長い日曜日・三時のおやつ
駅から日傘を使ってゆっくりと歩き、一五時丁度に帰宅した。玄関からも丁度ピアノ教室の子が出て来て、玄関前のアプローチですれ違う。
「こんにちは」「こんにちは」
香澄と挨拶を交わしたその子は、羨ましそうに二人を眺めた。真治は会釈をしたときに、日傘に気付いて慌てて畳む。それを香澄は残念そうに見つめながら微笑み、真治から腕を離して日傘を受け取った。また使おうっと。
「ただいまー」
「ただいま戻りました」
「あら、本当におやつの時間に帰って来たのね」
恵子は二人を見て声をかけた。香澄はリボンの付いた紙袋を左手に持って後ろ手に隠し、右手に持った紙袋を恵子の前に差し出した。
「お母さん、プリン買ってくれたの!」
「あら、すいませーん」
恵子はプリンの紙袋を両手で受け取ると、真治に向かって会釈した。
「一緒に食べても良いでしょ?」
香澄が真治の方を向いて言う。
「時間、あるんでしょ?」
恵子が真治に確認する。
「では、ちょっとだけお邪魔します」
真治は笑顔で答えた。
「どうぞどうぞ」
恵子に導かれて二人は玄関に入った。
「香澄、足どうだった?」
恵子に聞かれて香澄は、何のことという感じの顔をしたが、そう言えばと思い出した。
「全然大丈夫だった」
ほんの数時間前のことだが、大分昔の悩みごとに思えた。恵子は頷いた。
「じゃぁ、手を洗って、おやつにしましょうね。お茶淹れますから。香澄、ご案内して差し上げて」
「はーい。これどうぞ」
恵子に返事をした香澄は、玄関にあるピアノ教室の生徒用スリッパを勧めた。
「そっちの大きいのにしなさい」
「はーい」
「あ、大丈夫ですよ」
真治はそう言ったが、香澄が来客用の大人用スリッパを用意した。
「すいませんねぇ。この子、気が利かなくて」
「そんなことないですよ」
真治が香澄に会釈しながら反論を展開したが、恵子はプリンを両手で持って、リビングに行ってしまった。
「手洗うのこちらでーす」
「はーい」
笑顔で案内する香澄に、今度は真治が付いて行く。
「石鹸はこれ、タオルはこれでーす」
「ありがとうございまーす」
真治はそう言って手を洗い始めた。その様子を確認した香澄は、笑顔で真治に声をかけた。
「先にリビングへ行っていて下さい。私が最初に書きますから」
紙袋から交換日記を取り出して真治に見せた。かわいいリボンが見える。真治が微笑んで頷くと、香澄は二階への階段を駆け上がって行った。
「おじゃまします」
真治が会釈してリビングに入ると、ソファーセットのテーブルに紙袋から出されたプリンの箱が置いてある。空のカップとソーサーがあって、奥の方に紅茶の支度をする恵子の姿があった。
「並んでどうぞ」
「判りました」
恵子の声に誘導されて、二つカップが並んだ方のソファーに真治は腰かけた。
しゃれたシャンデリアが高い天井からぶら下がっていて、奥にはドーンとピアノがある。学校の体育館にあるグランドピアノよりも大きく思えた。ソファーはピアノ教室の待合所も兼ねているのか、絵本の棚がそばにある。部屋によくマッチした時計があって、十五時七分を指している。紅茶の香りがしてきた。
「あら、香澄は何しているのかしら?」
「もうすぐ来ると思います」
見えないが階段の方を恵子は見た。そして真治を見て『困った子で』な顔をして会釈する。真治は『そんなことないですよ』という顔をして会釈を返した。
恵子はポットに入れた紅茶を緩やかに回すと、真治の前のカップに『お疲れになったでしょう』という顔をして注ぐ。真治は『いえいえ、楽しかったですよ』という顔でカップを受ける。恵子は自分のカップにも紅茶を淹れた後、テーブル上のお盆の上に紅茶ポットを置く。そしてプリンの箱を開けた。
