テスト期間・音楽室
テスト期間は暇である。いや『勉強しろよ』という意見は判る。その為に部活が一斉にお休みなのだから。だが、考えて欲しい。普段から『授業』や『宿題』という勉強をしながら部活をしている訳だから、テスト前だからと言うのは部活を休む理由にはならない。『一夜漬け』だか『ぬか漬け』だかで、自分の実力を必要以上に粉飾し、できた気になるだけよりは、テストで素の自分をさらけ出し、己を知る。そして、むしろテスト後にできなかった所を復習し、弱点を知ることで、真の実力を得ることの方が重要なのではないだろうか。
「それは言訳にしか聞こえませんが?」
香澄があきれている。苦笑いをして真治を睨みつけた。
「やっぱり?」
眉毛をピクリとさせ、片方の口角だけ上げて『にっ』と笑う。そんなことは判っている。と、言いたげだ。トランペットを手入れをしながら答えた。
「勉強しましょーよ」
一方の香澄は、机の真ん中に座って訴える。両手を広げて机のサイドを掴んでいる。それで足をぶらぶらさせている。クラリネットは出していない。
「でも、一日吹かないと三日分戻るって言うしさ。一週間吹かなかったら一カ月戻るでしょ」
真治が計算をして説明する。しかし、香澄は頭を捻った。
「多くありません?」
計算が合わない。怪訝な表情で、真治を睨み続けている。
三日×一週間(七日)=二十一日<一カ月(約三十日)
その計算は正しい。しかし真治が出した計算式は違っていた。
三日×一週間(七日)=二十一日>一人月(二十日)
真治の実家では週休二日のシフト制だったのだ。
「感覚の問題かな」
答えのある問題をサラリと感覚で片付けられてしまった香澄は、口をへの字にした。まぁ、切り上げすれば一カ月か。納得できるか?
「小野寺先輩って、頭良いんですか? 悪いんですか?」
香澄が足をブラブラさせながら真治に聞いた。今日の真治は、今までとは雰囲気が違う。
「どっちだと思う?」
真治は眉毛をピクピクさせ、笑いながら香澄に聞く。聞かれた香澄は、遠慮する様子もなく、笑顔でそれに答える。
「普通!」
真治はちょっとずっこけて、バルブオイルを外してしまった。そんな選択肢はなかったはずだ。渋い顔をして香澄を見る。
「正解!」
こうなれば破れかぶれである。真治はそう答えて笑った。トランペットをギターに見立てて弾き始める。
「一年生はぁ、初めてぇの期末しけぇん。果たして何点とれるぅのぉぉ」
適当に歌い始めた。香澄は、ちょっと頭悪そうだなと思って笑った。
「テスト何点位なんですか?」
右手を顎に付けたニヒルな顔で、香澄は真治に聞いた。真治はドキッとしたのか『ラララー』の所で歌が終わった。ギターはトランペットに戻った。
「すばり聞くねぇ」
真治は口をへの字して、トランペットにバルブオイルを注ぐ。一番から二番、三番と順に二滴づつ。今度はピストンに上手く入った。
「何点? 何点? なんてーん?」
香澄も変な歌を歌いながら真治を覗き込む。真治はその香澄の顔を見ると、去年の期末テストを思い出すような仕草をする。
「んーとね。大体三百九十点位かなぁ」
そう答えると、ピストンをトントンと叩いて調子を見る。良い感じだ。
「へー。大体平均八十点位ですかー。そんなに悪い訳じゃないんですね」
香澄が素早く計算し、にっこり笑った。頭悪い訳ではないらしい。
「どうも」
渋い笑顔で真治が答えた。これで質問は終わりかと思った。ピストンを三本の指でバタバタと叩いている。
「何がどれくらいなんですか?」
香澄の質問は終わらなかった。笑顔で聞いて来る。真治のピストン叩きが止まった。渋い笑顔のままトランペットから香澄に視線を移す。
「似たような点数。九十五から百ね。音楽、保健体育、美術、技術家庭が」
そう言うと、またトランペットに視線を戻した。香澄は目を丸くする。
「九十五から百? すっごいじゃないですか! もしかして、頭良かったんですか? ちょっと勉強教えてって、え? 技能教科?」
香澄は一瞬笑顔になったが、直ぐに渋い顔になった。そしてまた笑顔になった。なかなかに忙しい。半ば呆れて真治に問う。
「いやいや、そっちじゃなくてぇ、五教科の方です。五教科! もー」
通知表に学年内の順位が記載されるのだが、その順位は五教科の点数のみで計算されるのだ。だから技能教科の点数は言い合わない。頼むよ先輩!
