上を向き、口元をギュッと結んで、真剣に考え始める。そんな真治を見て、香澄は吹き出すのを堪えていた。そしてなおも真顔のまま、重要事項を思い出したかのように、話始めた。
「あー、でも、家の消音室って、確かピアノ用なので、トランペットの音まで消音できるか、ちょっと判りませんが。うーん」
真治は慌てて目を開けると香澄を見る。そして真治は信じた。自分のために心配してくれる香澄の言葉を、真治は信じたのだ。頭の中で、ピアノとトランペットの音をオシロスコープに表示し、違いを見分けようにも、判る訳がない。
「え、そーなの? 大丈夫? もしだだ漏れだったら、怒られちゃうよ?」
香澄が怒られるのは辛い。真治は首をかしげながらも確認し、ちょっと笑いながら心配した。香澄もそんな真治を見て、首をかしげ、笑いながら答える。
「そうですねぇ。ちょっと試してみましょうか?」
「そうだね。そうしよう!」
真治は素直に賛成した。香澄に申し訳ない気持ちにもなる。だが次の瞬間、いつの間にか香澄の家に、お邪魔することになってしまったことに気が付いた。急に『靴下に穴開いてなかったよなぁ』と心配したが、もう遅い。
「電車来ましたよ!」
香澄が先に元気良く立ち上がって振り返り、満面の笑みを真治に魅せる。真治は左手にトランペット、右手にカバンを持って立ち上がると、右肘を香澄の左手に絡み取られ、慌て顔のまま、電車に引きずられて行った。