「そのままで良いかしら」
「全然、どうぞお気遣いなく」
「じゃぁそうしましょっか」
恵子はプリンを一つ出して真治の前に置いた。
「頂き物ですけど、どうぞ」
「ありがとうございます。大好きなんです」
真治がそう言うと、恵子は笑った。
「あら、それは良かったわ。私もです」
スプーンを配りながら恵子がにっこり笑って言った。そして真治と反対側のソファーに腰かける。
「今日はどちらのお店に? 部活の用事って、言ってましたけど」
恵子が真治に聞いた。
「相談事を書くノートと、あと楽器屋さんですね」
「トランペットを見にですか?」
恵子は真治がトランペット奏者だと知っているようだ。
「いいえ、練習用のメトロノームを見に」
と、その時、ドタドタと音がして、リビングのドアが勢いよく開いた。
「そっと開けなさい。どうもすいませんね。ガサツな子で」
真治は苦笑いをしながら右手を左右に振った。
「お母さん、私、紅茶が良い!」
「みんな紅茶ですよ」
そう言いながらポットを指さした。
「自分で淹れる!」
「熱いから気を付けなさい」
「私が淹れましょう」
三人共紅茶のポットに手を伸ばす。三人はお互いの目を見て距離感を測り、真治が最終的にポットを手にした。
「お客様にお願いするなんて、すいませんねぇ」
「いえいえ」
真治が香澄のティーカップに紅茶を注ぐ。恵子は箱から三つ目のプリンを取り出すと、香澄の前に置いた。香澄は微笑む。
「お母さん、クッキーもあるでしょ?」
「まぁ、しょうがないわねぇ」
そう言うと、恵子は立ち上がり、奥へ歩いて行った。その隙に香澄は『そんな所に隠していたの』という所から、紙袋に入った見覚えのある厚みのものを取り出した。
「鍵も一緒に入っています」
小さい声で伝え、真治に渡した。真治は頷いて、カバンにそれをしまう。カバンに無事収まったのを見て、香澄は満面の笑顔になった。明日が楽しみだ。
真治は紅茶にミルクを入れ、香澄は砂糖を入れた。揃ってかき混ぜている。
「あら、待っていてくれたの? どうぞ」
クッキーを持って帰って来た恵子が二人に声をかけた。
「いただきます」
「いただきまーす」
二人はプリンをつつき始めた。その様子を見ながら、恵子はクッキーのかごをテーブルに置いた。
「自家製なので、味は保証できませんけど」
口に入れたプリンを、直ぐに飲み込んだ。
「ありがとうございます。自家製とは素敵ですね」
「私も手伝ったのよ?」
得意げに香澄が言う。作っていたときは、こんな日を夢見ていただけだった。
「プリンより先に食べて頂いた方が良かったかしら」
そう言って意味ありげに恵子は笑った。驚いたのは香澄だ。
「おかぁあさーん」
何てことを言うんだという感じで香澄が反応した。
「プリンの後だって、美味しいですよね」
真治がフォローを入れた。そう言われた香澄は、ちょっと自信が無くなった。
「紅茶を多めに残しておいて下さい」
目をぱちくりさせて香澄は警告した。それを聞いて、真治は笑った。
「お母さん。バラ三の楽譜って、新しいの必要?」
「お母さんのあるわよ?」
「時代と共に解釈変わるから、書き込み用に自分のが必要? そう言うもの?」
香澄は小首をかしげて問う。
「そうねぇ。確かに新しい資料が発見されたりして、解釈が変わることもあるわね。けれど、バラ三については、今の所そういうのは聞いたことはないわ。後でお母さんも確認するけど。でも、バラードは人により解釈は別だから、お母さんの解釈と、香澄さんの解釈は違ってて全然良いのよ」
「そうなんだ」
香澄は納得して頷いた。真治は呑気にプリンを食べ続ける。