真治はトランペットの方を見たまま、口をへの字にしながら答える。余り言いたくなさそうだ。溜息をした。
「そっちかー。あんまり良くなくて、大体三百八十点位」
渋い顔をして答える。香澄はまた目を丸くする。
「なんで、四教科より、低いんですか!」
真治もそう言われると思っていた。予想通りである。香澄は、ちょっと鼻で笑っている。それでも口をへの字にしたまま目を合わせない真治を、慰めるように言葉を続ける。
「でも、結構頭良いんじゃないですか?」
「そうでもないよ」
真治は顔をあげた。余り慰めにもなっていなかったようだ。素っ気ない。
「そうなんですか?」
香澄は不思議そうに真治に問い直した。真治は真顔になって話し始める。
「うん。吹奏楽部は頭良い人一杯いるよねぇ。五教科とか四百五十点超えるのは当たり前だから。大体、下二桁の点数で言い合ってるでしょ」
そう。『何点だった? 俺七十』『俺七十五』『負けたー』という会話は、四百点台の話であって、一科目の点数で競っている訳ではない。ただ、香澄はそんな会話を聞いたことがない。何しろ一年生、まだ中間試験しか経験していないし、誰かとテストの点数を、言い合うことがなかったのだ。
納得したのか、香澄も口をへの字にして渋い顔をする。
「そうなんですね。みんな頭良いんですねぇ」
どうやらココにいる二人は、やっぱり?
「うちの学校から一高に行くの、だいたい吹奏楽部員だもんねぇ」
一高とは戦前の旧制中学が戦後現在の制度になって、高校に変わった歴史のある学校のことだ。要するに地域で一番頭が良い学校のことだ。
「そうなんですか。小野寺先輩はどこ行くんですか?」
「わたしゃ三高辺りが精一杯でございます」
真治はへの字口になり、左手に持ったトランペットと、右手に持った掃除用クロスを体の横で肘を曲げて持ち上げた。三高とは戦後に誰もが高校に行くようになって設置された、普通の高校である。
「そうなんですね。じゃぁ、やっぱり普通だったんですね!」
香澄は自分の答えが正解だったのだと思って笑った。真治も確かにと思ったのか、悔しそうにちょっと口を尖がらせて笑った。そう。普通万歳だ。
「所で、何が何点位なんですか?」
香澄が悪戯っぽい笑顔をして聞いてきた。真治はちょっと驚く。香澄のその顔は見覚えがある。真衣と二人だけの時に見る顔だ。
「それ、聞くぅ?」
真治は抵抗を試みた。
「はい!」
駄目だった。まったく、香澄には遠慮というものがないようだ。真治は右手の掃除用クロスをトランペットケースに放り込み、右手をパチンと頭に当てた。再びテストの結果を思い出す仕草をして、溜息をすると低い声で答える。
「えーっとね、国語、算数、理科、社会が九十点ぐらいー」
人差し指と中指をおでこにあて、恰好付けたまま固まっている。
「今『算数』って。『数学』って言いましょうよ。え、みんな九十なら、結構、頭良いじゃないですか! 勉強教えて下さいよ!」
香澄は言い始めは呆れていたものの、点数を聞いて目が輝いた。身を乗り出して真治にお願いする。しかし、真治はあまり嬉しそうにはしていない。その様子に、香澄も何だかおかしいと気が付いた。
「あれ? また四教科? あ、英語はどうしたんですか? ちょっと、え? 九十×四=三百六十。あれ? あれ? さっき三百八十って?」
香澄は不思議な顔をして計算をしている。そして、ピンと来て笑いだした。
