長い日曜日・進藤家
チンジャオロースを作っていると、呼び鈴が鳴った。
「真衣、ちょっとお願い」
「はーい」
漫画を読んでいた真衣が返事をすると、のっそりと立ち上がった。母・真理子が振る中華鍋を横目に通り抜け、台所の片隅にある玄関に向かう。
「香澄です」
「なんだ、澄ちゃんかー」
玄関からの声に真衣が返事をした。
「なんだはないでしょー」
中華鍋を振りながらも、ちゃんと聞いていた真理子が真衣を叱った。
「高増屋のプリンじゃーん」
挨拶も無しで真衣が喜びの声をあげた。真理子のお叱りはスルーする。
「沢山頂いたので、どうぞ」
香澄がそう言ってプリンの箱を差し出した。真衣はそれを受け取ったが、左方向に重さが偏っている。急いで覗き込んだが、二個である。
「なんだ、二個じゃーん」
「こら、何てこと言うの。ごめんなさいね」
「いえいえ」
コレ位はいつものことである。真理子のお叱りまで含めて。
「どうぞ、あがって行って」
「じゃぁ、ちょっとだけ」
中華鍋を振り続ける真理子の言葉に、香澄が答えた。
「どうぞー」
そう言って真理子は中華鍋をコンロに置き、火を止めて振り返った。ちょっと驚いて、それから直ぐ笑顔になり、香澄の上から下までを眺める。
「あら、おしゃれしてどうしたの?」
「木白行って来たんでしょ」
「はい」
真衣の説明に香澄が返事をして頷いた。
「さて、誰と行ってきたのでしょうか?」
真衣からのクイズが出題された。真理子は右手を顎に添える。
「男の子?」
真理子が確認のために聞いた。真衣が勝手に答える。
「正解!」
「あら、誰・か・し・ら」
真理子は笑いながら香澄の恰好をもう一度見た。中学生なのでお化粧こそしていないものの、女の子らしさをアピールした姿だった。
「真ちゃんとだよねー」
また勝手に答えを発表した真衣の言葉に、真理子は驚いた。心の中で、あら、真治あの子ったら、いつの間に! と、思った。一方、答えを言われた香澄は右手で軽く真衣の肩を叩いただけで、にこにこしている。どうやら、楽しい一日を過ごしたようである。いや、半日か?
「それにしても早かったのね」
「そうなんですよ」
真理子は時計を見た。丁度四時になり、鳩が何故かカッコウと四回歌った。
「お茶位したかったよねー」
残念そうにする香澄に、真衣が同調するように言った。
「『おやつ買って帰ろう』ってなって、帰ってきちゃったんですよ」
「それでプリン買ってきたのね」
「そうなんです。で、家で食べました」
香澄が言うと、真理子が頷いた。
「あら、じゃぁ良かったじゃない」
「違うよねー」
「ねー」
真理子の意見に真衣と香澄は同調する様子はない。
「でも、何か、みんなの分を買ってくるの、らしいわよね」
真理子がプリンの箱をみつめた。
「そこは気が利いてるよねー」
真衣が褒めるのは珍しいことだ。
「プリンにしようって言ったのは、私なんですけど」
香澄が自分を指さして得意げに言った。
「なんだ、やっぱりダメじゃん」
真衣が褒めた前言を撤回した。真理子も笑う。
「じゃぁ、冷蔵庫にしまって置きなさい。ありがとうね」
「いえいえ」
真理子にお礼を言われて、香澄が右手を顔の前で左右に振った。
「えー、今食べるよ」
「あらそう? お母さんこれからパートだから、お父さんに譲るわ」
「はーい」
真衣は箱からプリンを一つ取り出し、冷蔵庫を開けて隙間を作り収納すると、扉をバタンと閉めた。そして、残り一つになったプリンの箱を、父が待つ奥の部屋へ持って行く。
「香澄ちゃん、夕飯食べてく?」
「あ、いいえ、今日はお母さんにお願いしたいことがあるので、家で食べます」
「そう。じゃぁ、チンジャオロース持ってく?」
「はい。頂きます。おばさんの美味しいから」
「あら嬉しいわ。じゃぁ、このタッパーに詰めてね、あと、はい、フォーク」
「ありがとうございます」
香澄はタッパーを受け取ると、フォークでタッパーにチンジャオロースを詰め込んだ。奥の部屋からチーンという音が聞こえてくる。どうやら仏壇にプリンをお供えしたようだ。
「でき立てで熱いから、ちょっと蓋開けときましょうか」
「はい」
「どうせ今日中に食べちゃうでしょ」
真衣が台所に戻って来た。
「そんなこと言わないの。もっと持って行って良いのよ」
「大丈夫です」
「家、しばらくチンジャオロースだからさー」
「あんた好きでしょー」
真理子に言われて、真衣は口を尖がらせた。その様子を笑いながら見ていた真理子は、エプロンを脱ぎ始める。
「木白まで何を買いに行ったの?」
実は先週、真衣と香澄は二人で木白に行ったばかりだったのだ。
「交換日記を買いに行ったんだよねー」
また答えを真衣に言われた香澄は、『言わないでよー』という感じで真衣を弱ーく、はたいた。
「トランペットのノートに澄ちゃん混ぜるの嫌だって言われちゃったから、仕方なく買いに行ったんだよねー」