「あなたもそう言うの気にするようになったのね。嬉しいけどそれは、弾けるようになってから考えることだから、先ずはお母さんの楽譜で練習して、一通り弾けるようになったら、香澄さん用の楽譜を買ってあげますよ」
「はい。ありがとう」
恵子も香澄も笑顔で見つめ合った。
「買いに行く時、一緒に行って下さいね!」
その笑顔のまま、香澄は真治にお願いした。
「判りました」
真治は笑顔で頷いた。
「あら、その時はお願いしますね」
それを見て、恵子も笑いながらお願いした。
「香澄さんは部活でもちゃんとやってますか?」
恵子が真治に聞いて来た。
「朝練も毎朝きちんと来てますし、夕練も最後の方まで頑張っています」
「夕方は、何をしているんですか?」
「何か、クラリネットが学校のと違うそうで、キーが違うので一人で練習したり、あと、楽器の掃除とか手入れですか。複雑な造りみたいで」
「あらー。主人が持たせたクラリネットなんですけど、オーケストラ用なんですよ。嫌だわ、あの人ったら、何にも考えてないんだからー」
真治は苦笑いするしかない。
夕方の練習が終わると、譜面台と楽器をまず壁面収納に片づける。そして、廊下に出した机を音楽室に戻す。しかし、明日の朝練がある時は例外だ。各々がその場で個人練習をしたり、楽器の手入れをしたり、腕を真っ直ぐに伸ばしてシンバルを持ち、時間を測る力自慢をしたりして、自由だ。
真治は人が少なくなったのを良いことに、爆音トランペットタイムを楽しんでいた。合奏だと出力を絞らざるを得ないからだ。
「小野寺先輩は、トランペット上手なんだよ」
「あら、そうなんですか?」
そうなんですかと聞かれて『はい、そうなんです』と答える奴はいない。
「はい、そうなんです」
真治は苦笑いして答えた。こいつ、相当図々しくて、図太い奴だ。
「すっごく大きな音、出すんだよ」
「大きいだけなんです」
まだ苦笑いしながら、直ぐに答えた真治を見て、恵子は笑って頷いた。
「あなたも最初は、トランペットやるって言っていたじゃない?」
その通り。香澄は真衣と一緒にトランペットを希望してやって来た。もう、大体金管楽器を希望する人は、トランペット希望でやってくる。すると、学校の楽器でも足りなくなってしまう。
体験して貰わないと困るので、個人所有のトランペットも、本人が良ければ使ってもらっている。まぁ、減るもんじゃなし、ということだ。
真治は個人所有だったので、後輩のために貸し出していた。しかし、それを香澄が使うことはなかった。真治のトランペットは主として真衣が奪い、香澄は真治と同学年の『エース・島田』が個人所有するトランペットを握らされ、マンツーマンレッスンを受けていたからだ。
「でも、あんなに大きな音、出せないよ」
「勢いが大事な所もありますよね」
真治がそう言うと、それ見たことかという感じで恵子が口を挟んだ。
「ほら、あなた、外では大人しいから」
言われた香澄はふくれっ面になった。ちらちらと真治の方を見たりした。
「学年が違うので部活でしか見てませんけど、元気にしてますよ」
「だったら良いんだけどー」
恵子は苦笑いしながら香澄を見る。香澄は右手を縦に振りながら『大丈夫だよ』と返事した。ように見えた。
「ピアノ教室されているんですね」
やっぱり気になる大きなピアノ。真治は聞いて見た。
「ええ。まだ引っ越ししてきたばかりだから、生徒さんが少ないのよ」
恵子は右手を振りながら答えた。
「先程、小さいお子さんが弾いてましたが、ヤマハともカワイとも違う感じの音でしたね」
「ベヒシュタインというのよ。ご存じ?」
「いえ、知らないです。外国のですか?」
真治は首を横に振って答えた。