「英語ひっく、え、英語二十? 計算合ってる? 合ってますよね? 英語二十? 本当ですか? 名前書き忘れたとかですか?」
右手の人差し指を伸ばして真治を指し、それを上下に振りながら聞いている。
「いや、二度聞かなくて、良いからー。英語二十点、正解でーす」
真治は右手を下に降ろし、渋い顔をしてお願いする。香澄は真治の顔を見て、英語が二十点であることが不思議に思った。
「本当に二十点なんですか? 何でですか?」
腕を振り過ぎて机のバランスが崩れたのか、香澄は右手を横に置いた。
「んー。何かね、教科書を最初に見て『ハロールイ』『ハローエルン』『コレハ、ナンデスカ?』『コレハペンデス』って見た時に、こいつら、中学生の男女で何言ってんだ? 英語の表現力ってその程度? て、思ったら、やる気なくなった」
真治は教科書の内容を思い出し、茶化すように一人二役をこなして答えた。
「違うでしょー、勉強しましょーよー」
香澄が机に置いていた両手をうえに上げ訴えた。だめだこりゃと思った。
「そうなの? だって、英語にはジョークも、エロい表現もないんでしょ?」
「何言ってるんですか。ちゃんとありますよー。大丈夫ですよー」
「えー、教科書のどこにもなかったですよー」
「そりゃあ、教科書には載ってる訳ないですよー。勉強しましょーよー」
香澄は呆れた。本当に、こりゃだめだと思った。真治も渋い顔のままだ。
「良いよ。英語を上げたって、一高には各教科五点以上足りないし、家は一高以外はみな同じって言われているからさー」
右手を左右に振った。真治には英語なんて、どうでも良いものだった。英語にも『草書』や『変態仮名』があるんだと思って『筆記体』なるものを書けるようにしたのであるが、誰も使用していなかった。なんだぁと思った。
話題を変えようと思って、香澄に聞く。
「所で、そう言う小石川さんの進路は? どこ行くの?」
香澄は一旦英語から逸れて、にっこり笑った。
「私は、私立の音楽科に行きたいです!」
元気良く右手の拳をあげた。真治は頷いた。なるほどだ。
「へー。ピアノ上手だもんね。でも、一応、五教科聞いても良い?」
真治は『一応』の後、ちょっと意地悪く聞いた。そして笑った。香澄の表情筋が一瞬で強張る。
「英語は勝ってます」
香澄は笑顔で答えた。そして固まった。
「ほーかーはー?」
真治は尚も意地悪く聞く。さぁさぁ、答えてくだしゃんせ。
「英語は勝ってます」
香澄は笑顔で答えた。そしてまた固まった。真治は笑顔になると、固まっている香澄を覗き込んだ。目を大きくして、さっきのお返しとばかりに問う。
「いや、英語で二回勝たなくて良いから。国語は? 算数は?」
トランペットは既にピカピカだ。香澄は目を丸くしてキョロキョロしている。人差し指と中指をおでこにあて、恰好を付けた。中間試験の結果を思い出す仕草であろう。思い出したが言葉にはできないのか、口をもごもごしている。
急に笑顔になって、大きな声で答える。
「二人の関係を壊す恐れがあるので、お答えできません!」
「あぁっ、そう、来ましたかぁっ。んんっ」
悔しい。真治はのけ反ると、香澄を指さして笑った。香澄もそんな真治を見てホッとしたのか、何も答えていないのに顎を上げると『答えてやったぜ』という得意気な顔をしてから、真治と一緒に笑った。
真治はトランペットをケースにしまいながら思った。こやつ、なかなかに賢い女である。と。