そう言われた香澄は、くねくねと揺れ、照れ笑いしながら頷いた。二人は良く見るのだが、真治には見せたことがない仕草だ。
「あらー。私が出しゃばって書いたのが悪かったのかしら」
「そんなことないです」
香澄が慌てて答えた。真理子は笑って二人を見た。それは申し訳ないというか、理由としては良かったと言うか。
「どんなの買ったの? 見せてー」
「もう書いて渡しちゃった」
香澄は肩を竦め、ちょっと腰を曲げてつま先を上げると、ベー付きで答えた。
「えー、見たかったなー。明日、真ちゃんに見せてもらおーっと」
「えー、ダメだよー」
香澄が慌てて両手で真衣を揺さぶった。
「そうよ。二人のなんだから」
真理子が真衣を諭した。
「ちゃんと鍵かかるやつなので、読ませません」
照れながらも香澄が言うので、真衣はカチンと来た。
「読むなんて言ってないじゃん。見るだけだよ見るだけ」
「だめだよー絶対読むじゃーん」
「澄ちゃんだって読んだじゃーん」
「あれは真衣ちゃんが読めって言ったからじゃーん」
二人共笑顔で言い合う。いつものことだ。
「あらあら。二人共仲良くね」
笑いながら真理子はパートに行く支度をし始めた。香澄と真衣は台所から奥の部屋に歩いて行く。
「書き終わったら、焼却するって言っててー」
香澄が両手の平を上に、肩まで持ち上げて言う。
「えー、なぁにそれー、ひどーい」
「でっしょー」
香澄の告白に真衣が同意した。香澄は右手の人差し指で真衣を指さした。真理子はどきっとして聞いていた。
「もう。本当にやりそうだから怖いわー」
真衣がそう言いながら仏壇の前に行くと、もう一度チーンと鳴らして拝むと、置いてあったプリンを持って座卓の前に座った。
「本当に言ってたの?」
パートへ行く支度をした真理子が居間を覗き込みながら聞いた。香澄は座卓前に座ったまま体を捻って真理子の方を見て答えた。
「さらっと言ってました」
真理子は口をへの字曲げて『しょうがない奴』という顔をした。香澄も口をへの字に曲げて同意したので、ちょっとおもしろくなって苦笑いした。
真理子は考えていた。トランペットと書かれたノートのページ数は残り少なくなっていた。そして、天気と洗濯物とお弁当のおかずについての記載だけが続き、真治と真理子の間だけを往復する日々が続いている。そんな日常の様子で埋まって行くノート。それはそれで真理子にとって、真治を感じることができる、大切な宝物に違いなかった。
「あら、それお父さんのでしょ」
「お父さんのは私のでしょ」
悪びれることもなく、当然のようにプリンを食べ始めた真衣に、真理子は気が付いた。
「あんたもしょうがない子だねぇ」
「何が?」
ポカーンとしながらもプリンを食べ続ける真衣。その様子を見ていると、笑いながら振り返った香澄とまた目が合った。真理子は思わず口にした。
「ごめんね。こんな子達でも付き合ってくれて」
「いえいえ」
苦笑いしながら香澄は頷いた。香澄には判っていた。真衣も、真治も悪気はないのだ。
「じゃぁ、パート行って来るから。お夕飯は適当に食べてね。あ、あとプリンありがとうございます、ってお母さんに言っといてね」
「はい」
返事をしたのは香澄だけで、真衣はプリンを食べ続けている。
「どうやら、私の分はないみたいだけど!」
真理子は真衣に聞こえるように嫌みを言った。
『これ、美味いなっ』
真衣がしゃがれ声で言った。香澄には真衣がまたふざけているようにしか見えなかった。しかし真理子には、それが病没した夫・智成の真似だと直ぐに判った。親の決めた許婚ではなく、平社員の真理子を選んだ智成は、結婚後に様々な『親族の掟』に翻弄され続けた。
それでも家庭では、何でも美味そうに食べる健康優良児そのもので、胃薬を常用していた真理子の方が先に逝くものと思っていた。
「じゃぁ、お母さん行って来るから」
「はーい」
「いってらっしゃーい」
返事はしたものの、真衣は容器にくっついているプリン片をかき集めている。真理子はそこまで真似するかと思いながら吹き出した。
「今度、またプリン作ろっか?」
「本当!」
真衣に憑依していた智成は一瞬にして成仏し、いつもの様子に戻った真衣が顔をあげ、笑顔を真理子に見せた。
「いつ? 今日? 明日?」
そして食いつくように問うてくる。
「今度は今度よー」
「じゃぁー明後日かー」
最後の一口を食べながら真衣が確信的に言うものだから、香澄は『今度=明後日』であることは理解した。しかし、何故なのかは判らない。
真理子は笑いながら居間に背を向け、台所の片隅にある玄関に向かって歩き始めたが、直ぐに立ち止まった。
「あぁ、そう言えば卵の特売、明後日だったかも」
「ほらね!」
真理子の声がして、真衣が叫んだ。香澄は疑問が解決したのと同時に、真衣の何かを感じる特殊な能力を、今週もまた体験した。