「そうよね。一応三大ピアノメーカーなんですけど、日本じゃあまり有名じゃないのですよね」
「日本だとヤマハ、カワイ、カシオでしょうか」
「カシオは電子ピアノですわ」
にっこり笑って答える真治に、恵子は冷静に突っ込みを入れた。
「ドイツにいた時に気に入って、持って帰って来た物なんですよ」
「それは凄いですね」
「輸送費だけで結構な額になってしまってねぇ。どうです? 弾いてみます?」
恵子が簡単に言うものだから、真治は急いで遠慮した。
「いえいえ。そんな恐れ多いです」
「あら、小さい子だって弾いてるんですから、遠慮なさらないで良いんですよ。ピアノ習ってらしたんですか?」
「いや、引率でピアノ教室にお邪魔していただけで、私は習っていないんです」
真治は頭を掻きながら答えた。
「そうなんですか。じゃぁ香澄さん、何か弾いて差し上げて」
「はーい」
香澄が無邪気に答える。
「宜しいのですか?」
聞き返したのは真治だ。
「どうぞどうぞ」
恵子は香澄に向かって頷いて促す。香澄はお手拭きで手を拭くと立ち上がり、とことことピアノに向かった。すっかり弾く気だ。椅子に座ると蓋を開ける。それからイスの高さを慣れた手つきで調整した。
「何にしましょうか?」
香澄が振り向いて聞いた。真治はちょっと考えて答える。
「『子犬のワルツ』をお願いします」
香澄は頷いてピアノに正対すると、微笑んで指慣らしもせずに弾き始めた。直ぐにリビングで子犬が踊り始める。あらあら、とっても上手だ。
「あぁ、良い音ですねぇ」
紅茶を飲みながら真治が呟いた。
「ありがとうございます」
恵子も微笑んで答えた。真治はクッキーを口に頬張って、また紅茶を飲んだ。
「こんなに良い音のするピアノを弾くなら、良く練習してからでないと、恐れ多いです」
「あら、そんなに遠慮しなくても、良いんですよ」
笑顔で首を振る真治の仕草が面白かった。
「素晴らしい、優雅な時間ですねぇ。良いなぁ」
しみじみと答える真治に恵子も嬉しかった。曲は高音域になって、香澄は右手を伸ばして鍵盤を叩く。切れの良いその音は、真治が通わせていたピアノ教室では聞いたことのない音だった。
「高音がキンキン言わないんですね!」
「そうなんですよ。良い音でしょう」
今まで笑顔だった真治の顔が真剣になり、耳がピンとなっているのが恵子にも判った。その直後に香澄が弾き終わって、こちらを見たので、真治は直ぐに笑顔に戻って拍手をする。もうちょっと長い曲を、リクエストすれば良かった。
「素晴らしいお嬢さんですね」
「ありがとうございます。何だか今日は、凄く楽しそうに弾いているの、久し振りに見ましたわ」
拍手をしながら笑顔の真治に言われて恵子も答えた。本心だった。
「それにしても、いやぁ、このピアノは良い音ですね。持って帰りたくなるの、判ります」
「判って頂けます?」
「判ります。こぉれぇは、私も、家に持って帰りたい!」
そう言って真治は恵子を見た。恵子は笑っている。
「この子なら良いですよ?」
恵子が、丁度ピアノから戻って来た香澄を捕まえて言う。香澄も真治も驚いた。すかさず、真治が返事をする。
「お母様、今なら、ピアノも付いてきますか?」
笑いながら、真剣とも取れる表情である。
「残念。ピアノはお付けできません!」
笑顔だった恵子は、眉間にしわを寄せ、首を大きく横に振った。
「あぁー」
恵子の言葉に真治が残念そうな声をあげ、ソファーの後ろにひっくり返った。
「おかぁあさーん」
香澄が右手で可愛くパチンと恵子の肩を叩く。恵子は、また笑っていた。
「では、そろそろ失礼します」
真治は腕時計と、リビングの時計を交互に見て立ち上がった。
「あら、お時間ですか?」
「そうですね。そろそろ」
真治がそう言うので、恵子も香澄も立ち上がった。
「家、二人なので、プリンお持ちになりますか?」
「あ、大丈夫です」
香澄が答えた。真治が答えるより先に。
「ばかね」
恵子が右手を小さく振ってそう言うと、真治が笑ってクッキーを指さした。
「頂けるのでしたら、こちらをですね」
「あら、そんなもので? よろしいの? 香澄さん、ビニールお願い」
「はーい」
上機嫌な香澄が奥へ飛んで行くと、恵子はかごの下に曳いてあった紙で、残ったクッキーをそっと包む。直ぐにビニールを広げながら戻って来た香澄にパスをする。香澄はそっとビニールの口を閉めると、笑顔で真治に手渡した。
「ありがとうございます。家族に自慢しながら頂きます」
「あらー。ご家族によろしくお伝え下さい」
恵子が頭を下げたので、真治も「はい」と言って頭を下げた。香澄はプリンの箱を手に取ると、また奥へ飛んで行った。猫みたいだ。
「香澄さん、お見送りしなさい」
反対方向へ走り去る香澄を見て声をかけた。すると奥から「はーい」という声と『バタン』と冷蔵庫の閉まる音がして、香澄がまたプリンの箱を抱えて戻って来る。恵子と真治は首を捻った。どうやら一つ、冷蔵庫に入れたようだ。
「では失礼します」
「真衣ちゃん家に行って来るね」
二人が同時に言うものだから、恵子は頷くだけだった。三人はリビングを出て、玄関まで来ると、真治は自分の靴を、香澄は今朝一度履いたハイヒールを履く。恵子はそのまま玄関で二人を見送った。
真治はもう一度「ごちそうさまでした」と挨拶をして、そっと玄関の扉を閉めた。香澄はドアの隙間から恵子に手を振っている。
門扉までのアプローチを歩き始めると、ハイヒールはぐらつくようだ。真治が伸ばした手に香澄はしがみ付いた。香澄が真治に聞く。
「ピアノ、習ってたんじゃないんですか?」
「うん。親戚のお姉さんに教えてもらっていた感じなんで」
「そうなんですか。でも、ピアノ、弾けば良かっったのにぃ」
香澄は含みのある笑顔で真治の腕を引っ張りながら言った。真治も含みのある笑顔で答える。
「いやー、しばらく弾いてないしぃ、見よう見まねの腕で弾くなんて、恥ずかしいでしょ?」
「そぉんなことないですよぉ。楽しぃですよぉ」
「んー。それは否定しないけどぉ、もうちょっと練習してからじゃないとねっ」
そう言うと、香澄の目が光り輝く。
「じゃぁ、私のピアノで! 練習して下さいよ!」
そうだ、この家、ピアノ二台あるんだった。真治は忘れていた。困った顔をしていると、香澄が言葉を続ける。
「私のピアノも、ベヒシュタインなんですよ?」
真治の目が丸くなった。それは、それはダメだよお嬢さん!
「いやいや、それだと練習の練習が必要でしょ!」
慌てて真治が言うものだから、香澄は笑った。どこまでも気が小さい人だ。
二人は門扉の所で互いに今日の礼を言い、明日の約束をして左右に別れた。真治は帰路の道路を渡りながら、真衣の家に向かう香澄の後ろ姿を眺める。いつもと違う香澄を、もう一度だけ、もう少しだけ目に焼き付けたい。香澄は、そんな真治の視線を感じたのか、角の所で足を魅せるように振り返った。
明日も会えるのにと、どちらも想うのは間違いない。しばし立ち留まっていた。そして一呼吸置いて、どちらともなく、互いに手を振りながら、ゆっくりと歩を進める。それでも名残惜しいのか、歩きながら、二人は少し体を反らした。足、背中が見えなくなり、髪を揺らしてまだ見つめ合っていたが、最後は同時に視界から外れ、どちらも見ることができない右手を振りながら、二人の一日は静かに終わった。
住宅街のアスファルトから人影が消え、セミの声がした。




